スポーツ SPORTS

伊藤智也の挑戦!目指すは金メダル!

HERO X 編集部

2021年。57歳になった伊藤智也選手はNHKのインタビューの中で「2024年・パリ大会」という言葉を口にした。パラリンピック東京大会を控えた伊藤選手の目は、すでにその先の大会に向いている。会社経営者だった伊藤選手がパラリンピックを目指すことになったのは、自身のちょっとしたミスからだった。34歳の時に難病の多発性硬化症を発症、車いす生活を余儀なくされたとき、間違えて注文してしまったのが陸上競技用の車いすだった。しかし、ここからがすごい。発症の翌年から陸上を始め、北京パラリンピックでは金メダル2個、ロンドンパラリンピックでは銀メダル3個を獲得し、伝説の車いすランナーとなった。その後、一度はレースの世界から退いた伊藤選手だが、今回の東京パラで再びランナーとして走ることを決めた。

伊藤智也が挑む東京パラリンピック

「最高のマシンが仕上がった。マシンに負けない走りを見せたい」まもなく開幕を迎える東京2020パラリンピック大会。車いす陸上T52に出場する伊藤智也選手(バイエル薬品)は新しいマシンを横にそう意気込む。ロンドンパラを最後に引退宣言をしていた伊藤選手が再びパラの舞台へ。目指すのはもちろん金メダルを首にかけることだ。すでに57歳を迎えた伊藤選手だが、メダル争いをするのは年齢もはるかに下の選手たちだ。「1年延びたおかげでベストな状況が作れた」“おっちゃん”の勝負が始まろうとしている。

5年間のブランクを乗り越えて
2020年に向けた挑戦

新型コロナウイルス感染症の世界的な流行により、2020年開催予定であった東京オリンピック・パラリンピックが1年延期。アスリートにはさまざまな波紋が広がった。

夏に身体のピークを合わせていたアスリート達は、この延期とどう向き合ったらいいのか。心を乱したアスリートも多く、練習に身が入らないアスリートもいたと聞く。しかし、伊藤選手にとってこの1年間は、さらに強くなるための時間だったのかもしれない。

“おっちゃん”の星として「頑張らなあかんな」と語る伊藤選手は、いったん競技生活から退いていたが、5年間のブランクを経て2017年夏に現役復帰を宣言。2019年の世界選手権では、銀メダル1個、銅メダル2個を獲得し、東京パラリンピックの代表に内定していた。2020年開催予定であった東京オリンピック・パラリンピックが1年延期もしくは中止になったとしてもこのままでは終われない、次の2024年は「パリでひとつ花火を打ち上げたる」と闘志を燃やす。

最高のマシンを巧みに操ることで
パフォーマンスを発揮するパラリンピックの世界

そんな伊藤選手だが、最高のパフォーマンスを発揮するにはマシンの存在は大きいという。マシンを使うパラスポーツは健常者の陸上競技とは違い、人が3割、マシンが7割というくらいマシンの存在は大きいそうだ。自動車のF1レースのように、最高のマシンをドライバーが巧みに操ることで最高のパフォーマンスを発揮する。

その競技用車いすを手掛けるのが株式会社RDSだ。実は伊藤選手の現役復帰は、RDSの代表を務める杉原行里の「伊藤さん、もういっぺん、走る気はありますか? あなたの体に合ったマシンを開発したら金メダルを獲れますか」という問いかけがきっかとなっている。

記事を読む▶獲るぞ金メダル!東京2020で戦うための究極のマシン開発に密着 伊藤智也×RDS社【究極のレースマシン開発】Vol.1 前編

こうして、オールカーボン製で細部まで伊藤選手の体と一体になるオーダーメイドマシンが世界で初めて生まれた。

2020年には数年ぶりに病気が再発し、少しだけ影響も出ているという伊藤選手だが、“おっちゃん”の挑戦は、すでに2024年のパリに向かって走り出している。

関連記事を読む

(text: HERO X 編集部)

  • Facebookでシェアする
  • LINEで送る

RECOMMEND あなたへのおすすめ

スポーツ SPORTS

シルクドソレイユが認めた、下半身麻痺のクレイジーダンサー

中村竜也 -R.G.C

自分にこれは出来ない。私の性格には向かないからやめようといった具合に、様々なシチュエーションや環境の中で、多くの人々が夢を過去に置いてきたことだと思います。しかし、今回ご紹介する松葉杖ダンサー・Dergin Tokmakは、自らの夢を実現するために、けして諦めることなく努力を重ね、結果に結びつけた素晴らしい人物なのです。

圧倒的な思いが導く成功への道

1973年、ドイツのアウスブルグで生まれたDergin Tokmak。1歳の頃に発症した急性灰白髄炎により、下半身に障がいを抱えたまま幼少期を過ごしてきました。そして、12歳の頃にブレイクダンスと出会い彼の人生は一変。下半身が動かなくても、踊りたいという彼の中に生まれた気持ちを大切にし、松葉杖を利用したダンススタイルにたどり着いたのです。たとえ下半身が動かなくても、ブレイクダンスという武器を身につけた彼は、仲間たちと切磋琢磨を繰り返し自らの技を磨き続けることで、そのハンディキャップを自信へと変えていったのです。

そして2004年31歳の時、人生を変える出来事が訪れたのです。ひたむきに続けてきた彼の活躍が認められ、芸術性の高さだけではなく、その人並み外れた身体能力と技術を持った者だけが入団を許される世界的エンタテイメント集団・シルクドソレイユのパフォーマーとしてのオファーを勝ち取ったのです。しかしそれは、成功への道であると同時に、今まで以上の努力が必要な世界。プロフェッショナルでいるために数々の苦難と向き合っていかなくてはいけないのです。名声を得るということの裏には、これまでにないプレッシャーが必ず存在するはずです。その孤独で長い闘いは、きっと我々の想像を絶することだと思います。

現在43歳になった彼は、その年齢によりもしかしたら体力の衰えを感じているかもしれません。しかし、これまでも数々の壁を乗り越えてきた彼なら「リミットを作るのも自分、リミットをなくすのも自分」と言い放つことでしょう。下半身に抱えた障がいをものともせず、ポジティブな発想と夢を叶えるために諦めない強い気持を持つ人間だけに、一流という称号が与えられるのです。

webside : www.stixsteps.de
Facebook : https://www.facebook.com/DerginTokmak.stix/
Instagram : Stixsteps
Youtube channel : Stixsteps

(text: 中村竜也 -R.G.C)

  • Facebookでシェアする
  • LINEで送る

PICK UP 注目記事

CATEGORY カテゴリー