テクノロジー TECHNOLOGY

スポーツは「観戦」から「同化」するものへ。高専生が生み出した『シンクロアスリート』の可能性 後編

吉田直人

独立行政法人国立高等専門学校機構東京工業高等専門学校の学生たちが開発した“選手と同化する”スポーツ体験システム『シンクロアスリート』。ジェットコースターの仮想体験というアイデアからスタートしたこのプロジェクトは、東京2020への機運も相まって、国内のコンペティションで高い評価を受けた。後編では、『シンクロアスリート』の今後のロードマップや、開発に携わった学生と教員が抱くテクノロジーへの期待について聞いた。

課題は「速度」と「ユーザー体験」。
ゆくゆくはオープンソース化

左から瀧島和則さん、米本毬乃さん、一瀬将治さん

VR技術は市場の成熟を見ても、これから、という段階にあると思いますが、VRを活用したスポーツ観戦システムは、俯瞰映像が多い中で、選手の身になって見る、体験するタイプは珍しいですよね。今後のロードマップで考えていることがあれば教えてください。

瀧島:現段階ではライブ配信をすると、タイムラグが生じるため、通信スピードを改善したいです。こればかりは、私たちの問題というより回線速度技術の発展が必要になってくる部分です。『シンクロアスリート』は、ライブ配信モードで今まさに競技をしている人の生中継が可能ですが、その際にスムーズに配信を行うには、どうしても、インターネットの回線速度が必要になってきます。現状は、選手が競技をしている場所から中継映像を配信する場合に、多少の遅延が発生してしまいます。目標は、その待機時間を減少させた上で、動きと同時に高画質な映像を観戦者に届けること。そこは現状の技術だと難しい部分がありますが、将来的には、映像遅延の原因となる映像圧縮が不要で、高画質のまま映像を送信できるよう,ネットワーク回線の高速化について、研究機関や企業で研究していきたいと思っています。

米本:今私が取り組んでいるのは、『シンクロアスリート』のユーザー体験の改善です。スポーツの再現ができていても、やはり乗り物であって、VRを用いていることもあるので、いわゆる「VR酔い」なども起こりえます。そういった感覚的な違和感を低減する作業をしています。乗って頂いたいろいろな方からのフィードバックを踏まえて、どんな人がどう感じているかを分析しながら、『シンクロアスリート』を通じたスポーツ体験に心地よく没入できる状態を目指しています。誰が体験しても、純粋にコンテンツを楽しんで頂ける状態まで持っていきたいです。

一瀬:直近では、EVカーレースや、馬術、バスケットボールなどといった競技を収録していく予定ですが、今後も、東京2020に向けて多くのコンテンツを作っていくことになると思います。その過程で、よりこういったスポーツ観戦システムが浸透していくには、誰でもコンテンツを作れる状態が理想的だと考えています。例えば、撮影した動画とスマートフォンで収録した動きをパソコンにインストールするだけで『シンクロアスリート』との同期が可能になるソフトウェアを開発し、最終的には、コンテンツ制作の場をオープンにしていきたいと思っています。

「スポーツ体験のスタイルを根底から変えていく」

シンクロアスリートは今後スポーツにどのような影響を与えると考えていますか。

米本:私自身も今までいろいろなスポーツをやってきました。そこで感じているのは、やはり自分の身近にある競技でなければ体験する機会がないということです。例えば友達がやっていたからなど、何かの縁で触れる機会があるという具合ですね。その点で、『シンクロアスリート』はスポーツ体験の選択肢を広げることができると考えています。競技を選手目線で擬似体験した後に、そのスポーツを実際にやってみるきっかけになりうるということです。子どもたちがさまざまなスポーツに触れる機会を作ることができれば、結果としてスポーツ人口の裾野を広げることにもつながり、将来的に、オリンピックやパラリンピックでメダルを獲る選手が育っていくかもしれません。

松林:『シンクロアスリート』は、スポーツ体験のスタイルを根底から変えていくポテンシャルを秘めていると思っています。今までは絶対に不可能だった観戦ができるようになるので、例えばマラソンのペースメーカーにカメラとセンサーを付けて貰えれば、自分自身がペースメーカーになれる。周囲の選手も見えるし、実際には走っていないけれど、走っているような動きを体感して、選手たちの息遣いまで聞こえてくる。また、VR技術とモーションベースを組み合わせた機構という特性を活用すれば、スポーツのトレーニング方法も革命的に変わってくるのではないかと想像しています。

数値化だけでなく、
芸術性のトレーニングにも

松林教授と山下晃弘准教授(右)

目下、注目している分野はありますか?

山下:今までスポーツを教えたり、体験したりしようと思うと、感覚的な言葉で表現されるシチュエーションも多かったと思います。「シュッと」とか「ガッと」といった表現ですね(笑)。それが今、いろいろなセンサーが小型化されて、体に身につけることが容易になっています。そういった機器を使って動作を細かく数値化することで、今の動きは理想的な動きからこれだけズレている、ここをこう動かしたらこうなるといったシミュレーションを用いた評価やコーチングが簡単にできるようになっていくと思います。それは選手にとっても、コーチにとっても、かなり革命的なことで、センシング技術は、これからのトレーニングやコーチングの方法をドラスティックに変えていくと思います。それがチームスポーツにおける戦術や相手チームの分析にも転用されていくはずですから、ひいては観戦者の楽しみ方も変わってくるでしょう。

松林:私が今、面白いと思っているのが、画像処理技術が凄く向上してきており、それをスポーツに応用する事例が増えてきている点です。よくあるのがテニス。ボールがラインに乗っているか、いないかをリプレイで確認する場合がありますよね。あれはエンターテインメントとしてもよくできていて、選手が「チャレンジ」としてアピールし、確認するシステムになっています。確認の結果に応じて、周りの観客も拍手して盛り上がるように、技術を使って試合の運営上でうまく使っている好例だと思います。カメラを何十台も使っているようですが、そんなことが可能になった画像処理技術に注目しています。

山下:テクノロジーの発展に伴って「数値化する」ことはかなりのレベルまで来ていると思いますが、一方で、小説や芸術分野にコンピュータが入り込み始めていますよね。コンピュータが小説を書く、俳句を読む、絵を描く、音楽を作る。スポーツにも芸術的な側面があると思っていて、他方で競技における芸術性を高めるトレーニングはまだ確立されていないと思うのです。「人間の芸術性を磨くためのサポート技術」が生み出されたら、それはそれで面白くて、フィギュアスケートの表現力をどうやって高めるのかなど。非常に感覚的な領域なんだけれども、そこにコンピュータが何らかのサポートをすると、もう少し芸術力を向上させることができる、そんなサポートがこれからできてくるんじゃないかなと期待しています。

審査員の評価は得点で示されても、必ずしも数字では計測できないような部分ですよね。

山下:測れないと思います。コンピュータ自体が芸術作品をつくる、という方向があるとすると、それを人間の発想と組み合わせた時に、自分の中になかった新しい発想を与えてくれて、表現力や芸術性が高まっていくような共存もあるのではないかと思っています。そういうところをサポートできたらテクノロジーの用途としてますます貢献できると期待を持っています。

前編はこちら

(text: 吉田直人)

(photo: 河村香奈子)

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テクノロジー TECHNOLOGY

現場の声から生まれた “ケアテック”が 介護の未来を変える!?

長谷川茂雄

要介護者の排泄介助における負担軽減を目的として開発された「Helppad(ヘルプパッド)」は、オムツを開けることなく“においセンサー”で排泄を検知するシート型の排泄ケアシステムだ。この画期的なプロダクトは、千葉工業大学に在学中の学生が起業した株式会社aba(アバ)が中心となり、パラマウントベッド社と共同開発をしたもの。近年、超高齢化が進む日本で、同プロダクトに代表されるようなケアテックは注目を浴びているが、その現状とは? aba代表の宇井吉美氏に、現場のリアルと今後の課題を伺った。

介護の現場に立つ人を
プロダクトの力で支えたい

そもそも宇井氏が、介護ロボット開発の道を志したきっかけは、うつ病を患った祖母の介護だった。まだ中学生ではあったものの、人というリソースだけの介護に限界を感じていた彼女は、その後、高校時代に介護ロボットに出会うことで、ロボティクスの世界に興味を持ち始めた。

「介護ロボットの研究をしている先生がいる大学を探し、未来ロボティクス学科に入学しました。ただ、当初は排泄とは関係のないメンタルケアを目的としたコミュニケーションロボットを作ろうと考えていたので、少しでも現場の意見を聞こうと、多くの精神科に足を運びました。そういった活動をしている中で、医療現場に閉じず、もっと人の生活そのものの根本を支えるテクノロジーに興味が移っていったんです」

株式会社aba創業者で代表の宇井吉美氏。

介護施設で実習をする機会もあり、排泄介助の現場を目の当たりにしながら、介護に携わる多くの人をプロダクトの力で支えたい気持ちが固まっていったという宇井氏。ただ、排泄センサーの開発に関しては、自身のアイデアというよりも、介護現場で「どんなロボットが欲しいですか?」というシンプルなヒアリングの答えが、原案になっているという。

「私は、いつも斬新なアイデアがあるというわけではなく、どちらかというと現場の意見を聞いて、プロダクトに落としていくというプロセスを踏みます。『Helppad』は、“オムツを開けずに中が見たい”という介護職の方の意見が出発点になっていて、さらに “(被介護者の)体にできるだけ機械を付けないで欲しい”、“便と尿のどちらも検知するものにして欲しい”というニーズを満たす目的で生まれました」

獲得した排泄検知データは
かけがえのない財産

まさに現場の率直な要望を純粋に形にしたのが、シート型の「Helppad」ということだ。それだけに、現時点での理想を形にできているが、宇井氏曰く、自身の頭の中にあるプロダクト構想の達成率としては、10〜20%程度とのこと。

「最終イメージとしては、我々は布パンツにセンサーが縫われているようなプロダクトを目指しています。そのためには、センサーもモジュールも、場合によってはバッテリー部分も洗えるものにしなければなりません。もしくは、使い捨てのオムツにセンサーが内蔵されているものも考えていますが、その場合は、使い捨てしても構わないコストまで、値段を下げる必要がありますから、課題は多いですね」

自分たちは、まだまだ発展途上にあるという宇井氏。逆にそれは、これから多くのビジョンがあり、前向きな未来が見えているということでもある。同時に、起業してからこれまでの10年で積み上げてきたものの中で、何ものにも代え難い価値となっているものも少なくない。その一つが、排泄検知のデータだ。

abaの技術開発セクション“aba lab”には、大手企業からの協業のアプローチが絶えない。

「A I技術は、今後、介護の現場でも様々活用されていくと思いますが、ある目的実現のためにアルゴリズムを構築するためには、データがないと成り立ちません。我々は、2016年くらいから、介護施設の協力のもと、高齢者がいつ、どんな排泄をしたかというリアルデータを採り続けています。それは強みですし、正確なデータを長きにわたって回収できているという事実は、これからのプロダクト開発においても、大きなアドバンテージになると思っています」

確かに、要介護者のリアルデータを安定して採り続けることは難しい。それは超高齢化が進む日本だからこそできるストロングポイントなのかもしれない。もちろん、abaの地道な活動が身を結んだ結果でもある。そこから、排泄の量や臭いの物質から、疾病を読み取るという研究も進んでいる。

「現時点でも、キャリアのある介護職の方は、尿の臭いで排泄した人を識別することができますが、それをプロダクトが担い、さらに量や成分から疾病を判断することができるようになれば、排泄センサーの役割は、もう少し違ったものになると思います。新たな価値あるプロダクトとして認識されるはずです」

諸外国のケアテック業界は
凄まじい勢いで伸びている

そんなイノベーション構想が多々ある一方で、宇井氏は、ケアテック業界における諸外国のスピーディな発展に脅威を感じているという。それは、大きな潮流となって、今後、日本のケアテック業界の在り方を変えてしまう可能性もあると警鐘を鳴らす。

「ケアテック業界の海外の追い上げは、凄まじいものがあります。進化のスピードが桁違いに早く、中国などのスタートアップを中心に、常に多くの企業が参入してきています。このままでは、携帯電話や半導体などがそうであったように、将来的には、ケアテックプロダクトの多くを、他国から輸入するという事態に陥る危険性すらあると思います」

日本は、世界的にも稀な超高齢化社会。それだけに、それを取り巻く医療やケアテックに関しても、世界のトップ水準にあるという認識を持つ人は少なくないが、技術や資金面、そしてとりわけ成長スピードにおいて、諸外国が日本を凌駕してきている現状がある。では、打開策はあるのだろうか?

テクノロジーと人が調和すれば
日本はまだ世界と戦える

「今まさに、日本のケアテック業界が、世界をどうやってリードするかについて、明確なロードマップを描かなければならない時期に差し掛かっていると思います。日本は課題先進国で、課題“解決”先進国ではないということにならないように、我々のようなメーカーも、“介護とは何か?”というものを、もう一歩踏み込んで、各々が介護業界を牽引するぐらいの気概を持たなければならない。そう感じています。もちろん、今日も介護現場に立ってくれている、全ての介護職に敬意を持って」

超高齢化社会をひた走る日本が、ケアテック先進国として確固たる存在感を示すには、業界全体の意識改革と多くの努力が必要だと宇井氏は言う。そのキーになるのは、介護現場で働く方々と、プロダクトを作る側との共通認識や意思の疎通にあるようだ。

「諸外国は、オールハンドの介護だとむしろ質がばらつくので、機械を活用して、だれでも標準的なケアができるようにしようという意識がありますが、日本は、可能な限りオールハンドで介護をやりたいという思いが根強いんです。これ自体は悪いことではないのですが、ケアテックの浸透を阻害しているのも事実です。そうこうしているうちに、現場で働く側とケアテックやプロダクトを推進したい側が水と油のようになって、なかなか混ざり合っていかないです。このまま介護現場と技術現場が牽制している間に、日本のケアテックは消えていくと本当に危惧しています」

abaのプロダクト開発は、常に現場の声とスタッフ同士の意見を大切にしながら進められる。

とはいえ、考え方やテクノロジーの導入の仕方を工夫していけば、まだまだ日本の介護現場が活性化していく余地は多分にある。加えて、日本らしい気質は、世界と戦っていくための武器にもなると宇井氏は考えている。

「例えば日本のケアテックで生まれているAIは、素晴らしいノウハウを吸収した日本の介護職の人そのものになるはずです。そういった認識が業界内で浸透していけば、人と、人の生き写しであるテクノロジーが共に助け合うことは自然なことで、必ずムーブメントになりうると私は思っています。加えて、緻密なデータ収集や細やかな介護そのもののノウハウは、日本が最も得意とする領域です。まだ他国も追従ができていない。そういった強みを活かしていくことで、まだまだ日本のケアテックは存在感を高められると思っています」

宇井吉美(うい・よしみ)
中学時代に祖母がうつ病を発症し、その介護を経験したことから、介護者の負担を減らすべく、介護ロボット開発の道を志す。2011年、千葉工業大学未来ロボティクス学科在学中に、株式会社abaを設立。その後、多くの精神病院や介護施設でヒアリングを行い、実際の介護業務を経験する中で、排泄介助の現状を目の当たりにする。それを契機に、においセンサーで排泄を検知するプロダクトの開発に着手。2019年、パラマウントベッド株式会社と共同開発により排泄センサー「Helppad」を製品化。同年、文部科学省科学技術・学術政策研究所より「ナイスステップな研究者」に選出される。現在もケアテックの普及と新たなプロダクト開発を目指し、日々奮闘している。

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(text: 長谷川茂雄)

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