対談 CONVERSATION

日本でも浸透中!頭のフォルムを美しく再成形する、赤ちゃんのヘルメット 前編

富山英三郎

街を歩いていると、1歳前後の赤ちゃんがヘルメットをしている姿を見かけることがある。実はこれ、絶壁頭(頭蓋変形)を矯正するために作られたオーダーメイドのリモルディング・ヘルメット。「パーソナライズの量産化」を目指すRDSの代表であり、本誌編集長の杉原行里は、甥っ子が使っていたこともあり興味津々。そこで、国内での治療実績が豊富な西宮協立リハビリテーション病院の三宅裕治院長にお話を伺うため、兵庫県の西宮市に向かった。

使用目的の多くは、
頭部の「見た目」を改善させるため

杉原行里(以後、杉原):実は以前、私の甥っ子が頭蓋変形の矯正ヘルメットを使っておりまして、そこで初めて知ったんです。素人なのでつい、「頭蓋変形」ではなく「絶壁」という表現をしてしまいますが、これは何か悪さをするものなのでしょうか?

三宅裕治院長(以後、三宅):主な使用目的は見た目です。頭蓋変形には、斜頭症、短頭症、長頭症がありますが、通常重い病気ということではないんです。頭の形がいびつだと、髪を坊主にしたときにイジメられるとかいう程度ですね。

杉原:歯科矯正みたいなものですね。

三宅:頭蓋骨には、「頭蓋冠」という脳を覆う蓋のような骨があります。厳密に言えば、ここが歪むと「頭蓋底部」も歪むことになります。頭蓋底というのは頭の骨の底部、脳がのっている部分ですね。そこには神経が通る穴がたくさん空いていて、そこが歪むと神経麻痺を起こす可能性がある。ほとんど症例はないですけど。

杉原:なるほど。

三宅:頭蓋変形で起こりやすいのは、耳の位置が左右で違ってしまうことです。人間は左右の耳の中央でモノを視るので、斜めの姿勢になりやすい。そうすると、体全体のバランスが崩れて背骨が歪んだり、肩こりの原因になったり。そのほか、頭蓋骨につられて顔が歪むと、噛み合わせが悪くなるとか…。どれも命に関わる問題ということではありません。

赤ちゃんを仰向けに寝かせるようになってから、
頭蓋変形の子どもが増えた

杉原:それを聞いて安心しました。ヘルメットを使う矯正方法は、1990年代にアメリカで始まったと聞いています。それ以前はどういう対処をしていたのでしょうか?

三宅:昔のことはよく知りませんが、うつ伏せ寝をさせている赤ちゃんは頭蓋変形が起こりにくいんです。一方で、「乳幼児突然死症候群」はうつ伏せ寝をさせていると起きやすいというデータがあって、1990年代初頭から世界的に赤ちゃんを仰向けで寝かせるようになった。その結果、頭蓋変形の子が増えてきたようです。アメリカ人は日本人よりも頭の形が長細いので、余計気になる。頭蓋変形の矯正が、米国から生まれたのはそういう背景があると思います。


杉原:アメリカ人は歯の矯正も熱心ですよね。また、そこをケアするのは親の責任だという感覚がある。

三宅:そうですね。日本だとこだわる人は少なくて、寝返りができる月齢になったら勝手に治るだろうと。あまり気にしていない方が多いです。

杉原:日本に入ってきたのは2006年頃ですが、三宅先生はどういうきっかけで導入されたのですか?

三宅:昔からの知り合いが、リモルディング・ヘルメットの輸入を始めたことで知りました。当初は東京女子医大さんしかなく、彼らが関西の拠点を探していたなかで、お話をいただいたんです。しかし、私の専門は脳外科なので本筋ではないですし、小児脳外科でもないので子どもの扱いに慣れていない。無理やりヘルメットなんて被せたら、泣いちゃって大変なんじゃないかと最初は思いました(笑)。でも、泣いて大変ということはほとんどないですね。

杉原:うちの甥っ子も違和感なく受け入れていました。

三宅:また、導入したのは2011年でしたが、頭の形を気にする人がそんなにいるのかな?と当初は半信半疑でした。始めてみたら、関西圏の方はもちろん、沖縄やマレーシア、シンガポールなどから通われる患者さんがいて驚きました。

ヘルメットの購入や調整は自由診療

杉原:ヘルメット作りに関して、主な流れを教えていただけますでしょうか。

三宅:頭蓋骨は7つのピースに分かれていて、それぞれのつなぎ目を「頭蓋縫合」と呼びます。乳幼児の頭蓋縫合はゆるやかに結合していて、脳の発育に応じて広がっていきます。しかし、発育途中で頭蓋縫合が部分的に、あるいは全体的に閉じてしまう病気があるんです。そうなると、その閉じた部分だけが広がらずに歪な形になってしまう。それは病気であり、ヘルメットをしても治らない。まずはその病気ではないかを調べます。その他、神経症状や骨に異常がないかを見て、ヘルメットを着用しても問題がないかを診断していきます。

杉原:リモルディング・ヘルメットは、保険診療と自由診療のミックスですよね。

三宅:最初の診断は保険診療ですが、ヘルメットの購入や発育に応じたサイズの微調整の部分は診療行為ではなく、ヘルメットメーカーと直接契約していただくかたちになるので、いわゆる混合診療ではありません。

杉原:ヘルメットメーカーのスタッフが、病院や関連施設で調整をおこなうのですね。

三宅:そうです。

杉原:来院された方の何割くらいが、ヘルメットによる矯正を選ばれますか?

三宅:うちでは約7割ですね。

後編へつづく

三宅裕治(Hiroji Miyake)
1954年生まれ。西宮協立リハビリテーション病院院長/脳神経外科専門医、脳卒中専門医。1979年、大阪医科大学卒業。1989年、大阪医科大学講師(脳神経外科学教室)。1989~1990年、米国バロー神経研究所留学。1997年、大阪府三島救命救急センター部長。2002年、医療法人社団甲友会 西宮協立脳神経外科病院・院長。2019年、社会医療法人甲友会 西宮協立リハビリテーション病院・院長。著書として、『脳神経外科手術アトラス』(医学書院)、『最新小児脳神経外科学』(三輪書店)、『特発性正常圧水頭症診療ガイドライン』(メディカルレビュー社)など多数。

(text: 富山英三郎)

(photo: 衣笠名津美)

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「HERO Xに、人を変える力はありますか?」 “ROCKET”の精鋭2人が編集長に逆取材!【異才発掘プロジェクトROCKET】Vol.4 後編

中村竜也 -R.G.C

日本財団と東京大学先端科学技術研究センターが共同で進めている異才発掘プロジェクト“ROCKET”。これまでも当媒体で何度か取り上げているこのプロジェクトは、現状の教育や環境に馴染めない、あるいは、物足りなさを感じている「ユニーク」な子たちを支援する取り組みだ。彼らの中には、何かしらの突出した能力を持つ子が少なくない。今回はプロジェクトの実施者から、そんなROCKETメンバーに「インタビューをしてみないか」と提案してみた。前半では、「なぜこの媒体を始めたのか」との質問に、全力で返答をした我らが編集長。後半も思いもよらない方向へと話は進んでいくことになる。

インタビューをしてくれたのはROCKETプロジェクトの一期生、大阪市在住・山下泰斗くん(以下、山下くん)と、ベトナム在住・野中宏太郎(以下、野中くん)の2人。前半では山下くんお手製のロボットが登場、塗装談義に花が咲いたが、そこから派生し、「持てる能力を他のことにどう活かそうかと試行錯誤していた」と話す編集長。その後に2人から最初に出された質問は「それはどういった職業ですか?」というもの。彼らの興味の矛先は縦横無尽に飛び出してくる。

杉原:まず考古学者。

一同:(笑)

杉原:考古学者って浪漫がある仕事だと思いません? それと弁護士、新聞記者、宇宙飛行士、デザイナー。

山下くん:弁護士、考古学者、新聞記者、デザイナーって(笑)。

杉原でも一番なりたかったのは、なんとF1ドライバー(笑)。ふざけているのか、と思われるかもしれないんだけど、実は小さい頃から憧れていた職業をまだすべて諦めていなくて。どういうことかというと、HERO Xが新聞記者。F1ドライバーは無理だけど、それに携わる会社としてRDS。宇宙飛行士は、HAKUTOという月面探査のプロジェクトに関わっているから実現しているかなと。考古学と弁護士はまだだけど、いずれはと、僕の夢はまだまだ続いているんだ。

山下くん:素晴らしいとしか言えません。

野中くん:僕は今、ホーチミンのインターナショナルスクールに通っているのですが、杉原さんも15歳の時にイギリスに渡って勉強をしたと聞いています。渡英が人生の転換期となったと伺いましたが、具体的なエピソードはありますか?

杉原僕は、英語が全く話すことの出来ない状況で全寮制の学校に留学しました。当たり前のことですが、英語が話せない時点で、みんなとコミュニケーションが取れない。プラス、山下くんのように模型作るのが得意とか、絵が上手いといった特技もなかった。だから友だちを作ることがすごく難しかったんです。決して人種差別ではないんだけど、難しい状況からどう這い上がれるのか、というのをその時に学びました。

野中くん:その状況を乗り越えようとした時に、キーマンはいましたか?

杉原キーマンはもうひとりの自分。例えば、何か物事を決めたり、何かをやらなくてはいけない時に、楽な方へと行こうとするダメな自分がみんなにもいますよね。アイツに勝つのって結構大変なことだと僕は思っていて。

野中くん、山下くん:すごく分かります!

杉原英語も下手で、プライドも傷つくし、本当は会話の意味なんか分かっていないのに嘘笑いしている自分がすごく嫌で。でもその時に僕は、まず逃げずに部屋から出て行く努力をしたんだ。もうひとりの自分は、部屋にこもって本でも読んでいれば、恥をかくことも、傷つくこともないぞって、自身に語りかけていたのをすごく覚えています。でも、僕はアイツと戦って、勝てた。

そういった体験から、家族でもある寮生の一員になれたのだと、今でも思っています。そして、その時の仲間とは今でも当時のような関係を築けている。だから今ベトナムで学生生活を送っている野中くんの苦労は、間違いなくこれからの人生においてもかけがえのない財産になるはずだと僕は思います。

これは、2人に伝えたい事なんだけど、まさに今の2人の世代である15、16、17歳の時にどれだけ勝負したかが今後の人生を大きく左右するので、いい意味で思いっきり暴れて欲しいと。20代はなんとかごまかせるんだけど、この年齢での経験が跳ね返り始めてくるのが30代からだから。

野中くん、山下くん:分かりました。ありがとうございます。

一端途切れたインタビューだが、続いて全く違う角度の質問が繰り出された。そしてそれは、大人のわれわれが唸るようなものだった。

発想の転換が日本の未来を切り拓く

山下くん:では次は僕から質問させてください。東京2020年に向けて日本社会も革新がされようとしていますが、その後のビジョンがあまり語られていないような気がします。そこを含めた技術革新についてどのような考えをお持ちですか?

杉原:まず企業に関して言えば、2020年以降も間違いなく各々が持つ技術を革新していくはず。でも、ワールドカップもそうだしオリンピックもそうですが、あんなにあったはずの熱が一瞬で冷める、そんな国民性が日本にはあるように思うので、まさに山下くんが言っているように、ちょっと不安だなとは感じています。1964年の東京オリンピック時は、新幹線が開通し首都高速が完成したりと、高度成長期に合わせ色々なモノやコトが刷新された時代だったけど、今回の東京2020では、何かがそこまで大きく変わる予感はあまりしない。

山下くん:確かに杉原さんの言うとおり、目に見えて何かが変わる気があまりしないかもです。

杉原:そうなると、我々日本国民が目を向けなくてはいけないのは、東京2020を通じて何を感じるかということが、重要になってくるのではないかと個人的に考えています。一過性の盛り上がりではなく、日本の人口の30.3%が65歳以上になる2025年に向けての通過点としてみていかないと、何も変わらないまま、未曾有の超高齢化社会に突入することになってしまう。

パラリンピックは特にそうなんですけど、技術的な革新が行われるものに対してどれだけ自分が身近に感じられるかが鍵だと思っています。一人ひとりが現状を打破していく気持ちを持つことが出来れば、今後の日本も安心じゃないですかね。

山下くん:バリアフリーや多様性なども社会でよく言われていますが、その反面、全体主義的な面もあると思います。そこにはもちろんメディアの影響というのが大きいかと思うのですが、HERO Xの立ち位置はどのようにお考えですか?

杉原:例えば100人いる車いすユーザーの1.2%の人がネガティブな発言をしたとします。そのネガティブな発言やイメージにフォーカスするのが、悲しいかな今のメディアの現状。そういう議論のすり替えのような出来事って、メディアだけでなく、学校など含め世の中にあふれていませんか?

山下くん:話の筋道が決まっていることは多いかもしれません。

杉原:だからこそHERO Xの役割は、伝えたいことをブレさせずに多くの方に伝えていくことだと。

野中くん: 僕は中学を卒業して、ホーチミンで暮らし勉強をするということを自ら選んだつもりでいたのですが、よくよく考えると、実は父の転勤が決まってからあらかじめ用意された2つの選択肢のうちの1つを受け入れたまでにすぎませんでした。HERO Xでクローズアップされるような方々も、基本的には障がい者スポーツや、技術開発に携わるチャンスにめぐり合うことが出来る、選択できる側の人間だと感じています。

もちろん様々な問題はありますが、僕にとっての“ボーダー”とは「選択できるかできないか」だと考えています。その選択をする際に何が重要な要素だと、杉原さんは思いますか?

杉原:まずは、選択をする上でそれを助長してくれる仲間、そして資本というのはすごく大事。その上で絶対に間違えてはいけないのは、すべての選択の責任は必ず自分にあるということ。

野中くん:でもアジアの一部の地域で身体に障がいを持って生まれてきた人たちは、いまだに何の根拠もなく、前世で罪を犯したからだと言われてしまう風潮があるんですね。そういうなかで暮らしている人たちには、選択する権利というのが少なからずないのかなと思ってしまうのですが。

杉原:確かにそう言った風潮は現実的に辛いと思います。でも厳しい言い方を敢えてすれば、何かを必要としているのならば、誰かから与えられる何かを待つのではなく、自らそれを手に入れる努力をするということは、人間誰しも同じだと思う。今後は、国レベルではなく、地球単位でその選択を出来る人が増える世の中に、みんなの意識で変えていかなくてはいけないのかな。

山下くん:生活面や精神面も含めた、バリアフリーの定義とはどのようにお考えですか?

杉原:バリアフリーって、段差がないことをバリアフリーだと思っている人もいれば、人間的な多様性をバリアフリーと解釈する人がいたりと、言葉だけが先行している部分が大きいですよね。でも、僕の考えるバリアフリーはパーソナルエリアを拡大すること。すなわち、経験・知識・技術を武器に、自分の持つ半径を2mから3m、3mから4mって広げていくことだと思う。みんなはこれからの人だから、ぜひともその半径を広げていって欲しいです。

野中くん:それでは最後の質問をさせてください。ずばりHERO Xには人を変える力はあると思いますか?

杉原:すごいこと聞くね(笑)。正直ないよ(笑)。人の考えや行動を変えるということも然り、全ての人の理解を得て受け入れてもらう、ということは非常に難しいことです。

では、HERO Xが無駄なのかといったら、決してそうではないと思います。カッコいい、面白いという、ひとつの潮流をつくり、世の中のアイデアのひとつとしてHERO Xが存在できればそれでいいと、僕は思っています。HERO Xの存在意義は、同じような考え方、同じように何かを変えたいと思い“選択”をしようとしている人たちと出会うことができること。ひとりでこじ開けようとしていた大きな門を、同じ志を持つ人たちと、違うアプローチで開いていくことなんだと。

最後に僕が強く思うのは、2人とも学生のうちに会社立ち上げた方がいいよ。失敗なんか恐れる必要ないから!2人にインタビューを受けていて本当にそう思いました。なぜ自分が僕にこの質問をしようとしたかを、自ら掘り下げてみたらやるべきことが見えてくるはず。会社を持つというのは、大人と対等に勝負できる土俵に上がるということでもあるからね。早くそこに立ってほしいと強く願います。

前編はこちら

ROCKETオフィシャルサイト
https://rocket.tokyo/

(text: 中村竜也 -R.G.C)

(photo: 河村香奈子)

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