プロダクト PRODUCT

アスリートの100%に100%で応えたい。義肢装具士・沖野敦郎 【the innovator】前編

岸 由利子 | Yuriko Kishi

トラックを颯爽と駆け抜けるパラアスリートの身体と義肢の見事な融合は、義肢装具の製作や調整を行うプロフェッショナルである義肢装具士の存在なしに実現しない。日本の義足陸上競技選手初のパラリンピック・メダリスト山本篤選手や、リオパラリンピック4×100mリレー(T44)で銅メダルを獲得した佐藤圭太選手など、名だたるトップアスリートの義肢装具を手掛ける義肢装具士の沖野敦郎さんは、「選手が、100%の力を発揮できる義肢装具を作りたい」と話す。なぜ、ジャスト100%にこだわるのか。東京都台東区・蔵前の一角にあるオキノスポーツ義肢装具(以下、オスポ)の製作所で沖野さんに話を伺った。

専業制を選んだ理由は、人にあり

山梨大学機械システム工学科在学中の2000年、シドニーパラリンピックのTV中継で、義足で走るアスリートの姿を初めて見て衝撃を受けた沖野さん。大学卒業後、専門学校で義肢装具製作を学んだのち、義肢装具サポートセンターに入社した。以来、たゆまぬ努力を重ね、義肢装具士としてのキャリアを積み上げていき、2016年10月1日、満を持して独立。自身の名であるオキノと、スポーツを掛け合わせた「オスポ」をその名に冠する義肢装具製作所を設立するに至った。

一般的に、義肢装具製作所は「分業制」と「専業制」に分かれているが、オスポは、完全専業制。断端の採型(型採り)から義足の組み立て、納品に至るまで、すべて沖野さんが一人で行っている。一方、10名以上のスタッフがいる作業所では、分業制を取るケースが多く、型を採る人、削る人、組み立てる人、納品する人と作業別の担当に分かれ、流れ作業で作り上げていく。

「分業制だと、確かに作業の質は上がるのですが、例えば、削ることを専門としている義肢装具士の場合、自分が削った商品がどのように納品されるのか、あるいは、調整が必要になった時、どこに不具合があるのかということが書類上でしか分からず、“人”が見えなくなるのではないかと思いました。実際に、義肢装具を付ける人のことですね。私が専業制を選んだ理由の一つは、その人たちと直に接したかったからです。要望をしっかりと捉え、本当に満足していただける義肢装具を作るためには不可欠なことでした」


完全オーダーメードのソケットは、義足の要

沖野さんが左手を携えるパーツが、ソケット

義足に関して、義肢装具士が主に製作するのは、断端(切断面)を収納し、義足と接続する「ソケット」と呼ばれる部分だ。

「その人の足の太さや長さ、筋肉の付き具合などを見極めて、石膏で断端部分の型採りを行い、完全オーダーメードで作ります。F1に例えるなら、義足はレーシングカー、ソケットは車のシートに当たる部分。どんなに優れたタイヤやエンジンを積んでいても、シートの出来が悪ければ、レーサーは長時間乗るに耐えられません。それと同じで、ソケットは、義足の履き心地に関わる重要な部分。その人の断端の形状や動きにぴったり合わせられてこそ、意味を成します」

新たなものが生まれては、消え、また生まれる。日進月歩で進化を続けるソケットの製作技術だが、「真に価値ある技術を見定めることが大事」と沖野さんは話す。その上で新たに製作したソケットを、アスリートをはじめとした義肢装具ユーザーに使用してもらい、生の感想を次の製作にフィードバックすることで、オスポ独自の技術にさらなる磨きをかけていく。

優れた義肢装具は残らない

日常用の義足(左)と競技用義足(右)。中央は、スパイクソールの付いた競技用義足の板バネ

日常用の義足と競技用義足とでは、使用目的が異なるように、構造も大きく違う。だが、ジョイント部品や「板バネ」と呼ばれる炭素繊維強化プラスチック製の部分など、ソケット以外のパーツについては、基本的には、アスリートや義肢装具ユーザーの要望をもとに、メーカーが開発した既製品を組み合わせていくという点では共通している。

「板バネは、主にJ型とC型がありますが、メーカーによっても特性はさまざまです。陸上競技はJ型、幅跳びはC型、あるいは、その逆の組み合わせというように、種目によって板バネを変える選手もいますし、求める動きや好みによって皆、違います。オスポでは、ユーザーの数だけ存在する多種多様な要望を満たすために、さまざまな技術を駆使していますが、既製品で対応できない場合は、埼玉県にある(株)名取製作所と共同で、オリジナル部品を製作しています」

国境や時代を超えて、誰もが絶賛する絵画は、美しい額縁で飾られ、極めて優れたコンディションで保存されて残っていく。だが、沖野さんによると、義肢装具の場合は、その逆だ。もし、キレイな状態で残っていたとしたら、それはすなわち、使われていないことを意味する。

「(身体に)合わない義肢装具は、使わないからキレイに残っているんですね。乗りやすい車をとことん乗り倒すのと同じで、ぴったりフィットした義肢装具なら、壊れるまで使うので、残らないんです。だからこそ、メンテナンスが大事。 “どんなオリジナル部品を作っているんですか?”とよく聞かれるのですが、その選手のためだけに作ったものなので、本人に来てもらわないかぎり、お見せすることができないのが残念なところなのですけれど」

後編につづく

沖野敦郎(Atsuo Okino)
1978年生まれ、兵庫県出身。オキノスポーツ義肢装具(オスポ)代表、義肢装具士。山梨大学機械システム工学科在学中の2000年、シドニーパラリンピックのTV中継で、義足で走るアスリートの姿を見て衝撃を受ける。大学卒業後、専門学校で義肢装具製作を学んだのち、2005年義肢装具サポートセンター入社。2016年10月1日オキノスポーツ義肢装具(オスポ)を設立。日本の義足陸上競技選手初のパラリンピック・メダリスト山本篤選手リオパラリンピック4×100mリレー(T44)で銅メダルを獲得した佐藤圭太選手の競技用義足、リオパラリンピック男子4×100mリレー(T42-47)で銅メダルを獲得した多川知希選手の競技用義手や芦田創選手の上肢装具など、トップアスリートの義肢製作を手掛けるほか、一般向けの義肢装具の製作も行う。

オスポ オキノスポーツ義肢装具
http://ospo.jp/

(text: 岸 由利子 | Yuriko Kishi)

(photo: 河村香奈子)

  • Facebookでシェアする
  • LINEで送る

RECOMMEND あなたへのおすすめ

プロダクト PRODUCT

大正8年創業。義肢装具の老舗が見つめる未来とは?【田沢製作所:未来創造メーカー】

中村竜也 -R.G.C

国内きっての義肢装具の老舗「株式会社 田沢製作所」。大正8年の創業以来、義肢装具を必要とする方たちの社会復帰を手助けすべく、豊富な経験と裏付けある技術をもとに、一切の妥協を許さない製品とサービスを提供し続けている。そして、この会社を支えるのは、兄・田澤泰弘氏と弟・田澤英二氏のお二人。兄弟である利点を活かし、それぞれが異なる役回りを担当することで、義肢装具業界や会社の繁栄に注力してきた。

兄弟だからできる、それぞれが持つ役割

左:田澤泰弘氏(兄) 右:田澤英二氏(弟)

田澤英二(以下、英二氏):私はアメリカに10年いて、向こうの大学を卒業してアメリカの資格を取りました。それから帰国し、厚生労働省から日本で義肢・装具の教育をしてほしいという依頼を受け、国立障害者リハビリテーションセンターを開設をしたりと、主に教育の仕事を社外で行い、社内では臨床を担当しています。

田澤泰弘(以下、泰弘氏):私は義肢業界に関するいくつかの団体の理事などをやってきたので、会社全体の流れや、対外的なこと、厚生労働省の情報などを担当しています。そういう意味では、前に出て動いてくれる弟を、責任という意味で後ろから支える役目でもあります。


義足の製作現場の様子。


気心知れた身内だからこそ成立する分業というスタイル。それぞれがひとつの目的に向かい強みを見出すことで、長きにわたり田沢製作所を牽引してきた。そんなお二人は、日本の義肢装具、義肢装具士について、海外との違いをどのように感じているのだろうか。

英二氏まず、欧米諸国と日本の大きな違いは支給体制だと思います。日本は昭和33年に健康保険ができ、身体障害者福祉法も昭和24年に成立したので、ようやくそれに該当する方たちが医療・福祉サービスが受けられるようになりました。そうすると国がお金を出してくれるようになるのです。それにより国は、国民の安全を守るために必要最小限となる線を引くんですね。それが資格です。

分かりやすく言うと、運転免許証って車に乗ってもいいという最低資格で、そこに上手い下手は関係ないですよね。いま言っている資格というのもそれと同じで、この人は必要最低限の国が定めた知識なり経験を持っている人だなということで義肢装具士の資格を与えるわけです。

そして、アメリカやイギリスなどの欧米は、いわゆる大学教育がベースにあります。ドイツの教育は、養成校の延長になっていまして、片方は理論と臨床を教える教育、もうひとつは製作から企業経営までといった実践的なことを教える教育内容になっています。

教育方針や支給体制の違いは、
義肢装具士の対応に差を生む?

英二氏差はないですけど、違いはあるかと思います。もっと根本的なことを言うと、医者が患者さんに接する態度を見ても、海外と日本では全く違いますしね。そこで日本の医療全体を見たときに感じるのは、必要最小限を守るやり方ということ。その考えがある以上、義肢装具士業界に枠の中からはみ出したスーパースターが出るかというと、それは難しい環境なのは間違いありません。

もうひとつは、日本で作った“A”という義足をアメリカで作ろうとしても、価格が3~5倍に跳ね上がってしまうんです。さらに最先端部品を国が許可する事などが必要で、最高で5年ほどの時差が生じてしまうこともあります。そういったサービス面にも大きな違いがありますね。アメリカは、国民全員が公費支給を受けられないという国なので、ポケットマネーからでも高い費用を負担するので、切断者の要求がすごく高いんです。逆に日本は公費支給が受けられるので、公費の範囲内で済まそうとする傾向が強いと言えます。

今までの話を伺っていて感じたのは、義肢装具を必要としている方には、まだまだ日本は住みづらいのかなという印象を受ける。それは国民性の問題なのか、それとも国の姿勢の問題なのか。国民に対する保健・医療・福祉の基礎は作られているが、ベストの物が一般的には支給されていない。

手作業だからこそ真価が問われる、
義肢装具の未来


すべてハンドメイドで丁寧に製作されている。

 

田沢製作所では、大部分の工程を手作業で行っている。ユーザーが求めるニーズに応えるために、義肢装具士たちの思いと熱意が惜しみなく注がれるのだ。そこで、義肢装具の今後の進化の過程は、一般の方に向けて発展していくのか、それともアスリートの方たちに向けて開発が進められていくのかが気になるところ。

英二氏:車に例えて話すと、ホンダが世界を獲ったのは、F1やオートバイで勝ち続けたことで、日本人を含めたみんながいいイメージを持ち、結果購買につながったわけですよね。義足の場合は必要最小限の中にいたのですが、アスリートの存在が出てきたことで、彼らが使っているプロダクトが持つテクノロジーが、一般人にも還元されるようになったんです。そこから普及につながっていくことを期待しています。

ここは言い方が大変難しいのですが、企業としては、先進国での医学の進歩により義肢装具の利用者人口が減ってきています。逆に増えているのは、発展途上国や、戦争をしている国。そこで日本の企業はどう生き残るのか、という壁にぶち当たりますよね。やはり商売をしている以上売り上げを伸ばしながら、技術の開発も同時にやらなければならないので、これからは難しい時代になっていくと感じています。



これから訪れる東京2020に向け
住みやすい日本を築くには、
どのような改善が国として必要なのか

英二氏:国の方から引っ張って行ってくれるという姿勢は正直感じられません。もちろん文句も言いたいですけど、それを変える力がないことには、現場ベースではどうしようもないですよね。向こうの国はこうですよってだけで終わってしまっては意味がないので。

泰弘氏障害者総合支援法という法律と、仕事中に手足を無くした人は労災となりますが、それ以外は前記の対象です。考え方として、日常生活に必要なものは国が支給。ですから車いすマラソンで使用する特殊な車いすは一切認められないですし、義肢装具の部品に関しても「そんな物が必要なの?」といったように感じることがあり、障害者のニーズをもう少し開いていただけたらと思うことがあります。

義足の外装などでも、元の足の色に近い色を普通に求めますよね。ですが、各都道府県にある決定権を持つセンターが、ファッションモデルのように魅せることが仕事なら認めてくれますが、他は難しいと言った感じで対応されてしまいます。

日常生活に必要な物は税金を使って支給していくので、制限がどうしても出てくるわけです。ここ15年くらいで変わってきたのが、どうしてもそういった物をとの希望があれば、国としては最低限の部分は認めてくれるようになりました。例えば、50万円のマラソン用車いすが欲しいのであれば、10万円までは認めますといった具合に、少しずつ変わってきているという良い部分も確かにあります。

会社設立から約100年。その長い歴史を守るために日々重ねてきた努力がある。だからこそ、現状の体制にも不満が生まれるし、変えようという意志のもと仕事を積み重ねてきたのだろう。最後に義肢装具士として絶対に譲れない仕事の信念を伺った。

英二氏一番は専門職として生きることです。裏付けのある知識を蓄えつつ、ユーザーとコミュニケーションをしっかり取るということを大切にしています。世界のどんな高いレベルの医療を持ってしてでも、足や手を残すことができなかったから障がい者になってしまうわけですよね。でも、彼らにとってはそこからが始まりなんです。だからこそ彼らの声をちゃんと「聞く」という作業をしっかりやっていきたいですね。

泰弘氏:私の方は、各種団体の責任がある立場に就かせていただいていたので、クオリティーの高い義肢装具を作ることはもちろんなのですが、さらに、義肢装具士の生活を保障できるだけの価格を、プロダクトに反映させるということにも目を向けていくことです。

20年かけて一足しか出来ていないという方もいるほど、妥協を許さない真剣勝負で義肢装具の開発を行っているおふたり。そして、そこには間違いなく、彼らの背中を見てきた有望な若手職人が育っているのも揺るがない事実。TEAM T・田沢製作所の未来には、進化の二文字がはっきりと見えている。

(text: 中村竜也 -R.G.C)

(photo: 増元幸司)

  • Facebookでシェアする
  • LINEで送る

PICK UP 注目記事

CATEGORY カテゴリー