プロダクト PRODUCT

車いすアスリートのレジェンドが惚れ込んだ、最速マシン開発チーム【八千代工業:未来創造メーカー】前編

岸 由利子 | Yuriko Kishi

八千代工業(以下、ヤチヨ)は、樹脂製燃料タンクとサンルーフを主とした自動車部品の研究開発・製造・販売と、自動車の受託生産を主要事業とする企業。その名が、自動車とは異なるパラスポーツの世界で人々の耳目に触れるようになった一つの大きなきっかけは、2014年10月より同社に所属する車いすマラソン女子の第一人者・土田和歌子選手の存在。これまで夏季と冬季を合わせてパラリンピック7大会に出場し、夏冬の両大会で金メダルを獲得するという日本人初の偉業を成し遂げたレジェンドだ。そんな土田選手が惚れ込んだのが、ヤチヨが、ホンダR&D太陽株式会社(ホンダR&D太陽)と株式会社本田技術研究所(以下、本田技術研究所)と三社共創で開発する“レーサー”こと、陸上競技用車いす。開発の裏側を探るべく、同社開発本部生産技術部新商品技術ブロックリーダーの柴崎博文氏に話を伺った。

自動車部品と自動車生産の
エキスパートが展開する多彩な事業

今年、創業65年目を迎えたヤチヨ。激化の一途を辿る自動車業界のグローバル競争を勝ち抜くべく、部品事業ではグローバルオペレーションを進化させ、海外を中心とした事業拡大の推進に尽力するかたわら、完成車事業では、大量生産を前提とした工場にはない新たな価値を顧客に提供するために、「少量生産特殊工場」への変革を進めている。その名の通り、生産台数は少なくとも、顧客が真に必要とする自動車の生産に特化した工場だ。

さらに、長い歴史の中で培ってきた独自の技術やノウハウを活かし、LPガスをはじめ、天然ガスや水素など、さまざまなエネルギー源を貯蔵する「エネルギーストレージ」の事業展開を進めながら、自動車の軽量化や低燃費化に寄与する素材を用いた自動車部品の量産化技術の構築に力を注いできた。その素材のひとつが、近年、陸上競技用車いすにも使われているCFRP(炭素繊維強化プラスチック)だった。

陸上競技用車いすの開発を
三社共創でスタート

開発本部生産技術部新商品技術ブロックブロックリーダーの柴崎博文氏

ヤチヨが、本田技術研究所とホンダR&D太陽との三社共創で、CFRP(炭素繊維強化プラスチック)を用いた陸上競技用車いすを開発するに至った経緯について、柴崎氏はこう話す。

レーサー(陸上競技用車いす)をCFRPで一緒に作りませんか?と本田技術研究所の方から、お声掛けいただいたことが全ての始まりでした。本田技術研究所が、次のジョイント先を探されていて、当社はちょうど、カーボン技術の基礎研究に着手し始めた頃でした。レーサーを造ることは、今後、社内のカーボン技術を構築していく上でも、自動車部品などの製品へCFRPを応用するための技術開発の上でも、良い機会になると思い、2012年より共同開発させていただいております」

勝ちに行くためのレーサー、
極<KIWAMI

世界に1台。極<KIWAMI>の“土田モデル”に乗った土田和歌子選手

カーボン技術の構築と共に、障がい者スポーツの発展を目指して、“1秒でも速く風をきって走る喜びを多くのアスリートと共有したい。その理念のもと、ヤチヨが誇る「ものづくりへの飽くなきこだわり」が、本田技術研究所の「徹底した先進技術の追求」と、ホンダR&D太陽の「妥協を許さない試験評価」とみごとに融合したレーサーが完成した。

その名も、ハイエンドモデル「極<KIWAMI>」。最先端カーボン設計技術を駆使したCFRP製シートとメインフレームが一体型になったモノコック構造で、シート部分は、非接種方式の3Dスキャナーによる姿勢測定のデータを基に、3D-CADでアスリートの体のラインにぴったり合った形状を具現化。ホイールにも、軽量かつ剛性に優れたCFRPを採用することで、超軽量カーボンホイールが実現した。柴崎氏の言葉を借りるなら、これは他でもない、「勝ちに行くためのレーサー」だ。

CFRPを採用したのは、単に軽量化のためだけではない。優れた振動吸収性という特性を活かすことも、ヤチヨの狙いのひとつだった。選手によって、素材の好みの違いはあるが、路面に近い姿勢で長時間走り続ける車いすマラソン選手の場合、アルミ製メインフレームのレーサーなどに比べて、乗りやすさを直ちに実感するケースが多いという。「高い振動吸収性により疲労感が少なく、レースの最後まで力を出し切ることができる。また、自身の生み出す力が余すことなくレーサーに伝わるので、最大限のパフォーマンスが発揮できる」と土田選手が話すように、選手の体の動きに合わせた、最適なしなりやねじりを実現している。優れた走行性能はもちろん、極めてしなやかな乗り心地も兼ね備えたマシンなのだ。

全力で勝ちに行く選手に、
全力で応える

レーサーの中でも、選手の体に密着するシートは、パフォーマンスを左右する重要な部分。既存のレーサーに、ホイールを漕ぐ時のベストポジションで乗った状態で3Dスキャナーにかけ、取得した3Dデータを基に、シートの形状を3Dモデルで設計する。その強度と剛性を構造解析で確認したのち、ようやく石膏で型を造る段階に入っていく。というように、世界に1つのオーダーメード・シートは、気が遠くなるほどの細かなプロセスを踏みながら、少しずつ形になっていく。

その過程において、ヤチヨの技術者たちには、開発と同様に重要な役目がもうひとつある。それは、全力で勝ちに行く選手の要望に応えるために、密なコミュニケーションを取ること。土田選手の場合、開発チームの作業場の一角に室内練習機が常設してあり、数ミリ単位の細かなポジションの調整などの要望をマシンにフィードバックできる体制が整っている。

土田選手が、リオパラリンピックで使用した極<KIWAMI>

1位とわずか1秒差で、惜しくも4位に終わったリオパラリンピックも、2年連続11度目の優勝を果たした201712月のJALホノルルマラソンも、土田選手の体と一体化し、ロードレースを共に疾走したレーサー、極<KIWAMI>。ヤチヨが土田選手のために開発したレーサーは、現在5台目。1台の価格は200万円を超え、誰もが容易に手に入れることができるものではないが、米国やシンガポール、南アフリカなど、最速を求める海外選手からの注文も増えているという。

「海外選手の場合も、当社までお越しいただき、ここで(3Dスキャナーによる姿勢データを)計測して、ここで造ります。調整については、マニュアル的なものをお渡ししていますが、メールなどでもサポート対応させていただいています」

ハイブリッドレーサー、
挑<IDOMI>の魅力

優れた振動吸収性を持つCFRPはメインフレームだけに使っても、その効果を発揮する。スタンダードモデル「挑<IDOMI>」は、ハイエンドモデル極<KIWAMI>と同じ設計思想に基づき、CFRPのメインフレームにアルミ合金製のシートを組み合わせたハイブリッドレーサー。好みによって、振動減衰素材を積層が可能で、乗り心地や走行性能をさらに向上することも可能だ。なお、極<KIWAMI>と同等のたわみ特性も実現されており、ボルトで締結する分割構造により、フレームとシートは、着脱可能になっている。

Uフレーム

Tフレーム

「挑<IDOMI>は、車いす陸上をスポーツとして楽しみたいという人をはじめ、色々な方に乗っていただけるレーサーです。もちろん、極<KIWAMI>のように勝ちに行くことも可能です。基本的には、足を折りたたんだ正座の姿勢で乗る設計ですが、乗り方の好みによって選べるUフレームとTフレームの2つのシートフレームをご用意しています」

後編では、ヤチヨのモノづくりの現場を紹介する。

後編へつづく

八千代工業株式会社
http://www.yachiyo-ind.co.jp/

(text: 岸 由利子 | Yuriko Kishi)

(photo: 河村香奈子 ※土田和歌子選手:壬生マリコ)

  • Facebookでシェアする
  • LINEで送る

RECOMMEND あなたへのおすすめ

プロダクト PRODUCT

まさに雪上のF1。極寒の舞台裏にある、エンジニアたちの闘い【KYB株式会社:未来創造メーカー】後編

岸 由利子 | Yuriko Kishi

チェアスキーほど、命の危険と背中合わせのパラ競技は他にない。時速100km以上の豪速スピードで、雪山の傾斜面を一目散に滑降するアグレッシブさとスリルが、アスリートを奮い立たせ、観客を熱狂させる。2014ソチパラリンピックでは、森井大輝選手がスーパーG(スーパー大回転)で銀メダル、鈴木猛史選手がスラローム(回転)で金メダル、狩野亮選手がダウンヒル(滑降)とスーパーG(スーパー大回転)の2種目で金メダルを獲得。日本のヒーローたちは、圧倒的な強さを世界に知らしめた。そんな彼らの疾走を裏舞台で支えているのが、日本トップクラスのシェアを誇る総合油圧機器メーカー、KYB株式会社(以下、KYB)のショックアブゾーバ開発者、石原亘さんだ。別名・油圧緩衝器と呼ばれるこの部品、一体どのように作られているのか?目前に迫る2018ピョンチャンパラリンピックに向けての開発は?石原さんにじっくり話を伺った。

極寒の世界で活かされる、卓越した技術

チェアスキーの大会や強化合宿が行われるのは、世界に点在する雪山。氷点下20~30度の世界で、優れたパフォーマンス力を発揮するためには、安定した性能を保持できるショックアブゾーバでなければならない。

「シリンダーの中に入れるのは、二輪車用とは異なる専用の油です。その油を密封するためのシールという部品など、寒冷仕様の部品については、長年、弊社が培ってきたスノーモービルの技術を活かしています。チェアスキーのショックアブゾーバには、さまざまな分野の技術を集結させて作っています。モトクロスやロードレースの技術も、取り込めるものは取り込んでいます」

選手のお守り的存在
海外遠征には、専任のテクニシャンが同行

サポート体制も万全だ。海外各地で行われる合宿や大会には、現場でのセッティングを専門に行うテクニシャンが帯同する。KYBにテストライダーとして入社した元モトクロスライダーで、選手から聞いたコメントを元にその場で仕様を変えて仕上げてしまうのだそうだ。

「お守りじゃないですけど、いてもらえるだけで安心です。どこをどう調整すればいいのか、僕たちだけではやはり分からないところが多いので。家族のように仲良くしていただいているので、いらっしゃらない時は、ポカンと穴が空いたみたいな寂しい気持ちになります」と話すのは、鈴木猛史選手(写真、右)。

石原さんは、テクニシャンからフィードバックした情報を元に、改良を加えたり、新しい部品を作るなどして、連携体制を取りながら、設計業務に従事している。そのかたわら、国内で行われる大会や遠征には、定期的に足を運び、選手たちに会いに行く。

「現場では、選手からの評価や要望をじかに聞けますし、実際に滑りを見ることで、以前の動きとの違いを確認することもできます。選手と密なコミュニケーションを取ることで、何を求めているのか、その意図がだんだん見えてきます。具体的に“この部分をこうしたい”と言う選手もいれば、“滑りをこんな風にしたい”と抽象的に伝える選手もいます。それらをきちんと聞き分けた上で、適切な説明や提案を行うように心がけています」

調整のキモは、感覚を翻訳するという作業

「例えば、選手が“堅い”という時、どの部品が機能した時に堅く感じるのかを見極めなくてはなりません。製品にフィードバックするためには、感覚を正しく“変換”することが極めて重要です。翻訳とも言えるこの作業は、中々難しいところもありますが、きちんと汲み取れるよう、精度を上げることに尽力しています」

ソチパラリンピック閉幕後の2014年ごろよりサポート体制を刷新し、テクニシャンやスタッフと共に、選手たちの活躍を一心に支えてきた石原さんにとって、嬉しいことがあった。

「弊社がショックアブゾーバの開発を本格的に再起してから、最も心に残るのは、狩野亮選手からいただいた言葉です。“これまでは自分の納得がいく仕様になるのに3年かかっていたのに、1年ほどで3年分の進歩ができた”と。大変喜んでくださり、感無量でした」

日本代表選手たちと作ってきたショックアブゾーバの仕様は、当然ながら、速さを目指すものだが、その進化と共に、乗りやすさも格段にレベルアップを遂げている。近年は、市販のチェアスキー用製品の提供も行っている。

「レジャーとして、チェアスキーを楽しまれている一般の方はもちろんのこと、次世代の日本代表選手を目指すような子供たちならなおさら、初期の段階から、より乗り心地の良いマシンに乗っていただく方が、成長も早いのではないかと思います」

来春開幕のピョンチャンパラリンピックに向けて、ショックアブゾーバの改良・調整に全力投球の日々を過ごす石原さんは、技術者という生業についてこう話す。

「弊社の製品は、基本的に自動車や工業製品に関わるものなので、それ単体でスポットライトを浴びる機会は少ないです。しかし、パラリンピックという世界の大舞台で戦うチェアスキーヤーのマシンの重要な一部を担う部品開発を通して、世の中に貢献できるということ。それを少しでも知ってもらえたら、技術を志す若い人たちにも夢のある仕事ではないかと思います。目指す道の選択肢のひとつとして世界が広がれば、幸いです」

選手が表舞台のヒーローなら、石原さんら技術者は、紛れもなく、裏舞台のヒーローだ。近々、テレビなどで競技の映像を目にする機会があれば、どうか想い出して欲しい。この人なしに、チェアスキーのマシンは存在しないということを。表裏一体のヒーローがタッグを組んで目指す世界の頂点は、もうすぐそこだ。

前編はこちら

石原 亘(いしはら・わたる)
チェアスキーショックアブソーバ開発者。2009年、KYBモーターサイクルサスペンション株式会社に入社。スノーモービル、ATV用ショックアブソーバの設計を経て、2015年よりチェアスキー用ショックアブソーバの設計に携わる。また、設計開発を行う傍ら、チームの国内遠征にも同行し、現地での仕様変更などのテクニカルサポートも対応する。趣味はモトクロス、自動車ラリー競技への参加や、スキー、スノーボードなどのウィンタースポーツ。

(text: 岸 由利子 | Yuriko Kishi)

(photo: 増元幸司)

  • Facebookでシェアする
  • LINEで送る

PICK UP 注目記事

CATEGORY カテゴリー