スポーツ SPORTS

平昌パラリンピック直前!金メダリストが語る「WHO I AM」【前編】

岸 由利子 | Yuriko Kishi

WOWOWと国際パラリンピック委員会(IPC)が共同で立ち上げ、2016年から東京2020まで、世界最高峰のパラアスリートに迫るドキュメンタリーシリーズ『WHO I AM』。1月24日、有楽町朝日ホールで開かれた『WHO I AM』フォーラムでは、昨年10月よりスタートしたシーズン2に登場する8人のメダリストの1人、スノーボードクロス王者のエヴァン・ストロング選手と、障がい者スノーボード日本代表・成田緑夢選手のピョンチャンパラリンピック金メダル有力候補のライバル2人が集結。司会に松岡修造さん、ゲストに元フィギュアスケート日本代表・安藤美姫さんを迎え、「これが自分だ!」という輝きの瞬間や3月9日に開会が迫るピョンチャン大会直前の意気込みについて語り合う、とびきりスペシャルなトークセッションが行われた。

ナビゲーター&ナレーターの西島秀俊、
「エヴァン選手は、めちゃくちゃいいヤツ」

フォーラムの第一部では、WOWOWチーフプロデューサー・太田慎也をはじめ、ピョンチャン2018パラリンピック冬季競技大会日本代表選手団の団長を務める大日方邦子氏らが登壇し、来賓客に挨拶を述べた後、エヴァン・ストロング選手をフィーチャーしたドキュメンタリー「WHO I AM」シーズン2の特別試写会が行われた。タイトルは、「ハワイ在住 義足スノーボード王者エヴァン・ストロング」。

シーズン1より同番組のナビゲーター&ナレーターを務める俳優の西島秀俊さんが激励に駆けつけ、この日のために初来日したエヴァン・ストロング選手と共に登壇し、「(スノーボードという)競技の激しさと、それに対するエヴァン選手の精神性の高さというか、穏やかさや平和的なところが素晴らしくて感動しました。実際お会いしても、番組のままのめちゃくちゃいいヤツです(笑)」とコメントし、会場の笑いを誘った。

一方、エヴァン選手は、「私生活から試合まで、長い時間をかけてさまざまな角度から自分という人間を追っていただいたプロジェクトでした。どんな番組に仕上がるのか、想像できなかったのですが、昨日初めて観た時、あまりにも出来が良くて、胸の詰まる想いでいっぱいになるくらいに感激しました。自分のストーリーだし、普段は泣くことなんてないんですけれど」

金メダル有力候補のライバル2人が登壇!

そして、第二部のトークセッション「ピョンチャンパラリンピック直前!金メダリストが語る『WHO I AM』」へ。第一部との合間の休憩時間でさえ、ジョークを飛ばし、来賓客をもてなしていたサービス精神旺盛な松岡修造さん。その快活な口ぶりで、エヴァン選手と成田選手のライバルトークに迫った。

金メダリストというより、
友達やアスリート仲間のような感じ

松岡修造さん(以下、松岡):日本に来てから、子供たちに会ってきたと聞いたのですが、本当ですか?

エヴァン・ストロング選手(以下、エヴァン):某小学校の子供たちに会って、スケートボードのやり方を教えてきました。楽しかったですね。情熱あふれる子供たちは皆、すごく興奮して喜んでくれて。日本に来て、良かったなと思うことの一つです。

松岡:子供たちに、何を一番のポイントとして伝えたんですか?

エヴァン:左足を切断した時に、大きく動かされた言葉があります。ヘンリー・フォードが言った「Believe or if you don’t believe」。信じようが信じなかろうがどちらも正しいという意味ですが、僕は、この先、行けるということを信じようと思い、信じる道を選びました。「何でも、信じれば叶うんだよ」っていうこと、そして、「Dream Big、大きな夢を抱いて前に進んでいくんだよ」ということを子供たちにどうしても伝えたくてそうしました。

松岡:いい時間でしたね。信じるという言葉、日本人にも何か力を授けてくれると思うのですが、ところで、緑夢さん。エヴァンさんが今ここにいるって、どんな気持ちですか?

成田緑夢選手(以下、成田):すごく不思議ですね。いつも試合前など、「頑張ろうよ!」と話したりしていて、今日も「調子どう?」みたいな感じで会いましたが、ここは日本だし、いつもと場所が違うよねという感じです。

松岡:ピョンチャンパラリンピックで金メダルを争う二人がこの場所にいること自体がすごいことだと思うんですけど、ソチ大会で金メダルを獲ったエヴァン選手は、緑夢さんにとってどんな存在ですか?

成田:最初は、名前が先行して、金メダリストとしての圧を感じましたが、こんなにフレンドリーな人なんだなって(笑)。

エヴァン:二人で喋って、笑い合ったりするよね(笑)。

成田:こんな風に言うと、失礼かもしれないけれど、試合が終わった後などは、金メダリストというより、友達やアスリート仲間のような感じですね。だから、どっちが勝ってもおめでとうみたいな。

人生、どこかで叩きつけられないと
学ぶ瞬間はない

松岡:(エヴァン選手の試写会について)美姫さんは、どうでしたか?

安藤美姫(以下、安藤):一番残っているのが、「金メダルよりも大切なものがある」という言葉です。私もどちらかと言うと、その考えでアスリート生活を送っていました。もう一つグッと来たのが、私は9歳の頃にバイクの交通事故で父を亡くしたんですけど、エヴァンさんの場合は、何かを成し遂げるために、生き残られた。失ったものはあるかもしれないけど、それをまた乗り越える力がきっとあって、何か成し遂げる人だった風に思って。リハビリやトレーニングを乗り越えて、金メダルを獲得して、そして、世界中の人に夢を与える存在になったというのは、本当に凄いなと思いました。

松岡:辛い思いをした人は、人に優しくできる。僕もそう強く感じたのですが、エヴァンさん、その辺りいかがですか?

エヴァン:自分が辛い経験をして初めて、学ぶことがあります。人の気持ちを知ることができるし、それを通じて、自分がして欲しいことを相手もきっと望むんだろうなと理解できて、そうしようとする人間になれます。何か悲劇が起きたり、辛いことがあった時は、自分が改めて成長できる時だし、そこから自分というものが新しく出来上がっていく。人生って、そういうことがたくさんあって、それを積み重ねていくことで、研ぎ澄まされていって、自分自身も成長していくものなのではないかと思います。

松岡:緑夢さんは、オリンピックのために生まれてきたような兄弟(の末っ子)ですし、大変なこともあったと思うけれど、今のお話を聞いてどう感じました?

成田:僕は、怪我に感謝をしていて。人生の中でどこかで叩きつけられないと、学ぶ瞬間がないというか。でも、意外とめちゃめちゃ叩きつけられることってないんですよね、パシパシぐらいはありますけど。僕は、足の怪我でドーンと叩きつけられた感じがしました。それによって学ぶことがたくさんあったし、人生を生きる夢をもらったし。叩きつけられることっていうのは、本当に嬉しかったです。

松岡:今そうやって思えているかもしれないけど、すぐには思えなかったでしょ?(怪我をして良かったと思えるまで)どれくらいかかりましたか?

成田:僕、怪我をしてから、スポーツを少し辞めたんですよ。その後、父の元を離れて、もう一度、自分一人でスポーツを始めたんです。ある小さな大会で、怪我した足で優勝できたことをSNSに投稿したら、ある方から「僕も障がいを持っています。緑夢くんの姿を見て、もう一度やろうという勇気をもらいました。ありがとう」というコメントをいただいたんです。その瞬間に、僕がスポーツをすることによって、こうやって人に影響を与えることができるんだって分かったんですよね。僕にはまだできることがあるんだと気づいて、立ち上がれましたね。

エヴァン:叩きつけられたその気持ち、本当によく分かります。僕も、スケートボードが大好きで、怪我をする前は、スケートボードを通して人に貢献できる自分もいたし、スケートボードをしている自分こそがアイデンティティーでした。事故に遭った時、自分自身そのものを持っていかれたような気分になりましたが、この先も進んでいこうと決めてから、自分のやることが人に勇気を与えることができるんだと、気づけるようになりました。起きてみないと、気づけないことって、たくさんありますよね。

後編につづく

<WOWOW放送情報>
IPC&WOWOW パラリンピック・ドキュメンタリー
WHO I AM
2/18(日)よる9:00
悲願の金メダルを狙う世界王者:森井大輝

3/1(木)午前7:30
ハワイ在住 義足スノーボード王者:エヴァン・ストロング
詳しくは http://www.wowow.co.jp/sports/whoiam/

(text: 岸 由利子 | Yuriko Kishi)

(photo: 増元幸司)

  • Facebookでシェアする
  • LINEで送る

RECOMMEND あなたへのおすすめ

スポーツ SPORTS

パラの二刀流選手。山本篤が攻めるギリギリのラインとは?【HEROS】後編

岸 由利子 | Yuriko Kishi

2008年北京パラリンピックの走り幅跳びで銀メダルを獲得し、日本の義足陸上選手初のパラリンピック・メダリストとなった山本篤選手。以来、IPC陸上競技世界選手権大会走り幅跳び金メダルの2連覇(2013年、2015年)、アジアパラ競技大会 100m 金メダルの2連覇(2010年、2014年)を達成し、16年日本パラ陸上競技選手権大会で、6m56の跳躍で世界新記録を樹立したほか、16年リオ大会の走り幅跳びで銀メダル、アンカーを務めた4×100mリレーで銅メダルを獲得するなど、名実ともにパラ陸上のトップランナーとして活躍してきた。だが、かねてからの夢だったスノーボードでピョンチャン大会を目指すにあたって、「迷惑はかけたくない」とスズキ浜松ACを運営するスズキを自ら退社し、17年10月1日には、新日本住設とスポンサー契約を結び、プロ転向を発表。初参戦にして、スノーボード日本代表に選ばれ、ピョンチャン大会への出場をみごとに果たした。飽くなき野望を抱き、挑戦し続ける山本選手のパワーの源とは?東京2020に向けた目標や義足開発のこだわりなど、多彩なテーマについて話を伺った。

東京2020成功のカギを握るのは、“強い選手”

約182万人の観客を動員した北京大会、そして、過去最高の約280万枚の観戦チケットを販売し、史上最も成功したパラリンピックと言われるロンドン大会に日本代表として出場した山本選手。「東京2020を盛り上げるために、何が必要か?」と尋ねると、こう語ってくれた。

「ひとつは、日本人選手で金メダルを獲れる人じゃないですか。やっぱり強くなかったら、面白くない。勝てるから、面白い。第一に、強い選手が必要だと思います。“パラリンピックの選手=一生懸命に頑張っている人”というイメージがあることは否めないですし、少しずつではあるけれど、パラスポーツは、本当にカッコいい存在になりつつある気がします。それが上手く確立していけば、もっと盛り上がる方向に行くのかな。そのためには、メディアの方々とも、同じ方向を向き、上手く連携していけたら良いなと思います」

アスリートとして、持ちうる力を出し切れるよう、懸命に頑張るのは当たり前。それを周りの人が評価するのと、選手自身が自ら伝えるのとでは、人々の受け取り方にも大きく影響する。だからこそ、選手の意識の持ち方も問われてくるだろうと、山本選手は付け加えた。

ひとりでも多くの人に
『アスリート  山本篤』を知ってもらいたい

講演活動をはじめ、半生を綴ったノンフィクション本「義足のアスリート 山本篤」(東洋館出版社)の出版やメディア出演などを通して、パラスポーツの普及活動に取り組んできた。パラスポーツの興奮とパラアスリートたちの息づかい、それを取り巻くカルチャーとの交錯点を伝えるフリーマガジン「GO Journal」の創刊号(2017年11月創刊)では、モデルとして、ファッションシューティングにも挑んだ。撮影したのは、同マガジンの監修を務める日本屈指のフォトグラファー・蜷川実花氏。競技用のアウトフィットではなく、ブラックスーツを身にまとい、走り幅跳びをする山本選手を捉えた写真は、非の打ち所がないカッコよさ。

パラスポーツの魅力やパラアスリートの活動を伝えるべく、さまざまな普及活動に力を注いでいる山本選手だが、その先に見つめる未来とは何なのか。

「ある統計で、“パラリンピックを知っていますか?”と聞くと、98%くらいの人が“知っている”と答えています。確かに、パラリンピックの認知度は上がっているけれど、講演などで、“どんな選手知ってますか?”と聞くと、まだ名前は出てこないですよね。選手のことを知らなかったら、“パラリンピックを観に行きたい”とはならないと思うんです。多分、日本人選手が勝ったと聞いて、嬉しいなという程度で終わってしまう。でも、特定の選手を知っていたら、結果が気になるだろうし、より近い存在であれば、応援にも行こうかなという気持ちも湧くと思うんですよね。

東京2020までの僕の目標のひとつは、ひとりでも多くの人に、山本篤という選手を知ってもらうことです。本を出版したのも、日本がパラリンピックに注目しているこのタイミングがベストかなと思ったからです。どれだけの人に手に取っていただけるかは分からないですけど、僕自身の考え方を知ってもらうことで、パラリンピックに対する見方もまた変わると思うので」

パラリンピックをもっと身近な存在にしたい

2016年10月10日、渋谷109の隣にトレーラー5台が並び、突如、走り幅跳びレーンが出現。「東京2020 12時間スペシャル→2020」(NHK)の「TOKYOどこでも競技場@渋谷」で、6m30を超えるダイナミックなジャンプを披露した。

北京、ロンドン、リオの3大会を経験してきた山本選手は、東京2020の先も見据えている。

「東京2020が終わったあとは、全体的な盛り上がりは下がると思うんですけど、僕が経験してきたくらいほどまでは、下げたくないです。北京にしろ、ロンドンにしろ、開催の年は盛り上がりましたが、その熱は、いわば一瞬で終わってしまった。それを少しでも落とさないように、パラリンピック自体をもう少し価値のあるものだったり、常日頃から注目してもらえるようなものにしたい。もっと身近な存在にしたいと思っています」

08年に北京大会で銀メダルを獲得した山本選手には、今、ふたつの大きな夢がある。ひとつは、20年東京では、悲願の金メダルを獲得すること。もうひとつは、22年北京冬季大会でのメダルを獲得し、同じ開催都市での夏冬メダル獲得を達成することだ。「勝ち続けるために、努力していることは?」と最後に聞いた。

「一番は、現状に満足しないということ。今日、走って、優勝しても、そこで終わり。それよりも、じゃあ、次、どうしたいかということを常に考えている感じです。多分、それがなくなったら、選手をやめると思いますね」

限界を超えたその先の新天地を切り拓くべく、次々と新たな目標を打ち立て、挑戦を続ける強靭なスピリットの持ち主、山本篤。自己革新を続ける世界的アスリートの躍進を今後も追っていく。

前編はこちら

山本篤(Atsushi Yamamoto)
1982年静岡県掛川市生まれ。高校2年の時のバイク事故で左大腿部から下を切断。高校卒業後に陸上を始め、パラリンピックは08年北京から3大会連続出場。北京大会の陸上男子走り幅跳び(切断などT42)で銀メダルを獲得し、日本の義足陸上競技選手初のパラリンピック・メダリストとなった。16年リオ大会では同種目で銀メダル、陸上男子400メートルリレー(切断など)で銅メダルを獲得。スノーボードのバンクドスラロームとスノーボードクロスで18年ピョンチャン大会を目指し、17年9月末にスズキ浜松アスリートクラブを運営するスズキを退社。同年10月より新日本住設とスポンサー契約を結び、プロ選手に転身。18年2月9日、国際パラリンピック委員会(IPC)からピョンチャン大会のスノーボード日本代表の招待枠に追加され、夏冬両大会への出場を果たした。

(text: 岸 由利子 | Yuriko Kishi)

  • Facebookでシェアする
  • LINEで送る

PICK UP 注目記事

CATEGORY カテゴリー