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車いすで、エクストリームに宙を舞う男。アーロン・フォザリンガム【HERO Aaron Fotheringham】

岸 由利子 | Yuriko Kishi

車椅子のフリースタイル選手・アーロン・フォザリンガムさんは、生まれも育ちもネヴァダ州・ラスベガス。兄弟6人が全員養子という家庭の3番目の子として育ちました。脊椎披裂(二分脊椎)により、生まれつき足を使うことができない体に生まれでも、幼少期の頃から、実にやんちゃでパワフルだったといいます。

初めての歩行補助器を与えられた時は、たった数日で走れるようになっていたし、4歳でマスターした松葉杖を使って、自宅の玄関ホールでジャンプ着陸も成功。同年代の子どもたちと同じように、本気で飛べると信じて、スーパーマンのマント着用で披露したのだそう。

2005年のVegas AmJam BMXファイナルでの優勝をはじめ、2011年に開催されたアメリカのMTVが放映するリアリティ番組「ナイトロ・サーカス」のワールドツアーでは、50フィート(約15.24メートル)のメガランプでバックフリップという驚異のパフォーマンスを披露。さらに、ミュージカル・コメディ・ドラマシリーズ「グリー」では、ケヴィン・マクヘイル演じる車椅子の青年、アーティ・エイブラムスのスタントマンを務めるなど、その活躍は多岐に渡ります。“Wheelz”(ホイールズ)の愛称で世界的に親しまれる彼のこれまでとこれからを探るべく、この度、お話を伺ってきました。

たったひとつの成功経験が、まったく新しい人生の扉を拓いてくれた

Q1. 8歳の時、スケートパークでBMXに乗るお兄さんから、「車椅子で、クォーターパイプを走ってみたら?」と提案されたそうですね。それが、現在の活動のきっかけになったと伺っていますが、転んだり、怪我したらどうしようという恐怖よりも、好奇心や冒険心の方が強かったのでしょうか?当初の気持ちや上手くなるために努力したことがあれば教えてください。

アーロン・フォザリンガムさん(以下、アーロン):初めてランプの上に上がった時は、かなりぞっとしましたね(笑)。最初の数回はクラッシュして、手首を痛めたけれど、自分の中の何かが、僕を突き動かしました。そして、トライし続けるうちに、いつしかクラッシュせずに回転できるようになっていました。

そのたったひとつの成功が、まったく新しい人生の扉を開いてくれたんです。それから、1回、1回のパフォーマンスをうまくやり遂げることに夢中でした。WCMX*は僕にとって、一番の楽しみであり、最も達成感を感じられる活動です。

*WCMX=BMXが、Bicycle Motocrossの略であるように、Wheelchair Motocross(車椅子で行うモトクロス)を意味する。

Q2. あなたは、14歳でバックフリップ(後方1回転)、18歳でダブル・バックフリップをみごと成功させた初の車椅子アスリート。そして、今日、WCMXの中でも車椅子とBMXをマッシュアップさせるという独自のスタイルを確立していますが、前へ前へと突き動かすモチベーションは何ですか?

アーロン:不可能かもしれないと思った何かを成し遂げることができる。その時に感じる気持ちの良さが、僕のモチベーションになっています。例えば、ダブル・バックフリップも、当初は頭の中でしか存在しないトリックでした。どこかで出来るわけないと思っていたけれど、何度クラッシュしても、あきらめなかった結果、着地することができました。あれは、史上最高にいい気分でしたね。

「健康とパフォーマンスの向上と共に、自分自身を進化させる」、それが僕のメインゴール

Q3. ここ8年ほど、カービング、パワースライド、ハンドプラントやスピン系トリックなど、難度の高いトリックに、次々と挑んでいますが、危険と背中合わせの毎日の中で、さらなる高みを目指すその先には、どんな目標があるのですか?

アーロン:現在もまだ取り組んでいる最中ですが、今年、また新たなトリックをいくつか披露する計画で動いています。その目標のひとつに、「より健康に生きるために」ということが挙げられます。例えば、減量。WCMXに取り組む中、トータルで25ポンド(約11.3キロ)、自然に落とすことができたのですが、これはスケートパークでの僕の活動にとっても、素晴らしい影響を与えてくれています。これまでの数年間についても同じことが言えますね。僕のメインゴールは、健康とスケートパークでのパフォーマンスと共に、自分を進化させることです。

Q4. Box Wheelchairs社がデザインしたカスタマイズ車椅子を使っているそうですね。また、実用品としてのクオリティを上げるために、同社と共に開発したカスタムメイドの車椅子は、アーロンさんの言葉を借りれば、“かなり不滅”とのこと。デザインや機能について、具体的に教えていただけますか?

アーロン:Box Wheelchairs社と開発した車椅子は、実にタフなマシンです。オフロードトラックを走る時に使うサスペンションに近い、4 リンク式サスペンションを搭載しているので、走行中に強い衝撃が起きた際、特に背中への負担を緩衝してくれます。フロントには、Bones Skateboard Wheelsのホイールを使用しています。これがあれば、望むスピードで、どこまでも走っていくことができるんですよ(笑)。フレームは、あらゆる方向からの衝撃に耐え得る設計なので、横向きに着地しても、曲がりません。日常的に使うにも、素晴らしいチェアですし、50フィート、ジャンプする時にも使えますよ!(笑)

車椅子はネガティブではなく、ポジティブなもの。WCMXをもっと世界に広げていきたい

Q5.これまでで一番心に残るパフォーマンスは何ですか?

アーロン:2011年2月9日の「ナイトロ・サーカス」のワールドツアーで、メガランプのバックフリップに成功しましたが、まだ僕の脳内でアドレナリンが出まくっているうちに、もう一度、ランプのトップに戻って、次のジャンプに備えたんです。そして、車椅子では初となるフロントフリップ(前宙返り)を着地させました。この時、僕の母親も見に来ていて、人生で最高の夜になりましたね。もうひとつ、初めてバックフリップを着地させた時も、最高に素晴らしい夜でした。なぜって、自分ができること、物事の可能性に、身を持って気づけたからです。

Q6.障がいを持つ子どもたちに、「車椅子は制限ではなく、おもちゃのように楽しいものなんだよ」ということを、自らパフォーマンスして見せ、伝え、あなた独自の車椅子の使い方を教えているそうですね。アメリカ以外の国でも、そうした活動をされていますか?

アーロン: 子どもにも、そして大人にも、「車椅子がいかに楽しいものか」ということを伝えるのが大好きです!一般に、人々は車椅子をネガティブに捉えるけれど、決してそうではなくて、素晴らしいチャンスにもなり得るもの。僕は、車椅子をBMXのバイクやスケートボードと同じ“おもちゃ”だと思っています。幸運にも、これまで世界じゅう、さまざまな国を訪れる機会に恵まれてきました。車椅子に乗る人々に、「彼らの車椅子が、ネガティブなものではなく、ポジティブなものだ」ということを伝えることで、一助となれるよう、活動を続けています。


Q7. 次なる展開は?将来の夢は何でしょう?

WCMXを世界に広げるために、活動していきたいと思っています。僕の夢のひとつは、WCMXが、BMXやスケートボードと共に、シリーズでコンペティションできるようになることです!そして、もうひとつ。近い未来、ダブル・フロントフリップをぜひ着地させたいですね!

アーロン・フォザリンガム 公式サイト
http://www.aaronfotheringham.com

アーロン・フォザリンガム 公式FACEOOK
https://www.facebook.com/AaronWheelz

[引用元]wellib

(text: 岸 由利子 | Yuriko Kishi)

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射撃の名手の次なる標的は、“氷上のチェス”【鈴木ひとみ:HEROS】後編

岸 由利子 | Yuriko Kishi

パラリンピックの先駆けとなったイギリスの国際ストーク・マンデビル競技大会では、1987年の陸上競技で金メダルを獲得。2000年より始めたパラ射撃でもめきめきと頭角を現し、2002年、世界射撃選手権ライフル競技に出場を果たしたのち、2004年アテネパラリンピック日本代表に選出された鈴木ひとみ選手。その後、ピストルに転向し、射撃選手として活躍するかたわら、2年前に始めた“氷上のチェス”こと、車いすカーリングでは、東京都の強化指定選手に選ばれるなど、早くも才能を発揮し始めている。次々と新たな挑戦に挑むバイタリティの源は?パラアスリートとして33年、第一線を走り続ける鈴木選手に話を聞いた。

車いすカーリング、3年目の今が伸び盛り

車いすカーリングは、1990年代にヨーロッパで生まれたパラ競技の一つで、2006年トリノ大会から、冬季パラリンピックの正式種目になった。1チームは男女混合の4名で構成され、1試合8エンドで、2チームによる対戦形式で行われる。選手たちは、「デリバリースティック」と呼ばれるキューを使い、ホッグラインの手前からハウス(円)に向かって、重さ20kgのストーンを投げる。1エンドにつき、各選手2球、両チーム交互で計8球の投球を行い、最終的にハウスの中に残ったストーンのうち、ハウスの中心であるティーにより近づけたチームが勝ちとなる。

勝敗には、投球の技術と共に、巧みな戦術が問われることから、“氷上のチェス”として知られる車いすカーリング。かねてから興味のあった鈴木選手は、その年に軽井沢で開催された日本選手権大会を観たことをきっかけに、2年前より本格的に活動を始め、現在は、信州チェアカーリングクラブに所属している。2016年日本選手権では、同チームが準優勝を果たし、鈴木選手は、今年、東京都の強化選手に選出された。

「あまり色々と手を広げすぎるのもどうかと思ったのですが、タイミングも運のうちなのかなと。今年で55歳になります。若くはないけれど、まだ3年目なので、今が伸び盛り(笑)。技術的に伸びていく余地があるし、楽しいですね」

チームプレイの楽しさを生まれて初めて知った

毎週金曜には、自ら運転する車で軽井沢に向かい、翌月曜の早朝に、都内の自宅に車で戻る生活を送っている。関東近郊で、車いすカーリングを練習できる環境は、唯一、軽井沢とその隣町の御代田町(みよたまち)にあるからだ。チームメンバーの多くも、その界隈に住んでいる。

「車いすカーリングは、私にとって、初めてのチームスポーツです。チームプレイの面白さは、実力があるからといって、必ず勝利に結びつくのではないこと。不思議と、その時のチームメンバーのハーモニーのようなものが、チーム全体の士気を上げて勝つことがあります。上手くいった時や失敗した時に、チームメンバーにどう声を掛けるか。あるいは、掛けてもらうか。それによっても、その後の試合運びは、断然変わってきます。自分自身の成長を実感することも嬉しいですが、同じチームの選手が伸びていく姿を間近に見ることは、すごく新鮮で面白いですね」

超軽量マグネシウム合金のエキスパートが手掛ける、世界にひとつだけのデリバリースティック

重さ20kgのストーンの投球に使われるデリバリースティック。従来は、カナダ製の既製品を使用していたが、ある程度の重さがあり、投球を重ねるごとに、ストーンの重さが体に溜まってくるのが、鈴木選手の悩みだった。多い時で、約1時間45分の試合を1日3回行うと聞けば、納得がいく。

少しでも、デリバリースティックを軽くすることはできないだろうか。横浜市総合リハビリテーションセンターに相談したところ、マグネシウム合金の加工に特化したモノづくり系ベンチャー、株式会社マクルウと引き合わせてもらうことに。上記は、同社が鈴木選手のためにオーダーメイドで開発した試作品だ。

パイプ部の重量は、従来の346gから305gと、わずか41gの差。「でも、全然違うんです。随分ラクになりました。今、練習でも使っていますが、これからもっと使い込んでいって、マクルウさんと一緒に改良を重ねていきたいと思います」

同社常務取締役の安倍信貴氏によると、現行製品の一つ、マグネシウム合金製杖“フラミンゴ2”のシェルピンクが、鈴木選手のイメージに最も合っていたという。その杖を流用することでスピーディーな試作が実現できたが、その一方で予想外のハプニングもあった。

「グリップ部分には、当社の杖で使用するポリウレタン製のものを装着したのですが、氷上で長時間することで、湿気を含んで滑りやすくなってしまい、練習の後半、抜け落ちてしまいました。最終的には、デリバリースティックに最適なマグネシウム合金パイプを独自に開発し、より軽量で、使いやすさに富んだ1本に仕上げる計画です。鈴木選手をはじめ、日本チームに貢献していきたいと考えております」

軽い車いすを好む人が増える中、鈴木選手は、車いすカーリングを始めて以来、あえて重めの車いすを使用しているという。

「今の車いすは、多分17kgくらい。根性ドラマみたいですけど、一番手っ取り早く鍛えられるかなと思ったんですね(笑)。移動は基本的に車なので、行った先で車いすを降ろしては、また積み上げるの繰り返し。その先々で、嫌でもやらなくちゃいけないので、腕はもちろん、普段あまり使わない筋肉もおのずと動かせます」

車いすカーリングに出逢い、鈴木選手の心にも、ある種のパラダイムシフトが起きた。パラリンピックありきで頑張るのではなく、あくまで、心身共に打ち込める好きなことの延長線上に、パラリンピックがあるということ。

「2022年北京パラリンピックの年、私は還暦を迎えます。時の早さに驚くばかりですが、全ては自分が選び取ってきたこと。これからも毎日を大切に、ベストを尽くしていきたいと思います」

前編はこちら

鈴木ひとみ(Hitomi SUZUKI)
1982年、ミス・インターナショナル準日本代表に選出。モデルとして、ファッションショーやCMなどで活躍する中、交通事故で頸椎を損傷し、車いす生活となる。その後、イギリスの国際ストーク・マンデビル競技大会で金メダルを獲得(陸上競技)、2004年アテネパラリンピックの射撃日本代表に選手されるなど、多彩なパラ競技において、その才能を発揮する。2005年、エアライフルから短銃に転向、射撃で活躍するかたわら、2年前より車いすカーリングを始める。2016年の日本選手権では、所属する信州チェアカーリングクラブが準優勝、東京都の強化指定選手に選出され、2022年冬季パラリンピック出場を目指す。

鈴木ひとみオフィシャルサイト
http://www.hitomi-s.jp/

マクルウ
http://macrw.com/

(text: 岸 由利子 | Yuriko Kishi)

(photo: 壬生マリコ)

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