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天才集団が魅せる命がけのアクション&スポーツエンターテイメント『ナイトロ・サーカス10周年ワールドツアー』に行ってきた!

岸 由利子 | Yuriko Kishi

300万人を唸らせたワールドツアーが日本再上陸。 「ナイトロ・サーカス」は、Xゲームのスター選手を含む世界トップクラスのFMXライダーをはじめ、インラインスケートの絶対王者やBMXライダーたちが命がけで繰り広げるアメリカ発のアクション&スポーツ エンターテイメント。

オーストラリアやイギリス、フランス、スイス、ドバイなど、26カ国160都市で300万人以上を動員したワールドツアーは、2015年に日本に初上陸。はや3年が経ち、国内でも熱狂的なファンも増え、沸々と人気が高まっていますが、多くの人にとっては、まだちょっと馴染みの薄いイベントかもしれません。そこで今回は、2月19日に東京ドームで開催された「ナイトロ・サーカス10周年ワールドツアー」のもようと共に、ナイトロ・サーカスの魅力についてご紹介したいと思います。

世界トップライダーが魅せる超絶怒涛のパフォーマンス

2度目の日本上陸となる今回のイベントには、伝説のFMXライダー トラヴィス・パストラーナや、BMXとスクーターで30もの“世界初”を成し遂げたライアン・ウィリアムス、日本人現役BMXトップライダーの東野貴行、米国・欧州で人気を博すインラインスケートの「安床ブラザーズ」など、国内外の豪華選手が勢ぞろい。これだけでも十分に凄いことですが、内容は想像以上に過激です。

“メガランプ”と呼ばれる高さ15メートルのジャンプ台から猛スピードで滑り降り、豪快なトリックの数々を見せてくれますが、驚くことに、彼らが乗るのは、モトクロスバイク、自転車、スケートボードだけではありません。三輪車、ウィスキーの樽、ソファー、カヌー・ボート、ミニ新幹線、ポニー、病院の寝台車…、つまり、タイヤがついているものは何でもアリ!

「いかにもアメリカらしい!」と言うと、アメリカ人の皆さんに怒られそうですが、命がけで挑む場なのに、三輪車やポニーを出してくるあたりに、彼らのサービス精神旺盛なユーモアを感じてやみません。

ジャンプの瞬間に手放ししたり、バイクごと回転したり、度肝を抜くパフォーマンスが続々登場し、トリックが決まるたびに、会場は大興奮。「選手の背中に羽根が生えているのでは?」と何度も確認したほど、見事な空中パフォーマンスの連続でした。

カリフォリニア・ロールって、何なんだ!?

前半で一番の盛り上がりを見せたのは、アメリカv.s日本のトリックバトル。アメリカ側が、BMX(自転車)の二人乗りで、ダブル・フロント・フリップ(前方2回宙返り)とダブル・バック・フリップ(後方2回宙返り)を同時に見せたかと思えば、日本側は、なんとFMX(モトクロスバイク)3人乗りのフロント・フリップを披露しました。

ラストは、東野貴行による“カリフォリニア・ロール”で華麗にフィニッシュ。筆者もこの日初めて詳しく知りましたが、カリフォリニア・ロールとは、バイクはそのままで人間だけがシート上で後方宙返りする難技のことです。なんとなくイメージできたでしょうか?

息もつかせぬほどの連続ジャンプと驚異的なトリックに、雄叫びの声を上げる観客も多くいました。

二人のヒーローに見る人間の可能性

今回のナイトロ・サーカスのワールドツアーは、世界で唯一、下半身不随のFMXライダーのブルース・クック(右)と、車椅子ライダーのアーロン・フォザリンガム(左)のパフォーマンスなしには語れません。

ブルース・クックは、2013年のナイトロ・サーカスで、世界初となるダブル・フロント・フリップに挑み、記録を打ち立てるはずでしたが、着地時に体を強打し、下半身不随に。しかし、事故からわずか9ヶ月後、再びFMXに乗る動画を公開し、その1ヶ月後にはバック・フリップに成功。ナイトロ・サーカスには、2年足らずで奇跡的な復帰を遂げたという驚異の人、まさに生きるヒーローです。

カスタマイズされたバイクに体をくくりつけて、スタンバイ中のブルース選手。バイクに乗るには、下半身のバランスが重要。それは周知の事実ですが、彼は下半身不随によって、コントロールが全く効かない状況です。そこに、バイクをくくりつけるということは、「もしもの場合は、脱出できない」という大きな危険をはらんでいます。それでも挑み続ける勇敢な姿に、ブルース選手の燃えたぎる闘志が伺えました。

そして、いざバック・フリップ。みごと着地を決めた彼に、スタンディング・オベーションの嵐!ナイトロ・サーカスの選手やスタッフたちも、喜びを分かち合っていました。やっぱり嬉しい時は、万国共通ガッツポーズを決めるのだなぁと、再確認した瞬間です。

イベント後半の冒頭では、2015年に、39歳の若さで亡くなったナイトロ・サーカスのメンバーだったエリック・ローナー選手に、皆で追悼を捧げました。スカイダイビングの事故で、余儀なく命を落とした彼の顔がビッグスクリーンに映し出されたとたん、会場は厳粛なムードに。極彩色のライトと花火が上がる場面もあれば、静けさに包まれる場面もあり、喜怒哀楽の入り混じったドラマティックな展開が続きます。

もう一人のヒーロー、車椅子ライダー アーロン・フォザリンガム

2016年、リオ・パラリンピックの開会式で宙を舞う圧倒的なパフォーマンスを見せた車椅子ライダーのアーロン・フォザリンガム。記憶に新しい人も多いのではないでしょうか?

脊椎披裂(二分脊椎)により、生まれつき足を使うことができない体に生まれたアーロン選手は、8歳からスケートパークで車椅子でのライド練習を始め、2006年に世界初となる車椅子でのバック・フリップを成功させます。ナイトロ・サーカスには、同年より出演。WCMX(車椅子で行うモトクロス)というニュー・ジャンルを切り開いた唯一無二の若き先駆者のパフォーマンスに、観客の期待も高まります。

「日本に帰ってきた気分は?」とMCに聞かれて、メガランプの上でスタンバイ中のアーロン選手は、「また来れてとても嬉しいよ。今日は、でっかいパーティなんだよね!」。今回のワールドツアーでは、日本のみの特別出演ということもあり、東京ドームは、いっそう熱気に包まれていきました。

一回目のフロント・フリップは着地時に転倒してしまいます。しかし、彼は何事もなかったかのように、すぐに立ち上がり、メガランプ(ジャンプ台)の頂上に立ち戻っていくのです。その姿に、拍手喝采が巻き起こりました。

彼の愛称“Wheelz(車輪)”を呼ぶ声が響く中、再度チャレンジ!今回は、みごと着地に成功。
ブルース・クック選手と固く手を取り合う姿が、印象的でした。

スリルと興奮の渦に巻き込む豪快なハイスピード・パフォーマンス

後半も終盤にさしかかり、登場したのはジョシュ・シーハン選手。2014年にオーストラリア人として初のXゲームスでタイトルを獲得して以来、2015年には世界初のモーターバイクによるトリプル・バック・フリップに成功するなど、飛ぶ鳥を落とす勢いの快挙を成し遂げてきたFMXライダーが見せたのは、史上最も危険なトリックと言われるトリプル・フロント・フリップ(前方3回宙返り)。

この時ばかりは、鼓動の高まりが抑えきれず、手に汗握りましたが、無事着地に成功。思うに、運動神経がいいとか、そういったレベルの話ではなく、ジョシュ選手をはじめ、ここにいる選手たちは皆、選ばれし人なのだと思いました。「人間って、こんなこともできちゃうんだよ!」という感動を世界に与えるために。

燃え上がる炎の中、選手全員がジャンプを連発するフィナーレは、お祭り騒ぎ。カラフルなウェアをまとう選手たち、玩具みたいに空中を舞うバイクや自転車…ナイトロ・サーカスとは、スリルと興奮の渦に巻き込む豪快なハイスピード・パフォーマンスなのです。

大技が決まるまでは、瞬きすら許されないのに、決まった時に訪れる爽快感のなんと気持ちのいいこと。やみつき必至です。パフォーマンスの素晴らしさは言うまでもありませんが、このイベントに、パフォーマーも観客も、そこにいる人たち全てが一体となって楽しめる空気が流れています。次回の日本公演も、ぜひお見逃しなく!

(text: 岸 由利子 | Yuriko Kishi)

(photo: 長尾 真志)

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スラロームの王者が再び狙う、世界の頂点 【鈴木猛史:2018年冬季パラリンピック注目選手】後編

岸 由利子 | Yuriko Kishi

冬季パラリンピックの競技において、世界中からひと際熱い眼差しが注がれるチェアスキー。高校3年生の時、トリノパラリンピックに初出場して以来、三大会連続の出場を果たしたチェアスキーヤー、KYB所属の鈴木猛史選手は、バンクーバーではジャイアント・スラローム(大回転)で銅メダル、ソチではダウンヒル(滑降)で銅メダル、スラローム(回転)で金メダルを獲得し、世界の頂点に立った。“回転のスペシャリスト”の異名を持つ覇者は今、2度目の頂点を目指すべく、目前に迫るピョンチャンパラリンピックに向けて着々と準備を進めている。チリ合宿から帰国したばかりの鈴木選手に話を聞いた。

KYBという心強い味方があってこそ、僕がいる

同じチェアスキーでも、海外選手の場合、合宿先やレース本番で、ショックアブソーバというサスペンションの部品が折れるなど、何らかのアクシデントが起きた場合、ほとんどはその時点で終了となる。理由は至ってシンプル、技術面でサポートできる人がいないからだ。しかし、鈴木選手をはじめ、日本の強化指定選手には、非常事態にも難なく対応できる心強い味方がいる。ショックアブゾーバの部品開発を行うエンジニアを筆頭に、卓越した腕を持つKYBの技術者たちだ。中でも、海外遠征や合宿に帯同し、選手たちからその場で聞いた要望に沿って、細かな調整を行い、直ちに仕様を変えてしまうというテクニシャンの存在について、鈴木選手はこう語る。

「その方がいてくださるだけで、安心して練習に打ち込めますし、レースにも集中できます。このような体制に恵まれているのは、現状日本だけなので、海外の選手からは、羨ましい!ってよく言われますね(笑)。本当に助けられています」

ダウンヒル(滑降)で銅メダル、スラローム(回転)で金メダルを獲得したソチから約4年。ピョンチャンに向けて、鈴木選手のマシンはどのように進化したのだろうか。

「シートやショックアブソーバについては、かなり細かく調整を行っていますが、とりわけ大きな改造はしていません。僕は自分の感覚を頼りに、“もっと、ここをこうしたい”というアイデアや意見を各技術者の方に伝えて、それらが反映されたマシンにまた乗って、体感的に確かめていくタイプ。ですので、細かいと言っても、先輩方(森井大輝選手、狩野亮選手)の緻密なこだわりに比べれば、足元にも及ばないと思います。滑りにしても、かなり感覚的な方です。“なんで、そんな滑りができるんだ?”と聞かれても、体で覚えているから、言葉でどう表せばいいのか、僕には分からない。うまく説明できるに越したことはないのですが、トークは得意な先輩方にお任せしたいなと(笑)」

失敗から学んだ自己管理の大切さ

「オンとオフはきっちり分けて、休む時はきちんと休むようにしています。休む勇気も大事ですね。それは、初めて出場したトリノパラリンピックの時に身をもって学びました。当時の僕はまだ高校3年生で、寝れば回復するだろうと思っていたのですが、やはり間違いでした。パラ大会前もレースがありましたし、休みなく練習していたことも関係していたと思います。大会の前半戦、40度近い高熱が出て、体調を崩してしまい、1レース棄権しました。失敗を経験して、自己管理の大切さに改めて気づかされました」

食事も、その時々の体調を第一に考えたメニュー構成だ。疲れている時は、無理して食べるのではなく、食べられるものを口にする。鈴木選手の胃袋を温かく満たすのは、昨年結婚したばかりの妻・響子さんの手料理だ。

「食事の面だけでなく、精神的な面でも助けられています。弱音を吐きたくなる時、優しく耳を傾けてくれる一方、諭される時もありますが(笑)、しっかり支えてもらっていることに感謝しています。もしかしたら今、自分はひとりぼっちだと思っている人がいるかもしれません。でも、人間は皆、力を合わせて、支え合いながら生きている。応援してくださる方をはじめ、僕自身、周りの人たちに助けられてきたところが大きいから、余計にそう思う気持ちが強いかもしれませんが、今後、どこかで僕の競技を観てもらえる機会があったとしたら、“ひとりじゃないよ”と全身で伝えたいです」

全員ライバル。
「でも、あの選手にだけは絶対負けたくない」

2018年ピョンチャンパラリンピックで、メダル獲得が期待されるのは、日本が誇る“チェアスキーヤー御三家”こと、森井大輝選手、狩野亮選手、そして鈴木選手。しかし、3人の背中を追って、国内外の選手たちも切磋琢磨し、近年は世界的なレベルも格段に上がっているという。

「金メダルを獲ることがずっと夢でした。でも、ソチの表彰台に立った時、この金メダルは自分が獲ったというよりも、皆さんのおかげで獲れたもの。重さはその証だと実感しました。その方たちのためにピョンチャンでも獲りに行きたいです。できれば、自慢できるようなメダルを。厳しい状況の中で競って獲得できたメダルの方が、簡単に獲れてしまうものより、ずっと面白いし、嬉しさも倍増しますよね。それは、応援してくださる方も僕も同じだと思っています」

「ライバルは全選手」と話すが、強いて特定するとしたら、誰?そう尋ねると、オランダの若干17歳のユルン・カンプシャー選手の名前が挙がった。

「僕と同じ、両足切断の選手で、昨年の世界選手権では、金メダルを3つ獲得しています。これがまた、カッコいい滑り方をするんです。同じ障がいを持つ選手ということもあって、僕が得意としているスラローム(回転)では負けたくないですね、絶対。あらゆるプレッシャーをいかに勝つための力に変えていくか。これは、自身にとっての課題のひとつです」

技術系種目のスラローム(回転)で、抜きん出た実力を世界に知らしめた人は、意外にも、自分の感覚を何より大切にしている人だった。曇り一つない、澄みきった素顔を垣間見て、期待はさらに募る。今後も、さらなる鈴木選手の活動を追っていく。

前編はこちら

鈴木猛史(Takeshi Suzuki)
1988年生まれ。福島県猪苗代町出身のチェアスキーヤー。小学2年の時に交通事故で両脚の大腿部を切断。小学3年からチェアスキーを始め、徐々に頭角を現す。中学3年時にアルペンスキーの世界選手権に初出場し、高校3年時にトリノパラリンピックに出場。冬季パラリンピックのアルペンスキー(座位)に3大会連続出場を果たし、バンクーバーパラリンピック大回転で銅メダル、ソチパラリンピック回転で金メダル、滑降で銅メダルを獲得。2014年、春の叙勲で紫綬褒章受章、福島県民栄誉賞受賞。2015年8月よりKYB株式会社所属。

(text: 岸 由利子 | Yuriko Kishi)

(photo: 増元幸司)

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