対談 CONVERSATION

“支える”ではなく“揺らす”!?佐野教授が辿り着いた世界初の歩行支援理論とは【the innovator】前編

岸 由利子 | Yuriko Kishi

電気、モーターやバッテリーなどを一切使わず、振り子とバネの力だけで、歩く力をアシストする『ACSIVE(アクシブ)』。これは、名古屋工業大学の佐野明人教授が、15年以上にわたり研究・解明してきた「受動歩行」の理論を基に、同大学と株式会社今仙技術研究所が約4年の歳月をかけて共同研究・開発した世界初の“無動力歩行支援機”だ。2017年6月に発売された『aLQ(アルク)』も、無動力で歩行をアシストする歩行支援機だが、ACSIVE(アクシブ)のノウハウをベースにさらなる進化が加わったという。両者の違いとは?揺らす支援とは?その先の未来に描く世界とは?受動歩行ロボット研究の世界的権威、佐野教授とHERO X編集長の杉原行里(あんり)の対談をお届けする。

「あうんの呼吸」で功を奏した、異例の産学連携

杉原行里(以下、杉原):ACSIVE(アクシブ)は、形になりたての初期の頃に拝見させていただきました。2014年に正式にプロダクト・アウトするまでの開発は、どのように進められてきたのですか?

佐野明人教授(以下、佐野)今仙電機製作所 IMASENグローバル開発・研修センターの鈴木光久さんとは、うちの研究室で製作していた受動歩行ロボット3号機の詳細設計をお願いしたことがきっかけで、10年来のお付き合いをさせていただいています。そのロボットがコンベア上で13時間45分の連続歩行をして、2009年にギネス世界記録認定を受けたり、その後に設計製作いただいた成人サイズの「BlueBiped(ブルーバイペッド)」が、連続歩行記録を27時間に更新するなど、さまざまな記録を伸ばすことができました。その出口として、当初は、今仙さんが得意とする義足などの技術開発にフィードバックしていく意向でしたが、時が経つと共に、パワーアシストなど、歩行支援の器具が徐々に世に出てくるようになって。私たちも一緒にやってみましょうかというお話になりました。

今仙さんと歩行支援の共同研究を本格的にスタートしたのは、7年ほど前です。2014年に製品化するまで、2012年と2013年の各年に、数台のプロトタイプを作り、その都度、少しずつ改良を加えていきました。展示会に出展する以外にも、色んな方に見ていただきたい想いから、鈴木さんと一緒に担いで各地を周りました。今振り返ってみると、その方たちに興味を持ってもらえたり、さまざまなコメントをいただけたことは、やり続けるための原動力の一つになっていたと思います。

杉原: 僕の知るかぎり、産学連携の形できちんとプロダクト・アウトして販売しているケースは、極めて少ないと思うのですが、それを形にした開発チームのビジネス感覚の素晴らしさに感動しました。しかも、その後に続くaLQ(アルク)の製品開発も視野に入れていらっしゃった。「コレ、必ず売れるな」と思いました。

佐野:そう言っていただけると嬉しいです。最終的には、今仙技術研究所の山田博社長がGOサインを出してくださったことが、吉と出た大きな要因だと思います。お披露目する日程を先に決めていただいたので、限られた時間の中で逆算して、優先的にやるべきことに取り掛かっていきました。材料の調達などを含めて、今仙さんの作り込みの速さは、大学ではとうてい考えられないものでしたね。そうして製品化に至ることができて、今日にわたって、多方面からさまざまな反響をいただいています。世に出すことが、どれだけ重要な意味を持つかを実感しています。

杉原:チーム体制が功を奏した部分も大きいですよね。

佐野:鈴木さんとは、図面を広げて話し合うなど、細かい打ち合わせって、実はほとんどやっていなくて。デザイン的なところも含めて、自分がいいなと思っていることが、どんどん出てくる感じなんです。長くお付き合いさせていただく中で、お互いに考えていることが、手に取るように分かるというか、おそらく相性が極めて良いんです。

杉原:恋愛みたいな感じですか?

佐野:まさにそうですね(笑)。話は変わりますが、重力と歩行について少しお話させてください。石積みってありますよね?大きな石の中に、ごく小さな石が不思議な角度で立っていることがありますが、あれは重力で立っていて、重力で崩れるものです。歩行もこれと同じで、重力によって歩くことができ、重力によって倒れる。後者に目を向けると、倒れないように支える必要性がおのずと出てきます。よって、歩行支援には、手すりや歩行器など、歩行を支えるための器具が一般には多くあります。

一方、重力だけで歩くことができるのが、受動歩行です。足を交互に踏み出す動作によって生まれる「振り子の動き」と「バネの力」を使うことで、まさに“振り子のように足が振れる”ことが、この歩行の重要なポイントになります。気がついてみると、この原理を応用したACSIVE(アクシブ)もaLQ(アルク)も、「揺れる、揺らす支援」のような形になっていたんですね。転倒を防ぐという意味で、支える技術は非常に重要ですが、揺らして歩行を支援するというやり方があってもいいのではないかと。これに気づいてからは、講演などでも積極的に発信させていただいています。

中編へつづく

佐野明人(さの・あきひと)
国立大学法人 名古屋工業大学
大学院工学研究科 電気・機械工学専攻 教授
1963年岐阜県生まれ。1987年岐阜大学大学院工学研究科修士課程修了。1992年博士(工学)(名古屋大学)。2002年スタンフォード大学客員研究員。受動歩行・走行、歩行支援、触覚・触感などの研究に従事。2009年「世界で最も長く歩いた受動歩行ロボット」でギネス世界記録認定。2014年9月、世界初の無動力歩行支援機『ACSIVE(アクシブ)』を実用化。2017年6月、ACSIVE(アクシブ)をベースに、健康づくりのために、誰もが手軽に使える無動力歩行アシストをコンセプトに開発した『aLQ(アルク)』を発表。2010・2011年度日本ロボット学会理事、2015・2016年度計測自動制御学会理事。日本機械学会フェロー、日本ロボット学会フェロー。

株式会社 今仙技術研究所(ACSIVE)
www.imasengiken.co.jp

株式会社 今仙電機製作所(aLQ)
www.imasen.co.jp/alq.html

(text: 岸 由利子 | Yuriko Kishi)

(photo: 壬生マリコ)

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対談 CONVERSATION

車いすバスケのレジェンド、根木慎志が描くパラスポーツの未来 前編

岸 由利子 | Yuriko Kishi

2000年シドニーパラリンピック男子車いすバスケットボール日本代表チームのキャプテンを務めるなど、トップアスリートとして活躍したのち、パラスポーツを主軸とするスポーツの面白さや楽しさを伝播するために、全国各地の小・中・高や、イギリス、ブラジルの学校など、計2,600校にも及ぶ学校を訪れ、のべ80万人の子どもたちに向けて、講演活動や体験会を行ってきた根木慎志氏。現在、プロジェクトディレクターとして携わる日本財団パラリンピックサポートセンター推進戦略部「あすチャレ!」での活動をはじめ、四半世紀以上に渡り、力を注いできたパラスポーツの普及活動の先にどんな未来を見つめているのか。根木氏と出会ったその日から、“あ・うんの呼吸”で意気投合し、親交を深めてきたHERO X編集長の杉原行里(あんり)が話を伺った。

スポーツは、勝ちに行くから面白い

杉原行里(以下、杉原):前回は、X-Challengehttp://hero-x.jp/movie/1335/にご登場いただき、ありがとうございました。学生時代の部活に戻ったみたいで、めちゃくちゃ楽しかったです。特に、車いすバスケ用の車いすでコートをひたすら走り続けた“恐怖の20分間走”は、思い出深いです(笑)。僕たちのチームのペナルティだったにも関わらず、根木さんも一緒に走ってくださって。コーチやキャプテンに愛情をもってしごかれている部員の気持ちでした。

根木慎志氏(以下、根木):僕も、あんなにガッツリ走ったの、どれぐらいぶりやろ(笑)。現役の時のスピードでは走れてないけど、今の自分が持ってる最大限の力で、最高に楽しんで走れたから、ある意味、全力で走れたんとちゃうかな。

杉原:あの後、プライベートでも、体育館を貸し切って、車いすバスケ大会をやりましたよね。バスケットボールの経験者は、数名いましたが、車いすバスケに関しては、根木さん以外、全員素人。企業の社長さん、元プロ野球選手や芸人さん、RDSのスタッフなど、総勢30人が集まり、6チームに分かれて競い合いました。

根木:あれは、面白かったよね。バスケの経験がある人たちは、基本的なことを分かっているし、スクリーンプレーで、ちょっとレクチャーしただけで、ルールもすぐに飲み込めていたし、実際、プレーも上手いし、さすがやなぁという感じでした。賞品がかかってたから、芸人チームは、ちょっと違うテンションで頑張ってたみたいやけど(笑)。

杉原:あのレクチャーのおかげで、僕ら、初戦敗退ですよ(笑)。

根木:いきなりゲームやったから、余計に面白かったよね。勝負やから、みんな真剣になるし、“勝ちに行く”というスポーツの楽しさがあった。でも、実際、あの大会に集まった人たちの大半は、“車いすバスケ? よう分からんけど、なんかオモロそうやし、行ってみよか?”という感じで、多分、分からないながらも、とにかく来てみたっていう感じやったんやと思う。

杉原:でも、いざ始めると、みんなが熱くなった。キャラクターも特技も戦略も、みんなが違っていて、面白かったですよね。

根木:“トランプ大会しようぜ!”では、あの盛り上がりはなかったよね、きっと。車いすバスケを知らなくても、バスケと言うと、イメージが湧きやすいと思うし、見たことも触ったこともないものに対して、人間は、おのずと興味を持つ生き物やし。だからこそ、あれほど熱くなれたんとちがうかな。

杉原:言うまでもないことですが、当然ながら、根木さんは、他の人たちとは全く動きが違う。根木さんが、あるチームのメンバーに入ることが決まった時、“超ズルいよ~。何なんだよ~”って声が上がりましたけど、僕は、あの感覚こそが、今後、車いすバスケというスポーツを普及させていく上で、ひとつのブレークスルーになるんじゃないかなって思いました。20代~40代の大人たちが真剣に勝ち負けを競う中、車いすは、補助的なツールとしてではなく、このスポーツにエントリーするためのギアとしてあるわけで。

根木:“ズルい”とかいう発想、いいよね。面白いよね(笑)。

子どもも熱くなる。
想像を超えた車いすバスケの面白さ

杉原:今後、この大会というか、ストリートバスケ的な動きをもっと広げていこうと、根木さんとアイデアを企てているわけですが、第2回、第3回と進めていく時、一般ユーザーが欲しいと思えるような車いす(競技用マシン)を作っていきたいなと思っていて。繰り返しますが、身体能力を補助するツールとしてではなく、拡張するためのカッコいいモビリティとしての車いす。それを作っていきたいなと。

根木:クルクル回ったり、明らかに普通とは違う動きができるのは、補助的な道具として使われてきた競技用車いすがあるから。それは間違いないことやけど、これから僕らがやろうとしていることって、どちらかと言うと、「人間ってこんなこともできるんだ」っていう、おそらく想像を超えたところにある車いすバスケの面白さをプレイヤーには体感してもらい、見る人に感じてもらうことやったりするよね。それをみんなで楽しむという。だから、何かこう、競技用車いすも、突き抜けてる感じのものができたらいいよね。

今日も、豊島区の小学校で体験会をやってきたんやけど、ミニバスケットボールで、大活躍している子がいました。でも、初体験の車いすバスケでは、なかなか、思うように動けなかったみたいで、「カッ!」と声を上げたりしながら、奮闘してて。終わった後に感想を聞くと、「すごく難しかったけど、ミニバスにはない面白さがあった。したことのない動きができるのが、面白くて仕方がなかった」と。

杉原:「あすチャレ!School」をはじめ、根木さんが取り組まれていることって、障がい者を支援するということではなく、子どもたちを含む参加者の人に、車いすバスケを体験してもらうことで、結果として、このスポーツを普及させていくということであり、その大きなきっかけのひとつになろうとしているのが、おそらく東京2020ですよね。「開催が決まったことで、出会う人が格段に増えて、自分が表に出ていく機会も増えた。このチャンスをしっかり活かしていきたい」とおっしゃっていたことが、僕の中で印象に残っています。ブレることなく、邁進されていて、すごいなと思いました。

子どもたちに伝えたいのは、
「友だちになろう」

根木:東京2020がひとつの大きなきっかけになって、パラスポーツやパラリンピックが知られるようになってから、驚くほどのスピードで、日に日に、ステージが変わってます。最初は、それらの言葉を知ってもらうことからのスタートやったのが、今ではほとんどの人が知るようになった。車いすバスケも、飛躍的に知ってもらえるようになった。じゃあ、次に何をするべきかというと、僕ができることのひとつは、これまで以上に、自分が伝えられるメッセージをしっかりと伝えていくこと。それをひと言に集約するなら、「友だちになろう」です。

この30年近く、全国各地の小・中・高の学校で講演や体験会をして、たくさんの子どもたちと触れ合って、「友だちづくり」をしてきたけど、言ってることは、今も昔も、一貫して変わってません。

今日の体験会は、300人くらいの子どもたちがいたんかな。隣同士、みんな友だちやんなぁって。でも、友達やからといって、顔形や髪型や着てる服が同じかといったら、みんなそれぞれ違うわけじゃないですか。考え方も、まったく一緒なんて、絶対ないから。でも、相手のことを自分ごととして考える、相手の気持ちを分かろうとすることで、その人と自分が違うということも理解できるようになる。それが、人を認めるっていうことやと思うので。そして、相手を認めることによって、どんどん違いが分かってくるから、逆に、自分のことをより深く知れるようになる。

僕は、事故に遭って、車いすになって、もう大好きなスポーツが出来へんわっていう時に、車いすバスケに出会ったんやけど、実際にやってみた時に、「コレ、ヤバイな、すげぇな!」って思って。今まで経験したことのないようなスピード感もそうやし、さっき話した、「人間って、こんなことも出来るんや!」という、上手い選手のプレーを見た時に垣間見た、人間の可能性。そういったことを子どもたちに実演して見せたり、話したりすることによって、僕自身も、自分のことを一番知れたんとちゃうかなって思いますよね。

中編へつづく

根木慎志(Shinji Negi)
1964年9月28日、岡山県生まれ。シドニーパラリンピック車いすバスケットボール元日本代表チームキャプテン。現在は、アスリートネットワーク副理事長、日本パラリンピック委員会運営委員、日本パラリンピアンズ協会副理事長、Adapted Sports.com 代表を務める。2015年5月、2020年東京パラリンピック大会の成功とパラスポーツの振興を目的として設立された日本財団パラリンピックサポートセンターで、推進戦略部「あすチャレ!」プロジェクトディレクターに就任。小・中・高等学校などに向けて講演活動を行うなど、現役時代から四半世紀にわたり、パラスポーツの普及や理解促進に取り組んでいる。

(text: 岸 由利子 | Yuriko Kishi)

(photo: 壬生マリコ)

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