コラボ COLLABORATION

JETROに訊いた! 日本発スタートアップ企業が 世界で輝くために必要なものは?

長谷川茂雄

2003年に設立された独立行政法人日本貿易振興機構、JETRO。同機構は、対日投資の促進や海外ビジネスに関する情報提供、中小企業等の海外展開に対する多角的な支援などを行なっている。特に近年は、日系スタートアップ企業のサポートに力を入れ、世界各地の展示会への出展支援にも積極的だ。世界中で“ニューノーマル”が叫ばれる今、日本のスタートアップ企業が戦っていくために、改めて何が必要なのか? 最前線で活動を続けるスタートアップ支援課の深澤 竜太氏、瀧 幸乃氏に、世界最大のテクノロジー見本市「CES」の現状なども踏まえながらお話を伺った。

グローバル市場を見据えた
戦略設定が求められている

国内拠点が約50カ所、海外事務所が70カ所以上を数えるJETROは、そのネットワークを活かした日本企業の海外展開支援を行う、いわば橋渡し的な存在だ。

近年は、スタートアップ企業に焦点を当てたスタートアップ支援課が設立されたこともあり、新しいアイデアソースと気概のある日本企業の海外進出に対し、より充実した支援を行なっている。毎年ラスベガスで開催される大規模なテクノロジー見本市CESの出展サポートも定着しつつある。

深澤:JETROが主にやっていることは、大きく3つほどあります。1つは、日本企業の海外展開のサポート。2つ目が、海外企業の日本への進出、インバウンドの支援、そしてもう1つが、海外の経済動向などの調査や情報発信です。ここ数年は、ベンチャー企業、スタートアップ企業のサポートにも注力しており、おかげさまでCESの出展企業も徐々に増加中です。

瀧:近年CESの出展企業は、IoT、ヘルス&ウェルネスの分野が増えてきている印象があります。今年は特にコロナの影響もあってか、それが顕著でした。遠隔操作ができるタブレットなど、非接触系の技術やスマートマスクといったものも今年のCESでは全体的なトレンドの1つでした。

JETROがスタートアップ企業のCESへの出展を具体的に支援し始めたのは、2018年。同年、経済産業省が推進する企業育成プログラム「J-Startup」がスタートしたこともあり、CES出展に対する企業側の意識も高まったという。現状、日本のスタートアップ企業は、世界からどんな見方をされているのか?

グローバル市場を見据えた戦略の重要性を説く深澤氏。

瀧:ロボティクス分野、とりわけユニークなコミュニケーションロボットに関しては、日本の注目度は高いと思います。2019年はGROOVE X社の「LOVOT(ラボット)」、2020年はVanguard Industries社の「MOFLIN(もふりん)」が、CESで毎年開催しているイノベーションアワードを受賞しました。一方で、アメリカ、中国、イスラエル等のスタートアップに対する世界からの全体的な注目度と比較すると、日本企業に向けられる関心はまだまだ低いのではないかと感じています。

深澤:最初からグローバル市場を視野に入れているか否かというのは、大きなポイントになります。日本企業は、国内の市場がある程度大きいこともあり、積極的に海外展開を行う企業は増加傾向にありますが、まだ少ないと感じますし、これからの課題の一つだと捉えています。

瀧:資金調達額や、開発プロダクトのスピードの面においても、アメリカや中国と比較すると大きな差があると感じます。日本のスタートアップ企業が、もっと独自の強みを活かせたら、変わってくるような気はしています。グローバル市場に入り込んでいけるように、JETROとしては、海外との連携促進のサポートをしながら、課題を克服できるように努力を続けていきたいと思っています。

東京のみならず地方都市からも
イノベーションの創出を

日本のスタートアップ企業は、まだまだ良くも悪くも内需型。JETROは、そんな現状に対しての意識改革をもたらすメンタリングやアドバイスも行なっている。グローバル市場を見据えた動きを積極的に仕掛けていくための人材育成や仕組みづくりは、大きな命題だ。同時に、海外のスタートアップ企業を日本に誘致し、連携することも重要なテーマとなっている。

2019年開催時のCESメイン会場。

「J-Startup」を掲げたブース。

瀧:経済産業省のもとJETRO主導で立ち上がった「J-Bridge」というプラットフォームがあるのですが、これは、アジアを中心とする海外企業と日本企業のオープンイノベーションを通じた協業支援の一つです。今後は、このようなDX(デジタルトランスフォーメーション)による連携推進の取り組みを強化しながら、東京以外の地方都市においてもスタートアップ企業が生まれやすい環境を整えていくことが必要だと考えています。

深澤:加えて、内閣府が主導するプロジェクトで、日本全国のスタートアップ・エコシステムの底上げを目指す取り組みも2020年から始まっています。京阪神、中部、九州など、地域ごとに拠点を選出し、地方自治体や支援機関とも連携しながら全国のスタートアップの支援を集中的に始めています。既に企業向けプログラムが進行中ですが、今後も規模を拡大して実施予定です。

瀧:国全体としても(スタートアップ企業が生まれやすい)空気づくりが大切だと思います。CESへの出展や海外企業の国内誘致などを通して得られたものを活かしながら、マインドセットの部分でも、イノベーションへと繋がる環境を整えていきたいです。

瀧氏いわく「日本のスタートアップ企業には、他国が真似できない独自性がある」

超高齢化、ニューノーマルの中で
新たな課題が見えてきた

日本は世界でも稀な超高齢化社会に突入している。それだけに、若い世代のアイデアが効率よく社会に反映できる仕組みや空気は、意識的に作っていかなければならないのかもしれない。それだけに、JETROが行なっている活動は、今後より重要度が増してくる。

瀧:超高齢化が進む日本では、高齢者からリアルなデータを採取しながら利活用できるというメリットもあります。さらにロボティクスやバイオ、再生医療といった強い分野を伸ばしながら、海外と連携しつつも存在感をアピールしていく必要があると感じています。

深澤:CESでのパビリオン来訪者からしばしば言われるのが、日本のスタートアップ企業は、着眼点が面白いということです。例えば、犬の心拍数や体温から感情を読み取るプロダクトなど、海外の企業ではなかなか思いつかないようなものを生み出す発想があります。そんな独自性を持つスタートアップ企業を引き続きサポートしていきたいですね。

2019年のCESでイノベーションアワードを受賞したGROOVE X社の「LOVOT」。多くのメディアが押し寄せた。

瀧:今ですと、“SDGs”、“サステナビリティ”、“LGBTQ”、“インクルージョン” といようなトレンドに沿ったプロダクトやサービスのほうが、メディアから注目されたり資金調達しやすいという側面があります。海外企業は、それを押さえてマーケットに入り込もうとする動きが目立ちますが、日本のスタートアップは、それよりも他社が真似することが難しいニッチな技術や独自性で勝負する傾向が強いのではないかと感じています。

島国で経済的にも独立しているからこそ培われたユニークな着眼点と独自性の高い技術。日本のスタートアップ企業は、そんなストロングポイントを武器に、今後、世界の市場を見据えたチャレンジをすべきなのかもしれない。加えてコロナ禍がもたらした変化にも柔軟に対応する必要がある。

瀧:今年のCESは、オンラインで開催されたのですが、そこで問われたのが自社のプロダクトをいかに魅力的に伝えていくかという全体的なコミュニケーション力でした。プロダクトPR動画、ブローシャー、商談のための英語力、プレゼン力等が求められたのではないかと思います。特にメディア取材等の対応が多かった企業からは、メディアに対してわかりやすく話すためのメディアトレーニングを受けたいという声も寄せられています。

深澤:通常の海外カンファレンス・展示会の場合は、ブースに足を運んだ方が直接プロダクトを見たり触れたりすることができましたが、これからは、また違ったプレゼン・PRの方法が求められます。JETROとしてもニューノーマルに対応するサポートやメニューを増やして、より一層スタートアップ企業を応援していければと考えています。

関連記事を読む

(text: 長谷川茂雄)

(photo: 増元幸司)

  • Facebookでシェアする
  • LINEで送る

RECOMMEND あなたへのおすすめ

コラボ COLLABORATION

選手と開発者をつなぐ“感覚の数値化”伊藤智也×RDS社【究極のレースマシン開発】Vol.2

岸 由利子 | Yuriko Kishi

北京パラリンピックで金メダル2個、ロンドンパラリンピックで銀メダル3個を獲得し、世界の頂点に立つも、引退を表明した車いす陸上スプリンター・伊藤智也選手。今夏、約5年の沈黙を破って、HERO X上で現役復帰を発表し、「57歳で迎える東京2020で金メダル獲得」を目指して、着々と準備を進めている。そんな伊藤選手と共に、RDS社は、エクストリーム・スポーツのマシン開発に精通したエンジニアや気鋭のプロダクト・デザイナーらと「チーム伊藤」を結成し、目下、通称“レーサー”と呼ばれる車いす陸上用マシンを開発中だ。世界に1台のレーサー・伊藤モデルの行方はいかに?今回は、RDS本社で開かれた2度目の研究開発ミーティングのもようをお伝えする。

東京2020に向けて極限まで進化する、
マシンと伊藤智也

本題に入る前に、前回までの内容を少しおさらいしておきたい。9月初旬に行われたキックオフ・ミーティングでは、伊藤選手を囲んで、開発の指揮を執る同社クリエイティブ・ディレクターで、HERO X編集長を務める杉原行里(すぎはら・あんり)をはじめとする「チーム伊藤」の主要メンバー5名が初顔合わせした。5時間以上に及ぶディスカッションでは、車いす陸上という競技そのものやマシンについての質疑応答などが行われたのち、「2018年夏、プロトタイプ完成」を一つの目標に決めた。が、ここで不思議に思う人もいるだろう。東京オリパラの開催は2020年夏なのに、なぜ2年も前にプロトタイプを作り上げるのか?

理由は、主に二つある。まず、乗り心地やポジションなど、選手側からの細かな要望を反映するべく、マシンには、極限のレベルまで改良・調整が加えられていくからだ。RDS社のエンジニアたちは、これまで手掛けてきたチェアスキーのマシン開発を通じて、この段階がいかに重要で、かつ膨大な時間を要するかを熟知している。

もう一つは、伊藤選手がマシンに体を慣らせるために、十分な時間が必要だからだ。とりわけ今回は、自分の体にぴったり合ったオーダーメード・マシンに乗るのは、20余年のアスリート人生の中で、伊藤選手にとって初めての経験であり、新たな挑戦でもある。パラリンピックが「身体と技術の融合」と言われるように、最高のパフォーマンス力を発揮し、勝利を掴み取るためには、自分の体の一部となって共に疾走するマシンと、寸分の狂いなく一体化するレベルに到達するまで、馴染ませていくことが不可欠なのだ。

トップアスリートとの共同開発は、
『感覚の数値化』から始まる

秋晴れの空が美しい10月の朝、チーム伊藤のメンバーがRDS本社に集まり、第2回目となる研究開発ミーティングが行われた。今回、メインとなる課題は「計測」。まず、マシンの“動き”や“しなり”を計測すること。伊藤選手が長年使用してきた長距離用のマシンを3Dスキャナーでスキャンし、走行中の力の分散バランスなども含めた力学的なデータを、モーションキャプチャやフォースプレートを使って計測し、解析していく。次に、伊藤選手の走りを同様の機器を使って計測する。ハンドリムをこぐ時、腕や首、肩などの部位が、どのような角度で、どのように動いているのかということをエンジニアリングの観点から解析していく。

「往々にして、アスリートと開発側のコミュニケーションは一方通行になりがちです。例えば、“こんな感じになれば、もっといい”と選手が言う時の感覚は、当然ながら目に見えるものではなく、いわば、本人にしか分からない体感的なもの。それらを開発側の僕たちがきちんと理解するためには、『感覚を数値化する』ことが不可欠です。そうすることで、選手の意図をより正確に捉えることができると共に、数値という明らかな指標があれば、伊藤選手と開発チームの互いにとって、現状を把握する助けにもなりますし、ひいては、最大限に力が発揮できるマシンの開発に活かすことができます」とクリエイティブ・ディレクターの杉原は話す。

いざ、感覚の数値化へ。伊藤選手の頭、肩、肘、手首などの可動部と、ホイールなど、マシンの各部には、“マーカー”と呼ばれるモーションキャプチャの計測点が取り付けられた。伊藤選手が、100m走を想定して、屋内練習用マシンをこぐ間、天井の四方に設置したカメラが、伊藤選手とマシンの動きを多方向から撮影すると、認識されたマーカーが、パソコンを介してデジタル化した動作として取り込まれ、スクリーン上に映し出される。

車体のフレームに鼻がぴったりつきそうなほど頭を深く下げた前傾姿勢で、伊藤選手が全力疾走を繰り返す間、計測は続けられた。固定された屋内練習用マシンが、今にも超高速で走り出しそうなパワフルな動きに、開発チームの視線が釘付けになる。「マシンとグローブが“ギア”なら、伊藤選手の腕は“車のエンジン”」と杉原が語る意味が腑に落ちてくるようだ。測定したデータを解析用ソフトに取り込むと、各マーカーの変位量が表示され、それらを繋ぐと、車体や伊藤選手のフォームや動きが浮かび上がる。インターバルを挟みつつも、立て続けに走った伊藤選手の額は、汗でびっしょりだった。

ここで一旦、計測は終了。今回、モーションキャプチャで取得したデータを基に、ハンドリムをこぐ時のフォームや、グローブとの整合性を解析するなどして、伊藤選手にとって最適なハンドリムとグローブの開発が進められていく予定だ。

vol.1  獲るぞ金メダル!東京2020で戦うための究極のマシン開発に密着

vol.3  100分の1秒を左右する“陸上選手のためのグローブ”とは?

vol.4  フィーリングとデータは、分かり合えるのか?

伊藤智也(Tomoya ITO)
1963年、三重県鈴鹿市生まれ。若干19歳で、人材派遣会社を設立。従業員200名を抱える経営者として活躍していたが、1998年に多発性硬化症を発症。翌年より、車いす陸上競技をはじめ、2005年プロの車いすランナーに転向。北京パラリンピックで金メダル、ロンドンパラリンピックで銀メダルを獲得し、車いす陸上選手として、不動の地位を確立。ロンドンパラリンピックで引退を表明するも、2017年8月、スポーツメディア「HERO X」上で、東京2020で復帰することを初めて発表した。

(text: 岸 由利子 | Yuriko Kishi)

(photo: 増元幸司)

  • Facebookでシェアする
  • LINEで送る

PICK UP 注目記事

CATEGORY カテゴリー