対談 CONVERSATION

根性論も感情論もいらない。センシングがもたらす、ハラスメントなきスポーツの未来 後編

長谷川茂雄

近年、大きな社会問題になっている数々のハラスメント。とりわけスポーツ界では、監督やコーチと選手間の異常な主従関係や、暴力的な行為が問題視されることが多い。度々メディアでも報じられるこうした歪みの裏側には、記録やパフォーマンスの向上を目指す指導者側の感情的な空回りや、埃をかぶった根性論などが横たわっている。スポーツ科学とセンシングテクノロジーは、それをポジティブなコミュニケーションへと変える。第一人者である長谷川 裕氏をお招きした編集長対談。前編ではすでにヨーロッパのサッカーチームではこうしたスポーツの科学的分析が主流になりつつある話を伺ったのだが、日本のスポーツ界にもやっとその風が吹き始めているようだ。データを基にした指導で選手はどう変わるのか。未来のスポーツ指導について語り尽くしていただいた。

データ化すると選手の能力と課題が一目瞭然

杉原「具体的なトレーニングの測定についてもお聞きしたいのですが、長谷川さんは、いま何を一番重視されていますか?」

長谷川「ひとつは GPS ですね。GPS はこれからどんどん広まっていくと思います。トレーニングも分析できるし、試合も分析できる。それからいわゆるスプリントや持久力、それらを客観化することも可能です」

杉原「GPS は、やはり大切なんですね」

長谷川「はい。センシングという言い方をすると、最先端と思われるかもしれませんが、平たく言えばデータです。それをどう使っていくのかということなんです。GPS 同様大切なのは、筋力や筋パワーのデータですね。筋パワーというのは、筋力とちょっと違います。みんなそこをごっちゃにしていますが、質量の単位はkg、筋力の単位はN(ニュートン)、筋パワーの単位はW(ワット)というように、それぞれ別のものです。多くのトレーニングの指導者は N や W という単位を使わないばかりか、知らない人もたくさんいます。あとは心拍数や血中乳酸値など、基本的なものを計測することは難しくありません」

杉原「最近は、Jリーグでも選手の走行距離のデータなどは、よく聞かれるようになりましたよね」

長谷川「そうですね。総走行距離は、選手の平均を割り出すと1試合に10〜11km程度になります。あと大切なのは、スプリントの回数です。スプリントをどんな数値に設定するかも重要ですが、時速24〜25km というのが一般的。それを試合中に何回記録したかを計測します。総走行距離の中で早いスピードで走った割合や、加速度と減速度からはスピードの変化が読み取れますね」

杉原「その測定を、細かく解析するのは大変な作業ですね」

長谷川「そうですね。でも、こういったデータ測定を導入すると、試合を見ていた印象と実際の数値が違っていることが多いので興味深いですよ。すごく走っていたと思う選手よりも、実は全然違う選手が長い距離を走っていたり、総走行距離が短くてもスプリント回数がダントツに高い選手がいたり。そういうデータが見えてくると、もっと守備をしっかりするべきだとか、スプリント回数を増やすべきだとか、選手一人ひとりの課題も見えてくるわけです」

杉原「確かに、そうやって選手のパフォーマンスを数値的に可視化することは、新たなコミュニケーションツールになりますね」

感情論ではない選手の本当の適正を見出す

長谷川「そうです。熊本の八代市に、秀岳館高校という学校があります。熊本といえば大津高校というサッカーの名門校がありますが、そこになかなかに勝てないため、センシングなどのテクノロジーを導入したんですね。そうしたら、選手の内発的な動機付けができるようになって、コーチのほうも選手のいいところや課題が見つけられるようになったそうです」

杉原「これから大きな効果が期待できそうですね」

長谷川「センシングを導入して、試合中のスプリント回数や加速減速などの数値を計測しているのですが、参考としてプロはこのぐらいの数値だというデータを紅白戦の前に見せたところ、選手たちはその日の試合が終わった後に、クタクタになって倒れて笑っていたというんですね。指導者は、これまで紅白戦でそこまで力を出し切った選手の姿を見たことがないと言っていました。選手もデータで見せてあげると、目標が見えやすいんです。次の段階は、一人ひとりの能力に合わせてどういうトレーニングをするか? それをプランニングすることですね」

杉原「なるほど。計測して解析して、プランを立てるということですね。では、どのポジションが向いているというような適正は、どうやって見極めていくのですか?」

長谷川「例えばスプリントスピードを静止状態から30mまで測った場合、最初の5m、10mを何秒で走っているか? そして、最後の10mを時速何㎞で走っているのか? そういうところから適正が見えてきます。最初の5mで1秒切れる人は、Jリーグやラグビーの代表クラスで1人いるかいないか。でも最初が遅くても、最後の10mで時速32km出せるのであれば、世界的に見てもトップクラスですから、それを活かせばいいんですよ。そうやって、一瞬のスピードを求められるフォーワードがいいとか、ある程度の距離を早く走れると有利になる中盤がいいとか、わかってくるわけですね」

杉原「自分がどのポジションに向いているのか、感情論ではなく教えてもらえるのは、選手も嬉しいかもしれないですね」

長谷川「そうなんです。それに指導者側もセンシングの数値をもとに、選手の能力を活かした戦術も浮かんでくるようになる。データがわかれば、ぐっと科学的になりますし、合理的なプランが立てられるんです」

トレーニングでは最大の力を
何回繰り返すかが重要

杉原「センシングというと科学的な印象ですが、選手一人ひとりを計測するとか、フェイス・トゥ・フェイスでコミュニケーションを取るという部分はアナログですよね。そういう合理的なところと非合理的なところの良さを活かし協業することで、よりコーチングもスポーツも最大化していけますよね」

長谷川「おっしゃるとおりですね。そうやって、選手も指導者も前に進んでいけるということです」

杉原「自分はパラリンピックの競技プロダクトに関わっていますが、測定というのは少しずつわかってきたんですけど、解析に関してはまだまだ発展途上です。例えば、車いすレースの場合、スタートの5mを早くすることが大事なのか、それとも40mでマックスを出すのが重要なのか? そういうことをいろいろと模索しています。でもデータを可視化すると、感情論抜きに選手とコミュニケーションが取れるので、やりやすいです」

長谷川「そうですね。指導者の経験や感覚に委ねていたこれまでの指導方法は、才能のある選手を潰してしまっていたケースもありますから。それは、先ほどお話しした秀岳館高校サッカー部の先生も実感されていて、センシングによってこれまで気づかなかった選手の才能を開花できそうで、すごく嬉しいと言っていました。そうなると、もう暴力的な指導をしたり、無駄に長時間練習をする必要もないわけですね」

杉原「指導者も、センシングが自分を変えるきっかけになりますね。僕らは、いまレース用の車いすを伊藤智也選手と一緒に開発していますが、東京2020のとき彼は58歳になるんです。それでどんな結果が出せるのか、社会的にも注目されると思いますから、そういう新しいテクノロジーや考え方を付与して、どんどん進んでいきたいですね」

長谷川「いまはもう、歯を食いしばって辛い練習をやれば結果がついてくると思われていた時代とは違うんです。いかに高速で大きな力を爆発的に短時間で出すか。それは、主観ではわからない。トレーニングで大事なのは、疲れるのが目的ではなくて、最大の力を出すことを何回繰り返すか。それを計測しながら効果的にやるべきです」

杉原「そうですね。能力が可視化できれば、そういうトレーニングができますから効率もいいですね」

長谷川「有名な話ですが、何かのトレーニングを7割ぐらいの力で10回3セットやったグループと、100%の力で3回10セットやったグループでは、同じ回数ですが、明らかに後者の方が爆発的な筋力が付くんです。そうやって効果的なトレーニングができれば、より合理化していけます」

杉原「そういうことですね。長谷川さんがやられているセンシングの技術があれば、選手も自分の選択肢が明確にわかりますし、それを組み立てるプランも立てやすくなる。そういう材料を提供されているというのは、素晴らしいです。でも今日のお話しを聞いて、自分もジム通いでやっているトレーニングを見直そうと思いました。まずは、真っ先に回数を減らそうと思います(笑)」

前編はこちら

長谷川 裕(はせがわ・ひろし)
1956年京都府生まれ。龍谷大学経営学部教授(スポーツサイエンスコース担当)。日本トレーニング指導者協会(JATI)理事。エスアンドシー株式会社代表。筑波大学体育専門学群卒業、広島大学大学院教育学研究科博士課程前期終了。龍谷大学サッカー部部長・監督、ペンシルバニア州立大学客員研究員兼男子サッカーチームコンディションコーチ、名古屋グランパスエイトコンディショニングアドバイザー等を経て、スポーツセンシング技術等を利用した科学的トレーニング理論の実践的研究を続ける。著者は『アスリートとして知っておきたいスポーツ動作と体のしくみ』、『サッカー選手として知っておきたい身体の仕組み・動作・トレーニング』ほか多数。

(text: 長谷川茂雄)

(photo: 河村香奈子)

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対談 CONVERSATION

ペットにも救急医療を。パイオニア・中村篤史獣医師の挑戦

HERO X 編集部

いまや子どもの数より多いと言われているペット。家族の一員として、人間に癒しをもたらしてくれる大切な存在だ。しかし、日本の獣医業の世界には、長らく「緊急救命」という分野がなかった。その中で1人、動物の緊急専門医として立ち上がったのが、TRVA夜間救急動物医療センター院長の中村篤史獣医師。2021年10月には『情熱大陸』(毎日放送)にも登場し、話題を呼んだ。ペットの救急医療立ち上げの経緯は? そして、未来のペット医療の可能性は? 自らも犬や猫と家族として暮らしてきたHERO X編集長・杉原行里が鋭く切り込む。

動物病院にはERの概念がなかった

杉原:今回『情熱大陸』を見た方もいらっしゃると思うのですが、改めて中村さんのお仕事についてお話しいただけますか。

中村:一番大きな違いは、夜間であること、そして救急医療専門ということです。

杉原:一番大きな違いと言われますが、どんな風に違うのでしょうか?

中村:翌日まで待てずに我々のような夜間診療に来るというのは、よほどのことです。ですから、ある程度重症例だと思って対応するのが僕らの仕事です。

杉原:ノンバーバルの動物が急激に何かしらの異変をきたしている時って、もう飼い主はほぼパニック状態ですよね? 僕もずっと犬を飼っていたのでその気持ちが分かります。夜間だと特に心配になったりします。

中村:僕が夜間診療に携わるようになってから最初に思ったのは、夜間診療の時間帯は、日中より重症として来院する割合が多いなと感じました。これはもう日中診療の当番枠だけで上手くいくレベルではないし、短時間で原因を追究して、そこから生命を維持するところに引き戻すことが必要だと感じました。

そもそも人間でも救命救急科、ERってありますよね。僕らの業界のERが日中診療の延長線でいいのか?というところにまず疑問を感じたんです。

杉原:人間でいうと、緊急性があれば、CT、MRIの設備があって救命の医師が常駐する場所へ行くというERの文脈がありますよね?

中村:そう、その概念が動物にも必要だと。というのは、獣医には歯科や耳鼻科などがないので、街の動物病院は小さくても総合病院です。確かに救急も受けていたけれど、救急を分野として確立して、よりハードな症例に対して助けていく学問自体が存在するんじゃないかと。昼間の先生が代替で夜間に対応するのではなく、救命救急という分野を作らなくてはいけないと思いました。

杉原:いまペットは、家族としてよりインクルーシブになっている流れがある。ペットという言葉すらなくなってきていますよね。10年前にペットのためのERが必要だと思ったきっかけはあったんですか?

中村:僕は北里大学を出て、東京大学に行き、そこでたくさんの先生たちに揉まれて、色々なチャンスをもらいました。「もう一つほかの大学に行ってみたら?」といわれて、大学時代の恩師のいる北海道の大学に行って、さらに1年研修したんです。その後、埼玉県の動物病院で街の動物病院での診療を2年間体験しました。そのまま実家の獣医業を継ぐ選択もありましたが、これだけさせてもらった人間はそういない。だったら、日本の獣医療のために何かやらなきゃいけないという使命感にかってに駆り出されたんです。

そんなとき、ちょうどテレビで救急医療のドラマを見て。救急ってカッコいいんじゃない?と思ったのが最初のきっかけです(笑)。

これまでの診療現場で、なぜ動物は普通に酸素室の中で亡くなっていくのかなと思っていました。そもそも人だったらこれくらい苦しければ人工呼吸器を使われて、時間をかけながら医療を受けて助けてもらえる。亡くなる原因を突き詰めて、ちゃんと頭で考える現場に身を置きたいと思ったんです。

「カッコいい」で突き通して民間から変えたい

杉原:海外にはペットの救命はあるんですか?

中村:まさにそこで、アメリカでは、救命救急の教科書が存在しているんです。教科書が出ているということはそれを書いている大学の先生たちがいて、救命救急があり、学問自体が発生している。ヨーロッパにもあります。

杉原:学問としても日本にはなかったのですか?

中村:なかったんです。それには出来ない理由があって、日本の動物病院で、重症例で全額を請求するとすごい金額になってしまうし、それに対するニーズに応えられるのは東京くらいで、地方ではとてもできない。しかも、「やります」と言った瞬間、自分が寝ずに診療しなくちゃいけない。

アメリカの視察でERを見た時に、あんまり変わらないけどちょっと違うのかなと。何が違うのかを知りたくて、日本で出版されている人間用の救急の本を買って調べたら、ああ、これ全然アプローチが違うなと。例えばペットが下痢で来院すると、クリニックでは、「寄生虫ですかね」「変なの食べちゃったんですかね」って下痢の原因にアプローチします。でも、救命救急では下痢をしているその子の血圧や呼吸など、今この瞬間に、生命維持において異常があるかどうかという状況を把握するために最初にアプローチをかけるんです。

杉原:入口でなくて、出口を見る。そうすると現状把握の可視化を思い切りしていくわけですね。

中村:ノンバーバルな環境下で、動物のどういう仕草や心拍数の変化が本当に危ないかどうかを突き止める。そこに問題があれば、下痢の問題じゃなくて、そこから立て直していく。命という観点で見て、救えるとなったら最短距離でスピードをもって対処していく。それが緊急医療だということに気づいたんです。こんな学問は日本になかったから、誰も知らないし、教えられていない。それはまずいのではないかと思って、2018年に日本獣医救急集中治療学会という学会を設立しました。

獣医師業界をもっとハッピーに

杉原:獣医になりたい子たちにひとことお願いします。

中村:獣医師という仕事は、そこにいてくれるだけで僕たちに幸せを与え続けてくれる動物たちを助けるヒーローだと思っています。その動物たちを救ってあげることで、家族が幸せになり勇気づけられます。他の職業と同じで大変なことも多いですがやりがいのある素敵な仕事だと思っています。その反面、苦しんでいる動物たちを目の前に、飼い主を相手につらいことも話さなければいけないし、もちろん全てがうまくいくわけではありません。「先生がもっとこうしてくれればよかったのに」とか「なぜ助けられなかったんですか」みたいに言われながら、次の症例では笑顔で毅然と対応しなきゃいけないから、バーンアウトすることも多いんです。

今の土壌ってまだ獣医さん自身が「めっちゃイイよ」と言える状況ではないというのがあります。もっと獣医さんたちがいきいきと働き続けられるような状況を僕は作りたいなと思っています。これは救急をやりたいというより、もうひとつ上位の概念として持っています。

杉原:その意味でいうと、犬や猫を飼う僕たちも、リテラシーをもって成長しなきゃいけないでしょうね。ほとんどの飼い主の人達はある程度持っていると思いますが、やっぱりペットを介して人間にネガティブな言葉をぶつけるというのは、僕はNGだと思うから。

イノベーションの起点はいつも1人の誰か

杉原:このHERO Xというメディアを介していろんな方たちに会うと、分野は違っても、だいたいみなさん同じようなことを言っています。「未来のため」と「会ったことのない人のため」なんです。この方たちは世界の財産だなと思って聞いています。ペットERが最初はアメリカやヨーロッパで先行していたかもしれない。でも、中村篤史獣医師のもとに集まってきた、仕事に対して没入度が高い人たちがいれば、今度は逆に日本から世界に発信していって、世界のペットがどんどん幸せな環境になり、周囲の人間も含めて循環していくんだろうなと僕は思っています。10年後、20年後の獣医師って少し変わっていますか?

中村:変わっているでしょうね。原体験的に獣医学業界の変わる音を1つ聞けたと思っています。獣医業界に救急が生まれて、日本中の雑誌や教育、あるいは学術新聞が一時、全部「救急」になったんですよ。世の中が変わる音を聞く、すごい体験をさせてもらったと思っていて。でも、もっと大きな音が聞けるんじゃないかなと。

杉原:一回成功体験をすると、「できる」っていう感覚がわかりますよね。

中村:意外とやれそうだなというのはありますよね。学会を作ればなんとかなるかと思ったんですが、やっぱり大きなことをするには、まず先人をきる一人がいる。五郎丸が越えた瞬間に日本中がラグビーを観に行ったし、錦織圭がエアKをやったテニス界が変わったじゃないですか? 面で物事が変わるより、一人のスターがいたら物事が変わると信じていて、僕がとにかく出ていって「これが救急医療です」って押し出し続けたら、そこに同じ方向を生む仲間ができた。閾値っていうのを誰か一人が越えた瞬間に、ガーンと求心力をもってイノベーションが起こるという流れだと思います。

中村篤史 (なかむら・あつし)
北里大学を卒業し、東京大学、酪農学園大学で研修医を行う。その後、埼玉県にて勤務医を経験したのち、2011年に現職場であるTRVA夜間救急動物医療センターへ。同年院長となる。2018年には、日本獣医救急集中治療学会を立ち上げた。

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(text: HERO X 編集部)

(photo: 壬生マリコ)

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