コラボ COLLABORATION

CYBER WHEEL Xの常設展示が、千葉工業大学東京スカイツリータウンキャンパスでスタート

千葉工業大学が研究を通して得られた知識や成果を応用、体験型アトラクションゾーンとして開設している千葉工業大学東京スカイツリータウン®キャンパス。最新技術が集まるこの場所で、HERO X でも度々取り上げているCYBER WHEEL X の常設展示が始まっている。株式会社ワントゥーテンと RDS、千葉工業大学の fuRo(未来ロボット技術研究センター)の3者コラボで造り上げられたCYBER WHEEL X。子どもから大人まで、楽しみながら未来の技術を体感できるこの施設の盛り上げに、一役買っているようだ。

東京スカイツリー・ソラマチ8階にある千葉工業大学東京スカイツリータウン®キャンパスは、ロボット技術、人工知能についての展示をはじめ、惑星探査研究の成果を基に応用、アトラクション型に仕立てた展示などがされている。アトラクション型と銘打つだけあり、各展示室は見るだけでなく来場者が体感できるコーナーも豊富に揃う。まるで宇宙空間に自分が飛び込んだかのような没入感が得られるのは、300インチの3D&5.1chサラウンド映像が見られるシアター室。ゴジラの映画監督で有名な川北紘一氏の協力で作られた「宇宙138億年の旅 地球そして生命」では美しい宇宙の姿を上映中だ。

本物のロボット設計図とご対面

未来ロボット技術研究センター(fuRo)が研究を進める巨大ロボットと共に歩む感覚が味わえるのは「超巨大ロボティックスクリーン」。360度投影システム4台をコンピューターと連動、天井まである巨大なスクリーンに同研究所が開発している巨大ロボットの映像を投影してくれる。映像の隣を歩けばまるで本物のロボットと一緒にいるかのような感覚に。このコーナーではロボットの姿を見られるだけでなく、巨大ロボットの開発に使われている設計図も大きく投影すことができる。巨大ロボットたちのいわば身体の中、内側の構造を見ることができるのだ。


引用元:https://youtu.be/xD8TPaCbm54

CYBER WHEEL Xが初の常設展示に

こうしたユニークな展示の中に並ぶことになったのが株式会社RDSと株式会社ワントゥーテン、fuRoのコラボレーションで生まれたCYBER WHEEL X。車いす型のマシンに乗り、VRモニタを装着、身体を動かすことで3DCGで描かれた、東京の名所をスピードを感じて駆け抜ける体験ができる。体験は7歳以上から可能。大人も子どもも楽しみながら最新の研究に触れることができる千葉工業大学東京スカイツリータウン®キャンパスは、ソラマチの新たなスポットとなりそうだ。

千葉工業大学東京スカイツリータウン®キャンパス
入場料:無料
開館時間:10:30〜18:00(12/29〜1/1のみ11:00〜17:00)
住所:〒131-0045
東京都墨田区押上一丁目1番2号
東京スカイツリータウン®
ソラマチ8F
お問い合わせ:03-6658-5888
交通機関などのご案内:東京ソラマチ
http://www.tokyo-solamachi.jp/access/

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コラボ COLLABORATION

独占取材!車いすレーサー伊藤智也 東京パラで生んだレガシー

宮本さおり

東京パラリンピックの本番直前に突然の階級替えを言い渡された車いす陸上レーサー伊藤智也選手。これまでに伊藤選手が出場してきたクラスより障がい度の軽いクラスへの変更を余儀なくされたことを伝える会見会場では、涙を浮かべる記者もいた。あの時、語ることのなかった心境を『HERO X』だけに語ってくれた。

涙の記者会見

出場不可でも心が折れなかったワケ

2022年秋、幕張の国際展示場で行なわれた国際福祉機器展H.C.Rの会場に現れた伊藤選手はいつも通りのくったくのない笑顔を見せてくれた。「久しぶり!あれ、アンリ痩せたんと違う?」と伊藤選手が話しかけたのはRDS代表の杉原行里だった。パラリンピックに向け、二人三脚でプロジェクトを作り上げてきた二人。H.C.Rへの出展は、伊藤選手のパフォーマンスを最大化するためにつくられた車いすレーサーの開発で培った技術を変換、一般車いすユーザーの車いすづくりを劇的に変える装置として生まれた「bespo」のお披露目という目的もあった。車いすのポジショニング計測からリハビリまでを可能にした世界初の装置「bespo」。


伊藤選手のレーサー開発にあたり生まれた「bespo」はパラに挑戦したからこそ生まれたレガシー。

「パラはこれを果たすための通過地点だったから、気持ちが折れなかったんだと思うわ」

展示ブースを訪れた伊藤選手の顔は晴れ晴れとしていた。

2021年8月のパラリンピック陸上競技レース直前、まさかのニュースが流れた。「メダル候補伊藤智也が階級変更で本命種目出られず」ニュースを見た関係者は起きた事態を理解するのにしばらく動きが止まっていた。その後、25日に開かれた会見で「相当ハイレベルなショック」と漏らした伊藤選手。伊藤選手の車いすを手がけてきた杉原に不穏な連絡が入ったのはそれよりも5日早い8月20日夜のことだった。

「あの時は僕も伊藤さんも23日にもう一度クラス分け審査をすると言われていたので、大丈夫だろうくらいに考えていた」(杉原)

だからこそ、他のチーム伊藤RDSメンバーにはこの連絡を伝えなかった。そしてはじまったクラス分け審査。普通はそれほど時間のかからない審査なのだが、伊藤選手の審査には5時間という時間が費やされた。

「今までの大会でそんなことありえんかったのやけど、2回の審査ともそれくらい時間がかかった」(伊藤選手)

その後に言い渡されたのがT52への出場を認めないというものだった。それに加えて、どいうわけかT53にも出場が認められないかもしれないという。とにかく、この事態を杉原に伝えなければと、意を決してスマホを操作した。

「アンリ、もしかしたらT53にも出られへんかも……」(伊藤選手)

「そうかぁ……」(杉原)

しばらく続いた沈黙。杉原のスマホ越しに聞こえてきた伊藤選手の声は、驚くほど冷静だった。だが、杉原の受けた印象とは裏腹に、電話をきった瞬間、抑えていた感情が伊藤選手にこみ上げる。

「なんでや!」

その足で監督室を訪れた。コロナ禍での開催のため、レースの終わった選手は48時間以内に選手村を出なくてはいけないというルールがあったからだ。退村はすなわち、チーム伊藤RDSメンバーにとってのパラリンピック終了を意味している。このまま終わりにしていいのか……。チームの夢の詰まった車いすレーサーを一度もコースを走らせることなく幕引きにいていいのか……。

「T53の400メートル1本でもいいからなんとか走らせてもらえんかな」

監督室を訪れた伊藤はこう監督たちに切り出した。IPCとの交渉は骨も折れる。日本代表選手は伊藤選手だけではない。ルールはルールやからと、扉を閉められることも覚悟していた。ところが、日本チームの監督メンバーからは交渉を快諾する答えが帰ってきたのだ。

「よし分かった!とにかく交渉してみるから」(監督)

翌朝7時過ぎ、杉原のもとにLINEが入る。

「T53で走れる」

ここで初めて、杉原はマシン制作に当たったチーム伊藤RDSメンバーに状況を報告した。

「なんでT52じゃないの?」

夜、連絡を受けたメンバーが続々と杉原のもとにやってくる。杉原はことの次第を一つずつ説明した。すると、メンバーは一斉に資料を探し始めた。クラス分け審査確定後に覆ったケースはないのか、1種目でもT52に出場する道はないのかと、パソコンのキーボードを叩く。このプロジェクトに関わるまで、車いす陸上を知らなかったというメンバーもいた。しかし、伊藤選手と共に歩んだ5年間は確実にメンバーの思いを熱くし、パラ種目である車いす陸上への関心を高め、今回の決定を自分事のように悔しがり、杉原のもとに駆けつけるほどの強い思いを抱かせるまでになっていた。

「クラス分けの決定が出た時に、もしおっちゃん(伊藤選手)と2人だけだったらあそこで二人とも気持ちが破綻していたかもしれない。踏ん張れたのは、とにかく、おっちゃんを走らせてやろうと、同じ方向を向いてくれる仲間がいたからだったと思います」(杉原)

葛藤の末に出した答えの先に見えたもの

IPCへの交渉の末、T53での出場が認められた伊藤選手。ところが、レースまでの間にはさらに、心を揺さぶられる連絡が入る。T53の400m走でもう一度、審査してあげましょうという話しが出たのだ。なぜ、元々のクラスであるT52での審査ではないのかという思いはあったものの、この審査(クラシフィケーション)次第では、元々出場を予定していたT52の1500m走に出られるかもしれないということだった。

一見すると、希望の持てる話しに見えるが、事はそう簡単な話しでもない。T52クラスに戻れれば、1500mでメダルは狙える。しかし、それを可能にするためには、その前に行なわれるT53 400m走を走らなければならない。健常者の競技同様に、いや、それ以上に選手はレースに向けてのウォーミングアップが必要で、T53の400mを走るのにも体の調整は不可欠だった。

「400mを全開でいけるだけのウォーミングアップをしてしまうと、もうその夜の1500mを走れるだけの体力は残らなくなる。しかし、ウォーミングアップをほどほどにして400mに出場すれば、間違いなく記録はぐだぐだになる。どちらかを選ばなければいけなかった」(伊藤選手)

そこまでしても、元のクラスであるT52で1500m走に出られるという保障はない。再審査をしてもらえるという報告は、一瞬の光と共に、葛藤の日々をつきつけた。

伊藤選手は数日間一人で考えた末に、食堂から帰る道すがら、杉原にどちらを選ぶかを相談するため電話をかけた。

「おっちゃん、もうええやん。いくだけいっとこうや」(杉原)

パラリンピックに出場する選手たちは全員が何かしらを背負ってきている。それはT53の人達も同じ事だ。必死でレースに挑む人達を横目に、失礼な走りをしてまでもT52のメダルを狙いたくはない。二人の意見は一致した。この会話で伊藤選手の気持ちは完全に吹っ切れた。元のクラスに戻れようが戻れまいが、与えられたレースに出場し、全力で走ると腹を決めた。

レース当日、普段のレースならば後半で力を振り絞るために序盤は周りの出方の様子見的な走りをするのだが、伊藤は序盤から驚くほどのスピードで走り出した。300メートルを超える辺りですでにタイムはT52の世界記録を上回っていた。これはさすがに、最後までこのスピードは保てないはず。杉原の予想は当たっていた。
伊藤選手の脳裏にはこの時、別の思いがあった。

NHKで放送されたT53 400m走 伊藤選手の走り

「いつもならば、出走から80mくらい、だいたい26漕ぎ目くらいで一度前を確認するんですよね。それからいろいろ計算しながら漕ぎ方を考える。でもあの時はぜんぜん前も見んと、全開でいった。一秒でも長くテレビに映って、チームメンバーに恩返しせなと思った」

これだけのスピードをもってしても障がい度の軽いT53クラスではトップ集団に食い込めず、伊藤選手は予選敗退となった。記録は57秒16。この年、練習では見たこともないほど悪い記録だった。

チーム伊藤RDSのパラリンピックはこうして幕を閉じた。だが、レガシーは残っている。伊藤選手が最大限の力を発揮できる車いすレーサーを開発するため、RDSが作り上げたシーティングシュミレーターロボ「SS01」、この技術がベースとなり、全ての車いすユーザーの車いす作りの利便性を上げ、リハビリテーションの役割もこなす「bespo」が生み出された。これらは伊藤選手がRDSと共にパラリンピックでメダルを目指したからこそ生まれたものだ。

「僕らのゴールはパラじゃない。」

伊藤選手をテストレーサーとして歩むRDSの開発は終わることなくこれからも続く。

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(text: 宮本さおり)

(photo: 増元幸司)

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