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たったひとつの勝利が、彼を本物の勝負師に変えた【池田樹生:HEROS】

中村竜也 -R.G.C

今回、HERO X連載企画【パラリンピックのヒーローを発掘】にご登場いただいたのは、中京大学陸上部に所属し、400メートル部門の日本記録保持者・池田樹生選手。2016年に開催された“ジャパンパラ陸上競技大会”にて、自己ベストを2秒近く縮める「57秒40」の日本記録を叩き出し、一気にトップアスリートの仲間入りを果たした池田選手に迫るべく、様々な角度からお話を伺った。

日本記録を出した今、
池田選手が目指す場所とは?

記録を塗り替えるということは、同時に背負うものが増えるということ。だからこそ得るものも大きく、そこから来るプレッシャーに勝つためのフィジカルやメンタルの強さが要求されるのだ。そのきっかけとなった「57秒40」の世界に初めて足を踏み入れた時の感覚は、どのように感じていたのだろうか。

「この時は、他のクラスの方も一緒に走るレースだったので、1位でゴールしたのは僕ではなく、すぐにはタイムが分からなかったんです。自分の中では、自己ベストは出ただろうという手応えは持っていましたが、まさか57秒台で走っていたのには驚きました。ただ、レースプランとして、はじめから突っ込んでいこうということだけは決めていたので集中力は高かったんだと思います。

そして、日本記録保持者になったことで、今までには持ち得なかった感覚のプライドが生まれ、もっと世界で勝負がしたいという気持ちがその瞬間に芽生えたのを覚えています。もう一つは、レース用の義足を使って走る技術が向上したのも確実に感じたので、そこも自信になりました」

たったひとつの勝利が、その人を今までとは違う人間に一瞬で変えてしまう。我々には決して理解することが出来ないであろう、研ぎ澄まされた世界がそこにはあるのだ。

池田選手にとっての日本記録は、一つの通過点であるのは間違いない。ならば、さらに早く走るためにはどのような意識変革が必要だと考えているのだろうか。

「僕の場合は、右半身に障がいが偏っているので、意識して強化していかないとかなりもったいない走り方になってしまうんですね。だから、トレーニングも右を集中的に鍛えられるよう組んでいます」

コンマ何秒で競い合う厳しい世界で戦うために、日常生活の中でも心掛けなくてはいけないことが多々あるはず。

「僕は普段、中京大で健常の方々と同じ陸上部に所属しながら練習をしているんですね。そこで僕がやることは、たとえばスタートダッシュなどでも、海外の選手と走っているイメージを持って練習することが可能なのです。そう言った意味では、かなりレベルの高い練習を、少し意識を変えただけで出来たりするんです」

自らが置かれている状況や環境を俯瞰することで、今やるべきことを合理的に見出す池田選手。確かに、質の高いイメージを持った練習は、高い費用をかけて海外遠征に行くよりも、確実に身になることは想像に難しくない。様々な苦労を乗り越えてきたらこそ、たどり着いた境地なのかもしれない。

義足の開発に関わり、成し遂げた進化


自分の足の代わりをこなす義足。ましてやレース用ともなると、細かなインプレッションや感触などがとても重要になってくるのは間違いないだろう。1/100秒を争う世界なら尚更だ。

「以前は、基本的に市販で売られている義足のアライメント(角度)などを調整して使用していました。しかし今回は、自分で履く義足の開発に関わらせていただけるということでしたので、走った時に感じた違和感や、もっとこうしたいという自分の意見をしっかりと持って伝えていかないなくてはと考え方が変わりました。

現在使用しているジェネシスの義足ももちろん気に入ってはいるのですが、開発に関わるという事はもっと僕自身も義足について知らなくてはいけないので、とにかく色々な種類の義足を履き、経験値を上げたいです」



「それに今は、100mのレースも400mのレースも同じ義足で勝負しているのですが、僕自身が義足に対しての知識をしっかりと持っていれば、将来的にはレースごとに義足を履き替えるというのも夢ではないと思います。特に去年のレースで失敗してしまった経験があるので」

確かにそうだ。選択肢が増えるという事は、レースごとに変わる環境に細かく対応出来るようになる。そうする事で、ポテンシャルを最大限に引き出す一つの要素として弱点を詰められるようになるのは、記録の更新やメダルに近づくための大きな役割となっていくのは明確である。

高い壁でもある、憧れのアスリートは?

「僕が勝手に意識しているだけですけど、佐藤圭太選手です。国内トップの座をずっと守り続けている人なので、やっぱり倒さなくてはいけないと思っています。もし、僕が圭太さんを抜かすような時が来たら、お互いの刺激にもなりますし、さらに二人が切磋琢磨することで、国内のレベルを上げることができたらいいなと思っています。

やはり、義足を使って走るという経験は、絶対的に圭太さんの方が上だと思っているので、まずそこの差を埋めなくてはいけませんね。ただ健足は僕の方が優れているとデータが出ているので、競技用の義足をつけたことで、それを無駄にしないように練習を進め、結果を残していきたいです。

それと先日、アメリカのジャリッド・ウォレス選手と一緒に練習する機会がありまして、その時に “もっと一歩目から義足を蹴っていけ” とありがたいアドバイスをいただきました。陸上のスタートっていうのは、レースの中でももの凄く集中力を要す大事な場面なので、そのアドバイスを完璧に自分の物に出来るまで突き詰めていき、佐藤選手に勝ちたいです!」

最後に、我々を含め陸上競技ファンが最も気になっている「9秒台は狙っているのか」と質問をぶつけてみた。

「もちろん出してみたいです!でも、それだけではなく、パラリンピックに出場している他の選手が9秒台で走るところも見てみたいし、もっと言えば、そのレースで一緒に走っていたいなというのはありますね。世界的なレベルの上がり方を見ていても、それはもう遠い未来の話ではないと感じています」

その誠実な笑顔の奥に、アスリートの証である熱い魂を確かに感じることができた今回のインタビュー。東京2020までとは言わず、池田選手にはその先まで全力で駆け抜け続けてもらいたい。


(text: 中村竜也 -R.G.C)

(photo: 河村香奈子)

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BMX界を牽引するカリスマ田中光太郎が語るキメラゲームス

川瀬拓郎|Takuro Kawase

国内外の大会で優勝をかっさらい、日本のBMXシーンを牽引し続けてきた田中光太郎。2020でBMX競技がエントリーされ、かつてない注目が集まる今、自身のキャリアを含めたBMXの今までとこれからを語っていただいた。

見よう見まねで始めたアマチュア時代

小学生時代にぽっちゃりしていた田中少年が打ち込んでいたのは柔道だった。区大会に出場するまでの腕前になっていたが、高校一年生の頃、たまたま買いに行った自転車店で出会ったBMXが、この道に進むきっかけとなった。

「BMX競技のことも知らず、単純にかっこいい自転車だなぁと思って買っただけなんです。僕のホームタウンが板橋なんですが、池袋にBMXを乗りこなす人がいると聞きつけて、その人に会いに行きました。それから、ビデオを借りたりして、次第にハマって行きました。ある日『駒沢公園にBMXをやっているやつらがいっぱいいるよ』と言われて、行ってみたんです。BMXをやっている先輩たちを、少し離れた木の陰から見ていたら、『大会があるから見においでよ』とフライヤーを手渡されたんです。その半年後の大会に出場して、アマチュア部門で優勝することができました。頭の中でいろんな技を空想しながら、独学でBMXをやっていたことが、結果的にオリジナリティの高い技を生み出すことができたのかなと」

BMXのプロとして生計を立てるために

気がついたら池袋で1番のBMX乗りになっていたという田中氏。次第に後輩が増え、地元のコミュニティもできあがっていったそうだ。

「高校を卒業して、他の人と同じように自分も一度就職しました。社員として仕事をしながらBMXを続けていましたが、BMXを職業にできないかなと考え始めました。その時点で既に物品スポンサーがいたのですが、やっぱりお金をもらえなきゃ生活できないので、まずは実績を作らなきゃと。東京で1番、日本で1番、世界で1番になれることを目指しました。会社を辞めた後は、日本国内のほとんどの大会で優勝を獲りました。それから、フロリダとロサンゼルスの世界大会に出場して、アマチュアクラスで優勝することができました」

国内外での実績を確固たるものにすると、海外遠征の渡航費を出資してくれるスポンサーも獲得。同時に、雑誌などのメディアに出る機会を増やしながら、BMXの大会を運営することへ踏み出す。

「ライダーやファンを広げるためには、やっぱり国内に目標となる大会が存在することが大事なんです。今から20年前にKING OF GROUNDという大会を同じ気持ちの仲間たちと作りました。自分たちで大会を運営して、自分たちで優勝するっていう自作自演なんですが…(笑)。大会を続けることで、ライダーが増え、スポンサーが増え、取材メディアも増えて行ったんですね」

プロとしての厳しさと欧米との違い

プロライダーとしてはもちろん、大会の運営に携わり、自身のアパレルブランドも手がけながら、BMXの裾野を徐々に広げていった田中氏。とは言え、BMXのプロとして活動するのは一筋縄ではいかないのが現実だ。

「選手の強化を考え、KING OF GROUNDではランキングの上位20人だけしかプロとして認められないのです。毎年下から上がってきた選手が増えるので、20位以下は振り落とされてしまう。一度プロになったら、ずっとプロでいられる訳ではなく、プロに上がってからがスタートラインなんです。その成果あってか、日本のフラットランドシーンは急成長を遂げ、世界で戦えるプロライダーが数多く登場しました。しかしながら優勝することで得られる見返りは欧米とは大きく違います。アメリカのX-GAMEとフランスのFISEという二大大会があるのですが、そこで活躍する上位選手は相当な報酬を得ることができるのですが、日本ではまだまだですね」

BMX競技を大別すると、ストリート、バーチカル、ダート、フラットランドの4つがあり、田中氏が得意とするのはフラットランドだ。世界的には圧倒的にストリートが人気だが、数々の日本人が世界チャンピオンに輝いているのはフラットランドだという。

「欧米との環境の差と体格差があると思いますが、技のきれいさやていねいさが求められるという点で、フラットランドが1番日本人に合っている競技だと思っています。実際、世界ランキングの上位を日本人が占めています。この競技を広めるために、大会でも力を入れました。4メートル四方でできる技を考えて、クラブでパフォーマンスすることもありました」


裾野を広げるために続けてきたこと

こうした活動の積み重ねで、着実に選手としての知名度とBMXの認知を高めていくが、普段の練習場所を確保することが第一歩だったという。

「公園の管理人さんや周辺住民に理解してもらうこと。挨拶はもちろん、常にコミュニケーションを取り、帰るときには来たときよりもキレイに片付けることを徹底しました。見た目は不良っぽいんだけど、クリーンな競技であり、スポーツであることを相手に分からせるんです。そうして、彼らも暴走族がたむろするより、BMX乗りの方がずっといいと思ってくれるようになりました。やっぱり若い子は、トンがった部分に憧れてBMXに入ってくることが多いんです。ビール瓶を投げたり、公園を散らかしたり、警察に追い回されたり…。そんなことがかっこいいんじゃない。本当にかっこいいことは、どれだけBMXを愛しているのかだと思うから。外部の人から言われると反発するだろうけれど、僕だから言えることがあるし、僕なら聞いてくれるという自信もありました」

長年に渡ってチャンピオンとして君臨し、シーンを牽引してきた田中氏の言葉を理解して実践する後輩も増えていった。オリンピックの正式種目にもなり、ますます競技人口は増えるだろう。一方で、エクストリームスポーツ特有のアンダーグラウンド感やアウトサイダーであることにこだわるライダーも根強い。こうしたジレンマをどのように克服していったのだろう。

「もちろん説教臭くならないように話します。でも、僕と同じような立場にいる人でさえ、不良っぽいことをするのがカッコイイと思っている人がいるのは事実です。だから、“あいつは健全思考だから”とか、“あいつはイイ子ちゃん系だ”とか、“あいつは変わっちまった”とか、あれこれ言われることもあるんですよ(苦笑)。それに、オリンピック競技になったことで、BMXシーンがつまらなくなると言う人もいっぱいいる。でも僕に言わせれば、4つあるBMXの競技に新しいチャンネルがひとつ増えると考えればいい。だから、僕は歓迎しています。アンダーグラウンドなシーンも、今まで通り続いていけばいいと思う」

キメラゲームスがきっかけになれば

2020で正式種目にエントリーされたことをきっかけに、環境も次第に改善されつつあるが、メジャースポーツに比べれば競技人口や大会規模もまだ発展途上。BMXに興味を持ってもらうための第一歩についてこう語る。

「キメラゲームスというイベントの運営委員として参加しています。もともとプロのラガーマンだった文平代表が中心となって立ち上げたイベントです。海外でプロラガーマンとして戦っていたのですが、日本国内でのラグビーの認知は決して高くはなかった。その気持ちを現在のストリートカルチャーにも感じ、国内での認知や、その競技で食べていける環境を作るきっかけになればと言う気持ちからスタートしました」

エクストリームスポーツ、ストリートカルチャー、ミュージックの祭典である、キメラゲームス。入場者数を増やし続けるこのイベントの見所とは?

「まずいろんなジャンルのスポーツを一気に見ることができて、しかもその場で体験できることが最大の魅力ですね。音楽が目当てで来場したお客さんに、BMXを体験してもらって、楽しさに気付いてもらうこともできる。ただし、一発勝負なので、楽しさを伝える作業、教える人が大事になりますね。今のお父さんお母さん世代はBMXに対する認知と理解がある。だからこそ、子供たちにBMXに触れてもらう機会を広げて、底辺を広げる作業はずっと続けていくつもりです。興味を持ってもらった人を、がっちり取り込む作業は大事ですから。BMXスクールで子供たちに教える活動もそのひとつです。今後、キメラをきっかけに成長した選手が出てくれば最高ですね」

カリスマからBMX界の指導的立場へ

選手としてのピークは過ぎたと謙遜する田中氏。今や公式大会のジャッジとしても世界を飛び回り、後進を指導する重要な立場にある。

「プロスポーツの一線から退いた僕らの世代が、積み上げてきたカルチャーを下の世代に伝えること。シーンを長く見続けてきた人がやるべきことはまだまだある。2020は一つの大きな節目となることが間違いないですし、2020以降に成長するスポーツ、逆に衰退するスポーツが出てくるでしょう。でも、ブレずに今までやってきたことを続けていきたいです。内輪だけで盛り上がるのではなく、今後はBMX、スケートボード、インラインスケートなど、それぞれ違う競技や異なるシーンの人も巻き込んでいくことが重要になっていくはず。HERO Xとコラボして、車椅子でできるトリックを発明できたら面白いでしょうね」

プロBMXライダー
田中光太郎(Kotaro Tanaka)
1977年生まれ、東京都出身。国内外での大会で数々の優勝を獲得し、独自のスタイルで観客を魅了するBMXライダー。プロ選手として活動と並行しながら、アパレルブランド”fourthirty”、BMXブランド”MOTELWORKS”をプロデュース。BMXの魅力の広める伝道者であり、国内外を飛び回っている。
http://www.t430.com/

(text: 川瀬拓郎|Takuro Kawase)

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