テクノロジー TECHNOLOGY

TAKAYUKI MATSUMINE×杉江理(WHILL代表) 。気鋭のアーティストが魅せる唯一無二の世界に迫る

中村竜也 -R.G.C

雪に恵まれた岩手県雫石町に生まれたTAKAYUKI MATSUMINE氏(以下、MATSUMINE氏)。幼少期よりスキーを履き、16歳になる頃にはエクストリームスポーツとしての一面を持つフリースタイルスキーヤーとして、有り余る才能を開花させ将来を有望視されていた最中、練習中の不慮の事故により手足が動かない身体となってしまった。そして2010年。ロサンゼルス留学中に出会ったハリウッドの映画アートの世界観に出会ったことにより、アートの世界に足を踏み入れる。

アイデアとコンセプトがあれば表現の形は問わない

動かなくなった四肢以外で絵を描くためには、筆を口に咥えるという選択しかなかったMATUMINE氏は、そこからアーティストとしてのキャリアをスタート。しかし、マウスペインターという枠にとどまることのない才能は、デジタルアートにも挑戦するなどし、「Def Tech」や「JESSE」「AI」といった様々な著名人の作品を残してきた。

そんな彼だが、約1年前からポートレートアートから造形をメインとした現代アートに表現の手法を移行した。造形物をディレクションし、大勢の人と形にしていくということに力を注ぐ。その心境の変化や作品を創作し続けるモチベーションはどこから生まれたのだろうか。

「造形アートって特に設計図があるわけではなく、自分のアイデアありきで作り出さなくてはいけないので、閃めきや知恵が結構必要とされるんです。そして、その知恵が出た時が自分的に一番面白いところでもあり大切な部分。それと僕は、人を驚かせたり視覚を刺激することが大好きなので、それを含めた事がモチベーションになっています」

自らの内にあるものをより表現できる。言い換えれば、より表現しやすい手法が、造形物の創作ということなのだろう。キャンバスから飛び出すことで、彼の世界観が広がったのは間違いない。

企業との取り組みが、新境地へと導く

写真提供元:WHILL

2018年10月26日~30日の5日間にわたり、「すべての人の移動を楽しくスマートに」をミッションに、誰もが乗りたくなるパーソナルモビリティを開発・販売することで、車いすのイメージや移動のあり方といった従来のステレオタイプを変えようとしている企業、“WHILL(ウィル)”とのアートプロジェクトが取り組まれた。

WHILLの倉庫内で、「Change the Stereotypes」をコンセプトにしたアート作品を製作。言葉で言い続けるだけでは、世の中にはびこるステレオタイプを変えることは難しい。そこで必要となってくるのは、もっと先を見据えたクリエイティビティや独創性ではないかと考えた本プロジェクト。

「何かを続けていかなくては、大勢の方たちのスイッチを入れることはできないと思っています。だからこそ、誰もがびっくりするような物を作り続けることに意味があるんです。固定観念という言葉を置き去りにするほどの圧倒的な創作がそれを実現すると信じています」と語ってくれたMATSUMINE氏。作品から感じ取れるスケールの大きさは、まさにこのような考え方からなのだろう。

そして今回、このアートコラボ作品“metamorphosis”の完成を記念し実現した、WHILLの代表を務める杉江理氏とMATSUMINE氏対談の様子を少しご紹介しようと思う。

左、WHILL代表の杉江理氏。後ろに並ぶのが今回、羽根や尾翼部のイメージとして使われたパーソナルモビリティ・WHILL Model A。

杉江理(以下、杉江):今回製作いただいた作品、“metamorphosis”のコンセプトは“変態”ですよね。蝶は卵から幼虫になり、そしてさなぎから成虫へと変態していくのと同じ意味合いで、電動車いすであり、パーソナルモビリティーでもあるWHILLのModel Aが変態しメタリックなイーグルへと変わっていくという。 

杉江氏が最初に送った画像。  写真提供元:WHILL

 MATSUMINE氏:今回、WHILLとのアートコラボが決まり、杉江社長にいただいた地球の写真が、なんの障壁もないつるつるの風船のような地球を、WHILLが走り続けるものでした。そこから抱いたイメージが、丸いものをどこまでも周り続けるということだったのです。さらに自分にはどんなお手伝いができるか考えていると、その写真の中には空があることに気が付きました。と同時に、グライダーをモチーフにしたWHILLのロゴマークの形を思い浮かべ、無機体であるModel Aと、有機体であるロゴマークのイーグルを融合させメタリックな感じのイーグルを作ろうというアイデアに辿り着きました。

写真提供元:WHILL

写真提供元:WHILL

杉江氏:なるほど。しかし、変態するにもきっかけがあると思うのですが、そこはどう考えていたのですか?

MATSUMINE氏:僕は、杉江さん自身も変態していると思っていまして(笑)。昔、キックボクシングをタイでやっていたというお話も聞いたことがあるし、そう言った色んな過去が積み重なり、今のWHILLがある。そこに、僕が加わることが、刺激となり変態へのきっかけになったらいいかなと考えました。

杉江氏:今回の作品では、WHILLとMATSUMINEさんの最上級を示していると感じたのですが、実際にはどうですか?

MATSUMINE氏:空を飛ぶということが、生活基準で考えた時の移動という概念の最終形だと思っているので、まさに最上級ということです。

杉江氏:僕らも考え方として、今話してくれたように思っているところがあるので、すごくよく分かります。当事者たちは特に感じていると思いますが、例えば車いす利用者が公共の交通手段を使おうとした時に、まだまだ不便を感じる場面が多いですよね。そういうところを解消しようとしていくと、最終的には“飛ぶ”くらいのことが普通にできるようなモノ作りでないとダメだと思うんです。“飛ぶ”っていうのはある意味移動の最終形で、WHILLが進化すると、こうなるんじゃないかとも思えてくる。

MATSUMINE氏:そういうことですよね。「Change the Stereotypes」と言っていますが、ステレオタイプを感じることなんて、正直、本当にいっぱいある。変えるためには、圧倒的なモノを作っていくしかないんです。実は今回の作品を最終的に全部燃やしてしまおうかと考えているんです(笑)。今回、“metamorphosis”の製作意図には、喜怒哀楽を全て込めるというテーマが自分の中にはあります。もちろん僕自身の喜怒哀楽を表す時も、いつも車いすの上なので、そこを結びつけてのアイデアです。製作に関わってくれた方たちの想いも全て背負い、燃えてぐちゃぐちゃになったことで“metamorphosis=変態”が完成すると思うんです。

最後にさらっと語ってくれた「燃やしてしまおうかと考えているんです」は、強烈な一言だ。しかしその言葉の中には、彼の世界観が凝縮されているとも感じた。確かに綺麗な形で終わるだけがアートではない。製作者の意図や想いが完結されなくては、どんな芸術も意味をなさないからだ。

二輪の薔薇は、MATSUMINESI氏が痛めた頸椎を表現している。

作品に対し、冒険という少しの毒を盛り込むことで、アートという物語を完結へと導くMATSUMINE氏の感覚は、まさに唯一無二。今後は台湾、中国、ヨーロッパといった海外での個展も展開していく予定もあるとのことなので、 “TAKAYUKI MATSUMINE”が世界に衝撃を走らせる日も確実に近づいている。

写真提供元:WHILL

TAKAYUKI MATSUMINE
1985年生まれ、岩手県雫石町出身。幼少期から熱中したフリースタイルスキーの熱狂的な感覚と25歳から目覚めたアートの自由的表現が松嶺の中で化学反応を起こした。4歳からスキーを履き、16歳にはスポンサードされるスキーヤーとして有望視されたが、松嶺の人生は一転、転倒事故で頚椎を骨折し手足が動かない身体となる。それでも松嶺はフリースタイルスキーと同じ感覚、熱狂的に人を魅了できるステージを探し続ける。2010年、ロサンゼルス留学で探し求めたものにようやく出会う。フリースタイルスキーで自由自在にパフォーマンスをし、人を魅了する感覚にシンクしたのがハリウッドの映画アートの世界観だった。自身の身体能力への同情を松嶺は執拗に嫌う。同じステージで戦えるものがアート、さらには世界の中でオンリーワンになれると確信したのがアートの世界だった。

2012年、松嶺のアート活動が本格的にフィーチャーされ始める。日本の著名ミュージシャンやアスリートのポートレート写真に肖像の内面と松嶺の熱狂性と爆発を吹き込んで作品を生み出してきた。2015年にはRed Bull製作のセルフドキュメンタリーが発信されるなど、TAKAYUKI MATSUMINEのポートレートアートは様々なシーンに登場、注目を集めてきた。そして2016年、ポートレートアートは序章とし、リアル・オンリーワンを目指し、油絵、アクリル、デジタルとマルチメディアの中からオンリーワンのスタイルを世界中に発信すべくアート活動を再始動させた。
オフィシャルホページ:http://takayuki-m.com/

WHILL
「すべての人の移動を楽しくスマートにする」をミッションとして、車いすの概念を変える、高い機能と美しいデザインの融合を実現したパーソナルモビリティの開発・販売を行う。
2012年5月に日本で創業し、2013年4月には米国カリフォルニア州にも拠点を設立。2014年に発売した初号機WHILL Model Aは日本・北米・欧州で販売しており、2015 年度のグッドデザイン大賞など数多くのアワードを受賞した。2017年4月に発売した2号機となるWHILL Model Cは、世界的なデザイン賞であるRed Dot Design Award(ドイツ)のBest of the Best(最優秀賞)の受賞をはじめ、2017 年度のグッドデザイン賞、iF Design Award(ドイツ)など国内外のデザイン賞で入賞している。技術面も高く評価され、北米モデルであるWHILL Model CiはCES 2018でBest of Innovation Award を受賞した。
オフィシャルページ:https://whill.jp/

(text: 中村竜也 -R.G.C)

(photo: 河村香奈子)

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“脳卒中が治る”未来を描く、リハビリテーション神経科学の可能性【the innovator】後編

長谷川茂雄

慶應義塾大学理工学部でのBMI(ブレイン・マシン・インターフェース)研究を経て、“リハビリテーション神経科学”という新たなサイエンスを打ち出した牛場潤一氏。「脳の機能は、一度でも深刻なダメージを受けると回復できない」という医学界では当たり前の概念を、自ら覆そうとしている同氏は、“医”と“工”の壁を取り払い、そこを行き来することで、「脳卒中による身体の麻痺が治る未来が見えてきた」と語る。それは異端が思い描いた幻想などではない。純粋な探究心と行動力、ユニークな発想が実を結び不可能を可能にしつつあるのだ。その現状を知るべく、まるでバーが併設したアート展示空間のような牛場氏の研究室を訪ねた。

こんなに重い麻痺を治すなんてことは
“無理だよ”と笑われた

BMIの研究を始めた当初は、「そんなの無理」と周りから言われるほど闘志が湧いたという。自分は「負けず嫌いで、天邪鬼な性格」だと笑いながら分析する。

牛場氏が、“リハビリテーション神経科学”としてBMI研究を始めたのは2008年。“医”と“工”両者の視点から、脳卒中によって失われた脳機能を治療するという画期的な研究ではあったものの、当初は異質とみなされ、周囲に理解を得るのは難しかったという。

「まだ自分が若い頃に成果発表をしたときは、医学部の先生に“君の研究は、どのドクターと一緒にやっているの? そのドクターはなんて言っている?”と聞かれたり、“それは無理だよ”と笑われたりしたことも多々あります。自分の存在をなかなか見てもらえなかったんですね。そういうときに感じたのは、医学の世界で生きてこられた方々に、接してきた患者さんの数や治療実績で勝負しても勝ち目はないし、そもそも僕には医師免許すらないわけですから、同じ土俵に上がろうとしても意味がないということでした」

とはいえ、「無理」と言われるたびに、牛場氏は「やる気が出た」という。なかなか認めてはくれないものの、出入りしていた医局の方々は、“同じ釜のメシを食う仲間”という意識もあったためか、協力してくれることも多かった。それゆえ、気持ちが折れることはなかったという。

「環境には恵まれていたと思います。“牛場がそんなに言うなら”と、助け舟を出してくれた先生も大勢いらっしゃいましたので、本当に感謝しています。でもそういうことに甘えているだけではだめで、自分ならではの立ち位置で成果を出さなければ存在価値はないと認識していました。結局、テクノロジーの仕組みをどれだけロジカルに説明しても(医学界に)理解してもらえませんし、いい物、面白い物を作っても、今までよりもどれだけ優越性があるかを医学グレードでしっかり立証、実証できないと、振り向いてさえもらえませんでした」

牛場氏の考案したBMIで脳機能が回復するなどとは、当初、医者は誰一人として考えていなかったという。それでも地道に研究を続けることで、明らかな成果が出始める。それは、医学の教科書に載っている常識や正解だけを追っているだけでは、得られないものだった。

慢性期の脳卒中患者でも
10日ほどの訓練で指が動く

「僕たちが作っているBMIは、ヘッドホン型の電極を脳卒中患者さんの頭に取り付けるシンプルなものです。例えば右の脳に損傷があって左手が麻痺している患者さんの場合、右の脳の運動野と呼ばれる部位が活性化したときにだけロボットのスイッチが入って、手の動きをサポートします。本人が手を動かそうと思っても、運動野の興奮性が上がらなければロボットは動きません。ですので、BMIを操作しようと試行錯誤を繰り返すことで、患者さんは、どういうやりかたがもっとも上手な脳の使い方なのかを学習していくのです」

そんなウェアラブルで取り付けも簡単なBMIで、なんと脳卒中を発症して1年以上経過した慢性期の患者であっても、10日ほど訓練すれば、指を開いたり閉じたり、物をつかんだりできるようになるケースがあるという。

筋肉に全く反応のなかった患者でも、BMIでの訓練を経れば明らかな反応が現れる。

そして筋肉が自分の意思で反応するようになったら、今度は頭の電極を外して、筋肉の反応を読み取るグローブ型のデバイスに移行する。それを装着して日常生活を送れば、3週間もすればデバイスを完全に外しても指が動かせるようになるのだ。

グローブ型の運動補助デバイスは、日常生活で使うこと自体が脳のトレーニングになる。

「脳卒中で脳が損傷した生身の状態でやみくもに訓練をしても、脳にとっては手がかりがなさすぎて機能を回復することはできません。でも、我々のBMIは、治療対象となる脳領域が活性化したときだけ運動をアシストして、脳に“いまのはよかったよ”と成功報酬を与えるので、脳内に新しい神経回路を獲得していけるのです。これは生物学的な治癒能力を引き出してあげるデバイスですから、実際に頭部に電極を埋め込んで、サイボーグ的に動かすことを目的としたBMIとは、似て非なるものだといえます」

脳の適応機能やキャパシティは
生物学的にまだまだ引き出せる

牛場氏が監修したパナソニック製のBMI。実にシンプルで見た目もスタイリッシュだ。

研究、開発を初めてから今年で10年。現在、牛場研究室で生まれた技術は、大手メーカーであるパナソニック社の全面協力のもと、製品版プロトタイプの完成段階まで進んでいる。同時に関東の4つの病院では、40症例規模の治験も進めていて、承認審査機関へ提出するための正式なデータを収集中だ。

これらの成果と実績から考えれば、牛場流BMIの実用は、そう遠くない未来に多方面で実現するに違いない。さらに、こういった実用的な研究と平行して進めている基礎研究の結果から、牛場氏は脳にはまだまだ無限の可能性があると日々感じているという。それを引き出すことにも大いなるロマンがある。

「研究室では、複数の方に参加していただき、ある脳波が出たら、コンピューター画面のなかの猿の尻尾を模したCGが動くという、ユニークなBMIの実験もしています。そうすると、各々が最初はお尻を振るイメージだとか、バットを振るイメージだとか、思い思いのイメージをすることで、四苦八苦しながら尻尾を動かそうとするのですが、そのうち上手に操れるようになります。3日もするとまるで手足のように自由に、しかも言葉にできない直感的な感覚で尻尾を動かせるようになる人もいます。人間に尻尾はありませんから、こうした適応過程は脳というものの柔軟性を如実に表していると言えます。普段、脳のパフォーマンスは体の構造や周囲の環境に制限されているのですが、BMIを使ってそれらを取り払えば、脳はもっと自由に機能を生み出せるのだと思います。脳には、まだまだ多くの生物学的な能力が秘められていると思います」

研究室ではこちらの大きなモニターに映る尻尾を、BMIで動かすという実験も行っている。それにより脳のまた違った能力が確認できるという。

神経機能を治すためのデバイスを
処方する時代へと突入した

研究室では、授業やゼミのほか、夏休みには高校生向けのワークショップなども開催している。遠方からの参加者も多いという。

体という入れ物の制限を取り払えば、脳のパフォーマンスレベルが広がる。同様に医療もまた、牛場氏のようにという区別や制限を取り払うことで、可能性はもっと広げられるのかもしれない。

「これまでは、神経系の病気は、診断することはできても治すことはできませんでした。でも、もはや脳の情報を分析する情報技術(インフォマティクス)や、ロボティクス、そして我々のBMIのようなテクノロジーは、十分脳神経への治療性が認められていますし、どこに効くかもわかってきています。神経の活動を整えるために化学物質(薬)を飲む、脳の傷を治すためにウィルスや細胞を注射するといった方法論に次いで、外的、物理的な技術の処方が神経治療の第三のウェーブになりつつあるのです」

患者の状態に合わせて適切なデバイスを段階的に処方していくことで、治療の効果はもっと上げられる。複数のデバイスをどう組み合わせて活用するのか? 研究や開発はもちろん、テクノロジーの用法、用量を適切に処方するためのしくみを考えることがリハビリテーション神経科学の役目になってくるのだ。

「いろいろな治療をベストミックスさせることで、今まで治せないとされてきた脳神経系の疾患に対してアプローチして、患者さんが豊かに生活できるようにする。そういう医療を理工学部から作りたいんです。“神経の病気は診断ができるけど治らないなんて、だいぶ昔の話だよね”。そんなふうに言われる未来の当たり前を作りたいと思っています」

前編はこちら

牛場潤一(うしば・じゅんいち)
1978年、東京生まれ。慶應義塾大学理工学部生命情報学科准教授。2004年に博士(工学)を取得し、同年から慶應義塾大学理工学部生命情報学科に助手としてキャリアをスタートさせる。専門は、リハビリテーション神経科学。2008年よりBMI研究を開始し、理工学部からの新たな神経医療の創造を目指している。芸術や音楽への造詣も深く、学生時代はファンクバンドやジャズバンドでトランペットを担当していた。祖父は、慶應義塾大学医学部第8代医学部長の牛場大蔵氏、父は、應義塾大学名誉教授でフランス文学者の牛場暁夫氏。
http://www.brain.bio.keio.ac.jp/

(text: 長谷川茂雄)

(photo: 河村香奈子)

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