スポーツ SPORTS

スポーツの民主主義化。センシングテクノロジーで日本はどう変われるか

宮本さおり

アマチュアボクシング、レスリング、ラグビー、チアリーディング・・・スポーツ界におけるパワハラ問題が世間を賑わせている。しかも、一つの競技だけではなく、複数で。メディアの報道を見るに、その多くは選手と監督、コーチの間での指導の因習が原因として上がっている。“スポ根”的な発想の指導が因習を引きずっているのは否めない。こうした部分に一石を投じてくれるものがある。その一つが、スポーツセンシング。早くからスポーツセンシングの重要性を説いてきた龍谷大学スポーツサイエンスコース教授の長谷川裕氏。センシング技術の発達で、日本のスポーツ界はどのように変わるのだろうか。

内発的な動機よりも、外発的な動機により動くことが多い日本人。スポーツの世界でも同じ現象が起きている。世界のトップアスリートチームが次々とスポーツセンシング技術を取り入れる中、「日本は一歩遅れをとっていた」というのが長谷川教授の見立てである。世界のメーカーは次々とスポーツパフォーマンスを計測する機器を開発、ヨーロッパやオセアニア地方ではいち早く導入が進んだ。ところが、日本の場合は数年遅れで導入がはじまったというのだ。

日本で変化が現れたのは、諸外国がものすごく進んできた結果です。このままではダメだとやっと気が付いた。スポーツが国際化していく中、そこで勝つための手段を考え始めた時、諸外国が何をしているのかを見はじめたのです。世界では、分析、データの活用といったセンシングを用いた指導法が加速度的に進み、結果を出すようになっていました。ここへきてようやくスポーツセンシングに目が向けられるようになったのです。」

随分と前からすでに、スポーツセンシングを使った指導法についての認識はあったという日本。ところが、「スポーツ」という村社会の中では、浸透にまでは至らなかった。

「全ての選手データは監督の頭の中に入っているんだというのが、これまでのやり方だった。たとえ選手やコーチが違う意見を持っていたとしても、コーチはヘッドコーチのいうことに頭があがらない、もちろん選手はもっとあがらない。心の中では監督と自分の意見が違うという気持ちがあっても、選手は決してそれを口に出しませんでした。つまり、スポーツの世界の民主主義化が遅れていたんです。センシング技術を使えば、客観的なデータが取れます。例えば、サッカーで『お前らぜんぜんシュートを打てていないじゃないか』と、監督から言われたとします。選手たちの中では『おれたち今日打ってるよね。俺2本打った』『俺も3本打ったよ』となっていたとしても、監督から「打てていない」と言われれば、選手は「はい」と答えるしかなかった。しかし、データがあるとどうでしょうか。『いつもは前半で10本はシュート打っているのに、今日は3本だぞ』と、事実に基づいた話し合いができます」。

スポーツセンシングの技術は、日本でも近年、Jリーグをはじめとする一部のプロスポーツなどで活用がはじまっている。スポーツに計測という技術と視点が入ることで、監督、コーチ、選手がお互いに民主的且つ建設的な話し合いを進められ、エビデンスに基づいた効果的なトレーニングを行なえるようになりはじめた。

バーベルの右端にとりつけた黒いベルトはカナダPUSH Inc製のPUSH2.0、バーベルを持ち上げるスピードを計測する。これにより、選手のトレーニング時のパワーを知ることができる。写真のように、出てきた計測データを見ながらのトレーニングも可能だ。

一歩ごとのステップを1000 Hzの精度で捉え、一定のスピードの歩行や走行での生理学的計測を行なうトレッドミルはこれ一台で心拍数などバイオメカニカルのデータも取得できる。

感覚だけの指導はなくなる

長谷川教授が指導した学生の卒業論文では、テニスにおける面白い結果がデータとして現れた。試合中に選手がコート内をどのくらい走っているかを計測したところ、上位グループより下位グループの方が、コート内でたくさん走っていることが分かったのだ。

「つまり、走り込みや体力が足らないからうまくないのではなく、ショットの打ち込む位置、テクニックの問題だということが分かったのです。昔はよく、負けたから走り込みだなんて指導がされていたと思うのですが、走る体力がないわけでなない。データを基にすれば、指導の仕方は自然と変わるはずです」。

一分一秒を競う分野では、より細かな世界のせめぎ合いだ。

「スポーツが高度化すると感覚では分からないところが出てくる。リオオリンピックで男子リレーが銀メダルをとりましたが、2位と3位の差は0.06秒でした。水泳は以前、前日に爪を切ったかどうかでタイムが変わるとまで言われてました。金、銀を狙うという人たちはそこを生きています。また、サッカーやラグビーなどは、こうした瞬間が何度もやってくる。こうなると、感覚だけではとらえきれないところになります。トップ同士のぶつかり合いはとくにそれが顕著」だと教えてくれた。

また、「スポーツ分野で大学に進む場合、高校では文系のコースからも受験できますが、データも使った指導法を専門的に学ぶとなると、例えば実際に発揮した筋力の力の大きさを力学的に知るために、物理がどうしても必要になります」。

課題は指導者の人材の不足

「トレーニングの現場では、“〇キログラムを〇回持ち上げる”といった指標しかもたず、トレーニング効果は見えにくかった」と話す長谷川教授。

「近年のICTの進歩は目覚ましいもので、センサー技術とコミュニケーションテクノロジーが急激に進化しました」と長谷川教授。しかし、センシング技術を導入しても、まだ足りない部分があると言われる。センシング技術の活用には、データを読み取り、的確に指導できるだけの力量が指導者側に必要となるからだ。

「日本の場合、指導者の資格や資質などはあまり重要視されてきませんでした。学校の教師は一定の学びをして、資格を取らないと教師になれない。ところが、スポーツの指導者は「俺はコーチだ」と言えば、だれでもなれる状態でした。最大酸素摂取量がどのくらいが良い状態かなど、運動に深くかかわる基本的なデータや科学を知らなくても、指導者を名乗ることができていました。運動科学の基礎を曲がりなりにも学んでいる人ならば、動きを計測して、データを取り、トレーニングに活かそうという方向に頭が働くのですが、日本の場合はこの部分についての認識を持つのが遅かったのだと思います。センシングの装置は海外製のものなど、現場が使いやすい物が増えてきました。これからは、そういったものを使って的確に指導できる人を育てる必要があると感じています」。

スポーツセンシングを日本に根づかせるため、長谷川教授は価格帯的にも導入しやすい海外製のスポーツセンシング機器を販売する会社を自身で立ち上げた。「日本の大企業は宇宙開発くらいスケールの大きなことを考えていますから、海外製品とのコラボや導入はしたがりません。うちは早いですよ。すぐにメールやSNSでコンタクトを取り、取扱い契約を結びますから」。指導者の育成、機器の日本への紹介に奮闘する長谷川教授、選手を支える技術と、良質な指導者が日本中に広がる日は近い。

長谷川裕
筑波大学体育専門学群卒業、広島大学大学院教育学研究科博士課程前期修了。現在、龍谷大学経営学部スポーツサイエンスコース教授。エスアンドシー株式会社代表。NPO法人日本トレーニング指導者協会(JATI)理事長、一般社団法人スポーツパフォーマンス分析協会(IPAS)代表理事も務め、スポーツセンシング技術を用いた指導法などを広める働きを担っている。

(text: 宮本さおり)

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最前線へ再び。最強マシンと共に帰ってきた、陸上クイーン中尾有沙【HEROS】

朝倉奈緒

九州・熊本市から本州・渋谷区へ。都内の小学校で、競技用車いす(レーサー)の体験授業を行うため3輪の車体が特徴的なレーサーを飛行機で3台も運んで来たという中尾有沙さん。三段跳び日本女子トップの記録を持つ彼女がレーサーに乗り始めて1年と少し。既に昨年6月に開催された日本パラ陸上選手権女子100メートル種目で2位という好成績をあげた陸上競技のクィーンに、東京2020への意気込みを聞いた。

恩師、そしてレーサーとの幸運な出会い

中尾さんが三段跳びで日本一となったのは、2015年6月。そこから2年後には、車いす陸上の世界で活躍する彼女の姿が見られることになる。2016年1月、トレーニング中の怪我により脊髄損傷をきたし入院したが、退院後、翌月にはレーサーに乗るために体作りのトレーニングを開始したという中尾さん。約3ヶ月間、リハビリと共に上半身を重点的に鍛え、良きタイミングで自分専用のレーサーを提供されるという幸運に恵まれ、驚くべき早さで再びスポーツの舞台へと復帰を遂げた。中尾さんが本格的にレーサーに乗り始めたのは2016年11月と、わずか1年弱のことである。

「大変ありがたいことに、日本の車いすマラソン第一人者である山本行文さんが色々と呼びかけてくださり、本田技術研究所が八千代工業、ホンダR&D太陽と共同で開発したレーサーのスタンダードモデル『挑<IDOMI>』を提供してくださることになったんです。」

中尾さんが使用している「挑」は、怪我をして間もないということもあり、お尻の幅が広い中尾さんの身体にピッタリと合わせてある。中尾さんのレーサーは、「日本人が世界で戦うためには、基礎のフォームをしっかりと身につけなければいけない。そのためには、自分の体に合ったレーサーが最低限必要だ」という山本氏の考えのもと、お母様と山本氏の3人で埼玉県狭山市の八千代工業まで足を運び、中尾さんにフィットするよう一から作ってもらったものだ。

山本さんにも会えず、こんな素晴らしいレーサーをご提供いただく機会に恵まれなければ、私は今ごろまだスポーツの世界に復帰できていたかわかりません」

中尾さんと山本行文氏との出会いは、脊髄損傷受傷後の入院中。ある日突然、病室を訪ねてきてくれたという。山本氏は、同じ脊髄損傷を負ったという経験もあり、生活面で困ったことがあったらサポートする姿勢で接してくれていたのだが、「もしまたスポーツがしたくなったら、車いす陸上がありますよ」と、強いるのではなく、あくまでソフトにスポーツについても誘ってくれたのだそうだ。ちょうどまた競技に復帰したいと思っていたタイミングだった中尾さんはすぐに返事をし、退院後から山本氏の元で指導を受けている。

「やっぱり最前線の場所で戦いたい!」
変わらぬアスリートスピリット

今は週に2回、先生の自宅で20種目ほどのウエイトトレーニングを行い、週に6回は外でレーサーに乗り、走ったり、室内でルームランニングをしてフォームの確認をする。そして週に1日は休みをとるというペースだ。

もともと三段跳びの選手だったこともあり、スクワットなど下半身のトレーニングを集中的に行い、上半身を使うのは苦手だったという中尾さん。「腕立て伏せは慣れていないのもあって、顔とか心臓に近いからなのか、とてもきつく感じてしまうんですよね。上半身がだるい状態が続いて、『本当にやっていけるのかな』と心配になったこともありますが、この1年で試合に出て速く走ることができたり、勝ったり負けたりすると『もっと頑張らなきゃ』という気持ちが強くなって、この疲労感さえも心地よく感じられるようになりました」

以前はどちらかというと華奢な印象だった中尾さんだが、今は腕や胸にしっかりと筋肉がつき、がっしりともいえる体格で、この1年のトレーニング成果が目に見える。

「レーサーに乗るときは前にかがんだ状態で首を上げるという体勢なので、首・肩から背筋にかけてがきついのですが、このあたりも以前よりだいぶ強くなっていると思います。パラスポーツは残った筋肉をいかに最大限活かすかが何より大事なんですよね。私の障がいクラスは腹筋が使える人たちなのですが、私はまだ8割くらい腹筋が残っているし、そこを最大に使わないと不利になってしまう。使える上半身全てをフル活用する工夫をしています」

車いす陸上のランナーとしてたった1年でここまで自身を向上させた中尾さんだが、東京2020まで残りわずか2年半という短期間で、どこまで目標に追いつけるか。

「この競技については初心者、ゼロからのスタートです。オリンピックを目指すのと同じようにパラリンピックに出場するのはとても難しいことだと重々承知しているので、簡単には口にできず一年過ごしてきました。でも、何度か試合に出て、かっこいい選手も間近でたくさん見て、やはり私も日本を代表する選手になりたいと切実に思うようになりました。せっかく2020年、東京でパラリンピックが開催されるこのチャンスに、できる限りのことをして出場するなり、できなくて悔しい思いをするなり、最前線のところで戦いたいです」

レーサーを扱うことは初心者でも、陸上競技選手としてのキャリアは築かれている。今まで積み重ねてきたアスリート精神は、競技を一新し、さらに磨きがかかったようだ。

「怪我をしたときに、身近な人たちにすごく支えてもらったんです。三段跳びを一緒にやってきた選手や、これまでに出会ってきた沢山の人たちがこの期間、とても親身になって心配してくれて。その人たちに、私がまた車いす陸上という新しい競技で頑張る姿を見せたい。それでみんなも元気になってくれたらもっと嬉しいですね」

きっと、今後中尾さんの姿を見て元気づけられる人は彼女の周りだけでなく、不特定多数に増えていくことだろう。

個性豊かな選手あっての、
パラスポーツの面白さ

「パラスポーツって中に入ってみると、思っていたイメージと全然違っていて。みんなそれぞれがパラリンピックを目指すアスリートとして真剣で、強い選手でも全然怖くなくて(笑)、気さくに色々と教えてくれるし、でも走るときにはキリッとかっこよくなる。そういう選手の姿を見るだけでも勇気づけられると思うので、ぜひ色々な人たちに観に来てほしいです。あと競技だけでなく、普段の生活から選手に注目して見ていると、もっともっとパラスポーツが面白くなると思います。」

パラアスリートには、それぞれの個性に合わせて競技への工夫や、各々の取り組み方がある。千差万別で多種多様。他のスポーツにはない楽しみ方があるというのは、パラスポーツの醍醐味だ。

自宅でマルチーズとチワワのミックス犬、キジシロの猫を飼っており、二匹と共にいる時間が、最高の癒しだという中尾さん。犬や猫に匹敵する愛らしい笑顔で周囲を癒す元三段跳びクィーンは、立ち止まることなく、レーサーという新たな仲間を携えて、東京2020、またその先へと走り続ける。

「もともとまっすぐ飛んだり走ったりすることは得意なんですけど、何かを扱ったり、道具を使うことはあまり得意ではないんです。なので、とっても良いレーサーに乗っているのですが、自分が追いつかないとその力も発揮できない。それが今後の課題かな。」

彼女ならすぐにレーサーをも味方にして、先を走る選手との距離も縮めるはず。東京2020でのレースをより楽しむために、今後の彼女の活動を様々な角度から注目していきたい。

中尾有沙
熊本県南阿蘇村出身 1987年10月 13 日生まれ(30)
2014年~ 株式会社祐和會 入社
レイクサイドクラブインストラクター あそりく指導者 ゆ~かむインストラクター
2016年~ けがにより休職
2017年8月 職場復帰 勤務先「四季の里旭志」
<競技成績> 自己ベスト 走幅跳 6m04cm(熊本県記録) 三段跳 13m09cm(熊本県記録)
T54(切断・機能障害車いす)クラス、100m 19 秒 60
第 99 回日本陸上競技選手権大会三段跳優勝
熊本県陸上競技選手権大会 三段跳 10 連覇、走幅跳 9 連覇
第 28 回日本パラ陸上競技選手権大会 2 位
2017 ジャパンパラ陸上競技大会 3 位 第 17 回全国障害者スポーツ大会 優勝

(text: 朝倉奈緒)

(photo: 河村香奈子)

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