スポーツ SPORTS

5つのメダルを持つ義足のサイクリストが、東京2020の先に見つめるものとは?【藤田征樹:HEROS】後編

長谷川茂雄

パラリンピックでは、初出場した北京大会で日本の義足のアスリートとして初めてメダルを獲得し、以降、ロンドン、リオデジャネイロの3大会連続でメダルを獲得。加えて、世界選手権でも2度優勝という輝かしい実績を積み上げてきた藤田征樹選手(日立建機)は、もはや多くのスポーツファンや自転車競技者にとってのヒーローと言っても過言ではない。とはいえ本人は、まだ競技者として発展途上だと言い切る。自転車と義足を自在に操るサイクリストとして、まだまだ満足の領域には達していないのだ。そんな藤田選手にとって「東京2020」とはどんな意味を持つのか? そしてその先にあるものとは? 広大な日立建機の茨城・土浦工場の一角で、率直な思いを語っていただいた。

装具士と作り上げた完璧なフィット感

確かにいくら自力があっても、それが効率よく自転車に伝わらなければ意味がない。しかも藤田選手の場合は、自分と自転車のみならず、義足の存在もある。自分の力を、義足を通してペダルに伝え自在にコントロールする。考えただけでも超人的なスキルだが、それをどう効率的に行うかを模索しているのだ。

「義足に関しては、フィッティングは完璧に仕上げてあります。お世話になっている装具士さんが、僕の感覚や義足の特徴を知り尽くして作ってくれているので。もちろん、トレーニングによって自分の筋肉量が増えたときには、若干の変更が必要になりますが、今はまったく問題がありません。義足は、日々使うものも競技用のものもそうですが、一番大事なのはフィット感。痛みが無く使えるかどうかです。その装具士さんとは、もう10年以上のお付き合いになります。義肢装具士になりたての新人の頃から、僕の日常用の義足作りに関わっていただいて以来、ずっとお世話になっています。それから、競技用も作っていただくようになって。僕は両足義足なので二本必要ですし、細かい注文が多いと思うので、ものすごく大変なはずです(笑)」

こちらは5代目となる最新の競技用義足。フィット感や扱いやすさはこれまでで最高の仕上がりだという。現在の藤田選手にとっての完成形だ。

藤田選手が輝かしい成績を残してきたその影には、高い技術を持った装具士さんの存在があったのだ。そのパートナーとともに、どうしたら速く自転車を走らせることができるかを追求し、試行錯誤を繰り返し、理想の義足を作り上げてきた。レベルが上がれば上がるほど、求めるものは高くなり、調整もミリ単位になっていったという。

「競技用義足に求めるのは、一番は漕ぎやすさです。シッティング(座り漕ぎ)はもちろんスタンディング(立ち漕ぎ)のしやすさがスピードにつながります。今使っている競技用義足は、リオ開催の年の春に完成させました。以前のものと比べても、ペダリングなど自転車の上での動作がしやすく、一段とアップデートした義足になりました。この義足は5代目で、4代目まで築いてきた“秘伝のタレ”のようなノウハウをさらに分析して、ミリ単位の微調整を行って作り上げました。その結果、より扱いやすい義足になったんです」

仕事もトレーニングも
こなすことにアドバンテージがある

自転車の漕ぎ方は100人いれば100通りあるという。義足の形は人によって異なるが、“秘伝のタレ”と藤田選手がいうように、自転車に乗りペダルを漕ぐ際に藤田選手だけにフィットする理想の義足は、現時点で完成している。これからは、さらにそれを突き詰めて揺るぎないものにしていく。

「装具士さんとはこれまでたくさん話をして義足を作ってきました。常に真剣に向き合って素晴らしい義足を作り上げる職人です。リオ用の一つ前の義足もすごく良い仕上がりで、それを使って世界チャンピオンのタイトルも取れました。全幅の信頼を置いて義足づくりをお願いしています。ただ、競技用義足も完全に完成しきったわけではなく、もしかしたらまだ僕の能力に蓋をしているような未解決の部分があるかもしれない。そういう部分を見つけてどう解決するか、そして、もっと良い義足が作れるのかどうか、それを今後も追求していきたいですね」

自らの能力とそれを確実に自転車に伝える義足。それがさらに理想的な形になったとき、藤田選手の求めている走りができるのかもしれない。とはいえ、藤田選手は、日々練習をしているだけではない。平日はエンジニアとして働いている。もちろん残業もするし、他県へ講演に出かけることもしばしば。取材の依頼も多い。それらをこなしながら世界で戦う準備をするのは、単純に大変ではないのだろうか?

「競技者としてレベルを上げることはとても大切ですが、それだけがすべてではないと思います。二足のわらじを履くことがベストの選択かはわかりませんが、少なくとも競技者としてそのやり方で高い結果を得てきた自負はありますし、その一つの例だと思っています。エンジニアとして仕事に携わることで得られる考え方や能力は、競技だけに集中していては得られませんし、僕にとって競技活動を行う上でのアドバンテージになっています」

世界で結果を残してきた藤田選手は、会社でもベテラン社員として確固たるポジションを担っている。周囲がとやかくいわずとも、「東京2020」に照準を合わせ、仕事もトレーニングも毎日やるべきことをやっている。あとは結果を出すのみだ。では、東京大会のその先は、どんな未来を思い描いているだろうか?

「まずは東京パラリンピックへの出場と、そこで優勝することが目標です。そのために、自信を持ってスタート台に立てるようにしっかり準備をしていきたいです。今はパラの大会だけではなく、多くの健常者のレースに出場しています。自分より強い実力者がたくさんいますし、その環境で競い合えば自分自身の実力も高まると思います。そして、そうすることが何より楽しいです。これからも健常者の全日本選手権への出場もめざしていきたいですね。強いパラアスリートではなく、強い自転車選手になること。これが一番のモチベーションです」

藤田征樹(ふじた・まさき)
1985年、北海道生まれ。大学進学後はトライアスロン部に所属。2004年に事故で両下脚を損傷し、切断。2006年には、義足を着けてトライアスロン大会への出場を果たし、2007年より本格的に自転車競技のトレーニングを開始する。同年世界選手権で2位(1㎞TT:LC3)。2008年北京パラリンピックより、3大会連続で出場し、そのすべてでメダルを獲得(北京: 銀[1㎞TT:LC3-4、3㎞個人追抜:LC3]、銅[ロードTT:LC3]、ロンドン:銅[ロードTT:C3]、リオデジャネイロ:銀[ロードTT:C3])。日本人初の義足のパラリンピック・メダリストとしても脚光を浴びる。2009年(1㎞TT:LC3)、2015年(ロードレース:C3)の世界選手権では金メダルに輝いている。日立建機株式会社勤務、チームチェブロ所属。
※TT=タイムトライアルの略。

前編はこちら

(text: 長谷川茂雄)

(photo: 壬生マリコ)

  • Facebookでシェアする
  • LINEで送る

RECOMMEND あなたへのおすすめ

スポーツ SPORTS

「あの車いす、かっこいい!」車椅子バスケ元日本代表キャプテンが信じる、パラスポーツの力

朝倉 奈緒

2000年シドニーパラリンピック男子車椅子バスケットボール元日本代表チームキャプテンの根木慎志さん。現在は現役を引退されていますが、アスリートネットワーク副理事長、日本パラリンピック委員会運営委員、日本パラリンピアンズ協会副会長を務めるなど、パラスポーツを中心としたスポーツ全般の普及活動をされています。日々忙しく全国を巡る根木さんをキャッチし、そのご活躍ぶりを伺いました。

スポーツ全てに価値がある。車いすバスケを通じて、もっとパラスポーツの楽しさを知ってもらいたい

根木さんは現役時代から今まで、全国各地の小中高などの学校に訪問し、体験授業を行う活動を25年以上続けています。年間約100校の生徒たちに出会い、車椅子バスケを通してスポーツの面白さや楽しさを伝え、「友達づくり」をしているのです。18歳のとき怪我をし、約1年半入院。退院後、20歳で車椅子バスケと出会います。一般企業に勤めながら、講演活動をスタート。最初の講演は23歳、母校中学の恩師に依頼され、障がい者への理解を深めるために「車いす生活がどれくらい大変か」を生徒に話すというものでした。怪我をして間もない時期だったこともあり、「辛い思いを人に話したくない」と、最初は断ったといいます。それでも「社会にとって意義のあることだから」と説得され、講演会を実施。「その講演を聞いて、生徒たちは“根木さんかわいそう”と泣きながら言うんです。けれど僕は、その頃車椅子バスケがめちゃくちゃ面白ろかった。大変さを語るのは障がい者理解のひとつではあるけれど、それは僕のやり方ではないと思ったんです。」

その後、独自スタイルの講演が評判となり、他の学校からも講演会の依頼が殺到。あるとき、いつもの話をしたあと、たまたま車に積んでいた競技用の車いすを持ち込み、「今日はちょっと特別なものを見てほしい」と、車椅子バスケを生徒の前で披露しました。すると泣いていた生徒たちが「すごい!」「根木さんかっこいい!」と驚嘆の声をあげました。さらには「根木さんみたいに車いすに乗りたい!」と言う子までいたそうです。そのとき、「僕のやることはこれだ」と確信。「パラスポーツの可能性を世の中に広めたい。自分にしかできないことをやりたい」と決心し、会社を退職。以後、パラスポーツに関する活動に注力されています。

「スポーツが大好きだったから、怪我をしたとき、“もうスポーツができへん“って絶望的な気持ちになった。でも、もしあのときパラスポーツの存在を知っていたら、そんな気持ちにならずに“パラリンピックを目指せる“ってワクワクしたかもしれない。スポーツ全てに価値があるし、みんなにももっと色々なスポーツがあることを知ってもらいたい。」

実は、「バスケは嫌いだった。」そんな根木さんにとって今や“車椅子バスケ”はどのような存在なのでしょうか。

「車椅子バスケは面白いし、なんてったって車いすに乗った時点でみんな条件がほぼ一緒になる。健常者も足に障害がある人も、背が高くても低くても、コート上ではみんな同じ。みんなが楽しめるスポーツだから、車椅子バスケをしている僕みたいな人を見て“かっこいい!“って興味を持ってもらえたら、それがパラスポーツのメッセージとなって広がっていく。車椅子バスケが、そういうきっかけになってくれることを目指しているんですよ。」

当時、根木さんを見て「かっこいい!」と絶賛した生徒が車椅子バスケの日本代表選手として活躍していたり、小学校の教師になったことで、根木さんに体験授業を!と招いてくれるそうです。

「バスケやスポーツを介すことで、誰とでも友達なれる。例えば隣にいる君は性格も顔も形も全然違うけど、友達になればその違いも認め合える。違いを認め合えれば、みんなが素敵に輝けるわけじゃないですか。パラスポーツからそういうことを伝えたいんです。」

ひとりのパラアスリートの存在が、社会に与える影響力の大きさ

根木さんの逞しさを表すこんなエピソードがあります。世界最高峰のストリート・バスケットボール・イベント、「AND1 MIXTAPE TOUR 」 の“TEAM JAPAN”を選抜する大阪大会に出場したときのこと。根木さんは車椅子バスケ選手としてひとりで挑み、他の選手を圧倒。最初は車いすで爆走する根木さんを前に、他の選手は怯んでいましたが、あまりの機敏な動きに次第に本気になっていき、最後にはチーム最強と思われる相手チームの選手とヘルドボールに。二人とも地面に倒れこみましたが、それでも根木さんはボールを離さず、結果的には会場全体を味方にしてミドルシュートを決めます。この瞬間、コートを囲っていたみんなが号泣し、根木さんに拍手が沸き起こりました。この話は今や伝説となっているといいますが、この感動は根木さんにしか与えられないものだし、この場にいた人の車いす利用者に対する印象はがらりと変わり、生涯記憶に残る出来事となったでしょう。

写真提供:根木慎志

「車いすの人を見たら“大変そうだから助けてあげなくちゃ”っていう視点ももちろん大事だけど、僕は“あの車いすかっこいい”、”車いすの人ってかっこいい”って思われる社会にしたい。だってみんなかっこいいスニーカー履きたいし、人が履いてるの見たらそう思うでしょ。それと同じなんですよ、車いすだって。」

根木さんは文句なくかっこいい。それは車いすを堂々かつ颯爽と乗っているし、車椅子バスケを心から楽しみ、その楽しさを色んな人に知ってほしいと行動しているから。

「みんなが素敵に輝ける社会をつくりたい」と根木さんの言うように、誰にでもかっこよくなれる瞬間があるのです。そういった伝道師の存在により、本当に理想とする社会が実現できる気がしてなりません。さらには、根木さんさえも圧倒するくらいパワフルな次世代の選手が育ち、東京2020以降、大きな波が去ったあとも”友達の輪”が益々拡大することを強く願います。

(text: 朝倉 奈緒)

(photo: 大濱 健太郎 / 井上 塁)

  • Facebookでシェアする
  • LINEで送る

PICK UP 注目記事

CATEGORY カテゴリー