対談 CONVERSATION

北京の金メダリスト伊藤智也。東京2020へ、現役復帰宣言!

岸 由利子 | Yuriko Kishi

北京パラリンピックで金メダル、ロンドンパラリンピックで銀メダルを獲得。800m T52では、世界記録を樹立するなど、輝かしい功績を上げてきた車椅子陸上アスリートの伊藤智也さん。悔しくも、ロンドンパラリンピック閉幕と共に、選手生活を引退し、約4年間の沈黙を守っていましたが、54歳の誕生日を迎える今夏、新たな決意を固めたのだそうです。新境地を探るべく、埼玉県東松山市にある東松山陸上競技場で練習中の伊藤選手に、お話を伺ってきました。


メディア初披露。「伊藤智也、57歳。東京2020で復帰します!」

伊藤智也選手とHERO X編集長の杉原行里(あんり)の出会いは、2016年10月8日。スイスのチューリッヒで初めて開催された障がい者アスリートのための国際競技大会『サイバスロン大会』。旧知の友だったかのように、打ち解けた二人は、今日に渡って交流を深めてきました。

杉原行里(以下、杉原):4年毎にやってくるオリパラ。毎回、ワクワクしながら楽しく拝見していますが、元アスリートとしては、どうなんでしょう?2016年のリオパラリンピックの開催中、さまざまなメディアに出られていましたが、どんな気持ちでご覧になられていましたか?

伊藤智也選手(以下、伊藤):選手の気持ちや競技内容を伝える側に回るということは、それなりに違う角度からの勉強も必要で、今までと違う立場に立つという意味では新鮮であったけれど、やっぱり心のどこかに寂しさはありましたね。

杉原:もし、自分が出場していればと?

伊藤:そうですね。ロンドンパラリンピックが終わると同時に引退したので、ほぼ4年間、競技という意味では、車椅子陸上から遠ざかっていました。でも、ここ半年間トレーニングしてみたら、少し光が見えてきたんです。ロンドンパラリンピックが終わった後も、もしトレーニングを続けていたら、リオにも出場できただろうなと思いました。他の選手がどうかは分からないけど、正直に言うと、僕の場合は“妥協からの引退”でした。年齢なのか、病気の進行なのか、色んな複雑な要素はありますが、何か終わらせなければいけないような気がしていました。だから、「もうこれくらいで良いんじゃないの?」と自分の中で折り合いを付けて、引退した。言ってしまえば、とことん突き詰められていなかったんですよね。

杉原:今、トレーニングしているのは、健康のためですか?

伊藤:いえいえ、レース用のマシンに乗れる体を作るためです。

杉原:え?でも、現役は引退されましたよね?なぜ、レースのために?

伊藤:今日が、メディア初披露になりますが、僕、東京2020で復帰します。もう仕事も全部辞めました。

杉原:するかもしれないとは聞いていましたが、本当に復帰されるんですね!

伊藤:はい。正式に決めたのは、先週です。東京2020の年には57歳だし、若干、恥ずかしさもあったけれど、こっそり半年間からだを作ってみたら、なんとかなるかもしれないという光が見え始めたから。今の段階では、“出場できたらいいな”という感じですが、本気は本気です(笑)。

「もう一切、引退しない覚悟ができたんですよ」

杉原:伊藤さんは北京で金メダル、ロンドンで銀メダルを獲られていますけれども、現役選手として復帰するうえで置いてきたものというか、獲りに帰りたいみたいなものってあるんですか?

伊藤:ありますね。走る以上、もちろん目指すところは頂点ですが、自分のために頂点を目指してきたこれまでとは違って、本当の意味で自分に力を貸してくれている人たちに、“感謝の証”を獲りにいきたい。北京の時もロンドンの時も覚悟は当然あったけれど、今と大きく違うのは、“終わりのある覚悟”だったこと。いつか引退するんだろうなと思ってやってきましたが、今回は本当に腹をくくったというか、もう引退は一切しない覚悟ができたので。

杉原:生涯現役みたいなスタンスに変わってきた?

伊藤:そうですね。

東京2020に向けて、RDS社が「伊藤モデル」を開発することに

杉原:最初の出会いは、昨年スイスで行われたサイバスロン大会でしたよね。あの時は、衝撃的でした。

伊藤:僕にとって杉原さんとの出会いは、衝撃を通り越してショックでしたよ。「伊藤さん、走りましょうよ。俺、あなたのマシンを作りますから!」って、あまりにも爽やかに言われて、面食らってしまって。僕たちの世界で、“マシンを作っていただく”なんて、もうとんでもない話ですから。杉原さんから手渡された名刺に、思わずメモしましたもん。「カーボン素材で、車いすを作ってくれる人」って。こんなことをしたのは、後にも先にもあの時だけです。

なぜ、伊藤選手のマシンを開発できるのか?―不思議に思われた方もいると思います。実は、杉原編集長は、工業デザイン全般を手掛けるRDS社のクリエイティブ・ディレクターとしても活躍中で、2013年度のグッドデザイン金賞を受賞した世界最軽量の「ドライカーボン松葉杖」のプロデュースを皮切りに、チェアスキーヤーの森井大輝選手や夏目堅司選手、村岡桃佳選手のチェアスキーシートの開発など、近年は、福祉やスポーツの分野で、さまざまなプロジェクトに携わっているのです。

杉原:ところで伊藤さんは、どんなマシンをご希望されていますか?

伊藤:このトラックもそうですが、全体としてトラック自体が足の保護を目的に、どんどん柔らかくなる傾向にあるんです。僕たちのレースは、トラックが柔らかければ柔らかいほど、重たくなります。じゃあ、それを何でもって軽くしていくかというと、マシンしかない。だから、いかに軽くて強くて、自分の体にフィットして、なおかつ理想とするフォームにフィットしてくるかという色んな要素をすべて包括してくれるようなマシンじゃないと、もう今からは勝っていけないのかなと思います。

杉原:楽しみですけれど…それは、僕が作るんですよね?(苦笑)ここで断ったら、選手復帰はなくなる!?

伊藤:そうですね。ぜひとも、よろしくお願いします!アスリートって、やっぱり何か担いでないとダメなんですよ。カッコよく、人生とか、夢とかじゃなくて、一番重たい担ぎものって、“銭”だと思うんですよ、僕は。ありがたいことに、マシンを作っていただくことになりましたが、とんでもない額のお金が動くわけでしょう?それを背負っていく覚悟ができたから、今日ここで、一番に杉原さんに復帰することを伝えたかったんです。

杉原:今回は、完全に伊藤さんのために作るマシンなので、シュミレーターを入れて、全部測定して…伊藤さんと足並みを揃えながら、完全なるマシンを目指して作っていきたいと思います。逆に言うと、同じセッティングで同じ環境で走ったのに、いつもと同じ速度が出なければ、「あれ?伊藤さん、ちょっと調子が悪いんじゃないですか?」となるようなマシンに仕上げていくということになりますね。

伊藤:マシンはぶれないので、ごまかしは通用しませんね。ああ、怖い(笑)。あえてこの歳ですけれど、プロフェッショナルな世界で走れることが、本当に嬉しいです。完成を心待ちにしています。

ありのままの自分を通して、僕と同世代の人たちに刺激を発信できたら最高

杉原:東京2020で復帰するにあたって、活動資金はどのように捻出しているのですか?

伊藤:スポンサーがつけば、それに越したことはないのですが、最近は個人選手にスポンサーがつくというケースが格段に減った代わりに、大手企業がアスリートを社員として雇用し、活動費をサポートするというケースが増えていますよね。それもひとつの選択肢ではありますが、もう少し自分なりにもがいてみたいと思っています。

杉原:「ひと口いくらで応援します」というような個人スポンサーも、受け付けていますか?

伊藤:はい。あと2~3ヶ月ほど待ってみて、望むような結果が得られなかったら、その時は、大手の傘下に入るということも視野に入れています。

杉原:スポンサーを集めるために、どんな手法を取っているんですか?やっぱり、お人柄?

伊藤:人柄なら日本中の企業様が、すでに僕のスポンサーになってくださっているはずなのですが!(笑)。冗談はさておき、車椅子陸上は、メジャースポーツではないので、難しいところは正直あります。話は少し反れますが、復帰を決めたのを機に、白髪を染めるのも止めました。「ジジィは、ジジィでいいや!」という覚悟ができたこともありますが、ありのままの姿で走ることで、若者だけでなく、僕と同世代の方たちにも、何らかの刺激を発信できたら、すごく楽しいなと思ったんです。やがてくる超高齢化社会を支えているのは、若者だと言われます。確かにそれは一理あるけれど、根幹を支えているのは、中高年世代だと思うんですよね、僕は。藪から棒ですが、スポンサーになってくださる企業様がありましたら、北海道から沖縄まで1日置きに受付をさせていただきますので、どうぞよろしくお願い致します。

杉原:1日置きって…追い込まれているわりには、わがままですね(笑)。これからの活躍に期待しています。ぜひ尖って、攻めていただきたいです。

今、伊藤選手の復帰に向けて、各分野の面白い人たちが集った“チーム伊藤”が密かに動き出しているのだそう。自分たちの持つ技術やアイディアをチームに投入しながら、伊藤智也という一人のプレイヤーを通して、東京2020に向けて取り組んでいると言っても過言ではないほど、その熱は熱く、高まる一方だとか。

座右の銘は?と聞くと、「勝って奢らず、負けて僻まず(ひがまず)」と即答してくださった伊藤選手。骨太で爽快なアスリート精神と、ユーモアあふれる天真爛漫なお人柄とのギャップが、魅力的な方でした。今後も、HERO Xは、東京2020復帰に向けて、伊藤選手の活動を追いかけていきます。乞うご期待ください。

伊藤智也(Tomoya ITO)
1963年、三重県鈴鹿市生まれ。若干19歳で、人材派遣会社を設立。従業員200名を抱える経営者として活躍していたが、1998年に多発性硬化症を発症。翌年より、車いす陸上競技をはじめ、2005年プロの車いすランナーに転向。北京パラリンピックで金メダル、ロンドンパラリンピックで銀メダルを獲得し、車いす陸上選手として、不動の地位を確立。ロンドンパラリンピックで引退を表明するも、2017年8月、スポーツメディア「HERO X」上で、東京2020で復帰することを初めて発表した。

(text: 岸 由利子 | Yuriko Kishi)

(photo: 大濱 健太郎)

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デザインストラテジスト太刀川英輔 が見る「デザイナー」という職業

HERO X 編集部

デザインストラテジスト。耳慣れないこの言葉を肩書きとしているのは大阪万博日本館基本構想のメンバーの一人、太刀川英輔氏だ。島根県の小さな島の出版社から発売となった著書『進化思考』は1万部を突破。「変異」と「適応」の往復が人々の思考を進化させていくという太刀川氏。これからの時代に必要なデザイン力について、HERO X編集長・杉原行里と語り合った。

創造性は特殊な能力ではない。
『進化思考』を広めるための教育活動

杉原:ここから少し太刀川さんの著書『進化思考』の話しをぜひしていきたいと思います。この本の優れたところは、紙が良い(笑)。まず本を読む前から、僕らの本を読む姿勢までデザインしているなと思ったんです。

太刀川:著者兼デザイナーとして、我ながらいいデザインだと思っています。なんかちょっと、そういうオーラを出し過ぎて、とっつきにくい本になってしまって、これ買うのハードル高いですよね。でも気に入ってます。この紙、読み心地も良いですよ。

杉原:この本を出された出版社を僕は知らなかったんですが、この出版社も面白いですね。

太刀川:誰も知らない出版社でしょうね。島根の海士町という隠岐諸島の町で、米子の先の境港という所から2~3時間フェリーに乗るとたどり着けるという辺境の地にある出版社です。
人口2200人ぐらいしかいない島ですが、教育や地方創生などの分野で画期的な取り組みを次々と打ち出しています。特に教育の分野での注目度が高く、僕も来週『教育魅力化』という授業をしに、現地の高校へ行く予定です。全寮制の学校で、生徒の何割かはこの学校に島留学として来るんです。学習塾を公設していて、偏差値も倍率もとても高くなっています。

その島のあり方に強く共感して、ここでの活動を選びました。

途上国、地方で見られる“蛙跳び現象”

太刀川:カンボジアでもプロジェクトをやっていて、カンボジアの大学の理事も務めているのですが、現地ではトゥクトゥクの運転手がスマホを使っていて、そのトゥクトゥクがEVで、太陽光発電してるんですよ。日本の都心より、よっぽど進んでいる。いわゆる蛙跳びと言われる現象(*1)が起きていますが、EVはガソリンより安いからとか、電気が通ってないから太陽光にならざるを得ないとか、そんな切実な理由からなんです。

(*1) 未整備な地域が、最先端技術の導入により一気に発展すること

僕らが目指している未来は、田舎と都会のどちらにあるのか。何もないということは、新しい仕組みを入れられるキラーパスが通るということなんです。

少数の人たちが辺境から変えていく。ある場所で、現地の人が目の前にある課題を突破したら、その課題を共有している人は全世界に何百万人もいるかもしれないですよね。そういう意味でいうと創造性教育っていうのは、僕はひとつの課題だと思っています。

創造性の話って、こんなにも世の中にとって本質的だし、僕らの生きる意味そのものにもすごく直結する。人の創造性って、とても大事なテーマなんです。にもかかわらず、創造性をトレーニングする方法が整備されてないから、多くの人が夢やぶれたバンドマンみたいに諦めてしまう。

それを変えたいというのが、『進化思考』の教育で取り組んでいることです。

杉原:たしかに教育の中で、「なぜ僕らは算数、国語、理科、社会に加えて、『創造』みたいなのはないのかな」と、著書を読んですごく思いました。

太刀川:著書のタイトルにあるように、進化思考は「変異と適応の往復」です。

「変異」して現状から逸脱していくためには、自分たちのバイアスを壊さなきゃいけない。その壊し方には、共通しているパターンがあるんです。自然界の進化や発明は、そこに至った人だけが持っている特殊な力によるものではなく、壊し方のパターンさえわかっていれば、誰にでもできるという考え方です。

それには物事の本質的な関係を理解することが大切で、人類史の中で科学者たちが懸命に取り組んできたんです。そういう方法を素直に学ぶべきであるというのが、「適応」ということです。つまり、「変異」と「適応」を往復すると勝手に進化しちゃうのが生物であり、実は我々の創造性であるっていうのが、おおまかな『進化思考』の概念ですね。

CDOというポジション
日本社会でも根付く?

杉原:今、海外では企業経営に関してもCDO(最高デザイン責任者)というポジションが広がってきています。今後、日本でもCDOは増えると思いますか?

太刀川:世界が先んじていて、日本が遅れて採用していくという流れで、増えざるを得ないんじゃないかな。いろんな会社でデザイナーがそのままCDOになるみたいなことは、世界中で増えていくとは思っています。

10年ほど前にサムソンの副社長で、元デザイナーという方と話したことがあって、「サムソンにデザイナー出身の役員は何人いますか」と聞いたら、20人はいると答えたんです。日本でもデザイナーだけれども企業自体のトランスフォーメーションにデザインの観点からすごく踏み込んでいる方はいます。

杉原:CDO に採用される、CDO になるべきデザイナーの側の力量も問われるかなと。デザイナー側のアップデートについてはどんな風に考えますか?

太刀川:デザイナーも経営言語を持たなきゃいけないでしょうね。進化思考で言うところの適応的な観察力というのは、絶対的に必要になるし、その自分達がいるフィールドがデザイン業界ではないのだということを、よく理解したほうがいいでしょう。言うまでもなく、「デザイン業界」なんていう世界はないので。

杉原:本当ですね。やめてほしいですよ、「デザイン業界」とか言うの。

太刀川:デザインという力は、それを用いてどういうふうに社会に影響を及ぼすことができる力なのかを踏まえて、相手先に言語化して伝えることが必要になります。その価値を理解し、それを実践する力も必要です。

優れたデザイナーなら、企画力や事業としてそのデザインの効能を語り切る力などは、暗黙的に持っている能力だといいますし、そういう観察力こそデザイナーが磨かなきゃいけないことなのですが、これまでの教育の中では一切出てきませんでした。その ミッシングピースは割と大きいと思います。

杉原:まさにそれです。カテゴライズされた分野でのスペシャリティだけをもってデザイナーと呼ばれることが多くて、やっぱり世界の CDOとはちょっと違うイメージかな。主観ですが、デザイナーは、膨大な知識を学びアップデートし続ける必要があると思っています。

太刀川:「デザイナー」という記号に憧れを持つのではなく、「デザイナーに何ができるからこれをやりたい」と思ってほしいしですね。あるいは、「今のデザイナーにはまだできてなさそうな、この分野を極めていきたいからデザイナーになる」というような、アンビシャスにデザインの領域を拡大してくれるデザイナーこそ、将来を考えるいい機会になると思います。そしてそれは、お医者さんでも、消防士でも同じ事が言える。

杉原:面白いね~。だって、消防士について10年後20年後の進化論をやるためには、今消防士はどういう仕事をしていて何をしているのかといった解剖から始まって、逆に言えば絶対領域はどこで、何が共通領域で他の職業があるか、これどうやってコンパイルしていくかとか、考えるとワクワクしてたまらない。

太刀川:「消防士になりたい」と思っていたけど、「将来の自動化技術による消化とか火事のディテクトは、AI の仕事だから、徹底的に世界から火事をなくすためには僕はプログラミングを学ばなきゃいけないことに気づきました」といった結論でもいいわけです。

杉原:最高! 「ロボットがいれば火の中に人間が入る必要はないので、ロボットが投げる消火剤としてもっと耐久性のあるものに改良したい」とかね。

太刀川:そう、それでいい。目的から入ると手段は自由になる。手段を目指しちゃうと、手段が名前になった職業名を目指しちゃうというのは、違うなと。

僕は未来を作るためには、子供が一番大事だと思っています。今後はこの進化思考をもっと広めていくための教育活動にも力を注いでいきます。

太刀川英輔(たちかわ・えいすけ)
NOSIGNER代表。進化思考家、デザインストラテジスト、慶應義塾大学特別招聘准教授、キリロム工科大学理事。プロダクト、グラフィック、建築、空間、発明の領域を越境し、次世代エネルギー、地域活性化、伝統産業、科学コミュニケーション、SDGs等の数々のプロジェクトを成功に導くために総合的な戦略を描く。グッドデザイン賞金賞(日本)、アジアデザイン賞大賞(香港)他、100以上の国際賞を受賞。現在は世界のデザインアワードで審査員も務めている。

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(text: HERO X 編集部)

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