コラボ COLLABORATION

独占取材!車いすレーサー伊藤智也 東京パラで生んだレガシー

宮本さおり

東京パラリンピックの本番直前に突然の階級替えを言い渡された車いす陸上レーサー伊藤智也選手。これまでに伊藤選手が出場してきたクラスより障がい度の軽いクラスへの変更を余儀なくされたことを伝える会見会場では、涙を浮かべる記者もいた。あの時、語ることのなかった心境を『HERO X』だけに語ってくれた。

涙の記者会見

出場不可でも心が折れなかったワケ

2022年秋、幕張の国際展示場で行なわれた国際福祉機器展H.C.Rの会場に現れた伊藤選手はいつも通りのくったくのない笑顔を見せてくれた。「久しぶり!あれ、アンリ痩せたんと違う?」と伊藤選手が話しかけたのはRDS代表の杉原行里だった。パラリンピックに向け、二人三脚でプロジェクトを作り上げてきた二人。H.C.Rへの出展は、伊藤選手のパフォーマンスを最大化するためにつくられた車いすレーサーの開発で培った技術を変換、一般車いすユーザーの車いすづくりを劇的に変える装置として生まれた「bespo」のお披露目という目的もあった。車いすのポジショニング計測からリハビリまでを可能にした世界初の装置「bespo」。


伊藤選手のレーサー開発にあたり生まれた「bespo」はパラに挑戦したからこそ生まれたレガシー。

「パラはこれを果たすための通過地点だったから、気持ちが折れなかったんだと思うわ」

展示ブースを訪れた伊藤選手の顔は晴れ晴れとしていた。

2021年8月のパラリンピック陸上競技レース直前、まさかのニュースが流れた。「メダル候補伊藤智也が階級変更で本命種目出られず」ニュースを見た関係者は起きた事態を理解するのにしばらく動きが止まっていた。その後、25日に開かれた会見で「相当ハイレベルなショック」と漏らした伊藤選手。伊藤選手の車いすを手がけてきた杉原に不穏な連絡が入ったのはそれよりも5日早い8月20日夜のことだった。

「あの時は僕も伊藤さんも23日にもう一度クラス分け審査をすると言われていたので、大丈夫だろうくらいに考えていた」(杉原)

だからこそ、他のチーム伊藤RDSメンバーにはこの連絡を伝えなかった。そしてはじまったクラス分け審査。普通はそれほど時間のかからない審査なのだが、伊藤選手の審査には5時間という時間が費やされた。

「今までの大会でそんなことありえんかったのやけど、2回の審査ともそれくらい時間がかかった」(伊藤選手)

その後に言い渡されたのがT52への出場を認めないというものだった。それに加えて、どいうわけかT53にも出場が認められないかもしれないという。とにかく、この事態を杉原に伝えなければと、意を決してスマホを操作した。

「アンリ、もしかしたらT53にも出られへんかも……」(伊藤選手)

「そうかぁ……」(杉原)

しばらく続いた沈黙。杉原のスマホ越しに聞こえてきた伊藤選手の声は、驚くほど冷静だった。だが、杉原の受けた印象とは裏腹に、電話をきった瞬間、抑えていた感情が伊藤選手にこみ上げる。

「なんでや!」

その足で監督室を訪れた。コロナ禍での開催のため、レースの終わった選手は48時間以内に選手村を出なくてはいけないというルールがあったからだ。退村はすなわち、チーム伊藤RDSメンバーにとってのパラリンピック終了を意味している。このまま終わりにしていいのか……。チームの夢の詰まった車いすレーサーを一度もコースを走らせることなく幕引きにいていいのか……。

「T53の400メートル1本でもいいからなんとか走らせてもらえんかな」

監督室を訪れた伊藤はこう監督たちに切り出した。IPCとの交渉は骨も折れる。日本代表選手は伊藤選手だけではない。ルールはルールやからと、扉を閉められることも覚悟していた。ところが、日本チームの監督メンバーからは交渉を快諾する答えが帰ってきたのだ。

「よし分かった!とにかく交渉してみるから」(監督)

翌朝7時過ぎ、杉原のもとにLINEが入る。

「T53で走れる」

ここで初めて、杉原はマシン制作に当たったチーム伊藤RDSメンバーに状況を報告した。

「なんでT52じゃないの?」

夜、連絡を受けたメンバーが続々と杉原のもとにやってくる。杉原はことの次第を一つずつ説明した。すると、メンバーは一斉に資料を探し始めた。クラス分け審査確定後に覆ったケースはないのか、1種目でもT52に出場する道はないのかと、パソコンのキーボードを叩く。このプロジェクトに関わるまで、車いす陸上を知らなかったというメンバーもいた。しかし、伊藤選手と共に歩んだ5年間は確実にメンバーの思いを熱くし、パラ種目である車いす陸上への関心を高め、今回の決定を自分事のように悔しがり、杉原のもとに駆けつけるほどの強い思いを抱かせるまでになっていた。

「クラス分けの決定が出た時に、もしおっちゃん(伊藤選手)と2人だけだったらあそこで二人とも気持ちが破綻していたかもしれない。踏ん張れたのは、とにかく、おっちゃんを走らせてやろうと、同じ方向を向いてくれる仲間がいたからだったと思います」(杉原)

葛藤の末に出した答えの先に見えたもの

IPCへの交渉の末、T53での出場が認められた伊藤選手。ところが、レースまでの間にはさらに、心を揺さぶられる連絡が入る。T53の400m走でもう一度、審査してあげましょうという話しが出たのだ。なぜ、元々のクラスであるT52での審査ではないのかという思いはあったものの、この審査(クラシフィケーション)次第では、元々出場を予定していたT52の1500m走に出られるかもしれないということだった。

一見すると、希望の持てる話しに見えるが、事はそう簡単な話しでもない。T52クラスに戻れれば、1500mでメダルは狙える。しかし、それを可能にするためには、その前に行なわれるT53 400m走を走らなければならない。健常者の競技同様に、いや、それ以上に選手はレースに向けてのウォーミングアップが必要で、T53の400mを走るのにも体の調整は不可欠だった。

「400mを全開でいけるだけのウォーミングアップをしてしまうと、もうその夜の1500mを走れるだけの体力は残らなくなる。しかし、ウォーミングアップをほどほどにして400mに出場すれば、間違いなく記録はぐだぐだになる。どちらかを選ばなければいけなかった」(伊藤選手)

そこまでしても、元のクラスであるT52で1500m走に出られるという保障はない。再審査をしてもらえるという報告は、一瞬の光と共に、葛藤の日々をつきつけた。

伊藤選手は数日間一人で考えた末に、食堂から帰る道すがら、杉原にどちらを選ぶかを相談するため電話をかけた。

「おっちゃん、もうええやん。いくだけいっとこうや」(杉原)

パラリンピックに出場する選手たちは全員が何かしらを背負ってきている。それはT53の人達も同じ事だ。必死でレースに挑む人達を横目に、失礼な走りをしてまでもT52のメダルを狙いたくはない。二人の意見は一致した。この会話で伊藤選手の気持ちは完全に吹っ切れた。元のクラスに戻れようが戻れまいが、与えられたレースに出場し、全力で走ると腹を決めた。

レース当日、普段のレースならば後半で力を振り絞るために序盤は周りの出方の様子見的な走りをするのだが、伊藤は序盤から驚くほどのスピードで走り出した。300メートルを超える辺りですでにタイムはT52の世界記録を上回っていた。これはさすがに、最後までこのスピードは保てないはず。杉原の予想は当たっていた。
伊藤選手の脳裏にはこの時、別の思いがあった。

NHKで放送されたT53 400m走 伊藤選手の走り

「いつもならば、出走から80mくらい、だいたい26漕ぎ目くらいで一度前を確認するんですよね。それからいろいろ計算しながら漕ぎ方を考える。でもあの時はぜんぜん前も見んと、全開でいった。一秒でも長くテレビに映って、チームメンバーに恩返しせなと思った」

これだけのスピードをもってしても障がい度の軽いT53クラスではトップ集団に食い込めず、伊藤選手は予選敗退となった。記録は57秒16。この年、練習では見たこともないほど悪い記録だった。

チーム伊藤RDSのパラリンピックはこうして幕を閉じた。だが、レガシーは残っている。伊藤選手が最大限の力を発揮できる車いすレーサーを開発するため、RDSが作り上げたシーティングシュミレーターロボ「SS01」、この技術がベースとなり、全ての車いすユーザーの車いす作りの利便性を上げ、リハビリテーションの役割もこなす「bespo」が生み出された。これらは伊藤選手がRDSと共にパラリンピックでメダルを目指したからこそ生まれたものだ。

「僕らのゴールはパラじゃない。」

伊藤選手をテストレーサーとして歩むRDSの開発は終わることなくこれからも続く。

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(text: 宮本さおり)

(photo: 増元幸司)

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SusHi Tech Tokyo 2024 祭りの主役の山車も進化!?創業160年超の宮本卯之助商店×RDSの「ど凄い」山車

HERO X 編集部

祭礼具の製造販売や修理・復元などを手掛ける株式会社宮本卯之助商店(代表:宮本芳彦氏)と株式会社RDSが、伝統とテクノロジーを融合した次世代の山車を開発。2024年4月27日に開幕する「SusHi Tech Tokyo 2024」で展示される。

神輿や山車、太鼓、衣装まで、
祭や伝統芸能に関するあらゆる品を扱う宮本卯之助商店

宮本卯之助商店は文久元年(1861年)に創業し、現在の代表・宮本芳彦氏は8代目となる。太鼓の製造販売から始まって以来、160年以上もの間、祭や伝統芸能に関する製品の製造や販売を続けてきた歴史ある企業だ。

大正時代から皇室のさまざまな儀式に使用する楽器一式をおさめるなど宮内庁御用達であり、歌舞伎座、国立劇場、国立能楽堂でも同社の製品が使われている。昭和39年に行われた東京オリンピックの開会式で使われた火焔太鼓一式を提供したのも宮本卯之助商店。さらに平成になると浅草神社の例大祭「三社祭」の主役である本神輿の修復を手がけるなど、日本の伝統芸能と祭の歴史を紡いできた。

そんな長い歴史のある宮本卯之助商店だが、近年は新たな取り組みにも挑戦している。

和太鼓の演奏レッスンを行う和太鼓スクール「HIBIKUS」の運営を始め、アメリカ支社「kaDON」も設立、アーティストとともに舞台を展開する和楽器エンターテイメント「いやさかプロジェクト」なども生み出している。

山車をEV化?
2050年の東京の祭を彩る次世代の山車

少子高齢化により、地域の祭の維持が困難になってきている日本。足腰が弱った高齢者には従来の山車や神輿を担ぐのは難しい。そこで今回、次世代型の山車として作られたのが今回登場する山車。車体の部分をEV化し、少ない負担で運行できるだけでなく、2050年の東京の祭を盛り上げるためのさまざまなアイディアが詰め込まれた。

SusHi Tech Tokyo 2024とは

“Sustainable High City Tech Tokyo = SusHi Tech Tokyo”
東京発の持続可能な新しい価値の創造を見出し、推進するプロジェクトで「グローバルスタートアップ プログラム」「シティ・リーダーズ プログラム」「ショーケース プログラム」の3つのプログラムで構成されている。有明アリーナ、日本科学未来館、シンボルプロムナード公園、海の森エリアを会場とする「ショーケース プログラム」では、最先端技術を活用した体験型展示が用意され、さまざまな課題が解決された2050年の東京の姿、そして可能性に触れられる。
この新時代の山車について、宮本社長が語るPODCAST番組はこちら↓↓↓
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PODCASTプログラム #HEROQUEST はニッポン放送PODCAST STATIONで無料配信中

未来の社会をデザインするHEROを迎える【聴く冒険プログラム】。
今回からは「HEROQUEST -Sushi Tech Tokyo 2024 edition」。
4月27日・土曜日から5月26日・日曜日まで東京ベイエリアを中心に行われる
Sushi Tech Tokyo 2024ショーケースプログラム に注目。
Sushi Tech Tokyo で描かれる 2050年の東京の未来を冒険していきます。

第3弾となる今回は、神輿・太鼓・山車・獅子舞用品など、
祭礼具の製造販売や修理、復元などを手掛ける
宮本卯之助商店・代表、宮本芳彦さんをお迎えします。
創業文久元年(1861年)!歴史と伝統を紡いできた宮本卯之助商店が
2050年の「未来の祭」をデザインする?!
好奇心と創造力が高まる冒険です!ぜひご参加ください♪

Suhi Tech Tokyo 2024は、
4月27日・土曜日から5月26日・日曜日まで
東京ベイエリアを中心に開催されます。
詳しい情報はオフィシャルWEBサイトをチェックしてください。

https://zip-fm.podcast.sonicbowl.cloud/podcast/46407779-eadd-49f1-9d5c-bbde346ddb7c/

<ゲストプロフィール>
宮本卯之助商店・代表 宮本芳彦
1975年、東京生まれ。創業から160年以上続く宮本卯之助商店の8代目。慶応義塾大学卒業後にイギリスに留学、帰国後に宮本卯之助商店に入社し、2010年に代表取締役社長に就任した。代々続く、太鼓や神輿、祭礼具の製造販売のみならず、近年は和太鼓スクール「HIBIKUS」、アメリカ支社「kaDON」の設立、「森をつくる太鼓」プロジェクトなど、さまざまな取り組みを行っている。

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(text: HERO X 編集部)

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