福祉 WELFARE

蓄積した技能に活躍の場を提供する「高齢者クラウド」の可能性

浅羽 晃

超高齢社会が引き起こす労働力の減少や年金システムの崩壊といった問題を、テクノロジーで解決できないか。そのような発想のもと、研究開発が進められている高齢者クラウド。働き口を求める人材と求人する事業体とを1対1で結びつける従来の人材サービスとは異なり、クラウドをバッファとして、クラウドの向こうの労働力を技能の総体として捉えるのが画期的だ。研究開発の中心にいる東京大学大学院情報理工学系研究科の廣瀬通孝教授にお話をうかがった。

個人の特質や技能を因数分解して
事業体の求める労働力を創出する

日本は総人口が減少するなかで高齢者率は上昇を続け、2065年には65歳以上が総人口の38.4%に達すると推計されている(内閣府/平成29年版高齢社会白書)。人類が経験したことのない超高齢社会がどのような社会になるのか、不明な部分は多いが、確実に言えるのは、マンパワーが現在よりも著しく減少することと、現行の年金システムでは立ち行かなくなるということだ。そのような危機的状況への対応策として研究が進められているのが「高齢者クラウド」である。

「高齢者クラウドは、JST(国立研究開発法人科学技術振興機構)の事業として、東京大学と日本アイ・ビー・エムが共同で研究開発を進めています。10年ほど前、“超高齢社会に向けて、テクノロジーはどのような役割を担えるか”という議論をしたことがそもそもの始まりです。当時からいろいろな解決策が考えられていましたが、外国人も働けるようにしましょうとか、女性も活躍できるようにしましょうとか、ほとんどが文系的な対策でした。我々は、テクノロジーをキーファクターとして、高齢社会の解決として理系的な対策をどのように展開できるのかというテーマを考えて応募したところ、(JSTの事業認可に)通ったということです」

高齢者クラウドは、高齢者の人材と、人材を求める事業体とを結びつけるツールだ。従来型の人材サービスとは、どのような違いがあるのだろうか。

「元気で技能もあるのに、フルタイムで働けないなどの理由から、技能を活かせる働き口を見つけられない高齢者は多くいます。人材と事業体を1対1で結びつける人材サービスでは、この問題をクリアできません。クラウド型コンピューティングを用いる高齢者クラウドは、クラウドをバッファとすることによって、クラウドの向こうにいる多数の高齢者の労働力と、事業体をマッチングさせます」

換言するなら、高齢者クラウドでは、労働力を1名単位ではなく、技能の総体として捉える。最もシンプルな例を挙げよう。事業体が9時から17時まで、プログラミングのできる人材を求めているとする。ウィークデーの毎日、フルタイムで働ける人材は見つからない。このようなとき、高齢者クラウドは、プログラミングの技能を持った登録者のなかから、9時から12時まで働けるAさん、12時から15時まで働けるBさん、15時から17時まで働けるCさんというようにして組み合わせ、1名の労働力として事業体に提供するのだ。もっとも、この程度のことなら、シフト管理の問題なので、旧来型のマネジメントでも可能だろう。高齢者クラウドが優位なのは、労働力をより細分化できるところだ。

これまでに7回開催されているシンポジウムには、高齢者クラウドに期待する民間企業も参加している。

「分解するのは時間だけではありません。スキルもあります。これは、個人の特質や技能を因数分解するイメージです。たとえば、これまでは日本国内のみで販売していた自社製品を、今後の経済成長が見込めるインドネシアに輸出する新規ビジネスを展開するにあたり、現地との交渉や実務処理ができる人材を企業が求めているとします。従来の人材派遣では、同様のビジネスを経験した人材を探すということになるでしょう。しかし、高齢者クラウドでは、インドネシアに在留経験があり、インドネシア語に堪能なAさんと、元商社マンで、海外との商取引の経験が豊富なBさんを組み合わせて、1人の人格として提供することができるのです」

若者はエントロピーが低い労働力で
高齢者はエントロピーが高い労働力

高齢者クラウドがうまく機能すれば、高齢者は自らの技能をフルに発揮することができる。それは社会にとって有意義なことであり、また、高齢者自身にとっても生き甲斐を感じる、すばらしいことだろう。

「高齢者は、若者とは比較できないほど、職種とのマッチングが重要です。高齢者は経験を積んでいます。経験を積んでいるということは、“色”がついているということです。この色を変えるのは、難しい。コンピュータをやってきた人に、いきなり“農業をやりましょう”と言っても、なかなか対応できないでしょう。高温のガスが少量ある場合と、温水がたくさんある場合、総熱量は同じでも、前者はエントロピーが低い、後者はエントロピーが高いと言います。高温のガスはエンジンを回せますが、温水では回せません。これを労働力に当てはめると、フルタイムで管理しやすい若者はエントロピーが低い労働力で、いろいろなことを細かく管理しなければならない高齢者はエントロピーが高い労働力です。高齢者に社会で活躍してもらうためには、この違いを理解する必要があります」

高齢者はエントロピーが高い、複雑な存在なのである。その複雑さのなかから、求められる技能をクラウドから的確に抽出するためにも、因数分解、すなわち検索のキーワードは重要だ。

「登録する個人がどのようなキーワードを用いるかも大切ですが、検索する側の技術も問われることになります。たとえば、VRの技術者を求めるとしましょう。現在、注目されている分野ですから、単純にVRというキーワードで検索しても、人材は引く手あまたで、すでに残っていないかもしれません。しかし、“画像処理”や“インタラクティブ”といったキーワードで検索すると、求める人材が見つかることもあるでしょう」

高齢者クラウドはこれまでになかった人材サービスなので、自ずと、有効利用をするためには対応力が求められる。

「スキル分解がうまくいけば、1対1の求人ではなくなり、選択肢がすごく増えるので、雇う側の意識改革も必要になってきます」

個人情報の公開に対して
コンセンサスを得る必要がある

現在、高齢者クラウドは「人材スカウター」と「GBER(ジーバー)」の2つのシステムを柱に、研究開発を進めている。人材スカウターは、登録されたシニア人材の職務経歴のテキスト情報と企業からの経営相談テキスト情報の双方に自然言語処理を行うことで、経営相談内容に対して適合度の高い人材を検索する人材検索エンジン。シニア・エグゼクティブの人材サービスを業務とする株式会社サーキュレーションにおいて、実証評価を行っている。一方のGBERは、地域におけるシニア人材と仕事・ボランティア・生涯学習などの各種求人情報とのマッチングを行うwebアプリケーションだ。

「東大の柏キャンパスがある千葉県柏市で実証評価をスタートし、熊本版もあります。GBERはGathering Brisk Elderly in the Region(地域で元気な高齢者を集める)の略ですが、“お爺さん、お婆さん”を連想する、いいネーミングだと思っています(笑)。ちなみに、高齢者クラウドも、日本人にはcloudとcrowdの発音の区別が難しいので、どちらにも受け取れるようにと(笑)」

高齢者クラウドは、民間企業からも、退職者のセカンドライフに役立てたいなどの理由で、問い合わせがあるそうだ。クラウドなので、大企業の退職者や地域住民といった一定規模の登録者がいたほうが、機能を発揮できる。問題は、普及させるには乗り越えなければならない壁があることだ。

「自分の経歴や技能を因数分解して登録するということは、個人情報を公開するということです。高齢者クラウドを広く実用化するためには、この問題に対して、社会的コンセンサスを得る必要があります」

問題をクリアした暁には、高齢者クラウドが社会を活性化することは明らかだ。高齢者クラウドという技術があり、実用段階まで研究開発が進んでいることを、社会に知ってもらうことが第一歩だろう。

廣瀬通孝(ひろせ・みちたか)
1954年、神奈川県生まれ。1977年、東京大学工学部産業機械工学科卒、82年、東京大学大学院工学系研究科博士課程修了。99年 5月、東京大学工学部教授。99年 7月、東京大学先端科学技術研究センター教授。2006年 4月、東京大学大学院情報理工学系研究科教授(兼)。機械力学、制御工学、システム工学が専門として、VRの先駆的研究を行う。「好きなことを大事にする」がモットー。「自分が興味を持った瞬間に驚くほど能力を発揮できます」と、経験的に語る。

(text: 浅羽 晃)

(photo: 増元幸司)

  • Facebookでシェアする
  • LINEで送る

RECOMMEND あなたへのおすすめ

福祉 WELFARE

Blanketが目指す選択肢のある介護

Yuka Shingai

世界に例をみない速度で進行している日本の高齢化社会。人口に占める65歳以上の割合が28%を超え、2036年には3人に1人が“高齢者”となる見込みだ。これまでHERO Xでは介護の現場を支えるプロダクトやソリューションを数々取り上げてきたが、現在、業界はどのような課題に直面しているのだろうか。介護が、自分を、他者を、世界を好きになっていくプロセスになるというバリューを掲げる。株式会社Blanketは介護・福祉事業所への人事・採用コンサルティングや介護従事者が集まるコミュニティ運営や研修を行っている。代表取締役を務める秋本可愛氏とHERO X編集長・杉原が、介護の今とこれからを語った。

介護職の人数は右肩上がり。
それでもなお続く人材不足

杉原:秋本さんはどのようなきっかけで介護に関心を持たれたのですか?

秋本:元々、介護にすごく興味があったわけではないんです。大学時代、起業サークルに在籍していたのですが、メンバーの一人が、認知症のおばあちゃんに自分のことを忘れられてしまう経験をしたんです。そんな悲しい想いをしていたメンバーの強い意志に乗っかるように活動していたというのが正直なところでした。当時、認知症予防のコミュニケーションツールを目的としたフリーペーパーを作っていたんですけど、もっと現場を知りたくて介護施設でアルバイトを始めたら、たくさん課題が見えてきて。

杉原:この業界ってすごく成長しているのに、どうして介護職に就きたい人が少ないのかなって考えていたのですが、そもそも僕たちも課題を正しく認識しているのかと疑問に感じていました。現場ではどのような課題に気付いたのですか?

秋本:おっしゃる通りです。2000年に介護保険が始まった当初、55万人だった介護士の人数は現在220万人くらいです。他の産業と比べても3,4倍で伸びている業界は珍しいのですが、それでもなお、需要に対して供給が追い付いていないのです。

杉原:仕事がきついとか、賃金が安いとか、世の中の報道ではネガティブなことが伝わりがちですよね。たとえば高齢者1人に対して何人介護士がいればよいのか、などを伝える必要があると思います。
また、ユーザー側の視点で、自分が要介護になったときにどのようなサービスならリマーカブルな評価を与えられるか、想像していない人がほとんどですよね。どのような老後を過ごしたいか考えないことには、現実と乖離していくんじゃないでしょうか。

秋本:そうですね、早めに準備しておけば選択肢があるし、差し迫った課題になるまで考えたくないものになっているのは1つの問題だと思います。私がアルバイトをしていた介護施設はつねに職員が不足していたし、入れ替わりもかなり激しかったです。でも介護職の離職率は年々改善されて、今は全産業平均とほぼ同等となりました。とはいえ、賃金や経営の問題、(利用者の)家族間の問題などの課題がたくさんあって、どれも大切な問題に見えたので全部解決したいと思ったんですよね。それで、想いと勢いだけで大学卒業と同時に今の会社を立ち上げました。

現在運営している「KAIGO LEADERS」というコミュニティには、介護職の方以外にも、私たちと同じように社会課題として捉えている人やビジネスとして参入を考えている人など多岐に渡るメンバーがいて、介護に向き合っています。

介護の目的は自立支援。
環境をデザインする

杉原:大学卒業と同時に介護で起業ってすごく稀有な存在ですよね。僕も自身のプロジェクトについて「身体を解析してその先に何があるの?」と言われてしまうことがあって、未来の面白さをどこまで理解してもらえるのかってすごく難しいなと実感するんです。秋本さんから見た「よい介護職」ってどんな人ですか?

秋本:定義は非常に難しいです。人によっても捉え方は違うでしょうしね。でも私がいろいろな事業所を知ってすごく反省したのは、介護職の仕事が入浴や食事の手伝いなど、「お世話」をしてあげることではないってことです。目的は自立支援であって、高齢者が地域の中でいかに活躍できる環境をデザインしていくかが、いま介護職に求められることだと教えられたのは大きな気づきでしたね。その事業所の方々は認知症を患っていても仕事をしていて、料理や家事もするし、地域の掃除を手伝ったりもする。介護が必要でも、役割を持って暮らせる環境を整えることができるのが、「よい介護職」の1つの条件になってきてるんじゃないかと感じます。

杉原:みんないずれ介護が必要になってくるのだから、循環型の社会にした方がよいですよね。たとえば学校の教室に高齢者の人をサブ担任みたいに配置すれば、トラブルやもめ事の抑止ができるかもしれないし、高齢者の方々も役割ができて、いきいきできると思うんです。

秋本:地域に出かけるサポートや、その人がやりたいことを一緒に作ることも仕事だと考えると、クリエイティビティが必要なんですよね。

KAIGO LEADERS

競争の激化が進むこれからは
“関わりしろ”の広さがカギ

杉原:KAIGO LEADERSではお互いに学んでいくと同時に、現場で実際にあったことをシェアするような場になっているんですか?

秋本:はい、オンラインコミュニティの「SPACE」では、それぞれの現場での実践の共有や結構ディープな相談を繰り広げられることもありますね。個人の問題って組織の問題であることも多いので、採用コンサルやブランディング、研修といった企業向けの事業「KAIGO HR」も手掛けています。

杉原:水が上流から下流に流れていくように企業が変化していかないと個人の問題も解決できないですもんね。介護の現場が日進月歩でよくなっていることや、課題を明確にしながら解決しようとしている人たちがいることを、メディアとしてもっと発信していく必要を感じます。秋本さんが、一昔前と比べてこれは良くなっているなって思うことは何がありますか?

秋本:今は認知症になっても、いかによりよく暮らしていくかという価値観が定着してきたので、サービスの質も向上していますし、競争が激化する中で、事業者も差別化を求められているなと思います。

杉原:以前HERO Xで対談させていただいた、元F1ドライバーで衆議院議員の山本左近さんが携わっているさわらびグループの介護食、SAWARABI HAPPY FOOD PROJECTはとても面白いなと思ったのですが、秋本さんが注目している事例があれば教えていただきたいです。

山本氏との対談はこちら▶今、必要なのは勇気とスピード感。元F1ドライバー山本左近の視点 前編

秋本:神戸市にある「はっぴーの家ろっけん」は画期的ですね。いわゆるサービス付き高齢者向け住宅ですが、1階のリビングルームが地域に開放されていて、子育て中のお母さんや外国人が利用するコミュニティスペースとしても機能しているんです。介護施設ってどうしても介護する側、される側と明確になってしまいますが、地域コミュニティを作る文脈でも、いかに“関わりしろ”を持てるかは重要だと思います。「生活」なのでいろいろな形があっていいんですよね。自分たち独自の価値観で経営している事業所も増えていますね。

KAIGO HR

1つの施設にこだわらなくてもいい。
選択肢があるのが理想の未来

杉原:境界線は曖昧でもいいのかもしれないですね。経営者という立場から、収益化についてはどう考えられますか? より人材が必要な業界ですし、給与をアップさせるためにはどうすればいいのでしょう?

秋本:どこの財源を使うか、という問題がありますね。40代になると介護保険料を払うことになりますが、この介護保険にも限界があるというのが目下の課題です。給与を上げていくには事業所が保険外で収益を上げていくことが必須になっていくと思います。

杉原:なるほど。見方を変えれば、課題があるということはそこからプロダクトやサービスが生まれることだから、ラッキーだとも考えられる。日本国内で実証できれば、プロトタイプとして世界中に展開することもできるでしょうし、難しい問題だからこそスポーツや音楽、アートのようなエンタメ的なフィルターを通すことで見え方も分散されていくんじゃないかなと思うんです。若い世代にしわ寄せがいかないような、面白い業界になっていけばいいですよね。僕たちが介護を受ける年齢になるころ、30年後くらいはどんな社会になっているのが理想的ですか?

秋本:試算だと2050年にはすでにピークを越えて、選択肢が溢れている頃だと思います。選択肢がたくさんあることは個人的にすごく大事だと感じていて、好きな施設を転々としてもいいと思うし、歩けないとか排泄が自分でできないという問題があっても、テクノロジーの力が解決してくれるとか、介護が必要だから申し訳ないってことを本人が感じなくて済む世界になっていたらいいなと思いますね。

杉原:ピークを過ぎるまでが山場だし、僕たちの世代は病気になってから病院に行くのではなく、準備やプランニングが必要になってきますよね。

秋本:そうですね。KAIGO LEADERSは全国各地にメンバー1万人を目指していて、身の回りから変化を起こせる人、想いを持って旗を立てられる人をそれぞれの地域にどんどん増やしていきたいんです。リードというとおこがましいですが、KAIGO HRも含めて、いい人材やいい組織を増やして、介護業界全体の底上げを図っていきたいですね。

秋本可愛(あきもと・かあい)
株式会社Blanket 代表取締役。
平成2年生まれ。大学生の時介護現場でのアルバイトを通し「人生のおわりは必ずしも幸せではない」現状に課題意識を抱き、2013年(株)Join for Kaigo(現、(株)Blanket)設立。「全ての人が希望を語れる社会」を目指し介護・福祉事業者に特化した採用・育成支援事業や人的課題を解決を目指す「KAIGO HR(https://kaigohr.com/)」を運営。日本最大級の介護に志を持つ若者コミュニティ「KAIGO LEADERS」発起人。2017年東京都福祉人材対策推進機構の専門部会委員就任。第11回ロハスデザイン大賞2016ヒト部門準大賞受賞。第10回若者力大賞受賞。Yahoo!ニュース公式コメンテーター。2021年よりNHK中央放送番組審議会委員に就任。

関連記事を読む

(text: Yuka Shingai)

(photo: 増元幸司)

  • Facebookでシェアする
  • LINEで送る

PICK UP 注目記事

CATEGORY カテゴリー