対談 CONVERSATION

リハビリテーション・エンジニアリングの先駆者に訊く、“患者ファースト”のモノづくりとは?【the innovator】前編

長谷川茂雄

2016年に複合材料業界の国際見本市JECにて、INNOVATION AWARDを受賞した二足歩行アシスト装置C-FREX(シーフレックス)や、デザイン性の高いシンプルな対向3指の電動義手Finch(フィンチ)など、国内外から注目を集める数多くのリハビリテーション装置を手掛けてきた河島則天氏。そのアツいスピリッツも含め、リハビリ業界で河島氏の功績やシステム作りを讃える人は少なくない。頻繁に連絡を取り合っているというHERO X編集長・杉原が、改めてそんな先駆者のモノづくり哲学を伺った。業界を牽引してきた河島氏が思い描くこれからのヴィジョンとは?

自分に足りないものを探して
『リハビリテーション・エンジニアリング』を学んだ

杉原:今までしっかりお聞きしたことがなかったのですが、河島さんは一度海外に留学されていますが、その理由はなんだったのでしょう。やっぱりリハビリの道に進むためですか?

河島:ここ(国立リハビリテーションセンター)に来る前に、カナダのトロントにいましたが、それは研究のためです。研究のフィールドに進む人の多くは、いったん国外に出て、進んだ研究をやっているラボに留学するのが一般的なんですよ。リハビリに関しては、日本も進んでいる部分はありますが、北米は、文化とか制度などの違いによって幾分環境が異なります。なので、そんな状況に身を置いて、自分のキャリアのプラスになるようなことを探したいと思ったんです。家族を連れて行くつもりでしたから、トロントは治安がいいというのも大きな理由のひとつではありますけど。

これまで多くのリハビリテーション装置を手がけてきた河島氏。「患者さんがよくなることが何よりも一番」だと語る。

杉原:日本と海外の違いというのは、具体的にはどんなところですか?

河島:やっぱり法的な部分や文化が違うというのは大きいです。新しい成果を研究の段階で出したとしても、それを制度に反映させていくのは、日本ではなかなか難しい。新しいものをすぐに現場で使おうという風潮は、僕の印象では欧米のほうがずっと進んでいて、リハビリもそれに沿ったところがある。新しい成果が現場に活かされる時間的サイクルが早い場所に行くことは、とても意味があるなと思いましたね。

杉原:なるほど。それでカナダでは主に何を学んだんですか?

河島 僕がいたのは、トロントリハビリテーション研究所の工学系の研究室。もともと僕は大学も教育学部で文系なんですけど、リハビリの世界に入っていろいろとやっていくと、自分に足りない部分が見えてきて。そのひとつがエンジニアリングの素養だったんです。リハビリ工学のラボに良く知る先輩がいたこともあり、そこを選びました。

杉原:じゃあトロントに行って、これまで自分がやってきたものとは全然違うフィールドに進んだということですね。

河島:そうですね。カナダに行く前は、リハビリの研究だと思いっきり言えるものはほとんどやっていなかったですから。患者さんを対象としていたとはいえ、自分がやっていたのは論文を書くための基礎研究。そこからもっと人に役立つことをしようと考えると、モノづくりをしたりだとか、自分でシステム開発をしたりだとか、そういうことが必要だと思ったんです。

リハビリは断片的な知識と
アプローチでは解決に至らない

杉原:HERO Xがスタートして1年経過しましたが、実は、いろいろなところで河島さんのお名前をよく聞くんですよ(笑)。また河島さんの話が出てきたってなることが多くて(笑)。それだけ、様々な人に影響を与えたり惹きつけたりする理由ってなんだと思いますか?

河島:それは自分ではわかりません(笑)。もちろん、やってきたことが多くのフィールドに浸透してきたというのはありがたいことです。ただひとつ言えることは、自分が昔蒔いた種が今出てきているだけ、そう思っています。

杉原:なかなかリハビリの現場で本当に役立つものを、研究から実用まで到達させることは難しいですよね。

河島:リハビリの分野で、研究で成果を上げて、本当に実用化させるとか、そもそもの目的である患者さんに恩恵を与えられるレベルのものを作るとか、そこまでやりきっているものは実際のところあまりないと思います。モノづくりは、アイデアとそれを具体化いていくためのプロセスが必要です。リハビリは基礎の領域ではなくて、工学や理学、心理学や社会学だとか、学際的な領域なので、断片的なアプローチでは、解決できないと思うんです。そういうあらゆる分野が必要とされる世界でモノづくりをしようと思い立った自分の野心みたいなものが、もしかしたら他の人に波及してきているのかもしれません。

杉原:医工連携という言葉がありますが、河島さんはそれを地で行っていると思いますけど。

河島:別に医工連携をしようと思ってやっているわけではないですけどね。本来問題意識が明確な研究というのは、大きな研究資金を得るために大風呂敷を広げるというやり方ではなくて、当事者レベルで解決をしようとしているはずだし、それほどの大上段な研究開発でなくても解決できる可能性はあるはずなんです。だから、具体的に解決のゴールまで行くものまで作ろう、そう思ってモノづくりを始めたんです。研究の成果が、臨床現場に還元されずに留まってしまったり、掲げたビジョン通りの問題解決には至らず、終わってしまってはしょうがないですから。

自分たちはかゆい所に手が届く
プロダクト作りがやりたい

杉原:河島さんが手がけたもので、世の中で広く使われているものって結構ありますよね。

河島:実際に製品化しているのが、現時点で5つあります。義手のFinchや、高次脳機能障害の評価やリハビリのためのツールATTENTION(アテンション)、あとはBASYS(ベイシス)という立位姿勢時の重心の揺れを調整するプラットフォームだったり。どれも華々しさはないですけど。

杉原:BASYSというのは、どういうものなんですか?

河島氏が京都のテック技販と開発したBASYS。立位姿勢時のバランス障がいを改善するのに役立つ。まさに画期的なプラットフォームだ。

河島:簡単に言ってしまえば姿勢調節を整える機器ですね。立っている時の揺れを測って、その揺れに応じたフィードバックを床面の動作として与えます。健常者でも揺れの大きい人だと普通に立っていても30mmぐらいは揺れていますが、姿勢調節が損なわれるともっとグラグラと揺れている人がいる。BASYSは、そういった自分では姿勢の調整が難しくなっている人には、免震することで揺れを抑える手助けをしたり、ある程度はバランスを保てていてもバランスの感度が悪い人には、本人にはわからないレベルで揺れを増幅させて適切な調節を促すこともできます。そうやって2種類のモードで症状に応じたリハビリができるシステムです。こういったリハビリを行うことで、姿勢の障がい、バランスの障がいが解決できる可能性があるんです。

杉原:これは、どこかとコラボして作ったんですか?

河島:テック技販さんという京都のメーカーと共同で作りました。センサーメーカーでそれまでリハビリのモノづくりは一切やっていませんでしたが、そこの技術だったらこういうものができるかもしれないと思って共同開発をお願いしたんです。商品化されたのが2015年で、半年後ぐらいに医療機器認可を取りました。

杉原:ほかには、河島さんが作ったもので、ここで体験できるものはありますか?

河島:感覚が麻痺した患者さんに、物体に接触したタイミングや素材の質感を与えてあげるというリハビリのシステムもあります。例えばベルクロのザラザラした質感やテープのキュキュっという感覚を、皮膚や骨を介して振動で伝えるものです。仮に脳卒中によって身体の半分が麻痺した場合でも、振動は骨を伝わって知覚できるので、麻痺側の肩のところに振動子を置いて使用したりします。

触ったものの材質や素材感を、皮膚や骨の振動を通して伝えるリハビリシステム。(名古屋工業大学の田中由浩さんとの共同開発)。

杉原:なるほど。こういった河島さんが手がけたものは、これまでリハビリのフィールドではなかったということですか。

河島:そうですね。BASYSにしても、振動装置にしても、一見して目新しいことはないですが、僕らがやっているのは、現場のセラピストの人たちに見せた時に、あぁなるほど、これは理に適っているよね、これだったらリハの現場で使えるよね、といってもらえるものを目指しているんです。あぁすごい! って驚かせるものじゃなくていい。

杉原今ある技術を集めてオーバースペックにするのではなくて、必要最小限で形にしているんですね。

河島簡単にいえば、かゆい所に手が届くということをやりたいわけです。華やかに見えるもので、みんなが期待するものを作るのも新しいモノづくりではあるけれど、そうじゃなくて、リハビリの現場で本来は必要だけれども見過ごされているものとか、各々の技術を掛け合わせて、こういうものを作ったらどうか、ということを具現化しているんです。それぞれの分野で当たり前になっているものをアッセンブルするだけでもリハビリでは即戦力になる。

杉原河島さんは、料理人みたいな感じということですね(笑)。新しい研究をすることは確かに大事だけど、その結果を統合したり、アレンジしたり、料理したりする人たちは少ないのかもしれません。

河島本当の意味での臨床現場での問題意識を、ちゃんと形にすることが大事だと自分は思っています。実は突き詰めて考えると、必要とされていることは真新しいことなんかじゃなくて、ごくごく当たり前のことに行き着くことのほうが多いんですよ。

(後編へつづく)

河島則天(かわしま・のりたか)
金沢大学大学院教育学研究科修士課程を修了後、2000年より国立リハビリテーションセンターを拠点に研究活動を開始。芝浦工業大学先端工学研究機構助手を経て、2005年に論文博士を取得後、カナダ・トロントリハビリテーション研究所へ留学。2007年に帰国後は国立リハにて研究活動を再開。計測自動制御学会学術奨励賞、バリアフリーシステム開発財団奨励賞のほか学会での受賞は多数。2014年よりC-FREXの開発に着手。他、対向3指の画期的な電動義手Finch 、立位姿勢調整装置BASYSをはじめ、様々なリハビリテーション装置の開発を手掛けている。

(text: 長谷川茂雄)

(photo: 壬生マリコ)

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東京2020パラリンピックの会場を満員にできるか!?本村拓人が思考するムーブメントの作り方 前編

HERO X 編集部

「世界を変えるデザイン展」など、あたりまえにある日常について「考える」きっかけを作りだしてくれている株式会社 GRANMA 代表本村拓人氏。彼は現在、東京都が進めるパラスポーツの支援団体「TEAM BEYOND」で、プロジェクトメンバーの一人として動いている。世界中から称賛が集まったロンドンパラリンピック。果たして、東京はそこを超えることができるのか!? 共に「デザイン」というフィールドに立つHERO X 編集長 杉原行里と本村拓人氏がお互いの思いを語り合った。

「ナニモノか」という枠を超える

杉原:本村さんは「なに屋」になるのでしょうか?

本村:遊休不動産の利活用を推進するプロデューサー、地域デザインや地民大学の運営、起業人材に対するインキュベーターや社会問題を提起する展覧会やイベントのキュレーター。そして今回のようなパラスポーツの普及を手掛けるディクレション業務などを兼業していると、正直まだ自分の肩書を発明しきれていないです。骨董通りの文化作りや国連大学で毎週催されるファーマーズマーケット。表参道のコミューンや滝ヶ原など地方の活況などを同時多発的に仕掛ける元IDEE代表の黒崎輝男さんから仕事に対する姿勢やスタイルはとても影響を受けています。黒崎さんは「僕たちの仕事は様々な”状況”をつくくりだすこと」とよく言っていますが、私もその状況や文化を作り出すことに関心を寄せてこれまで国境や宗教的垣根を超えて動いていて、例えば、「世界を変えるデザイン展」で見せたようなプロダクトによって世の中を見直すこともしているし、いろいろな肩書があるのが現状です。最近では地域や組織の創造性がグッと上がる状況づくりをする機会が多く、可能な限り恒常的に想像力をかき立て続けるための仕掛けや区画(ブロック)を作ることに力を入れています。仕掛けやブロックとなるのは醸造所を改修してできたオープンキッチンやワーキングスペース、定期開催するマーケットやギャラリーであったり。それらは人が作るものなので、人自体が仕掛けや区画になることももちろんある。こうした区画や人がいくつも集まることで、特徴ある村や地域ができます。ブロックを作るのにはいろいろな要素がからんでくるので、ぼくは「○屋です」と決めることはできないですよね。

いたって真面目な話をする二人

杉原:その感覚はすごくよく分かります。僕もよく言われるんですよね。「ナニ屋ですか」と。でも、決めつけないでほしいという気持ちがあります。人間を仮に3D解析にかけたとしても、そこに出てくるデータと、解析では見えない部分が必ずあるわけで、多角的に捉えないといけないと思っています。“デザインできるよ”“車もできるよ”“医療もやってるよ”「じゃあこれ全部入れてなんていう名前ですか」と聞かれても、“知らないよ”というのが僕の答え。決めつけることで出る強さは確かにあるとは思うのですが、自分は学者タイプではないので、いろいろなことに興味を持ってやっていきたくなる。学者タイプの人は、一つのことにガッと没頭していける強さがある。しかし、僕らは学者タイプではない。初対面で失礼ですが、本村さんも学者タイプではないですよね(笑)
僕らみたいなタイプは次々と料理していくのが仕事。何か名前を付けられると居心地が悪くなる気がしませんか。

ムーブメントは創れるのか

本村:本当そうです。杉原さんのされていることは、目に見えるものとしてありますよね。松葉杖とか。僕は目には見えない人々の意志や希望などを地域づくりという説明しにくい方法で可視化しているのですが、根底はとても似ていると思っています。杉原さんの手がけられたカーボン松葉杖は、個人の体に合わせて作られるもので、松葉杖だけれどその人個人の顔が見えるプロダクトだと思います。地域づくりも同じで、顔の見える場所とか、エリアというのが、本当は一番個性が出ていると思っていますし、幸せなことになると僕は思いたいです。僕の場合は長年世界を歩いてきましたが、これが「一番」だというところにやっとたどり着いたところです。

杉原:じぁあ、肩書は「本村拓人」ですね(笑)

杉原そんな本村さんが今回、パラスポーツを盛り上げる「TEAM BEYOND」に関わられていると伺いました。

本村:僕に課せられている役目は3つあります。一つは、世界のネットワークを引っ張ってきながら、短期的・局地的になりがちな視点を広げるという役割です。もう一つは、パラスポーツの永続的普及に対して貢献するという点です。「TEAM BEYOND」は都市開発や産業構造の中に障害者の個性を忍び込ませていくことがパラスポーツの永続的普及につながることに気が付いていて、そこへの提案をしていくのが自分の役割です。もう一つが、ムーブメントを草の根から発生させること。東京都が音頭をとって進めている「TEAM BEYOND」が本格的なシビルアクションとして日本に広がり定着させることを僕としては狙っています。

本村:これまでの取り組みで大企業の方々の参加は多く集まってきました。しかし、こうした大企業がする取り組みは一過性で終わる可能性が高い。人々にパラスポーツへの認識を根づかせるための仕掛けにはもう一工夫必要だと思っています。もっと個にアプローチしていくことです。そこで、まずは中小企業の方々を巻き込む策を練り始めているところです。冒頭にお話ししたように、個や個性が表面化することで魅力的な地域が生れるというのが僕の持論ですから、やはり、個へのアプローチを大事にしていきたいのです。

杉原:具体的にいうと、どんなことだと思いますか

本村:バリアフリーな街を考えた時、都市全体で一気にやるというのは難しいことで、例えば、ある有名ショップなどでバリアフリーの旗艦店のようなものをつくり、それが発端となり全国にそのスタイルの店舗が拡散していくようなソーシャル的なつながりを作っていくなど、小さなところから始めるのが先決だと思っています。中小企業は、大企業よりも動きが速いので、広がるスピードも加速するのではないかと。

杉原:早いですよね。自分事として動くから。

本村:そこです。2020年に向けたパラスポーツ観戦の動員数を増やすための取り組みとして、小さなところへのアプローチを仕掛けていこうと考えています。大きい事業は事業として否定はせずに、そこはそこで動かしながら、小さなブロックをいくつも投入していくのです。

杉原:本村さんの目から見て、まず第一のゴールはどこだと思われていますか

本村:まずは、パラリンピックの観客席を満席にすることです。チケットも完売で、できれば、若い子たちがそこを埋め尽くしているような状態をつくることです。これはあくまでも一過性ですが、第一のゴールとしては十分すぎる結果だと思います。

杉原:ロンドンであれだけ満席になったというのが一つのインパクトとしてあって、そこからインスパイアされているということでしょうか。

本村:そういうことです。今年はそのために、皆さんが自分事としてパラリンピック、パラスポーツを受け止められる素地を作っていきたいです。

後編へつづく

(text: HERO X 編集部)

(photo: 増元幸司)

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