対談 CONVERSATION

WOWOWスタッフが、「WHO I AM」で伝えたいこと、見えてきたこと 前編

川瀬拓郎|Takuro Kawase

WOWOWと国際パラリンピック委員会(IPC)が共同で立ち上げた、世界のトップパラアスリートたちの姿を追ったドキュメンタリー番組「WHO I AM」。10月に放送が決定した、待望のシーズン3を前に、8月22日(水)から登場選手たちの特別ミニ番組が放送される。2016年から2020年まで、5年間に渡る番組制作の折り返し地点に立ち、2020東京オリパラが迫ってきた現在。プロデューサーの太田慎也氏へ、HERO X 編集長の杉原行里が対談を行った。「WHO I AM」のこれまでとこれから、そして2020オリパラの先へ、さまざまな角度で語り合う。

左:HERO X編集長:杉原行里 右:WHO I AMチーフプロデューサー:太田慎也氏

分かりやすい競技、
分かりやすい実績の選手

杉原 まず、番組について伺いたいのですが、番組で取り上げるものとして、パラスポーツ初心者でも楽しめ、魅力が伝わりやすい競技ということを意識されていますか?

太田 2016年にWHO I AMのシーズン1が始まりましたが、立ち上げる前年まで、パラスポーツに関して何も知らなかったんです。まずやったことはGoogle検索でした(笑)。国枝慎吾、オスカー・ピストリウス、アレックス・ザナルディぐらいしかパラリンピアンを知らず、とにかく選手について調べることから始めました。きっと多くの視聴者も同じ状況だろうと考えていたので、シーズン1で取材する選手を選んだ基準として重要視したのは、分かりやすい競技と分かりやすい実績であることでした。

杉原 分かりやすいというのは、視聴者が分かりやすいということですか?

太田 誰もが見慣れたスポーツであること、過度なルール説明が不要なスポーツであることを優先したのです。水泳、陸上、(車いす)テニス、(シッティング)バレーボール、(ブラインド)サッカー、アーチェリーの金メダリスト8名に取材することを決めました。パラ独自の競技については、深い知識もなく、万全の取材ができるという自信がなかったこともあったので。今となってはむしろ、ボッチャの取材が楽しくて仕方がないほどになりました。トップスポーツとして自然に見られるし、どの競技にも親しみを覚えています。

HERO X編集長:杉原行里 東京生まれ。

シーズン2で森井選手が選ばれた理由とは?

杉原 僕がパラリンピックに関わるようになったきっかけは、(アルペンスキーの)森井大輝選手でした。でも、彼と出会うまでは、時速130キロで走るチェアスキーという競技があることすら知らなかったんです。太田さんはWHO I AMシーズン2で森井選手を取材していますね。それは、取材したいと思わせる選手だったということなんでしょうか?

太田 そうですね。実際に会ってみたい、話を聞いてみたい、というのが最終的な決め手になりますね。シーズン2はタイミング的にもピョンチャンパラリンピックを見据えた時期でしたから、冬季の競技は入れるべきだと考えていました。

杉原たしかに彼はキャラ立ちしていますからね()

太田 過去のパラリンピックの実績だけで考えると、他にも取材したい選手はたくさんいたのですが、どうしても森井選手が気になっていたんですね。カッコつけた言い方になってしまいますが、そこはドキュメンタリストとしての嗅覚が働いたと。なぜなら彼は、今回こそは金メダルを!と言われながら獲得できず、というパラリンピックを3大会続けていましたから。これは必ずや面白いドキュメンタリーができるぞ!という感覚があったのです。取材を通じて森井選手のギア開発へのこだわりや、トヨタ自動車さんとの開発プロジェクト、RDSさんの存在を初めて知ったのです。

杉原 森井選手とWHO I AMの話をしていたとき、開発していたチェアスキー用シートのことが、色々バレちゃうかもしれないけど大丈夫なの?と訊きました。すると彼は『WOWOWの人たちなら大丈夫』と。

太田 良かった! そう言っていただけるのは本当に嬉しいですね。

WOWOW 制作局 制作部「WHO I AM」チーフプロデューサー:太田慎也  2001年WOWOW入社。営業企画・マーケティング・プロモーション部門を経て、2005年に編成部スポーツ担当に。サッカー、テニス、ボクシング、総合格闘技などの海外スポーツ中継・編成・権利ビジネスに携わる。2008年、WOWOWオリジナルドキュメンタリー「ノンフィクションW」立ち上げ時の企画統括を務め、自身もプロデューサーに。ドキュメンタリー番組でこれまで、日本放送文化大賞グランプリ、ギャラクシー賞選奨受賞を受賞。IPC&WOWOWパラリンピック・ドキュメンタリーシリーズ「WHO I AM」のチーフプロデューサーを務め、同番組で日本民間放送連盟賞 特別表彰部門優秀を受賞。

友人として付き合えることが何よりの財産

杉原 森井選手がなぜWOWOWのスタッフを信用していたのかを僕なりに考えました。それは皆さんが、良い意味でのスポーツオタクばかりで、とことん勉強しているからだと。どうしてもパラスポーツの取材は、きっかけとして障がいの話を持ってきたがる人が多いのです。でも、WOWOWはそうしなかった。まず障がいありきではなく、僕は純粋にスポーツが観たいんですね。そういう姿勢に共感できたし、だからこそ森井選手もWOWOWスタッフを信用できたのだろうと。

太田 まず、トップアスリートのドキュメンタリーを作りたいというのが根本にありますから。もちろん事実として、障がいの経緯や原因を取材することはありますが、それはあくまで関係性を構築していってからの話。選手によっては、その話はしたくない、ここを撮影して欲しくないといったリクエストもありますからね。根掘り葉掘り聞くようなことはしないし、相手が嫌だと思っていることにズカズカ踏み込むようなことはしません。速報性が問われる報道とは異なり、僕たちは制作にあたっては半年以上も取材を続けるのですから、お互いの信頼が何より大事。番組が終わった後でも友人として付き合えることが、番組と僕ら制作チームの財産になっています。

観る人の解釈に委ねるドキュメンタリー

杉原 WHO I AMは、みんながやりそうでやらなかったことを映像化したという印象があります。とにかくきれいな映像で、まるで1時間の映画を見ているような感覚になりました。

太田 シリーズ立ち上げの準備をしている時は、海外の映画やドキュメンタリーなどをたくさん研究しながら、自分たちがやりたい方向性をマッピングしてスタッフに説明することもありました。日本のテレビって極端に言えば受け身の姿勢で眺めているだけで、いろんな映像と情報を丁寧に教えてくれる。でも僕らは、映画のように前のめりに想像力を働かせながら、集中して観てもらえる番組を目指しました。観る側もきっとパワーを使うのですが(笑)、情報をできるだけ少なくして、観てくださる方の解釈に委ねたかったんです。

超人という言葉を使うことはやめようと

杉原 超一流のアスリートであることはもちろんですが、WHO I AMに登場した彼(女)らに共通することとはどんなことですか?

太田 もちろんアスリートとしては超一流です。でも、僕らは超人という言葉はなるべく使わないようにしています。超人と言ってしまうと、どこか特別な世界にいる特別な人の物語になってしまう気がしたからです。すごい人がすごい事を成し遂げるというストーリーではなく、等しく与えられた人生という舞台で、いかに彼らが人生をエンジョイしているか? 辛いときをどう乗り越えたのか? という、誰しもの人生におけるヒントになる物語を伝えたいからです。WHO I AMという言葉は、直訳すれば自分なのですが、選手たちみんなが強烈に自分を持っている。

杉原 実際、どんなヒントを見つけることができましたか?

太田 とにかく選手たちの言葉が力強いということです。表現方法はそれぞれですが、みんな言っていることは同じです。スーパー・ポジティブ・シンキングなんです。例えば、リカルディーニョ選手の僕にとって困難は、ただ乗り越えるためにあるという言葉や、エリー・コール選手の物事をマイナス面から見るかプラス面から見るかで、後々大きな違いが生まれるという言葉ですね。こうした言葉は、障がいとは関係なくどんな人にも通じる言葉だし、普遍的なフィロソフィーとして彼らから発せられている。僕らはその瞬間を捉えて番組に詰め込みたいんです。  

次を担う世代、子供たちに観てもらいたい

杉原 自分自身が関わっているということもあるのですが、WHO I AMを観て、私も僕も!と新しいギアに興味を持ってくれる選手が増えてくれることを期待しています。僕は身体と技術の融合こそ、パラリンピックに欠かせないことだと信じていますから。それに、実際その効果もあって、何人かから連絡が来たりもしました。

太田 その話、早く言ってくださいよ! こっちはどんな方が観てくださっているのか不安で仕方がないんですから(笑)。基本的にWHO I AMでは人間を描きたいと思っているので、ギアを優先することはないのですが、ストーリーの中でギアが重要であればもちろん取材したいと考えています。森井選手の場合はまさにそうでしたね。

杉原 そんな風にWHO I AMHERO Xがクロスオーバーして、新しいパワーが生まれると良いですね。でも、いざ2020パラリンピックの話になると、どうやって会場を満員にするのかという話ばかり。誰がどういう意図で会場にきているのか? という大事なことがすっぽり抜けているような気がするのです。動員の方法論ばかりで、結局ロンドン・オリパラがお手本だと

太田 そこはすごく単純に考えています。例えば、サッカーのクラブワールドカップでFCバルセロナが来日するとなれば、多くの親子連れがメッシやネイマールのユニフォームを着てスタジアムに行くんです。ジャパンオープンテニスでロジャー・フェデラーが来日するとなれば、フェデラーモデルのウェアを着た子供たちが有明に集まるんです。同じように、(ブラジル水泳のスーパースター)ダニエル・ディアスが来日するから東京パラリンピックのチケットを買って会場に来たんです、世界最高峰の選手が来るから観るんです!と。そんな風になればいいなぁと思っています。

後編につづく

太田慎也
WOWOW 制作局 制作部「WHO I AM」チーフプロデューサー。2001年WOWOW入社。営業企画・マーケティング・プロモーション部門を経て、2005年に編成部スポーツ担当に。サッカー、テニス、ボクシング、総合格闘技などの海外スポーツ中継・編成・権利ビジネスに携わる。2008年、WOWOWオリジナルドキュメンタリー「ノンフィクションW」立ち上げ時の企画統括を務め、自身もプロデューサーに。日本放送文化大賞グランプリ、ギャラクシー賞選奨受賞を獲得。IPC&WOWOWパラリンピック・ドキュメンタリーシリーズ「WHO I AM」のチーフプロデューサーを務める。

WHO I AM 番組情報>
IPCWOWOW パラリンピック・ドキュメンタリーシリーズ WHO I AM」(シーズン3 全8回)10月スタート
特別ミニ番組「10月シーズン3スタート!パラリンピック・ドキュメンタリーシリーズ WHO I AM」(全8回)822日(水)より 随時無料放送
IPC & WOWOW パラリンピック・ドキュメンタリーシリーズ WHO I AM」シーズン1(全8回)&シーズン2(全8回)全16番組 公式サイト&WOWOWメンバーズオンデマンドで絶賛無料配信中
WEB会員ID登録が必要となります(登録無料)

<最新情報はこちら>
公式サイトwowow.bs/whoiam
公式Twitter & Instagram@WOWOWParalympic #WhoIAm

(text: 川瀬拓郎|Takuro Kawase)

(photo: 壬生マリコ)

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パリパラリンピック 還暦アスリート伊藤智也が狙う金

HERO X 編集部

パリオリンピックに続き間もなく始まるパリパラリンピック。前回の東京パラリンピックのクラス分け判定でまさかのクラス替えを余儀なくされた伊藤智也選手(バイエル薬品所属)が、本来のクラスであるT52に戻ることが決まった。還暦を迎えた伊藤選手が本来の土俵で目指すのはもちろん金メダル。開幕直前の伊藤選手に編集長杉原行里が話しを聞いた。

覆ったクラス分け判定

杉原:まずは、出場決定おめでとうございます。

伊藤:ありがとうございます。

杉原:調子は順調ですか?

伊藤:かなりいいです。先日の練習では風が結構強かったのですが、それでもいいタイムが出せました。

杉原:東京パラリンピックの時、試合前に行なわれたクラス分け判定で障害度の一つ軽いT53だと判定された時は我々はあまり心境を語らずにきたのですが、まさか、パリパラリンピックで再び元のT52に戻れるなんて、本当にビックリしました。

 

伊藤:僕も驚きました。まずこのクラス分け判定が分からない読者さんもいると思うので少し説明させてもらうと、パラリンピックは障がいの度合いによってクラスが分けられています。これはさまざまな障がいのある選手が競い合うパラリンピック独自のルールで、公平に戦うために設けられている制度です。僕が東京パラリンピックまで出場してきたのはT52というクラスでした。陸上競技の場合、Tはトラック、50番台は車いす競技を示しています。クラスは番号が小さいほど障がい度合いが重くなりますが、東京パラのクラス分け判定で、ずっと競技してきたT52ではなく、一つ障がい度の軽いT53と言われたんです。

杉原:連絡をもらった時は「えっ」て思いましたよ。よく分からなくて、涙もでなかったけど、言葉が出てこなくて、なんかやけにお互いに冷静だったよね。一つクラスが変わるだけで、高校生と小学生くらいの差があるのに、そこで戦わなければならなくなった。クラスが変わって、走ることもできないかもという中で、いろいろと交渉してくれて、なんとかT53で走るチャンスをもらったおっちゃん(伊藤選手)は本番、スタートからびっくりするくらいスピード出して走ってくれましたよね。

伊藤:チームのみんなが作ってくれたマシンをなんとか1秒でも長くテレビに映して欲しいとおもって、画角に残ろうと頑張った。後半はもちろんもう力が残っていませんでしたけど(笑)

杉原:一度クラス分け判定でクラス変更になると元のクラスに戻るのはまず無いとその時も聞いていたので、T53ではタイム的に難しく、パリパラリンピックは選考の時点で落ちるなと思っていました。ところがなんと今回、元のT52クラスに戻ることができ、出場を手にした。連絡を受けた時は「どういうこと!?」と思いましたよ。

東京パラリンピックの時には判定翌日に日本パラ陸上競技連盟が抗議文も出して、再検査もしてくれて、それでも判定はそのままT53だったから、T52に戻るなんて全く考えていなかった。

伊藤:僕も驚きましたよ。今回クラス分け判定に行き、判定してもらったところ、T52ということになり、元々のクラスで出場できることになりました。

杉原:しかし、なぜ戻れたんでしょうか?

伊藤:正しいジャッジをしてもらえたということじゃないでしょうかね。パリパラリンピックの出場権を獲得するためにはスイスで開催される大会に出ないといけない。でも、T53クラスだと、僕のタイムではそもそも出場する資格がないんです。クラス判定をもう一度してもらうため、身体状況を合わせた診断書や、それを証明する書類、MRIの画像診断などもつけて陸上競技連盟に提出しました。これを見て、クラス分けが必要かどうかを各委員会の方で審査になります。その時点で書類上ではどう考えても再判定が必要だろうということになり、IPC(国際パラリンピック委員会)に書類が送られました。

通常はここではねられることが多いんですが、IPCの方でもこれはクラス分けの再検討が必要だということになり、スイスの大会にクラス分けをメインに来てくださいということになったんです。ここで、T53のR(再度クラス分けをする必要があるもの)ということになり、クラス分けに参加することができた。

杉原:われわれRDSプロジェクトチーム伊藤は東京パラリンピックの後もクラス分けがどうあれ、伊藤さんを支えることは変わりなくずっと一緒に進んできた。チーム伊藤が結成したのがもう8年前になります。つい最近も伊藤さんを囲んでパラリンピックに向けての決起集会をやったんですが、誰一人欠けていない。変わっていなくて、変わったのはみんながジジイになったくらい(笑)。これだけ浮き沈みの激しい状況の中で、チームのメンバーが誰も離脱しなかったのは誇りといえば誇りですよね。

決起集会に集まったRDSプロジェクト チーム伊藤のメンバー。結成から8年、満面の笑みで伊藤選手を激励した。

金メダルは通過点
目標は培った技術の社会還元

伊藤:行里が代表を務めるRDSが束ねてくれているチーム伊藤のプロジェクトはパラリンピックのメダル獲得は一つの目標ではあるけれども、それが全てではないという方針で集まったメンバーです。僕がエンジンとして頑張ることで全ての車いすユーザーのためになることや、新たなモビリティ開発が起こることを当初から考えていた。東京パラリンピックでクラス変更を余儀なくされた一件があってもチームが離散しなかったのは、この指針があってみんなが全くここからブレなかったからだと思います。

だから僕も頑張って続けてこられたという面もあります。クラスがT53に変わって、毎回ビリを走ろうがチーム伊藤から任されている仕事に対するプライドは変わらなかった。どんなクラスであろうとそうしたプライドを持たせてもらえるだけのプロジェクトであり、そういうメンバーと一緒にやってこれたということがめちゃめちゃ大きかったと思います。

杉原:他のパラリンピック選手の間ではあまり見られないチームワークだと思っています。今伊藤さんが言ってくれたように、我々は金メダルだけを目標にするんじゃなくて、ここで培ったテクノロジーを一般社会に落とし込んでいこうねということをチーム発足当時から掲げていました。だからクラス分け判定で不利な状況になっても、僕たちは立ち止まることがなかったと思うんです。

伊藤:本当にチームのメンバー一人ひとりにちゃんと役割や責任が決まっていて、僕なんかは社会に落とし込んでいくための一番最後の役割なわけですよ。みんながそれぞれの技術、頭脳を持ち寄って作ってくれたマシンにのるわけです。社会に落とし込んでいくという目標で考えた時、レースでビリという結果で社会に落とし込んでいくのと、パラリンピック金メダルの技術だということで世の中に出るのとでは与えるインパクトが全然違うわけです。

チーム伊藤は最新テクノロジーを駆使して伊藤選手の最適なシートポジションを探った。

テクノロジーをもってしても、61才はビリなんや、ビリだけれどもパラリンピックは目指せるんやという発信になるのか、61才でもパラリンピックに出て金メダル取れるのか、スゲーなテクノロジーってという発信になるのかでは大きく違うと思うんです。僕が背負っている看板というのはやっぱりそこにプライドを持たなきゃいけないし、そこで頑張っているみんなの一つの結果を僕自身も求めたい。そこがチームワークの根源にあるからめげずにやれるんですよね。

杉原:今回、伊藤さんも年齢を重ね、前回の東京パラリンピックと比べても筋力や体力に変化も見られた。今の伊藤さんの力を最大限に出せるように計測をしていくと、シートポジションも変わってきましたよね。最高のマシンで走ってもらえるように技術チームも頑張っています。伊藤さんが頑張ってくれたおかげで我々の技術を世界にお披露目する舞台としてパリパラリンピックが用意されました。僕も現地に応援に行くので一緒に頑張りましょう!今日はありがとうございました。

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(text: HERO X 編集部)

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