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ロンドンパラリンピックの仕掛け人に聞く『東京2020成功のカギ』 ジャスパル・ダーニ氏 来日インタビュー 前編

岸 由利子 | Yuriko Kishi

オリパラの開催都市として、世界の注目が東京に集まる2020年夏。「パラリンピックの成功なくして、東京2020の成功はない」――小池百合子都知事がそう語るように、スポーツの祭典としての成功以上にまぎれもなく問われるのは、真の意味で社会に変革をもたらす力があるとされるパラリンピックの成功だろう。史上最も成功したパラリンピックといえば、観戦チケット約278万枚を完売し、各競技場の客席が連日満員の観客で沸いた2012年のロンドン大会が記憶に新しい。その成功は、交通手段などのインフラ整備をはじめ、インクルーシブ教育の普及、パラスポーツの振興など、さまざまなレガシーを実現し、その後の社会のあり方を大きく変えた。東京2020開催まであと540日、大会のキモとなるパラリンピックを成功に導くための準備は万端といえるか。残された時間でできることがあるとすれば、それは何――。ロンドンパラリンピックの仕掛人、ジャスパル・ダーニ氏(Jaspal Dhani)の来日に際して話を伺った。

ロンドンパラリンピックが、
ロンドンにもたらした“レガシー”

ジャスパル・ダーニ氏は、7歳の時にインド・パンジャーブ州からロンドンへ家族とともに移住。1980年代初頭より車いすバスケットボールのプレイヤーとして活躍し、2005年には、私営の車いすバスケットボールチーム「ロンドン・タイタンズ」を共同創設。以来、今日に至ってコーチ兼経営者として、イギリス国内トップの強豪チームに育て上げてきた。また24歳の時から一貫してインクルーシブ社会の一助となるべくさまざまな社会活動に尽力するかたわら、Every Parent and ChildのCEO、Sporting Inclusionの創設者として、チャリティ活動にも熱心に取り組んでいる。障がいのある人もない人も互いに尊重し、支え合う共生社会を実現する契機としてロンドンパラリンピックを活用し、GLL(Greenwich Leisure Limited)をはじめとする英国大手企業や、英国公共テレビ局・Channel 4などのメディアと強固な連携体制を築くことによって、その成功に大きく貢献した重要人物である。

ロンドンパラリンピックから6年が経った今、イギリスはどのように変わったのだろうか。ダーニ氏は、公共交通機関の発展についてこう語ってくれた。

「例えば、“ブラック・キャブ”で知られるロンドンの街中を走るタクシーには、車いす用のスロープが標準装備されたことによって、車いすから降りることなく、そのままタクシーを乗り降りできるようになりました。これは新しいスタンダードですね。ロンドン市内では車いす用のスロープが装備されたバスや低床バスも導入され、以前に比べてはるかに優れたアクセシビリティが確保されています。これらの変化は、公共交通手段を誰にとっても“アクセスしやすいもの”にすることに全力を傾けてきたイギリス政府の努力の賜物だと思います。しかし、もとを辿れば、ロンドンパラリンピックの開催に際して、パラアスリートを筆頭にさまざまなキャンペーンを行ってきたからこその変化であり、政府にとっては、すべての人に“質”を提供するための義務だったとも言えます」

引用元:https://www.dezeen.com/

1863年に開通した「London Underground」(ロンドン地下鉄)は、そのトンネルの形状から“チューブ”の愛称で親しまれる世界最古の地下鉄。筆者は大学時代をこの街で過ごしたが、チューブの深度は異様に深く、どの駅にも例外なく急勾配の長いエスカレーターがあり、地上からホームに、ホームから地上にたどり着くまで、いつも小旅行をしているような気分だった。例えるなら、大江戸線で言うところの六本木駅のイメージに近い。加えて、どの駅にもエレベーターはなく、バリアフリー化とはほど遠い状況だった。それから10年ほどが経ち、ロンドンパラリンピックの開催決定を機に、競技会場に近い駅などにはエレベーターが導入され、一部ホームのかさ上げを行うなど都市整備が行われるようになり、車いすで利用できる駅がかなり増えたのだと、ダーニ氏は教えてくれた。

イギリスでは、エレベーターのことを「リフト」と呼ぶ。
引用元:https://www.constructionnews.co.uk/

「会期中、何百万人という人々がロンドンを訪れるのに、地下鉄にアクセシビリティがなければ、それはもはや悪夢です。政府は可能なかぎりのアクセシビリティの実現に向けて尽力するとともに、会期中は地下鉄の各駅にボランティアが常駐する体制を取りました。すなわち、より快適に移動するための助けが必要な人がいれば、助けることができる人がすぐそこにいるという状況を確保したのです」

つまり、オリパラ開催に向けてロンドンが注力したのは、既存施設をいかに最大限に有効活用し、大会に間に合うように加速度的に進めるかということであり、ハード整備で補えないところは、ソフト施策で対応したということになる。

「一歩進んではまた戻りながらも、地下鉄の駅を含める街のアクセシビリティは、今も確実に進化を続けています。これはロンドン大会のレガシーのひとつとして挙げられるのではないかと思います」

パラスポーツの熱狂が社会を変えた

「住居のアクセシビリティも発展し続けています。近年では、新しい家を建てる時にインクルーシブデザインを取り入れるケースが増えました。根底にあるのは、生まれたのと同じ家で、残りの人生を過ごせるというアイデア。私たちはこれを“ライフ・ロング・ホーム”と呼んでいます。言い換えれば、全体としてインクルーシブにデザインされているので、少しの改良を加えるだけで長く暮らせるということです。ロンドンパラリンピックの開催後は、インクルーシブ教育がより推進されるようになり、障がいのある子どもたちが普通学級で学べる環境整備も格段に進んでいます。また職業訓練を受けられる機会も増え、より多くの障がい者が職を得て働くケースも増えています」

このようにロンドンパラリンピックの成功は、数多くの良き変化をロンドンにもたらしたが、なかでも劇的に変わったのは、「何よりもパラスポーツの振興である」とダーニ氏は熱く語る。

「ロンドンパラリンピックは、パラスポーツそのものを飛躍的に促進させたと思います。Channel 4はアスリートたちを“スーパーヒューマン”と位置づけ、パラリンピックをメジャー大会として大々的に放送し、ラジオ局はアスリートのインタビューを取り上げ、世界各国の新聞各紙が連日パラリンピックについて大きく報道しました。全体として、パラスポーツがいまだかつてない形で世界に露出されたことは、市民や社会、大企業のマインドセットを変える大きなきっかけとなりました。決勝戦を見ようと、メイン競技場のロンドンスタジアムには6万人の観客が押し寄せ、車いすバスケットボールと車いすラグビーの試合が開催されたバスケットボール・アリーナには2万人の人々が詰めかけるなど、想像をはるかに絶する人気を獲得しました。これだけの成功を収めるとは、誰も予想していなかったと思います」

パラリンピックの商業的価値から生まれる
「ソーシャル・エンゲージメント」

元パラリンピアンで現英国上院議員であり、2012ロンドンでパラリンピック統合ディレクターを務めたクリス・ホームズ卿によると、同大会は、オリンピックの協賛企業すべてが、パラリンピックにも協賛した初めての大会だった。「パラリンピックに商業的価値を見いだした企業には、パラスポーツの一部になりたい、携わりたいという嘘偽りない願望があった」とダーニ氏は振り返る。

「それらの企業の人々は、パラアスリートを含む関係者たちに熱心にこう投げかけていました。あなたたちのスポーツやチームをさらに発展させるために、私たちに何ができますか?と。企業にとってパラスポーツやパラスリートと関わることは、今までになかった新しいビジネス創出の機会です。対して、アスリート側、スポーツ側は投資を受けることによって、その認知度を上げるとともに、アスリートたちは、より多くのトレーニングを積み、各種大会への出場に向けて励むことができます。そのもようが、テレビや新聞、雑誌などのメディアで報道されれば、さらなる相乗効果が生まれてきます。こうしたソーシャル・エンゲージメントは、スポーツを発展させ、ビジネスを助長していくうえで、双方にとって得るものが大きい、極めて魅力的な関係なのです」

その先陣を切ったのは、イギリスの大手スーパーマーケットチェーン、セインズベリー。10億円ともいわれる巨額を投じて、パラリンピックのオフィシャルスポンサーにいち早く就任し、大会開催の約3年前から、各店舗にパラアスリートを招いてイベントを開催するなど、彼らの存在を鮮烈に広めていった。国民的ヒーロー、元イングランド代表のデビッド・ベッカム選手がブラインドサッカーを体験する様子をメディアで放映し、100万人の子どもたちにパラスポーツを経験してもらうキャンペーンを実施するなど、セインズベリーの全面的なプロモーション活動が、その他の企業に火を点けたのである。

後編へつづく

(text: 岸 由利子 | Yuriko Kishi)

(photo: 増元幸司)

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パラ卓球を盛り上げて、世界へ!立石兄弟が挑む東京2020への道

下西 由紀子 | Yukiko Shimonishi

近年、日本の卓球界が盛り上がっているが、実はパラ卓球の世界も熱い! 昨年開催されたアジアパラ競技大会では、あるクラスが団体戦で中国を倒して金メダルを獲得するなど、着実に実力をあげてきている。そんな中、選手とコーチとして東京パラリンピックでメダル獲得を狙う兄弟がいる。

パラ卓球の肢体不自由者枠は、「車いす利用」と「立位」に分かれおり、さらに障がいの程度により、それぞれ5クラスに分類される。ルールは「立位」については、一般の卓球とほぼ同じだ。立石アルファ裕一さん(以下、アルファさん)は、立位のクラス8の選手で、現在世界ランキング36位(取材時)。このクラスの日本人選手の中では、トップの位置にいる。しかし、パラリンピックに出場できるのは世界ランキング15位まで。アルファさんが東京パラに出場するためには、海外遠征に複数回参加してポイントを重ね、ランキングを上げていくか、今年7月に開催されるアジア大会で優勝することで参加資格を得るかしかない。「アジア大会優勝、そして東京パラに出場し、メダルを獲得する」この夢をともに追いかけているのが、弟であり、コーチを務めるイオタ良二さん(以下、イオタさん)だ。

イオタさんは健常者の卓球競技の選手として活躍し、全日本卓球選手権大会7位という実績を持つ。卓球を始めたきっかけは、幼い頃から仲の良かった兄のアルファさんと一緒にプレーしたいという気持ちからだったという。東京の大学を卒業後、地元の福岡に戻り選手生活を送っていたが、2010年、アルファさんから「試合の時、コーチをしてほしい」と頼まれ、ベンチコーチとして入った。次第に兄を支えたいという想いが強くなり、家業である立石ガクブチ店 (福岡市博多区) の四代目店主を務めながら、コーチとして、兄とともに東京パラを目指している。

コーチの存在がパラ卓球の環境を変えていく

イオタさんは日本肢体不自由者卓球協会(パラ卓球協会)の渉外広報担当としても活動中。パラ卓球では、試合にコーチがつくことがなかった中、2016年のリオパラリンピックにチームのコーチとして帯同。コーチの必要性を強く感じ、2017年からはどの大会にもコーチを派遣できるだけのスポンサーをとりつけた。以前は、海外遠征の際、英語ができるということでアルファさんが選手全員の航空券やホテルの手配など、チーム全員の庶務的な作業も行っていたというが、その役目をコーチが引き受けることで、アルファさんも試合に専念できるようになった。

「日本では、まだプロのコーチという概念が根付いていないけれど、海外では選手1人で試合に勝っているプレイヤーなんていない」とイオタさん。実際、イオタさんがコーチとしてつくと「全然違う」とアルファさん。「試合中は熱くなってしまって、自分ではわからないところを、冷静に伝えてもらえる。たとえば、相手が自分の不得意なゾーンにばかり打ち込んでくると思い込んで、同じ方向ばかりで構えていると『そこには最初の1回だけしか来てない』と言われて、ハッとしたことがあります」1セットごとに1分間しかないブレイクタイムだが、相手の分析や戦術についてアドバイスをもらえることは、メンタル面にも大きな効果をもたらす。

一方、「いっぱい言いたいことがある中で、どれを選んで言うか、どんな言い方をしたらうまくのせられるかは、時と場合によって違う。それは、コーチとしての自分の課題」とイオタさん。

「兄の武器は、攻撃力と守備力の両面を備えたセンスの良さ、そして体格の良さ。手足が長く、筋肉が柔らかいので、瞬発力がある。サーブの回転量とボールの威力が強みです」「自分は、かかと重心でしか立てないので、動くことでバランスが崩れる。よりカスタマイズした打ち方を追求し、もっと強くなりたい」兄弟で最強のタッグを組み、世界に挑む。

パラ卓球の普及にも力

弟のイオタ良二さんはコーチとしてだけでなく、パラ卓球全体の盛り上げ役としても一役かっている。そのひとつが、日本肢体不自由者卓球協会(パラ卓球協会)が開発、選手の感じている世界を再現した「PARA PINGPONG TABLE」のプロジェクト。イオタ氏はパラ卓球協会の渉外広報担当としてプロジェクトの中心メンバーとなって牽引する。

PARA PINGPONG TABLE」のプロジェクトには、大手広告会社TBWA/HAKUHODOの浅井雅也氏、QUANTUMのデザイナー、門田慎太郎氏、卓球台製造会社「三英」の社長、三浦慎氏など、そうそうたる面々が関わっている。予算など無いに等しかった中、イオタさんの想いに共感しプロジェクトに関わるようになったという。

パラ卓球の選手は、同じ長方形の卓球台でも、一人ひとり卓球台の感じ方、見え方が違う。たとえば、左足が動かない選手にとっては、左端がとても遠く感じるし、手が短い選手にとっては、長方形の卓球台が円形に感じられるという。「パラ選手が感じている世界をわかりやすく表現したい。『楽しい』『かっこいい』『すごい』と思ってもらえたら」イオタさんらはパラ選手20名へのインタビューを行い、選手それぞれの卓球台のイメージをデザイン。さらにリオパラ五輪と同じ技術で、卓球台を完成させた。競技用卓球台の規定をクリアしつつ、造形美も兼ね備えた3台だ。

その卓球台を使い、健常者にパラ卓球の世界を体験してもらうイベントにも取り組んでいる。「実際にプレーすると、たとえば、遠い左端のボールを返すことがどんなに大変なことなのか実感してもらえる。そうすると、試合に左足にハンディのある選手が登場し、左端に落ちたボールを返した時、そこが拍手の贈りどころだとわかるんです」

東京パラの卓球会場、東京体育館のある渋谷区では、オリンピック・パラリンピック推進事業を行っており、その一環として、小中学校でこの卓球台でのプレーを体験してもらっている。「子どもたちが学校で体験したことを親に話すことで、パラ卓球に関する理解が深まっていけば」とイオタさん。今後も各地の行政や企業等と連携してイベント等を行っていく予定だ。

変形する卓球台は相互理解のためのツール

「これまでは、障がい者を理解してもらおうとすると、目隠しをしたり、足におもりをつけたり、車いすにのったり、と制約を課すものが多かった。マイナス要素ではなく、ポジティブにアプローチしたかった」幼い頃から、兄のアルファさんと卓球で真剣勝負をしてきたイオタさん。卓球を通じて、楽しさや苦しさを共有し、高みを目指して突き進んできた。お互いを理解することで、障がい者と健常者の壁が消え、一緒に楽しめることを誰よりも知っている。

「障がいを持つ人間は、自分から発信することに慣れていない」とアルファさん。「この卓球台なら、何も説明しなくても、一目見ただけで『何これ?』『面白い』というワクワク感から、パラ卓球に興味を持ってもらえるのでは」と目を輝かせる。

入院中の子どもたちを慰問する機会があるアルファさん、子どもたちに伝えたいことがあるという。「たとえ病気でベッドにいても、テーブルさえあれば、家族や友達と卓球ができる。それがどんな形のテーブルだとしても。とにかく体を動かすことの楽しさを知ってほしい」

アルファさんを含むナショナルチームのメンバー20名の卓球台のデザインについては、

パラ卓球協会のHPで公開中。https://jptta.or.jp/

立石アルファ裕一(たていし・あるふぁ・ひろかず)
パラ卓球・立位8クラス選手。1983年福岡市生まれ。生まれつき脊椎の一部が形成されず、ひざから下の筋肉が弱く両足ともにつま先に力が入らないため、かかとだけの歩行で生活。2017年全日本パラ選手権優勝、2018年アジアパラ団体3位。家業の立石ガクブチ店を支えながら、東京パラ出場を目指す。

立石イオタ良二(たていし・いおた・りょうじ)
創業大正10 立石ガクブチ店四代目。一般社団法人日本肢体不自由者卓球協会 渉外広報担当。1985年生まれ、アルファ裕一さんの弟。小学5年生の時、兄の影響で卓球を始める。大学時代、全日本学生選手権大会団体銅メダル、ダブルス7位。全日本卓球選手権7位。現在は、コーチとして兄を支える。

「アルファ」「イオタ」というミドルネームは父親の武泰さんが「世界で通用するように」と付けた。ふだんはミドルネームで呼び合うことが多いという。

(text: 下西 由紀子 | Yukiko Shimonishi)

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