福祉 WELFARE

「超福祉展」の仕掛け人、須藤シンジ氏に聞いた「ピープルデザイン」という仕事【the innovator】後編

岸 由利子 | Yuriko Kishi

従来の枠に収まらない新たな発想から生まれた“カッコいい、カワイイ”プロダクトや“ヤバい”テクノロジーを備えた福祉機器を数多く紹介し、国内外から注目を浴びている渋谷発の「超福祉展」。仕掛け人であるNPO法人ピープルデザイン研究所代表理事・須藤シンジ氏の活動は、同展をはじめとする“コトづくり”のみならず、モノづくり、仕事づくり、人づくりなど、領域には多岐に及ぶ。その根底に流れるは、人々の意識をデザインするという形なき思想、「ピープルデザイン」。この生みの親も、また須藤氏である。ピープルデザインが目指す世界とは? 今後、超福祉展はどのように発展していくのか? 須藤氏に、HERO X編集長の杉原行里(あんり)が話を伺った。

モノづくり、コトづくり、仕事づくり、ヒトづくり。
打てば響くのは、次世代を担う若者たち

杉原行里(以下、杉原):世界に先駆け、超高齢化社会に突入している日本ですが、マイノリティや社会的に弱い立場に置かれている人たちと混ざり合う社会づくりにおいて、他の先進国のほうが、より進んでいるような印象を受けることもしばしばあります。その点については、どのようにお考えでしょうか?

須藤シンジ氏(以下、須藤):非常に難しい質問ですが、ひと言で言うなら、もともと遅れている、ということになるかと思います。1996年に母体保護法が制定・公布され、その後、障がい者自立支援法が2005年に制定され、2006年に施行されましたが、それ以前のこの国の障がい者は、いわば、法律的には人として認められているとは言い難い現実があったわけです。先進国比較でいくと、社会福祉などの面では、およそ50年は遅れているのではないでしょうか。

遅れというのは、すなわち、不都合な現実。だからこそ、キレイな言葉を並べるより、その不都合な現実を直視して、掘り下げていき、埋めるべき穴は埋め、捨てるべき部分は捨て、作り直す部分は作ることが、必要だと思います。その一方、この戦後70余年の間に築き上げられてきたやり方では、おそらくこの先、永続性が担保できないだろうし、新たな選択肢が必要になってくるだろうというのが、個人的な意見です。それゆえ、ここ6年間ほどは、「モノづくり」、超福祉展をはじめとする「コトづくり」、障がい者のための「仕事づくり」、そして、次世代の作り手や送り手を育んでいく「ヒトづくり」の4つの領域をベースとした活動を通して、さまざまな提案を投げかけることに力を注いできました。

杉原:周囲の反応はいかがですか?

須藤:圧倒的に言えるのは、学生さんなど、次世代の反応が極めて高いということですね。打てば響くという実感があります。学生に関係する活動をいくつかご紹介させてください。まず、この「JOYFUL」は、昨年の春から、都立高校と県立高校で使用されている英語の教科書です。「A Cool Way to Live Together」という見出しと共に、ピープルデザインのモノづくりやイベントなどをご紹介いただいています。僕たちの活動をピックアップしてくださったのも、非常に若い研究者たちが集っている教科書づくりのメーカーさんです。

国際、大学、自治体。
多彩な連携体制で実現した認知症プロジェクト

須藤:もうひとつは、この2年間に渡って、国内外の大学生と共に行ってきた認知症の共同開発プロジェクト「People with Dementia Project」。これは、オランダのデルフト工科大学との国際連携、慶應義塾大学大学院 博士課程教育リーディングプログラムPLGS、青山学院大学 法学部 法務研究科、教育人間科学部、専修大学 ネットワーク情報学部 ネットワーク情報学科との大学連携、認知症フレンドリージャパン・イニシアチブ(DFJI)との団体連携など、多様な連携によりスタートしたプロジェクトです。学生たちは、現場に入り、各自がピックアップした問題点に対する解決策を提案します。それらを単なるアイデアに留まらせるのではなく、渋谷区や川崎市との自治体連携によって、社会で実装・実験していくというものでした。

今日ちょうど、ここに来る前に、この認知症プロジェクトの最終報告会を行っていたのですが、例えば、認知症の当事者の状況が体験できるVRの開発や、祖父母が元気な時から、孫が聞き手となって、さまざまな想い出を書き留めていき、もし、認知症になった時は、家族との間での会話を促進させていくためにそれらを使うというものなど、学生たちからは、さまざまな提案が上がりました。

また、認知症の進行によって、時間と場所の認知能力が低下することを踏まえて考案された、朝夕の歯みがきの時に、灯りが点く歯ブラシフォルダーや、外出中に自分の居場所が分からなくなるなど、困りごとがあった時に握ることで、家族にSOSを知らせることができるアクセサリー的なものなど、デルフト工科大学の学生からは、今あるテクノロジーを使い方ひとつで実装できる提案などがありました。なかには、ケーススタディとして研究成果を掲げているものもあり、仕入れ値から販売場所に至るまで、社会実装を踏まえたディテールが微細に渡って考慮されていました。

杉原:海外の大学や大学生の学生たちは、社会に繋がるチャンスが多いですよね。国は異なりますが、僕もイギリスの大学でプロダクトデザインを学びました。大学内で行う課題のプレゼンテーションなどは、企業の方などが普通に見に来られたりしますし、そこで披露した提案や研究内容が魅力的であれば、「一緒にやりませんか?」と、ダイレクトに声が掛かります。言うなれば、プロの世界に直結しているからこそ、真剣度が違う。

須藤:その通りだと思います。企業や投資家が、有能な学生本人にアプローチした一例として、2014年当時、デフルト工科大学大学院の1年生だったAlec Momont君の動画プレゼンテーション「Ambulance Drone」をご紹介したいと思います。

須藤:毎年、ヨーロッパで心停止に陥る人は100万人にも上るが、従来の応急手当では、対応に極めて時間を要することから、ほんの8%の人しか助からない。そこで、目的地に1分以内で到着できる、時速100kmで飛行するAED搭載アンビュランス・ドローンを設計。これによって、生存する確率を80%に上げることを可能にした――。この新しいドローンの開発と、通報からわずか1分足らずで迅速に対応できるという方法論の提案は、非常に高く評価され、Alec君は、ある有名企業のシニアマネージャーに大抜擢されました。特筆すべき点は、この動画が発表から4年ほどで、約946万アクセスに達していること。すごいですよね。

同大学の人間工学博士のリチャード・グーセンス教授は、教え子であるAlec君の開発内容を、第1回目の超福祉展で登壇した際に話してくださいました。また、ピープルデザインは、同大学最先端研究所のコンセプトのひとつにもなっています。

杉原:素晴らしい展開です。

須藤:高齢者が増加の一途を辿る中、そこにあるさまざまな課題解決の過程を可視化していくことは、超福祉展のタイド(潮流)のひとつでもあります。

超福祉展、ピープルデザインがもっと面白くなる
二つの“種まき”

杉原行里:超福祉展では、WHILLをはじめ、スズキセニアカーやヤマハ発動機株式会社さんの電動三輪コミューターなど、毎年さまざまなパーソナルモビリティが披露されています。今後は、どのような展開を予定しているのですか?

須藤:世界的には、2015年9月の国連サミットで採択され、2016年1月1日に正式に発効された17の「持続可能な開発目標(SDGs)」を実現するために、2030年に向けて、各国での準備が着々と進められていますし、日本では、超高齢社会に突入するとされる2025年がやがてやって来ます。より広い視点で見ると、大切なのは2020年の先だったりしますが、皆さんと同じで、超福祉展も、2020年をひとつのメルクマールとして捉えています。

モビリティも、さまざまな困りごとを解決するために生まれたプロダクトやサービスなどについても、今後、2018年、2019年、2020年の3回の開催において、ホップ・ステップ・ジャンプの段階を踏みながら、未だ見ぬ将来の芽吹く時期に向かって、それぞれの針路をきちっと見せていきたいと考えています。プロトタイプが本格的に社会実装されていくその過程において、「こういうものがあるんですけど、どうですか?」と提案を投げかけながら、世に顕在化させていくことは、イノベーションを起こす人たちが“種まき”する姿も可視化させていくということですね。

2016年下期より、デフルト工科大学のリサーチフェローに就任させていただき、最近では、オセアニアの大学でも、教鞭をとらせていただいていますが、前編でもお話したように、僕たちの活動領域のひとつである「ヒトづくり」においても、より一層、種まきに精を出して、次世代を育てていきたいと思います。

前編はこちら

須藤シンジ(Shinji Sudo)
1963年、東京都生まれ。有限会社フジヤマストア/ネクスタイド・エヴォリューション代表、NPO法人ピープルデザイン研究所代表理事。デルフト工科大学/Design United/リサーチフェロー。大学卒業後、大手流通系企業に入社。販売、債権回収、バイヤー、宣伝、副店長など、さまざまな職務を経験する。次男が脳性まひで出生したことにより、37歳の時、14年間勤務した同社を退職し、自身が能動的に起こせる活動の切り口を模索し始める。2000年に独立し、マーケティングのコンサルティングを主な業務とする有限会社フジヤマストアを設立。2002年、ファッションを通して、障がい者と健常者が自然と混ざり合う社会の実現を目指し、ソーシャル・プロジェクト「NEXTIDEVOLUTION(ネクスタイド ・エヴォリューション)」を開始し、現在に渡り、「意識のバリアフリー」をメッセージする活動を展開中。その後、「ピープルデザイン」という新たな概念を立ち上げ、障がいの有無を問わずハイセンスに着こなせるアイテムや、各種イベントをプロデュース。2012年には、ダイバーシティの実現を目指すNPOピープルデザイン研究所を創設し、代表理事に就任。2015年より、従来の枠に収まらないアイデアから生まれたクールな福祉機器やテクノロジーを紹介する「超福祉展」を主催している。2016年下期より、デルフト工科大学/Design United/リサーチフェローに就任。

NPO 法人ピープルデザイン研究所
http://www.peopledesign.or.jp/

(text: 岸 由利子 | Yuriko Kishi)

(photo: 佐藤 拓央)

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超人たちが両国国技館に集結!スポーツと音楽の祭典『パラフェス2017』を潜入取材

岸 由利子 | Yuriko Kishi

『パラフェス2017 ~UNLOCK YOURSELF』は、スポーツと音楽の世界でオンリーワンの輝きを放つ超人たちが繰り広げるスペクタクルなパフォーマンス・イベント。2回目となる今年は、両国国技館を舞台に、来年3月のピョンチャンパラリンピックで出場が見込まれるアルペンスキーやパラアイスホッケーの日本選手や、“和製スティービー・ワンダー”の異名を持つ全盲のシンガーソングライター・木下航志氏、歌舞伎俳優の中村壱太郎氏ほか、ブラジルからは、両腕のないミュージシャン、ジョナタ・バストス氏がこの日のためだけに来日するなど、多彩な超人たちが集結し、4300人の観客を感動の渦に巻き込んだ。

歌舞伎俳優がパラリンピックの歴史を紹介!?

今年のパラフェスのテーマは、「冬」。銀世界をイメージさせる映像やライティング、サウンドが見事に融合したステージが、幻想的な美しさを放つ中、オープニングでは、歌舞伎俳優の中村壱太郎氏が女形のこしらえで登場。歌舞伎口上で、パラリンピックの歴史を紹介した。

口上と共に、あらかじめ座席に配布されていたリストバンドが赤・青・緑の光を放つと、観客たちが感動の声を上げた。これらの三色を配したパラリンピックのシンボルマークは「スリーアギトス」と呼ばれている。「アギト」とは、ラテン語で「私は動く」という意味で、困難なことがあっても諦めずに、限界に挑戦し続けるパラリンピアンを表現しており、いずれの色も、世界の国旗で最も多く使われている色であることから選ばれたという。

ブラジルが生んだ奇跡のミュージシャンが奏でる、熱いメロディ

今回が初来日のジョナタ・バストス氏

続いて、パラフェスダンサーズとパラフェス・キッズによるパフォーマンス、パフォーマンス集団「かぐづち」によるLEDを駆使した演舞、さらには、ミュージシャンのジョナタ・バストス氏が、両足でギターを弾くというまさに超人的な神技で演奏を披露。リオパラリンピックの閉会式でも話題を呼んだジョナタ氏のパフォーマンスは、一瞬たりとも目が離せないほど圧巻で、会場は早くも熱気に包まれた。

次に、パラフェスを主催する日本財団パラリンピックサポートセンター(パラサポ)の山脇康会長をはじめ、東京2020組織委員会の森喜朗会長らが登場した。発起人でもある野田聖子衆議院議員が「本当はこの3人で掛け合いの漫才をする予定だったんですけど、緊張してしまって(笑)」と述べると、会場にはドッと笑いが起きた。「どうかここにいる皆さんが、(パラスポーツやパラリンピックに関心のある人とない人の)架け橋になって、明るい日本を誇れるように」と観客にメッセージを送った。

「パラスポーツに対する価値観がガラリと変わった」

次に、応援ゲストを務める俳優・フィルムメーカーの斎藤工氏が登場。会場の熱気はさらに沸き、黄色い歓声が飛ぶも、「仕込みです(笑)」と返し、観客の笑いを誘う。パラスポーツの中で唯一、車いす同士のタックルが認められているウィルチェアーラグビーの代表選手やその周りの人々の生活を追ったドキュメンタリー映画「マーダーボール」を観て、その凄まじい迫力を感じ取り、パラスポーツに対する価値観が変わったという斎藤氏

数ある冬季パラリンピックの中でも、スノーボードの成田緑夢選手に注目していることをアピールした。「先日、対談させていただく機会があったのですが、今、ものすごいエネルギーの塊のような状態の緑夢選手に、エネルギーをもらいました」と熱く語った。

時速100kmでパックが飛んでくる!?
パラアイスホッケーの魅力とは

続いて、応援ゲストの斎藤氏が、冬季パラリンピック競技の選手と共に、競技の魅力や見どころについて紹介するコーナーに突入。最初に登場したのは、パラアイスホッケー日本代表チームから、主将の須藤悟選手高橋和廣選手安中幹雄選手。2010年のバンクーバー大会で銀メダルを獲得して以来、実に8年ぶりのパラリンピック出場をピョンチャン大会で決めたばかりだ。

パラアイスホッケーは、「氷上の格闘技」と言われるほど、アグレッシブでスリリングな競技。「スレッジ」と呼ばれる競技用マシンを囲んで、各選手がルールなどについて説明すると、斎藤氏からは、次々と質問が飛び出た。

中でも印象的だったのは、スレッジに乗り、左右の手に持ったスティックで操る“パック”について、「(体などに)当たることも多々ありますか?」という問いに対する須藤選手の答え。「海外の選手だと、時速100kmくらいで飛んでくることもあります。防具を付けていても痛いですね(笑)」。いかに激しい競技かということが伺える。

快活なトークで会場を盛り上げたMCのnico氏(左)と本田朋子氏


「スキーのストックのように、“これ”で氷を掻きながら進んでいきます」と
高橋選手が、スティックの使い方を説明していると、MCのnico氏が、「え、斎藤さん、(スレッジに)乗ってみたいんですか?」と煽り、観客席からは大きな拍手が。早速、試乗した斎藤氏は、「腕の力をものすごく使いますね」と、バランスを取ることの難しさを実感したもよう。「実際に生で見ると、ぶつかり合う音だったり、迫力が、全然違うんだろうなと思いました」と述べた。

「1月7~13日には、長野で国際大会が開かれます。もしお時間があれば、観戦に来ていただければ幸いです。パラアイスホッケーは、やはり観ていただくと、一番迫力が伝わると思います。それを経て、3月のピョンチャンに挑戦して、最高の結果を出せるように頑張ります」と須藤選手は、冬季パラリンピック大会への意気込みを見せた。

スピードも回転も迫力満点!
冬の花形競技、アルペンスキー

続いて、アルペンスキー界をけん引する3人の日本選手が登場。2年連続ワールドカップ総合優勝を果たした強豪・森井大輝選手をはじめ、前人未到のパラリンピック2大会を連続制覇し、計3個の金メダルを獲得した狩野亮選手、ソチ大会のスラローム(回転)で金メダルを獲得した鈴木猛史選手が、時速120kmを超えるスピードで滑降することや、アルペンスキーの種目の種類などについて、映像と共に紹介した。

ステージ中央にあるのは、森井選手の競技用マシン。斎藤氏nico氏が「カッコイイ!」と声を上げると、森井選手は「世界で一番カッコイイチェアスキーだと思っています」ときっぱり。「シートは、チェアスキーの心臓ともいえる部分で、自分の体の型を基に、F1で使われているドライカーボンという素材で、作っていただいています」とマシンに対するこだわりを力強く語った。

「ちょっと触ってみてもいいですか?」と斎藤氏。「(ドライカーボンは)柔らかくて軽いというか、外は当然硬いんですけれど」と感想を述べると、「シートの部分などは、自分の動きに合わせて、たわむようにできているので、すごくしなやかです」と森井選手がメカニック顔負けの解説を行い、会場には大きな拍手と驚きの声が響き渡った。


https://www.youtube.com/watch?v=T4Xbt6Y8gwg

次に披露されたのは、ピョンチャンでメダル獲得を目指す3選手が登場する本邦初公開のプロモーションムービー「The Change Maker」。アルペンスキーと選手たちの魅力が、スピード感溢れる映像とサウンドで余すことなく表現されており、観客は釘付けに。いかにエクストリームなスポーツであるかということが、ひと目で分かる内容だ。見終えた後、斎藤氏は「もう、マッドマックスもびっくり!みたいな迫力ですね」と興奮気味にコメント。

「僕たちの最大の目標は、表彰台独占です。皆さん、熱い応援をよろしくお願いします」と森井選手が述べると、会場には再び盛大な拍手が鳴り響いた。

日本とブラジルの異才が奏でる、
美しきコラボレーション

続いて、登場したのは全盲のシンガーソングライター・木下航志氏。昨年、国立代々木第一体育館で開催された第1回目のパラフェス(リンク挿入)に続く今回も、好評を博したブラインドコンサートを行った。観客はアイマスクを着け、心に沁み渡る木下氏の美しい歌声を耳だけで味わうという真新しい音楽鑑賞のカタチだ。ギタリストでありピアニストでもあるジョナタ氏が再びステージに登場し、木下氏と一夜限りのコラボレーションによる「スタンド・バイ・ミー」を披露。会場は、一体感と温かいムードに包まれた。

終盤では、ブレイクビーツ・ユニットのHIFANA(ハイファナ)が、「パラスポーツの音(ノイズ)」で創作した新たな音楽を実演。その背後のスクリーンに映し出されたデジタル映像は、リオパラリンピックの名シーンや、振ると音が鳴るメダルなどを独自の手法で紡ぐというユニークな内容だった。イベントの最後を飾ったのは、ロックバンドWANIMA(ワニマ)による応援ライブ。「ともに」「やってみよう」など全5曲を披露し、会場のボルテージは最高潮に達した。

興奮冷めやらぬラストは、出演者一同がステージに立ち、「ピョンチャンパラリンピック、応援よろしくお願いします!」(須藤選手)、「一緒にパラリンピックを盛り上げましょう!」(木下氏)など、各自が想いを述べ、イベントは幕を閉じた。

間近に迫るピョンチャンパラリンピック冬季大会の開幕を祝福すると共に、そこで戦う日本選手たちの活躍に絶大なエールを送るかのようなスペクタクルなパラフェス。今年逃した人は、来年ぜひ足を運んでみて欲しい。

写真・映像提供:日本財団パラリンピックサポートセンター

(text: 岸 由利子 | Yuriko Kishi)

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