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“日本の車いすを変えた男” 株式会社オーエックスエンジニアリング創業者・石井重行【the innovator】中編

長谷川茂雄

バイクを愛し、エンジンやパーツの開発者としてだけでなく、モーターサイクルレースのライダー、ジャーナリストとしても活躍した故石井重行氏。株式会社オーエックスエンジニアリングを創業した同氏は、1984年にバイク試乗中の事故で脊髄を損傷した。そこから「既存の車いすは自分が乗りたいと思えるものがない」という理由で、車いす作りを開始する。その後、石井氏が手掛けたプロダクトは、いつしか世界中のパラアスリートが注目する唯一無二の“名機”として認められるまで進化を遂げる。と同時に、それまで日本で定着していた車いすのデザインや機能はもちろん、ユーザーやメーカーの価値観も一変させた。車いすの歴史を変えた男、石井氏の軌跡を追った。

先代は、デカイことを言って
自分を盛り上げるタイプ(笑)

先代の石井社長が「本当に乗りたいと思える車いすを作る」ことは、そんなに簡単なことではなかった。創業メンバーの一人として、長年に渡り石井氏と苦楽をともにしたM2デザイン研究所OXの開発部門を担う別会社)の飯星龍一氏に、新たなモノづくりにトライし続けた石井氏の不屈のスピリッツと人となりを伺った。やはり、モノづくりに対しては、人一倍こだわりが強かったようだ。

M2デザイン研究所は、OX本社に隣接している。飯星氏は、10代の頃から先代の石井社長を見てきた良き理解者でもある。

「もちろん、(石井氏は)モノづくりに対してのこだわりは強かったですね。事故を起こす前の、オートバイに熱中していた時代から。有言実行するタイプでした。デカイことを言って自分を盛り上げるタイプ(笑)。モノづくりをするようになったのは、20歳のころにレース用のオートバイを自宅のガレージで作り始めたのが最初だと思います。ヤマハのモトクロス用のバイクを、自分好みのレース用に改造していましたよ(笑)。自分は17歳の頃に知り合って、それからずっと付き合いがありました。それで東京の江戸川に店(スポーツショップ イシイ)を出したときに、社員になったんです。もともと自分も先代も本当にバイクが好きでした」

モトクロスバイクのレースによく出場していた、1970年代当時の石井重行氏。

気に入った車いすがなかったのは、逆によかった

バイク好きの仲間だった石井氏飯星氏は、若かりし頃からモノづくりをともに楽しんできた。それだけに事故を起こした当時、飯星氏もショックを受けたそうだが、自分が納得できる車いすを作りたいという先代社長の思いは、会社にも次なる大きな目標を作り出したという。

「事故を起こしたあとは落ち込んで、そうとう荒れていたとは聞いていますね。でも、自分の気に入る車いすがなかったというのは、逆によかったんじゃないですかね。もし自分が気に入るものが世の中にあったら、こんなことはやっていなかったですし、先代も目標を作り出せなかったかもしれません」

石井氏が納得できる車いすを作るというのは、会社のモットーでもある未来を開発するということにも繋がっている。とはいえ、バイク作りのノウハウはあっても、車いすはまったくの別ジャンル。最初はやはり苦労の連続だった。

「車いすを作るノウハウを身に付けるのは、とにかく難しかったですね。最初は生活用モデルの開発から始めましたけど、障がいの度合いによって適合する車いすが違ってくるという知識もありませんでしたので、常につまずきました。先代の社長は比較的障がいが軽いほうだったんですが、社長が乗れても障がいの重い方には乗れないとか、そういうことがよくありました。そのたびに、どこをどうすればいいのか、常に試行錯誤を繰り返しました」

日々、新たな車いすの開発や競技用車いすの製作を行っている。世界のトップ選手が直接出向いて、車いすについてリクエストを出すこともしばしばあるという。

社長を嫌がる人はいませんでした

今までまったく知らなかったフィールドでモノづくりをするのは、やはり一筋縄ではいかなかったが、そんなときも先代は頭をフル回転させて、常に現場で突破口を切り開こうとしていたという。ときにそれは、社員には重荷になることもあった。

「先代は、いいモノづくりをするために努力を惜しまなかったですけど、一つのことにいつまでもこだわったりはしませんでした。そういう意味では、職人気質ではなかったのかもしれません(笑)。とにかく、常にいろんな発想をしていましたね。昨日言ったことと、今日言ってることが違うことはよくありました。だから付き合うのは大変でしたよ(笑)。すべてを真に受けていたらパニックになりますから、こちらも自分で噛み砕いて行動しないといけない。でも、だからといってそんな社長を嫌がる人はいませんでした。会社を辞める人もほとんどいなかったですよ」

個性豊かでエネルギッシュな経営者と付き合うのは大変だったようだが、そんな社長を多くの社員が慕っていた。それは、いいモノづくりをしたいという共通のヴィジョンがあったからかもしれないが、何よりそれを先頭に立ってやろうとする社長にリスペクトがあったという。

「やっぱり(社員は社長に)人間力、魅力を感じていたのだと思います。離れていく人はいなかった。それに社長の言うこととやることには説得力があったんですよ。言ってることがコロコロ変わっても、尊敬の念があるから、みんな文句を言わずに追っていけた。夜も遅い仕事ですけど、面白みを感じることのほうが多かったんじゃないでしょうかね」

OX本社の敷地内には、競技用車いすの溶接、組み立て、塗装といった製造工程を一貫して行える機能がすべて揃っている。耐久性テストを日夜行う施設も完備。ちなみに、日常用車いすの製造は、基本的に新潟の長岡工場で行われている。

後編につづく

前編はこちら

石井重行(いしい・しげゆき)
1948年、千葉生まれ。1971年にヤマハ発動機に入社し、エンジニアとしてのキャリアをスタートさせる。5年後、28歳のときに独立し、東京・北篠崎でオートバイ販売会社「スポーツショップ イシイ」を設立。1984年にテストライディングの際に転倒事故を起こし、下半身不随となる。1988年に株式会社オーエックスエンジニアリングを設立すると車いす事業部を発足させ、本格的に車いすの開発を始動。1992OEMで手掛けた初めての日常用車いす“01-M”を発売。翌年には4輪型テニス車“TR-01”、4輪型バスケットボール車“BW-01”を発売した。以後、パラスポーツ用車いすとしては、陸上競技、テニスともに国内トップシェアになるまでに成長させる。2012123164歳没。

(text: 長谷川茂雄)

(photo: 長谷川茂雄)

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置く場所がないなら、身に付けてしまえ!歩ける椅子「archelis」(前編)【株式会社ニットー:未来創造メーカー】

岸 由利子 | Yuriko Kishi

世界初の“歩ける椅子”『archelis(アルケリス)』―販売前から国内のみならず、海外からも大きな反響を得ているこのウェラブルチェアを医工連携で開発するのは、横浜市鳥浜町に拠点を置く株式会社ニットー。開発を担当する同社代表取締役の藤澤秀行さんと、アルケリス・プロジェクトリーダーの飯田成晃さんにお話を伺いました。

株式会社ニットー 代表取締役の藤澤秀行さん

“一貫生産”という自社の強みを活かしたモノづくりがしたかった

自動車産業中心のプレス金型メーカーとして創立し、今年、創業50周年を迎えた株式会社ニットー。長年培った技術を活かし、現在は、「プレス金型」、「プレス板金加工」、「精密機械加工」、「治工具・設備」の4つの柱を軸に、設計、試作から量産、組み立てに至るまでー分業制で行われてきた従来の製造プロセスを一貫して社内で行えるという異例の体制を確立しています。

「当社の強みである“一貫生産”を活かしたモノづくりをしたい。そんな想いから、2012年より、自社製品の製造に取り組み始めました。その第一作が、iPhoneケースの“Trick Cover”で、製品企画の段階から、製造、販売までトータルに行いました」と話すのは、藤澤秀行さん(以下、藤澤さん)。

iPhone本体を覆うケースと、自由に回転・移動するカバーにより、“ヌンチャク”のようにiPhoneを振り回せることから、「ヌンチャク系」の異名を持つTrick Coverは、クラウドファンディングの活用によって製品化を実現した、日本初の中小企業の自社製品。オープンイノベーションの成功事例として、数々の賞を受賞。海外43ヵ国、累計35,000台以上の販売実績を誇る人気商品です。

「椅子が置けないなら、身に付けてしまえば?」アルケリス誕生のきっかけは、医療ニーズを踏まえた斬新なアイデア

「4年ほど前、ある講演にお招きいただく機会がありました。そこで知り合った医療商社の方とお話していたら、千葉大学フロンティア医工学センター准教授であり、内視鏡外科手術の専門医である川平洋先生が、医療現場ならびに、医師や医療スタッフをサポートできる製品づくりを実現してくれる会社を探していらっしゃることを知りました。医療系の製品開発には、かねてより興味があったので、お引き合わせいただけないかと打診し、その後ほどなくして、川平先生にお会いすることができました。これが、すべての始まりでしたね」

「川平先生とお話したり、手術室を見学させていただいたりする中で分かったのは、医師や医療スタッフの方たちは、長時間に及ぶ手術中、常に立った姿勢を保たなくてはならないということ。かつ、鉗子(かんし)の先端数ミリという高度で微細な技術が求められる腹腔鏡手術を行うので、体幹の安定が必要不可欠だということでした」

手術台をはじめ、既存の設備はそのままに、手術の安定性を保ちながら、どうすれば、手術する側の身体的負担を軽減することができるのかーこの課題を解決すべく、藤澤さん率いるプロジェクトチームが辿り着いたのは、シンプルながら、いまだかつてない斬新な発想です。

「術中は、医師をはじめ、スタッフの方たちは、さまざまにポジションを変えながら、中腰姿勢を保つことが求められます。そして、オペ室は、椅子が置けない現場。“ならば、椅子を身に付けてしまえば良いのでは?”と考えました。中腰で座りたい時だけ座って、立った時には椅子が消える。そんなイメージが浮かびました」

一番の魅力は、中腰の姿勢で、“歩く+座る”を長時間、ラクに安定して保てること

「Archelis(アルケリス)」の開発に取り掛かった最初の一年は、千葉大学フロンティア医工学センターの川平先生、中村先生と日本高分子技研株式会社との連携により、試作品に改良を重ねていきました。

「2015年末ごろより、デザイナーの西村拓紀さんにご賛同いただき、デザイン面でも、コラボレーションすることになりました。通常の製品開発では、機能を下から積みあげていき、最終形態にたどり着きます。アルケリスの場合は、デザインコンセプトを先に決めて、そこに向かって、設計や機構を積み上げて実現するという、従来とはスタート地点からやり方も、すべてが全く異なるものでした」

アルケリスは、片足ずつ独立したセパレート設計なので、自由に姿勢が取れる。装着も、自分で容易にできる。

開発に着手してから2年半。11号機まで改良が重ねられ、格段に進化したアルケリス。最たる特徴は、人間工学に基づいた“エルゴノミクスデザイン”。身体へのフィット感はもちろんのこと、医療現場のニーズに応えるべく、中腰の姿勢で“歩く+座る”の維持を繰り返し行うことを可能にしました。

「普通、中腰の姿勢で長くいると、どうしても腰に負担がかかってしまいますが、アルケリスは、スネと大腿部の広い面積のサポートで圧力を分散しながら、体重を支えているので、中腰の姿勢で座った状態を長時間、安定して保つことができます。一見すると、力を入れているように見えるかもしれませんが、実は下半身の筋肉は使っていません。スネと大腿部の2点に力を分散することで、体幹がしっかりするので、安定性を保ちながら、筋肉に負担を与えることなく、“歩く・座る”の姿勢をラクに行えます」

さらに、オペ室という特殊環境に最適化されたコードレスなので、バッテリーもなければ、モーターもありません。電源不要というアナログ機器ならではの“常に使える”という利点が、安定した高いパフォーマンスを実現します。

(※後編へ続く)

(text: 岸 由利子 | Yuriko Kishi)

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