対談 CONVERSATION

“支える”ではなく“揺らす”!?佐野教授が辿り着いた世界初の歩行支援理論とは【the innovator】後編

岸 由利子 | Yuriko Kishi

電気、モーターやバッテリーなどを一切使わず、振り子とバネの力だけで、歩く力をアシストする『ACSIVE(アクシブ)』。これは、名古屋工業大学の佐野明人教授が、15年以上にわたり研究・解明してきた「受動歩行」の理論を基に、同大学と株式会社今仙技術研究所が約4年の歳月をかけて共同研究・開発した世界初の“無動力歩行支援機”だ。2017年6月に発売された『aLQ(アルク)』も、無動力で歩行をアシストする歩行支援機だが、ACSIVE(アクシブ)のノウハウをベースにさらなる進化が加わったという。両者の違いとは?揺らす支援とは?その先の未来に描く世界とは?受動歩行ロボット研究の世界的権威、佐野教授とHERO X編集長の杉原行里(あんり)の対談をお届けする。

オープンマインドで築いていく未来予想図

杉原:2020のオリパラ、2025年の超高齢化社会に向けて、さまざまな企業やメーカーがピッチを上げて歩行器具をはじめとした製品開発に力を注ぐ中、その第一線で扉を開いたACSIVE(アクシブ)とaLQ(アルク)は、パイオニア的存在だと僕は思っています。今後、どのような展開を予定しているのですか?

佐野:何事においても、現代は“地図”が描きづらい時代だと思います。私たちも、未来予想図は描ききれていないのですが、「コンパス(方位磁針)を見ながら、進んでいくこと」が、これからは大切になってくるのではないかと考えています。例えば、北に向かう時、当然ながら、その方向に向かって進んで行きますが、風や地面の傾きなど、その時々で変わる状況に順応していく必要がありますよね。航海や山登りにおいて、行き先を常に確認しながら、進んでいくことが達成の肝であるように、私たちも、社会的な情勢や新技術の開発など、起こり得る変化に対して、どのように関わっていくべきかをその都度考え、臨機応変に対応できる柔軟性が必要だと思っています。

杉原:ACSIVE(アクシブ)やaLQ(アルク)に、センシングを付けることなどは、検討されていますか?

佐野:はい、それは考えています。2016 年 5 月には、JINS MEME」さんとご一緒させていただき、自分の歩行診断ができるウェアラブルメガネとACSIVE(アクシブ)を付けて歩くという無料体験会を愛知県大府市の「あいち健康の森公園」で行いました。付ける前後で、歩きがどう変化するかを見ていくのですが、参加者の方たちは、スピードなど、自分の歩行に関するデータに大変興味を持たれていました。

杉原:万歩計と一緒ですよね。ある意味、自分との競争みたいな感じになってくるというか(笑)。

佐野:これは聞いた話なのですが、血圧って、病院で測ると少し高めに出るので、自宅でも測れると良いと言われているそうです。ACSIVE(アクシブ)やaLQ(アルク)も、今後、いかにユーザーの方たちの日常的なデータを得られるかが、要になってくると思います。ACSIVE(アクシブ)は、医療機関での使用と平行して、aLQ(アルク)と同様に、一般にも販売しています。もし、製品にセンサーが付いていれば、散歩や旅行など、ユーザーの方の日常生活のデータをより正確に収集できるようになる。つまり、開発する側の私たちにとっては、歩くことに関する一種のプラットフォームになります。

適用範囲もできるかぎり狭めずに、広がりを持たせていきたいと考えています。福祉や健康の分野はもちろんですが、例えば、道なき道に向かう救助に携わる人や山で働く人をはじめ、配達業務など、脚を酷使する仕事に就く方の負担軽減にも役立てるのではないかと。ACSIVE(アクシブ)は、以前、ナゴヤドームのビールの売り子さんにテストしていただいたことがあります。

杉原:オープンマインドにしていくと、可能性は広がりますよね。ACSIVE(アクシブ)をツールの一つとして考えればいいということですよね?

佐野:その通りです。古くから願い事を叶えるために、人々がお百度参りしてきたように、あるいは、美しいモデル歩きを見ると魅了されるように、歩くという動作そのものが、文化的なものを継承している側面があります。最近、私は、これを「歩く文化」と呼んでいるのですが、歩く文化に貢献できるなら、未だ見ぬ領域にもチャレンジしていきたいです。

杉原:例えば、ファッションなどの異分野とのコラボレーションも視野にありますか?

佐野:はい。今後、どんな接点がどこに生まれてくるのか、現時点では分からないのですが、ACSIVE(アクシブ)に関して言うと、ノルディック・ウォークの普及に努められている神戸常盤大学の柳本有二教授からラブコールをいただきまして、使っていただいています。

ACSIVE(アクシブ)は、ヒップユニットのバネを縮めて蓄えた力を放出することで、脚を軽く前に振り出すことができます。体が前傾すると、バネに蓄える力が弱くなるので、しっかり前を向いた方がより良いのですが、ノルディック・ウォークの場合、ポールを突くことで、体が自然と立ちます。それによって、バネがしっかり伸びるので、ACSIVE(アクシブ)をつけてノルディック・ウォークすると、非常に効果が出やすいんですね。

杉原:歩く文化に貢献していきたいと、先ほどおっしゃいましたが、その活動を通して、どんな世の中になれば理想的だと思いますか?

佐野:磯野さんファミリーじゃないけれど、「ACSIVE(アクシブ)、持った?」と奥さんやお母さんから自然に声がかかるような、家族の日常生活に溶け込んだイメージでしょうか。親も子供も、おじいちゃんもおばあちゃんも、皆それぞれ、色んな形で歩いています。ACSIVE(アクシブ)とaLQ(アルク)は、使う場面や用途など、少しすみ分けをしているという話をしましたが、人それぞれの歩行を助けるために、当たり前に使うものになれたら、福祉的な用具に対する世の中の認識もガラッと変わってくるんじゃないかなと思います。

「着けて歩いている人を街中で見ましたよ」と周りの人からは聞くのですが、私自身は、まだ一度も街で見たことがないんです。ACSIVE(アクシブ)もaLQ(アルク)も、街で見かけるようになれたら、普及度も少し実感できるかなと思うのですが。

杉原: 自分が開発に携わったプロダクトを街中で見るほど、嬉しいことはないですよね。僕もデザインに携わる者として、その気持ちはすごくよく分かります。そのプロダクトを持ってくれている方に、握手を求めたくなりますもん(笑)。あの胸の高鳴り、テンションの上がり方は、作り手だけの特権だと思います。

佐野:ぜひとも、見てみたいですね。

杉原:近いんじゃないですか?

前編はこちら

中編はこちら

佐野明人(さの・あきひと)
国立大学法人 名古屋工業大学
大学院工学研究科 電気・機械工学専攻 教授
1963年岐阜県生まれ。1987年岐阜大学大学院工学研究科修士課程修了。1992年博士(工学)(名古屋大学)。2002年スタンフォード大学客員研究員。受動歩行・走行、歩行支援、触覚・触感などの研究に従事。2009年「世界で最も長く歩いた受動歩行ロボット」でギネス世界記録認定。2014年9月、世界初の無動力歩行支援機『ACSIVE(アクシブ)』を実用化。2017年6月、ACSIVE(アクシブ)をベースに、健康づくりのために、誰もが手軽に使える無動力歩行アシストをコンセプトに開発した『aLQ(アルク)』を発表。2010・2011年度日本ロボット学会理事、2015・2016年度計測自動制御学会理事。日本機械学会フェロー、日本ロボット学会フェロー。

株式会社 今仙技術研究所(ACSIVE)
www.imasengiken.co.jp

株式会社 今仙電機製作所(aLQ)
www.imasen.co.jp/alq.html

(text: 岸 由利子 | Yuriko Kishi)

(photo: 壬生マリコ)

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対談 CONVERSATION

20代をともに過ごした2人が実現させた応援歌『ノンフィクション』

川瀬拓郎

人気のロックヴォーカルデュオ、Honey L Days(ハニー エル デイズ/通称ハニエル)のKYOHEIとHERO X編集長の杉原は、公私に渡って15年以上の友人関係にある。TOKYO2020を迎え、車いすレーサー伊藤智也選手への公式応援歌として起用されたのが、この度リリースされるハニエルの新曲『ノンフィクション』だ。2人の出会いから、この曲が生まれるまでの経緯を語っていただいた。

英国留学体験がきっかけとなり、
意気投合した学生時代

――15年以上の付き合いがあるというお二人ですが、どのように出会ったのでしょうか?

KYOHEI:お互い気が合いそうだからと、友人を介して出会ったのがきっかけでした。僕は大学で建築を学びながら音楽活動を行っていて、すでに今の相方(MITSUAKI)とは出会っていたのですが、ハニエルとしてはまだ活動していなかった頃です。当時から、行里はデザイナーと名乗っていて、その頃からことある度に、モビリティのデッサン画をよく見せられました。他の友達が大学生活を漫然と過ごしている中で、勉強とは別の目的意識を持った、数少ない同志のようなつながりを感じていました。

杉原:いまはデザイナーと言うよりは、コンダクター的な立場でデザインに関わっていますが、寝る時間を惜しむほど夢中になってデザインに取り組んでいたあの頃の気持ちが、現在の自分の役割に生かされていると、つくづく感じます。KYOHEIと会うと当時の様々な出来事を思い出しますね(笑)。当時僕はイギリスに留学していて、3ヶ月くらい日本に戻っているときに紹介してもらったのかな。その紹介してくれた友人というのも英国留学経験があり、KYOHEIも同じでした。現地で顔を合わせたことはないのですが、ちょうど同じ時期に留学していたこともあってか、意気投合したよね。

KYOHEI:当時の行里の印象は「変わった奴だなぁ」って……。だって、ナイロン製の宇宙服みたいな服を着て、ゴーグルを着けていたんだもん(笑)。

杉原:そんな時期があったねー(笑)。なんでそんな格好をしていたのか、今となってはもうわからないけど。あの頃はトンがってたからなぁ。その後も付き合いが続いて、ライブに足を運ぶようになっていました。KYOHEIの大きな転機となったのは、2010年に発表された『まなざし』という曲が、男子新体操を舞台にしたテレビドラマ『タンブリング』に使用されてブレイクしたことだよね。そのときは仲間内でも大盛り上がりでした。

活路を見出した応援歌という
スタイルと3.11後の活動

――新体操をテーマにしたTBS系ドラマの『タンブリング』ですね。ハニエルは常にスポーツとの接点がありますよね?

KYOHEI:デビューしてからしばらくは、「自分たちはコレだ!」っていう明確なスタイルがなくて、暗中模索していたのです。自分でもスポーツは好きでやっていたんですが、ルックス的にもスポーツとは離れているし……。そんなとき『タンブリング』の主題歌を担当することになって、初めてスポーツを意識したのです。そうして、応援歌のような歌詞とメロディーが生まれて、「よし自分たちのスタイルはコレだ!」と。30代を目前として、これが最後のチャンスだと自分に言い聞かせながら作曲に取り組んでいていました。特に最初からスポーツの応援歌を作ろうと意識したわけではないんですが、結果的に悩んでいた自分自身や、人生の岐路に立った仲間たちへ向けた歌にもなっていったのです。

杉原:その頃、ちょうど僕も同じく30歳手前で。自分自身の手であれこれ作ってみたり、がむしゃらに仕事に打ち込んでいました。夜中の4時まで作業をしては、まだ起きて仕事している仲間同士でSkypeを通じて励まし合うこともよくありました。切磋琢磨している同士が身近にいたから頑張れたし、目標に向かって必死に過ごしてきた20代があってこそ、現在に繋がっていると思えます。僕に取ってKYOHEIはその同志の1人なんです。20代は、コトは作れても場を作れなかった。30代になって場を作れるようになったら、いつかKYOHEIと一緒に何かやりたいね、という話をずっとしていたんです。その後自分のスタイルを確立したKYOHEIは、青森山田高校サッカー部の応援歌『がんばれ』や、柔道グランドスラムTOKYO 2010のテーマ曲『Believe』とか、次々とヒットを生み出していったね。

KYOHEI:『がんばれ』という曲は、活動がようやく軌道に乗ってきた矢先に起きた3.11の後に発表された曲でした。リリースの延期やイベントやライブ活動も一旦休止になるなど、とても他人の心配をしているような状況ではなかったのですが、東京でジッとしていても仕方がないと思っていました。そこで、毎月のように被災地まで自走で出向き、避難所や被災した学校でライブ活動をしていました。被災直後はまだ、がんばれと歌える状況ではなかったのですが、段階的に復興の道筋が見えてきたとき、この『がんばれ』という曲が被災したみなさんの心に寄り添っていったのかなと思っています。そのとき、人のために歌える喜びというのを実感しました。去年、青森山田高校サッカー部の黒田監督に気に入って頂き、応援歌として吹奏楽部や応援団が演奏してくれています。そのせいもあって、東北地方のtiktokユーザーの間で、最近この曲がバズっているそうで嬉しいですね。

杉原:ハニエルは歌詞が響くんですよね。でも、カラオケでは歌わないんです。だって、ハニエルの曲って、キーが高いから一曲歌うだけで疲弊してしまう(笑)。もっとキーを下げて作曲してよ。

KYOHEI:キーを下げる機能を使えばいいじゃん!(笑)。

――作曲方法はどんなパターンがあるのでしょうか?

KYOHEI:最初に歌詞が出来上がってから曲を付ける場合もありますし、曲が仕上がってから歌詞を付けていく場合もあります。それから、曲と歌詞が同時にできることもありますし、特に決めてはいません。

杉原:以前、僕もバッキングヴォーカルとして、レコーディングに参加したことがあるんですよ。KYOHEIに呼びだされた場所がなんとスタジオで、突然参加することになって驚きました(笑)。あの日は帰るタイミングを逃して、夜中までずっといたね(笑)。実はRDSの製品プロモーションビデオ用の楽曲をKYOHEIに依頼していたこともあり、裏ではコラボしていたのですが、表立って僕たちがコラボするのが、先日の記者発表で明かした伊藤選手への楽曲です。 “30代になったら一緒になにかやりたいね” 若かりし頃そう語り合っていた目標を今回、かたちにすることができました。

KYOHEI:東京都が主催するチーム・ビヨンドに参加していることもあって、今回のプロジェクトは自然な流れでした。今回の伊藤選手のプロジェクトには、前向きでいいオーラを持っている人間ばかりが集まっていることも作用しているのかも知れません。行里の紹介で伊藤選手にもお会いして、その人間的な魅力に惹かれました。『ノンフィクション』という曲名なのですが、伊藤さんにぴったりだと思います。

杉原:記者会見では伊藤さん、めっちゃテンション上がってたもん。泣きそうになっていたくらい。うちらが長い時間をかけて作ったマシンよりも、ハニエルの曲の方が嬉しかったみたいで、ひどいよなぁ〜(笑)。

伊藤選手がヒーローになるとき
心の中に流れるメロディーを


伊藤智也選手モデルのレーサー・WF01TRのPVでは、Honey L Days『ノンフィクション』が流れる。

――先日のドバイ大会では、伊藤選手の予言通り、100m/400m/1500m全ていい形で東京2020の出場が内定しました。いよいよ楽しみになってきましたね。

杉原:僕ら世代にとって東京2020は、直接的に携わることができる一生に一度の大イベント。この祭りに参加することを躊躇している人たちにも、一緒に楽しもうよと働きかけたいのです。僕はテクノロジーとデザインで関わり、KYOHEIは音楽、いろんな人がこのプロジェクトに携わっています。「チーム伊藤」は、皆、伊藤選手をヒーローにすべく最大限のできる力を持ち寄っていますが、伊藤選手が中心というわけではなく、このプロジェクトに参加しているみんなが集まって、点が繋がっていくイメージなんです。スポーツ、音楽、アートは多くの人に訴えかけることができる強力なツール。こうして、KYOHEIときちんと仕事ができるまで、10年以上の時間がかかったのですが、ようやく「チーム伊藤」として形になりました。映像やプロモーションなど、異なる立場の人間がそれぞれの能力を発揮して、チームをビルドアップしていったのですが、その最後に抜けていたピースである“音楽”が、ようやくここにハマったという感じですね。やっぱり音楽には、直感的に人を突き動かす力があるんです。

KYOHEI:勝負って、他人と競い合っているようで、実際は自分自身との闘いであると思うのです。個人競技だと、なおさらそう思うのです。結果として相手に負けたとしても、自分に勝てたと思えた時点で意味があると思うし、その過程こそが重要だと思うのです。そして、その結果が、必ず次につながるはずだから。僕が意識したのは、伊藤選手の力強い走りに合うリズムとコーラス。それから、作り手しか分からない想いよりも、観客のみなさんが自分の想いと重ね合わせられるような歌詞です。

杉原:陸上競技はすごくルールがシビアで、競技中は観客も手拍子してはいけないんです。でも、観客の皆さんの心の中でこの曲が鳴っていて、その躍動感が伊藤選手を後押しするようになればいいですね。そして、伊藤選手が本当のヒーローになってほしい。ヒーローとは、自分がなりたくてなれるものではなく、なるべくしてなるものだと思うのです。その裏に多くの人の協力と準備があって、その仕上げをきっちり決めてくれるのが本当のヒーローなのかな。

KYOHEI:伊藤選手を鼓舞するようなコーラスがこの曲のクライマックスなのですが、歌詞の最後に「また僕は始められるさ」というフレーズがあるんです。伊藤選手が競技に復活できたのは、そこに信じられる仲間がいたから。何度でもまた始められることを、伊藤選手が体現してくれたら最高ですね。まさにこのチーム伊藤のプロジェクトが、曲名通り『ノンフィクション』になる瞬間をこの目で見たいんです。

杉原:2020年、57歳のおじさんが見事に復活しただけでなく、TOKYO2020で優勝したら、多くの人の心を突き動かすはず。アスリート自身はもちろんですが、たった数日だけのために、これだけ多くの人間が伊藤選手を支えているというのは、改めてすごいことだと思えるのです。誰しも歳を取れば、身体は衰えてくる。でも、精神は老化しないはず。実際に、伊藤選手に接しているチームのみんながそのことを実感しているのです。ここまでたくさんの遠回りをしてきましたし、もっとこうすれば良かったということはありますが、チーム伊藤として
KYOHEIと仕事ができたことは、本当に感慨深いものがあります。

KYOHEI:選手に注目が集まるのは当然ですが、その周囲にたくさんの人が動いていて、それぞれの立場でこの大舞台の準備をしているのです。このプロジェクトに参加しているひとりひとりが手を繋ぎ、大きな力となれば、もっと大きな夢が見えるはず。たくさんの人にこの取り組みがあることを知って欲しいし、ひとりひとりの『ノンフィクション』が、2020で実現すれば最高ですね。

Honey L Days(ハニー エル デイズ) KYOHEI
1981年生まれ、神奈川県出身。学生時代からバンドを中心にライブ活動を行っていた KYOHEI (Vo,Gu) と、ゴスペルグループで活動を行っていた MITSUAKI (Vo) が、舞台出演をきっかけに出会い、Honey L Days を結成。2008年、avex trax よりメジャーデビュー。2010年にリリースした 4th シングル「まなざし」が、テレビドラマ『タンブリング』の主題歌に起用され、着うたが100万ダウンロードを記録。2014年には“壁ドン”ブームの火付け役となった、映画『 L♡DK 』の主題歌「君色デイズ」をリリースしスマッシュヒット。2018年、初となるベストアルバム「The Best Days」もリリース。待望のニューアルバム「ノンフィクション」は2020年1月20日に発売。

1月20日(月)にHoney L Days待望のアルバム
「ノンフィクション」のリリースが決定!
伊藤智也選手の応援歌になっている「ノンフィクション」をはじめ、映画『L♡DK ひとつ屋根の下、「スキ」がふたつ』の挿入歌となった「君が笑っていてくれるなら」、タイガー魔法瓶ショートフィルム「あなたと・・・〜 To Be With You 〜 」主題歌「あなたと」等、書き下ろしテーマソングの他、LIVEの定番曲や新曲、音源化を待ち望まれた様々な楽曲を収録。アルバムリリースに先駆けてアルバムの中から先行配信がスタート!また、アルバムリリースに伴い、1月よりワンマンライブツアーも決定!
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1月20日(月)初台Doors
1月25日(土)心斎橋JANUS
1月26日(日)新横浜LiT
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詳しくは公式HPSNSをチェック!

(text: 川瀬拓郎)

(photo: 壬生マリコ)

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