対談 CONVERSATION

大どんでん返しなるか!?“ゼロ100”に賭ける天性の勝負師、夏目堅司。いざ、ピョンチャンへ!【2018年冬季パラリンピック注目選手】前編

岸 由利子 | Yuriko Kishi

つい最近まで、スランプ状態が続いていたことを前回のインタビューで激白したチェアスキーヤーの夏目堅司選手に、朗報が舞い込んだ。ピョンチャンパラリンピックの日本代表選手として、日本障がい者スキー連盟から推薦を受け、2月14日、日本パラリンピック委員会(JPC)より、正式に夏目選手が選出されたことが発表された。同大会で夏目選手が使用するのは、「シリウス」を名に冠したオーダーメードマシン“夏目モデル”。その開発を手掛けたのは、彼が所属するRDS社の専務取締役兼クリエイティブ・ディレクターであり、HERO X 編集長の杉原行里(あんり)率いるエンジニアチームだ。波乱曲折の勝負世界で戦う夏目選手とは、アスリートと開発者の関係にあると共に、時に、夏目選手の奮起を促すカンフル剤的存在として寄り添ってきた杉原が、大会直前の心境に迫った。

とことん運の強い男、夏目堅司!?

杉原行里(以下、杉原):推薦、おめでとうございます。今の心境はどうですか?

夏目堅司選手(以下、夏目):ありがとうございます。ホッとした気持ちもありますが、正直言うと、それ以上に、ヤバいなという気持ちが今、強くあって。これからピョンチャン大会までに、どれだけ自分のレベルを上げられるかということが、すごく大事になってくると思います。大会前のワールドカップでも、成績は、当然求められるでしょうし、“気合いを入れて、やらなくちゃ”という感じです。

杉原:ポジティブな意味での、ヤバいということですよね。推薦の連絡を受けた時、堅司くんは、自分のマシンにカーボンを貼る作業に集中していました。そこに、僕が暗いトーンの声で「ねぇ、聞いた?」と切り出すと、「え?何のことですか?」と不安げな顔をしたから、「堅司くんって、とことん運が強いなぁ」って。あえて、ちょっと意地悪な演出をしてみました(笑)。推薦をいただけるかどうかは、本当にギリギリのところだったし、ついその2時間前までは、チェアスキーヤーとしてではなく、夏目堅司という一人の男の進路について話し合っていたのに、状況がガラッと一変して…。

夏目:「(推薦が)出たらしいよ」と聞いて、嬉しかったのと同時に、「ああ、僕は今回、引退させてもらえなかったんだ」と思いました。

杉原: 運が強いというのは、いつもギリギリで滑り込んでいくから。意図してそうしているわけではなくて、堅司くんが、元々、持っているものじゃないかと僕は思います。今回、ギリギリで手にしたその運を良い方に持っていくか、悪い方にもっていくかは、他でもない、堅司くん次第だよね。

覚醒。「ゼロか100か」の原点に立ち戻る

夏目:僕が悩みあぐねていた時に、杉原さんはこう言ってくれましたよね。「堅司くんは、ゼロか100でいいんだと思う。野球で言うところの三振かホームランでいいんだよ」って。それを言われた時にハッとしました。自分って、確かにそうだよなと。

杉原:チェアスキーの日本代表選手に、大輝くん森井大輝選手)、亮くん狩野亮選手)、猛史くん鈴木猛史選手)がいる中で、野球に例えると、4番打者は、亮くんだと思うんです。猛史くんは、特色を生かして1番打者、器用な大輝くんは、3番打者。それなのに、なぜか堅司くんは、3番打者を狙おうとしていた。だから、「三振かホームランのバッターなのに、どうしてシングルヒットを狙いに行こうとするの? なぜ、そんなつまらない滑りをしようとするの?」と尋ねたんです。

夏目:いつの間にか、そこを狙いに行く自分がいました。指摘されて初めて、気づかされました。

杉原:三振だとしても、責める人間はいないですよね。ただ、三振かホームランを期待して観客は観ているのに、シングルヒットばかり狙うバッターって、残念だなって僕は思います。その結果、2割1分くらいの成績だったりして。堅司くんは、ゼロか100かというやり方でずっとやってきて、ここまで来たわけだから、それを貫いた方が良いんじゃないのかなって思いました。

夏目:本当に、その通りだと思います。

杉原:今、ピョンチャン前のこの時期にこんなことを言って、「何を言ってるの?」と思われるかもしれないけど、堅司くんのマシンの開発に携わってきたひとりとして言わせてください。多分、ハマったら、速いんですよ。車のレースや自転車競技のように、チェアスキーも、マシンと自分の体が、本当の意味で一体化する瞬間があると思うんです。それをピョンチャン大会までに手に入れることができたら、すなわち、ハマれば、ホームランは期待できるし、メダルを獲得できると僕は思っています。それを探しにいく旅に、これから出るんですよね?

夏目:もちろんです。

杉原:その瞬間が、いつ、どこで訪れるかは分からないけど、例えば、昨日まですごく悩んでいて、でも、何かを劇的に変えたわけでもないのに、パーッと道が拓けることもあるじゃない? もし、ハマらなければ、メダルどころか、スタートの50m先くらいで転倒しているかもしれない。でもそれは、まぎれもなく自分らしく攻めた結果になると思います。勝負の世界だから、あって当然のことだと。

ピョンチャン大会、
チェアスキーヤー人生の締めくくりにしたい

杉原:パラリンピックにかける想いは、選手それぞれにあると思いますが、どうですか? ピョンチャン大会で、2022年の北京大会を目指せる成績が出たら、目指していくことになるかもしれないけど、年齢的に考えても、堅司くんは、他の選手とはまた臨み方が違うのかなと。

夏目:自分の中で、ひとつの締めくくりになるかなと思っています。

杉原:集大成的な感じでしょうか?

夏目:はい。だからこそ、ゼロか100かということに自分を賭けるべきだと思うし、そこには、迷いがない気持ちで挑みたいです。

杉原:もし今回、メダルを獲れたら、記者会見では、“奥さんより、まず杉原さんに感謝したいです”って、言ってくださいね(笑)。今から原稿用意しておかないと(笑)。冗談はさておき、今まで聞いたことがなかったけど、RDS社に入って、何か変わりましたか?

夏目:杉原さんが森井くんと出逢ってからの歴史の中に、僕が入り込むようなかたちで知り合って、RDSに入社させていただくに至りました。ご存知のように、僕は、マシンを自分で切り拓いてきた人間ではありません。当初は、森井くんのように、自分のシートをこうしたいという明確なイメージや強いこだわりというものは持っていませんでした。入社してからは、マシンのことも含めて、自発的に探求、追求していかないといけないということを日々、身に沁みて痛感しています。まだまだ足りていないとは思いますが、努めて、自ら探求、追求するようになったことは、僕にとっては、大きな変化と言えるかもしれません。

杉原:エンジニアでも、デザイナーでも、どんな職種であっても、おそらく入社当時の誰もが、最も苦しむところだと思いますが、当社では、与えられた業務だけをこなせば良いというスタイルとは違って、常に探究心を持ち、自分で切り拓いていかなければならない。モノを開発する過程においても、たくさん勉強しないとできないし、常にアンテナを張っていないといけないし、そこは、堅司くんも大変だったのではないかと思います。

後編につづく

夏目堅司(Kenji Natsume)
1974年、長野県生まれ。白馬八方尾根スキースクールでインストラクターとして活躍していたが、2004年にモーグルジャンプの着地時にバランスを崩して脊髄を損傷。車いす生活となるも、リハビリ中にチェアスキーと出会い、その年の冬にはゲレンデに復帰。翌年、レースを始め急成長を遂げ、わずか1年でナショナルチームに入り、2010年バンクーバー大会、2014年ソチ大会への出場を果たした。RDS社所属。

(text: 岸 由利子 | Yuriko Kishi)

(photo: 増元幸司)

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対談 CONVERSATION

モータースポーツの未来を駆けるMIE RACING

Yuka Shingai

新型コロナウイルスの影響か、他人との接触を抑えて移動ができるバイクの人気が上がっている。2021年上半期の二輪免許の新規取得数は約13万7000件と前年同期比36%増、それに伴いバイクの販売台数も飛躍的に伸びている。モータースポーツ人気も白熱しそうな今、1人の日本人女性がスーパーバイクの命運を賭けて世界中を奔走している。チェコ・プラハに本拠地を置くMIE RACING (エム・アイ・イー・レーシング)代表取締役・森脇緑氏だ。HERO X編集長・杉原がスーパーバイクの可能性や、モータースポーツの未来について、森脇氏と語った。

モータースポーツが好きな若者に
チャンスを与えることが活動の源泉

杉原:今日はよろしくお願いします。世界を駆け巡る緑さんですが、今日はどちらにいらっしゃるのでしょうか?

森脇:バルセロナ空港の駐車場です。今からイタリアに向かいます(笑)。

杉原:そんな中、ありがとうございます。まずは、緑さんが現在のビジネスを始められたきっかけを教えていただけますか?

森脇:生い立ちから話しますと、祖父は “ポップ吉村”の愛称で知られたオートバイチューニング技術者で、オートバイ部品・用品メーカー、ヨシムラジャパン創業者です。その昔は全日空や米軍基地で飛行機やマシンの整備士もしていました。父の森脇護は、元オートバイレーサー、元レーシングドライバーで現オートバイチューニング技術者。二輪・四輪車用品・部品メーカー、モリワキエンジニアリングの創業者で、発明家でもあります。

モータースポーツにゆかりのある家庭で育ったので、私は工業高校卒業後、オーストラリアで1年、アメリカで1年、SUZUKI系列のチームでアシスタントマネジャーを担当していました。と言っても、勝手に行ったので勘当同然だったのですがね。

杉原:まずそれが信じられないです。ある日突然子どもがオーストラリアに行っちゃったら、ご家族はどれだけびっくりするか。

森脇:親はカンカンでした。アメリカで仕事を始めて1年くらい、90年代後半に法規制が変わり、国内販売だけでは商売が立ち行かなくなりそうだからレースや輸出も含めて海外進出を手伝ってほしいと両親から連絡があり帰国しました。その後、2003年頃からMotoGPのレースに参加し始めました。ワールドスーパーバイク(スーパーバイク世界選手権)については今から4年ほど前に自ら計画して、2019年にホンダ・レーシングとともに参戦しました。2020年にモリワキエンジニアリングを離れて、自らのチーム「MIE RACING」として参戦しています。

杉原:ご自身のチームとしてワールドスーパーバイクに参戦されたのは何か理由があったんですか? MotoGPとスーパーバイクの違いも合わせて教えていただけますか。

森脇:F1とGTレースみたいなものですね。F1はレース専用に開発されたマシンであることが特徴で、GTレースはストリートで走れる市販の自動車をレース用に改造したマシンです。MotoGPはF1のようなプロトタイプですから公道では走れない、レースのために生まれたバイク。スーパーバイクは普通に買えるバイクをレギュレーションの中でチューニングしてパフォーマンスを行います。

私にとってレース参戦は、もちろん好きだからというのもあるけど、全て未来に繋がる活動なんですよね。モータースポーツが好きな、世界中の子どもたちにチャンスを与えたいんです。レースのために作られたマシンで走るMotoGPはハードルが高く狭き門なのでチャンスがなかなか得られません。それよりも、スーパーバイクのほうが若きライダーにとって可能性があります。

とはいっても自分のチームを回して、ライダーを送り出すだけでは意味がなくて。レースが盛んな欧州圏以外、東南アジアとか南米にも素晴らしいライダーはいるんだけど、自国で走れる環境も理解者もいないのでとにかくチャンスがないわけです。だからといって、他のチームに訴えかけても机上の空論に走ってしまうかもしれない。だったら信念を貫くためには自分でチームを持って自分でやろうみたいな感じです。私シンプルなんですよ。

Motogp(2003)と
ワールドスーパーバイク選手権の
チームを立ち上げた女性は世界初

杉原:今年加入したレアンドロ・メルカドはアルゼンチン出身のライダーですね。あえてこの聞き方をしますが、日本人女性がチーム運営するというのは相当レアではないですか?

森脇:レアというか、4輪2輪も合わせて、国籍に関わらず女性が1からチームを立ち上げることが世界初らしいです。大変ですよねって言われますけど、逆に大変じゃないことなんて世の中にないじゃないですか。もちろん誰かに頼まれているわけじゃなくて、自分の意志で挑戦しているんだけど、モータースポーツ独特の慣習を乗り切る上では、押すだけじゃなくスマートに立ち回らなくてはいけないシーンも数々ありました。常に未来を考えながら、一歩ずつ着実に結果を出していくことで20数年やってきた感じですね。

杉原:女性限定フォーミュラ選手権「Wシリーズ」が登場して、女性の参加も増えてきましたが、モータースポーツにおける男女比はやはり機械が関わってくる分、男性が多くなってしまいますよね。

森脇:欧州でもモータースポーツはなかなか女性が入っていけない、関心というか接点を持ちにくい世界ではありますね。レースの見た目はすごく派手だし華やかな世界だけど、それは最後の数パーセントの話であって、残りは日々のプランニングの積み重ねです。

杉原:それでも、緑さんは挑戦を続けてきた。

森脇:当然、レースの結果で嬉しいことも苦しいこともあるけれど、私はいつも数か月後、数年後という未来、自分の立ち位置はその時どうあるべきか、何を世の中に残せるのかを見ているんですよ。

今って、色んなことが規則で縛られて自分の意見が言えないとか、正しくあらねばならないとか生きづらい時代でもありますよね。だけど正しさなんて人によって解釈が違うし、正論もあるようでない。法律がジャッジしているにせよ、法律だって国によって違うものですし。だったら男女とか年齢は別にして、自分としての人生をどう生きるかの方が大事ですよね。周りに「間違ってる」って言われても、自分の人生を歩もう、自分もやってみようって勇気に1人でも繋がればと思っています。

モータースポーツによる技術革新を
伝えていくのもこれからの役目

杉原:“未来”が緑さんにとってはキーワードのようですが、モータースポーツで作っていきたい未来はありますか?

森脇:EV化により、いま世界が大きく変わろうとしています。実際は15年ほど前から議論されていますが、人々に直結するようになったのはほんのこの数年で、百数十年の自動車の歴史で、ここまで変化が起きようとしているのは初めてのことなんですよね。モータースポーツって環境に悪いというイメージを持たれていますが、この技術がどんなところに影響しているのかは伝えていきたいです。私たちがどう考えて活動するかで、未来がどうなるか結論が出る感覚はありますね。

杉原:モータースポーツが環境に悪いという指摘には僕も疑問を感じます。燃料をふんだんに使っていたらそもそも走れないし、勝てないですよ。少ないガソリン、電気でいかに高エネルギーを排出するか、僕たちは計算しています。F1全体で走行によるCO2排出は0.7%程度で残りは人や移動によるものなんですよね。

森脇:燃費をよくしないとレースも終えられないことを鑑みて発達してきた技術がたくさんあるのに、皆さんあまりそこを伝えてこなかったんですよ。ファンスポーツとしてだけの扱いになってしまうのはもったいない。環境問題に関すると、現時点では車が分かりやすい存在として議題に上っているけど、トライアル&エラーを繰り返して乗り越えていくと思います。簡単な話じゃないですけどね。

大きな変化に直面しても
世界は繋がっている。
日本の若者にも挑戦してほしい

杉原:MIE RACINGの拠点はチェコ・プラハですよね。日本と海外の違いを感じることはありますか?

森脇:技術というよりは感覚の違いが大きいかもしれないです。日本は島国だから、どうしても日本と海外って分けて考えがちですが、世界は繋がっています。グローバル化しているんだから、日本の若い人たちにももっと挑戦できるよ、近いよって伝えたいです。

杉原:そして、いつもわくわくする未来のことを考えている。

森脇:もちろん! 大事にしたいのは前を見ること。過去の自分の努力ではなくて、何が悔しかったか、そして痛みを忘れないことだと思っています。あとは、お世話になった人に感謝するのは当たり前だけど、受けた礼を次の世代にも受け継ぐこと、感謝のリレーを絶やさないようにしたいです。

杉原:コロナ禍を含めて、社会は大きな変化に直面していますが、モビリティの変化もものすごい勢いですよね。その中で、僕たちは楽しく課題解決できればと思います。

森脇:いろんなものが生まれては消えていくと思います。第二次世界大戦後に日本にはバイクメーカーが120以上あったのが、淘汰されて今は4メーカー。それくらいカオスな時代って新しいものが生まれるタイミングなんですよ。そこでどう志を持つかによって、その後の人生や時代を生き抜く道が見えるので、私にとっては挑戦し続けることが自分自身を保つ、唯一の手段だなと思っています。

杉原:夜明け前が一番暗いのと同じですよね。日本は空前のバイクブームが訪れそうなのでMIE RACINGが一石を投じてくれることに期待しています。単純に移動手段としてではなく、豊かさや楽しみとしてバイクやモータースポーツがあってほしいですね。

森脇緑(もりわき・みどり)
父は元レーサーでモリワキエンジニアリング創設者の森脇護氏、祖父は“ポップヨシムラ”こと吉村秀雄氏という環境に生を受ける。工業高校卒業後は世界のオートバイ事情の把握と語学を身に付けるためオーストラリア、そしてアメリカへ単身渡豪米。20歳で日本に戻り2003年から2005年にかけモリワキ自社製レースマシンMD211VFで2輪界最高峰クラスのMotoGPクラスにスポット参戦。2010年にはモリワキ製シャシーのレースマシンMD600起用のGresini Racingチームが、MotoGP直下のMoto2クラス初年度世界チャンピオンを獲得。
その一方で、2008年には欧州、アメリカ、アジア地域において、それら各国内のオートバイレース協会と協力し、モリワキ・ジュニアカップを設立。Moto3クラスへのステップとして、モリワキ製MD250H (Moriwaki Dream 250 Honda) を使用し、世界選手権を目指す若いライダーたちの準備の場所を提供する活動も展開。2018年3月に海外での産業展開も視野に入れ「株式会社MIDORI」を、また同年11月には「MIE Racing s.r.o」をチェコ・プラハに設立。 2019年ホンダレーシングを代表し、スーパーバイク世界選手権のプロジェクトをスタート。Moriwaki Althea Honda Teamのチーム監督としてプロジェクトを指揮し、スーパーバイク世界選手権の舞台に、HRCがサポートするチームを17年ぶりに復活させる。
2020年よりMIEレーシングとして新たなスタートを切り、2021年シリーズのポルトガルではチーム設立以来の最高位でフィニッシュ。パフォーマンスが良くなってきている中で今後更なる躍進が期待される。

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(text: Yuka Shingai)

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