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「東京2020の先の楽しみは、僕らが用意する」。OKAMOTO’Sのボーカル・オカモトショウが登場

朝倉奈緒

OKAMOTO’Sは、アメリカ・テキサス州で毎年開催される世界最大規模の音楽フェスティバル『SXSW2010』に、日本人男性グループとしては最年少で出演した実力派バンド。メンバー4人は中学の同級生だそうだ。彼らがNHK BS1で放送中の「アニ×パラ〜あなたのヒーローは誰ですか〜 」第1弾 ブラインドサッカー編(原作:高橋陽一)のテーマ曲「Turn Up」を書き下ろした。「Turn Up」に込められた思い、メンバー全員が90年生まれの東京育ちというOKAMOTO’Sが描く東京2020の先とは。ボーカルのショウさんに、素直な気持ちを伺った。

ライヴで「勝負」する感覚が、曲作りの鍵に

−今回、ブラインドサッカーを描いたアニメのテーマ曲を担当されましたが、お仕事を依頼されたときのお気持ちはいかがでしたか?

バンドで自分たちのために曲を書くのと、誰かの作品とコラボレーションをする、いわゆるタイアップの曲を書き下ろすときでは、自分の中でのモードが違うんです。今回パラリンピックという大きなテーマがある中でのコラボだったですが、OKAMOTO’Sが演奏するので、OKAMOTO’Sと作品の共通項はどこにあるのか、歌うのは僕なので、僕の人生との共通点は何だろうかと色々と考えました。

−そうして完成した曲が「Turn Up」なんですね。どんなことに着想を得て曲作りをされたのですか?

まずアニメの原画を見せていただいて、それを元に作ることにしたですが、アニメの中では試合をやっていて、勝ち負けの世界が繰り広げられていました。けれど僕たちはスポーツの試合はあまりやる機会がないので、リアルな体験を描くということはできない。自分に置き換えると何だろうと考えたとき、ライが近いのかなと思って。アルバムを作るという作業は自分のアトリエにこもって絵を描き続けるような、自分と向き合う時間ですが、ライというのはそれを人前で、相手が見ている場で表現する。音楽なので、明確な勝ち負けがないとは言、目の前にいる人を楽しませられるか、という勝負をしているのと同じで。ライがすごく盛り上がった瞬間は、たぶん試合に勝ったときと近い感覚なんだろうなと。その瞬間の喜びを描くことができたり、そこに向けて自分が準備している様だったり、それが曲の中で表現できたら、アニメを観たときに歌詞が映像とリンクしてくるかもしれない。そんなことを考えながら作りました。

−ライブの一本一本が勝負なんですね。最高のライができる(=勝利する)のは、どのようなときなのでしょう?

何も意識しないでやれたときかな。特にボーカリストはアスリート然としてしまう瞬間があって、例えばワンマンライの2時間のステージでは、コートを走り回るのと同じくらい汗だくになりますし、体力も使う。それがツアーで何本も立て続けにると、喉のコンディションが悪くなってしまうこともある。なのでライが終わったらすぐアイシングをしたり、はちみつを舐めたり、ステージに立って歌うときも、足の裏を地につけて指先を上げるなど、マイクの持ち方ひとつにしても、自分にとっての緊急手段というか、ベストな状態をキープするためのテクニックを駆使します

−センターに立つボーカルだからこそ、他のパートとの調整役を担わなくてはいけないということもあるのでしょうか。

もちろんあります。理由は色々って、やはり4人でやっているので一人一人の呼吸が合わないだけでもだめですし。バンド内で誰かが喧嘩してしまった後だったり、気になる人がライを観に来ていたり(笑)、会場が大きいところで初めてやるというときは、みんなが舞い上がって力んだりもしますし。そういう経験を越えて、どんな場所でやっても、すごく疲れていても、4人の呼吸がピタっと合う瞬間がある。そうなったときは、さっきのテクニックは全部やる必要はなくてベストなフォームになっているのかもしれない。スポーツ選手でいう「ゾーンに入る」といった感覚に近いのかな。ライはそんな瞬間が最高に気持ちいいし、その瞬間にまた会いたいがためにステージに立っているので、同じ気持ちが「Turn Up」には込められています。

東京2020の祭りの後、
世の中を支えていくものとは

−“音”だけを頼りにプレイするブラインドサッカー選手と、目に見えない音を奏でるミュージシャンは、聴覚が優れている(もしくは鍛えられている)、という部分では似ているかしれません。ブラインドサッカー選手がミュージシャンなろうとしたら、才能を発揮できそうでしょうか。

それはあると思います。目に見えないものを追いかけて、追い求めている感じというのは、僕らとブラインドサッカー選手は近いかもしれない。ただ単純に楽器を練習して、ギターが弾けるようになるというだけなく、彼らはブラインドサッカーをやっていない人や、目が見えて普通に生活している人よりも、精密な音が聞き分けられると思うので。あとはもし選手の中で、音楽に全然興味がない人がいたら、その方が面白いことが起きそう。いわゆる音楽好きだったら、こういうバンドが好きで、こういう楽器が好きで、どんどん型にハマっていってしまいそうですが、それがない人で、しかも音に鋭かったら、どんなふうに音を表現するのか、すごく興味があります。

−OKAMOTO’Sさんの考えるブラインドサッカーの魅力とは? まだ見たことがない人へ伝えてください。

見たことがない人だったら誰でも面白いと思います。なんとなくサッカーという競技や、ルールを知った上であれば、目隠ししているのにこんなことができるんだと感じたり、あのスピード感、熱量だったり。その驚きだけでも興味が湧く入り口になるだろうと思います。あとはせっかく東京2020に、世界レベルの競技を近くで見れるチャンスが向こうからやってきてくれるので、興味を持ち始めた人は、もう少しだけ奥まで探ってみる価値があると思います。

−東京2020で、OKAMOTO’Sさんの音楽で世界に何かアピールできるとしたら、どんなアイデアがありますか?

やっぱり一番はスポーツの祭典ですし、東京2020に出場することを目標に頑張っている人、メダルを獲ることに命をかけている人たちというのは、ものすごく尊いなと思うからこそ、その人たちが主役になって盛り上がったらいいなと思います。一方でせっかくのお祭りなので、僕らもエンターテイメントを仕事にしているからこそ、みんなが楽しいと思うことに一緒に乗っかって、その場所に呼んでもらえたらすごく光栄です。

ただ、スポーツをする側ではない立場としては、東京2020に向けての熱量が高まりすぎて、終わったあと燃えつきてしまわないようにしないといけないと思います。選手の方は燃え尽きてしまってもいいのかもしれないですが僕らまで一緒になって燃え尽きてしまわないように。僕らの様な人を楽しませることを仕事にしている人たちが、次の大きい楽しみを用意して、国民全員とはいわずとも、少しずつみんなそれについて来てくれて、そのために仕事頑張ろうと思ってくれたらいいな。なんて言いながら、そんな大義名分のために音楽をやっているのではなく、僕らは音楽が大好きで、単純にみんなが音楽で楽しめればいいなと素直に思います

OKAMOTO’S
4人組ロックバンド。2010年、アメリカ・テキサス州で開催された音楽フェス「SXSW2010」に日本人男性グループとしては最年少の若さで出演。アメリカツアーやアジアツアーなど、海外でのライ活動積極的に行っている。2014年9月からは、全国8会場での5周年記念ツアーを大盛況のうちに終えた。2016年6月からは47都道府県ツアーを敢行。2017年8月にはフルアルバム「NO MORE MUSIC」をリリース。2017年10月には、東京・中野サンプラザにて自身初のホールワンマンを開催した。
http://www.okamotos.net

(text: 朝倉奈緒)

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伊藤智也の挑戦!目指すは金メダル!

HERO X 編集部

2021年。57歳になった伊藤智也選手はNHKのインタビューの中で「2024年・パリ大会」という言葉を口にした。パラリンピック東京大会を控えた伊藤選手の目は、すでにその先の大会に向いている。会社経営者だった伊藤選手がパラリンピックを目指すことになったのは、自身のちょっとしたミスからだった。34歳の時に難病の多発性硬化症を発症、車いす生活を余儀なくされたとき、間違えて注文してしまったのが陸上競技用の車いすだった。しかし、ここからがすごい。発症の翌年から陸上を始め、北京パラリンピックでは金メダル2個、ロンドンパラリンピックでは銀メダル3個を獲得し、伝説の車いすランナーとなった。その後、一度はレースの世界から退いた伊藤選手だが、今回の東京パラで再びランナーとして走ることを決めた。

伊藤智也が挑む東京パラリンピック

「最高のマシンが仕上がった。マシンに負けない走りを見せたい」まもなく開幕を迎える東京2020パラリンピック大会。車いす陸上T52に出場する伊藤智也選手(バイエル薬品)は新しいマシンを横にそう意気込む。ロンドンパラを最後に引退宣言をしていた伊藤選手が再びパラの舞台へ。目指すのはもちろん金メダルを首にかけることだ。すでに57歳を迎えた伊藤選手だが、メダル争いをするのは年齢もはるかに下の選手たちだ。「1年延びたおかげでベストな状況が作れた」“おっちゃん”の勝負が始まろうとしている。

5年間のブランクを乗り越えて
2020年に向けた挑戦

新型コロナウイルス感染症の世界的な流行により、2020年開催予定であった東京オリンピック・パラリンピックが1年延期。アスリートにはさまざまな波紋が広がった。

夏に身体のピークを合わせていたアスリート達は、この延期とどう向き合ったらいいのか。心を乱したアスリートも多く、練習に身が入らないアスリートもいたと聞く。しかし、伊藤選手にとってこの1年間は、さらに強くなるための時間だったのかもしれない。

“おっちゃん”の星として「頑張らなあかんな」と語る伊藤選手は、いったん競技生活から退いていたが、5年間のブランクを経て2017年夏に現役復帰を宣言。2019年の世界選手権では、銀メダル1個、銅メダル2個を獲得し、東京パラリンピックの代表に内定していた。2020年開催予定であった東京オリンピック・パラリンピックが1年延期もしくは中止になったとしてもこのままでは終われない、次の2024年は「パリでひとつ花火を打ち上げたる」と闘志を燃やす。

最高のマシンを巧みに操ることで
パフォーマンスを発揮するパラリンピックの世界

そんな伊藤選手だが、最高のパフォーマンスを発揮するにはマシンの存在は大きいという。マシンを使うパラスポーツは健常者の陸上競技とは違い、人が3割、マシンが7割というくらいマシンの存在は大きいそうだ。自動車のF1レースのように、最高のマシンをドライバーが巧みに操ることで最高のパフォーマンスを発揮する。

その競技用車いすを手掛けるのが株式会社RDSだ。実は伊藤選手の現役復帰は、RDSの代表を務める杉原行里の「伊藤さん、もういっぺん、走る気はありますか? あなたの体に合ったマシンを開発したら金メダルを獲れますか」という問いかけがきっかとなっている。

記事を読む▶獲るぞ金メダル!東京2020で戦うための究極のマシン開発に密着 伊藤智也×RDS社【究極のレースマシン開発】Vol.1 前編

こうして、オールカーボン製で細部まで伊藤選手の体と一体になるオーダーメイドマシンが世界で初めて生まれた。

2020年には数年ぶりに病気が再発し、少しだけ影響も出ているという伊藤選手だが、“おっちゃん”の挑戦は、すでに2024年のパリに向かって走り出している。

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(text: HERO X 編集部)

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