対談 CONVERSATION

「CHIMERA GAMES」文平さん、次はどんなおもしろいことしましょうか?【エクストリームスポーツ文化の作り方】


中村竜也 -R.G.C

その原点から始まり、エグゼクティブプロデューサー・文平龍太氏が目指す[CHIMERA GAMES]のあるべき姿に至るまで、その全貌についてお話しいただいたVol.1。そして今回のVol.2では、HERO X編集長・杉原行里(あんり)との対談が実現。互いが持つエクストリームスポーツへの熱い思いを、ボーダーレスに語り合っていただいた。

お腹いっぱいになるバイキングのような遊び場を目指す幅広い活動

杉原行里(以下、杉原):僕自身、レーシングカートをはじめホッケーなど、海外ではメジャーですが、国内ではマイナースポーツと言われる競技ばかりを渡り歩いてきたのもあって、まだまだここ日本では根付ききっていないエクストリームスポーツやストリートのスポーツを、CHIMERA GAMESで表現している文平さんにお会いするのを楽しみにしていました(笑)。

文平龍太(以下、文平):いやいや、とんでもないです(笑)。

杉原:どうですか、このCHIMERA GAMESを始めた3年前に描いていた未来は、近くなってきていますか?

文平:そうですね。前回開催のVol.3で、まずは目標であった来場者1万人というのをクリアできたので、次は2万人、3万人と確実に遊びに来てくれる人の数を増やしていき、どこまで行けるかというとこだと思います。

杉原:3年でそこまでたどり着けるとはすごいですね。

文平:ありがとうございます。でも実は、CHIMERA GAMES自体、興行として収益を上げることを第一に考えていないんです。小学校の学芸会みたいに、こんな面白い競技や遊びがあるから、もっとみんなに知ってもらいたいという気持ちだけで。その延長で今、CHIMERA GAMESに参加してくれているプレイヤー達が、“スクールキャラバン”という形で全国の小中学校を回り、子供達に色々な体験をさせるという活動も同時に行っています。

それは、CHIMERA GAMESが始まったきっかけとはまた違うロジカルで進行している企画でして。今の子供達が置かれている環境って、遊び道具一つとってもクリエイティブ能力が必要ない物ばかりじゃないですか。ゲームにしても、ルールとパターンの中で進んでいくから、与えられた情報をどれだけ飲み込むかってだけなんですよ。

杉原:確かにそうですね。でもそれって子供だけではなく、大人にもそういう方がものすごく増えましたよね。人間として生きていて、一番楽しい部分をなんで簡単に捨ててしまうのだろうと僕も感じていました。逆に相当な決意があってそういう生き方をしているのかと思いきや、捨てていることにも気づいてないというか。

文平:でも紐解いてみたら、その状況って子供達が悪いのではなく、それを与えられていない大人に責任があるんです。だったら、選択肢をとことん作ってあげようと。日本の教育のベースとして、子供が大人として扱われるのって社会人か20歳になってからじゃないですか。でも僕の考えは全く逆で、いわゆる子供と言われている期間は、生まれた瞬間から成人になるまでのトレーニングの時間だと思っているんです。だから特別に子供扱いをしたくないというか。大人が楽に感じる子が、決していい子ではないのでね。

そのくせ「一つのことを始めたら続けなさい」とか言って枠にはめたがるじゃないですか。そんな状況に疑問を持ったからこそ、CHIMERA GAMESがやるスクールキャラバンのような活動に意味があるのかなと思っています。

新しい“なにか”を求め続ける重要性

杉原:HERO Xは単純なメディアとしてではなく、スポーツやプロダクトを掛け合わせた一つのエンターテイメントとして表現することを大切にしていまして。そういう意味でも、文平さんのような面白い考えを持った方達と、何か新しいことができたらといいなと。

僕はもともとデザイナーとして車いすなどを製作しているんですけど、実際に乗ってみたり、車いすバスケのようなことを体験する、もしくは車いす自体のデザインが面白かったり格好よかったりしない限り、ほとんどの人は興味持たないと思っています。じゃあ、その興味のない人たちをプロダクトとして食いつかせるためには、何をしたらいいのかとよく考えるんです。

文平:わかります。僕もラグビーをずっとやっていたので、かなり怪我もしてきました。当然車いすの生活も経験していますし、大変さも知っています。だからこそ言えるんですけど、もっとオシャレでもいいですよね(笑)。カスタムパーツがたくさんあって、自分好みに出来るとか。そういう遊び心がなんでないんだろうって感じていました。

杉原:ですよね!実際に今、そういう車いすを製作している最中なんです。例えばですけど、格好いい自分のマシンとして、車いすのレースを表参道の坂道とかで開催してもいいとも思うんですよ。危ないからダメっていうのが日本では当たり前ですけど、そこを超越していかないと何も変わらないし、生まれないじゃないですか。

文平:CHEMERAでも同じようなことを考えていて、絶対に撮影許可が下りないようなところで、FMXのバイクを飛ばそうと計画してまして。京都の平安神宮の鳥居をどこまで高く飛び越せるかとかね(笑)。何かこのご時世、ワクワクするとかドキドキするようなことって少なくなっているじゃないですか。インターネットが普及したせいで、知ったテイ、聞いたテイ、味わったテイの人が圧倒的に多くてつまらないですよ。もっと現場で体験する良さを味わないと。

杉原:結局それって、人間としての誠意や感謝の気持ちにといった当たり前のことができるかに繋がっているんじゃないかな。やっぱり生身に接しないと、温度感や感情がコミュニケーションとして伝わって来ないですもんね。そういう人達と接していた方が、僕にとってはすごく心地いいんです。文平さんもきっと同じタイプなような気が勝手にしています(笑)。

文平:ボーダーレスな世界になったらいいですよね。それに、やはりCHIMERAも会場に来て、その場の雰囲気を感じてもらいたいのは一番にあります。

杉原:今回対談が決まってから僕なりにCHIMERA GAMESの姿勢を勉強させて頂いて、何か一緒にイベントとか出来たらいいなと思っていました。今考えているのは、既存の福祉用具や補完と言われている歩行補助みたいな物を、僕なりのエンターテイメントにしてスポーツを作り、そうすることで様々なボーダーを“曖昧”にしてやろうと思っていて。さらに、そこでHEROを作れたらなという想いから、[HERO X]になったんです。というところで、今回の対談の核心に迫りたいと思うのですが、車いすバスケって興味ありますか?

文平:もちろん興味あります。あまり障がい者スポーツという見方はしていなくて、単なるスポーツの一つという感覚で知っています。最近でこそ、健常者でも車いすバスケをやる方が増えてきているけど、まだまだ認知度は低いですよね。障害の有無に関係なく実際にプレーしている人達が、自分のマシンをカスタムしたり、魅せるという方向に行かなければ先がないかなとも思う。

杉原:おっしゃる通りだと思います。ちょっとそういうのを一緒に企画しませんか?お互いの得意な分野で協力し合えば、きっと素晴らしいイベントになりますよ。

文平:いいですね。やりましょう!CHIMERAチームは、基本的になんでもウェルカムなんで(笑)。

精一杯遊ぶことが仕事となる。世の中のためになる。そう言わんばかりの熱量で進んでいった今回の対談。一時間以上にわたる対談の中で、歩んできた道に驚くほどの共通点を見つけた二人が仕掛ける何かを、ワクワクしながら待ってみよう思った。そして、新しい“何か”が生まれる瞬間って、意外とシンプルなんだと感じた。

CHIMERA GAMES Vol.4
日程:2017年10月14日(
)、15日() 11:00~19:00(開場10:00)※雨天決行・荒天中止
会場:CHIMERA GAMES お台場特設会場(江東区青海臨時駐車場R区画)

詳しくはCHIMERA GAMESオフィシャルサイトから。 http://www.chimeragame.com/

(text: 中村竜也 -R.G.C)

(photo: 壬生マリコ)

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対談 CONVERSATION

熱い思いを乗せ車いすで国会を爆走中!元パラリンピアンの国会議員が目指すモビリティ革命とは?

長谷川茂雄

日本には、元パラリンピアンの参議院議員がいることをご存知だろうか? 2010年のバンクーバー大会、アルペンスキーに出場した横沢高徳氏、その人である。自身の経験を元に国政へ出馬、走り抜けるフィールドをゲレンデから国会に移した同氏は、実は、編集長・杉原とは以前から互いをよく知る間柄。そもそもはチェアスキーを介して知り合い、パラスポーツやそれを取り巻く環境、そしてプロダクトについて語り合うことも多々あったという。では、今回の特集のテーマであるモビリティが活躍する社会を構想するならば、国政を担う立場の横沢氏は、いま何を思いどんなヴィジョンを描くのか? それを伺うべく参議院議員会館を訪ねた。

モトクロス、チェアスキーを
経て政治の道へ

杉原:横沢さんは、参議院議員になる前はパラリンピアンですけど、さらにキャリアを紐解くとモトクロスのライダーですよね。そもそもモトクロスを始めたきっかけはなんだったんですか?

横沢:実家が自動車整備工場を経営していたんですよ。それで整備士さんが出場したレースを親父とたまたま観に行ったら、もう目の前に仮面ライダーが現れたと思って(笑)。全身が震えて、俺もあんなふうになりたいと思ったのが最初です。

杉原:その感覚、自分もわかります。本格的にモトクロスを始めたのは、いつからなんですか?

横沢:小学3年生の時に、親が子供用のバイクを取り寄せてくれて。それからバイクに乗るようになって、徐々にモトクロスの世界にのめり込んでいきました。「俺は、怪我なんかしない、背骨なんか折ったりしない!」って親に言ってたのに、本当に折っちゃった(笑)。

杉原:(笑)。それでチェアスキーに転向したと。

横沢:そうですね。25歳で怪我をして、病院のベッドで観たのが長野パラリンピックだったんですよ。でも、その時はまさか(自分がパラスポーツを)やるとも思っていなくて。それなのに、バイクに乗れないと言われたら、何か乗り物が欲しくなりまして(笑)。

杉原:人機一体じゃないですけど、モトクロスみたいにマシンと体が一緒になる感覚を味わえる競技と言ったら、もうチェアスキーしかないですよね(笑)。

横沢:そうなんです。パラスポーツの中でも、もっともスピードが早いですし、それから約10年かけて頑張って、2010年にバンクーバー大会に出場させていただいて。

杉原:その後引退されて、2018年大会の時は僕がフランスにいて、メッセンジャーで日本にいる横沢さんとチャットしながら応援したのを覚えていますよ。それで、その次の年(2019年)の5月頃に、ちょうど羽田空港の出発ロビーで横沢さんから着信があって、出たら「選挙に出ることになった」と言われて。僕も、最初、えっ? ってしか返せなくて。

横沢:そうでしたね。自分としても人生最大のチャレンジになりましたね。

杉原:それで、今やっと聞けますが(笑)、どうして、政治の世界に入ろうと思ったんですか?

滝沢:そうですね、小さい頃からモータースポーツをやってきて、途中で車いすに乗ることになったり、パラスポーツに挑戦することになったりと、いろいろな人生経験をするなかで、矛盾を感じたり、おかしいな? と思うことが多々あったんですよ。

杉原:その思いは競技を離れてから強くなったんですか?

横沢:それはあるかもしれないですね。20年も車いす生活をしているのに、全然(世の中が)変わらないところが気になってはいました。不便さや各制度に対する疑問もありましたし。それなら、直接、制度や法律を決める国会に行くチャンスをいただけるのであれば、これまでの自分の疑問や、みんなの思いをどんどん届けるのが一番早いんじゃないかなと、思ったんですよ。

人口減少が進む地方こそ
モビリティ革命が必要

杉原:なるほど。元パラリンピアンの国会議員は、日本の歴史上初ですよね。

横沢:はい。ただ、自分としては、逆にこういう経験をした人間が国会にいないのはおかしいと思っていました。車いすユーザーであること、元パラリンピアンであることで、見えるもの、発信できることもあるだろうと。あとは単純に、大きなものにチャレンジしたいという思いもありました。

杉原:実際に1年やってみてどうですか?

横沢:まだ1年ですが、言えば変わるものだな、という実感はあります。与野党関係なく、誰もが抱えている課題っていうのは、変えられるし変わっていくものですよ。

杉原:これから日本は超高齢化社会を迎えるわけですが、そのスピードは地方のほうが早いですよね。横沢さんが(選挙で)出た岩手も高齢化率はもうすでに高まっていますし、人の動き、移動の手段は限られてきていますよね。

横沢:おっしゃる通りです。日本を人間の体に例えたら、足の先や手の先である地方の血流をよくしないと全身の状態がよくなりません。だから地方こそモビリティを充実させていく必要はあると思います。最新技術を投資して、(杉原)行里さんがよく言うように、「今の理想を未来のスタンダードにする」発想をカタチにする。僕も議員として、思いっきり力を入れていきたい課題のひとつですね。

杉原:東京や政令指定都市ではなくて、過疎化が進んでいたり人口減少が激しいところほど、モビリティ革命が必要ですよね。岩手は、盛岡市以外は電車移動が主ですか? バスの需要は、高いですか?

横沢:いや、バスは採算が取れないからと路線廃止の動きが強まっていますね。

杉原:そうなると(移動の)手段がどんどんなくなっていきますよね。そういう状況は、もうすでに緊急性が高いと思うんですけど、AIやIoT化、それに伴ってモビリティも発展していけば、僕は、地方にこそ新しい職業が生まれる可能性があると思うんですよ。

横沢:それを踏まえたうえで、モビリティのプラットフォーム作りをしていくという発想は、すごくいいなと思いますね。地方では、絶対に免許を返納しなきゃいけないような年配の方が、すごい低速で運転していたりします。それは、車がないと生活していけないから。安全性を担保した上で、さまざま利用できるモビリティの新しいプラットフォームを作ることは急務ですね。若者からお年寄りまで利用できる手段やモビリティがあれば、もっと豊かに暮らせますから。

杉原:そうですね。僕は、車いすという概念自体も無くなればいいなとも思っているんですよ。モビリティと捉えて、欲しい人が誰でも買って好きに乗れるもの。そうすれば、より選択肢が増えるのではないかと。他の乗り物と比べて車いすだけ選択肢が少ないのはおかしいですよね。

多様なモビリティが
自由に楽しめる社会を目指して

横沢:確かにそうですね。僕も一番変えたいのは、車いすのイメージそのものです。友人が怪我をした時も松葉杖は使いますけど、車いすには絶対に乗らないと言っていましたから。でも、歩ける人でも乗ってみたいと思える車いすがあれば、みんな積極的に乗るんじゃないですか。

杉原:そうなんです。しかも、これからは、車いすもその人に合ったものが生まれてくる。
どんな人でも使えるユニバーサルデザインを求めるのではなくて、これからパーソナライズの時代です。適切なシーティングポジションにしても、一人ひとり違いますから。

横沢:なるほど、それは面白い時代ですね。

杉原:年を取っても、広い選択肢から自分の好みで物が選べるって大事だと思うんですね。それに、格好良い、格好良くないという感性もなくしちゃいけない。

横沢:それはそうですよね。身に着けるものにしても車いすにしても。

杉原:とはいえ、道交法とかで制限は色々とありますから、例えば選べる電動車いすも現状は限られてきますよね。それに関しては、変化が必要だと思いますか?

横沢:必要ですね。常々それは感じています。規制することで、人の命を守ったり、安全を担保したりする必要はもちろんありますが、みなさんの生活をよくするのが法律ですから。よくなる方向であれば、やはり変えていくべきだし、時代に合わせて新しい法律を作るのは、国会、立法府の役目ですね。

杉原:社会実装を目的としたモビリティ、ハードウェアとMaaS(マース)のようなモビリティサービスを進めていくのは、これからのポイントになりますね。

横沢:一部の人たちのためだけではない、ソフトもハードも当たり前にあるような社会。自分は、それを作っていくために議員生活を費やしたいですね。コロナ禍があってオンラインが普及していますけど、人の移動はなくならないですよ。やっぱりレースでもなんでもライヴには敵いません。ビールも生が一番美味しい(笑)

杉原:確かに!(笑)じゃあ、あと残りの任期5年をかけて、どんなことを目指しますか?

横沢:この前、杉原さんが手がけたWF01(http://hero-x.jp/article/5833/)を国会内でテスト走行したんです。すごいスピードで地下通路を走っていたら、何あれ? って、みんな振り返るんですよ。物珍しいっていうのもあったと思いますが、そういうみんなが乗ったり見たりして、ワクワクするようなモビリティに普通に乗れる社会にしたいです。

杉原:僕らも、いろんな人から、貸してと言われるようなモビリティをたくさん作りたいですね。また横沢議員に乗ってもらいますから(笑)

横沢:今日は本会議だから、どのモビリティに乗ろうかなって、選べる社会がいいですね(笑)

横沢高徳(よこさわ・たかのり)
1972年、岩手県紫波郡矢巾町生まれ。小学3年生の頃にポケバイに乗りはじめ、その後モトクロスに没頭。スズキ(株)のテストライダーを経て22歳で国際A級ライセンスを取得。1997年、練習中に事故を起こし脊髄を損傷する。1999年にチェアスキーと出会い、以後、国内外の大会で好成績を残す。2010年、日本代表としてバンクーバーパラリンピックアルペンスキーに出場。(大回転21位)。2019年、第25回参議院議員選挙にて岩手選挙区より出馬(無所属)。初当選を果たすとともに、同年、国民民主党入党。

(text: 長谷川茂雄)

(photo: 増元幸司)

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