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桐生の次は俺だ!為末大はまだ、100m10秒を切る夢をあきらめていなかった

高橋亜矢子-TPDL

今年9月、桐生祥秀選手が9秒98の日本新記録を樹立。日本陸上界に未来へと続く扉が開かれた。一方、10秒の壁を突破するために、さまざまな活動の一端を担っているのが、スポーツ、教育、ビジネスの世界で活躍する元プロ陸上選手の為末大さん。日本人がコンスタントに9秒台をマークするには、どうしたらいいか。そしてこの先、スポーツとテクノロジーはどのように絡み合っていくのか。為末さんが館長を務める、新豊洲Brilliaランニングスタジアムで話を伺った。

人間の能力×テクノロジーで、10秒の壁を超える。

ついに、日本人初となる夢の9秒台が達成されましたね。そもそも、為末さんが、100m10秒切ることに注力するようになったきっかけは何ですか?

ある友人との会話のなかで、「誰でも100mを9秒で走れる靴があったらいいよね」という話題で盛り上がったことがありました。健常者が履く靴も、障がい者が履く義足も、より速く走るための基本となる技術は同じです。今いるスタジアムのとなりには、サイボーグという会社のラボがあり、トップアスリート向けの競技用義足を作っています。それを履いたパラリンピアンにも、いつか10秒を切ってほしいなと考えています。

−サイボーグでは、どのような役割を担っていますか?

ランニングオフィサーとして、義足作りのプロジェクトに関わっています。具体的には、義足を履いた選手が感じたことを開発にフィードバックしたり、自分の競技経験からアドバイスしたりする、そんな役割です。あとはサイボーグとは違いますが、陸上問わず、さまざまなスポーツの選手に走り方を教えています。走るということは、誰もが無意識にできてしまうがゆえに、洗練させていくことが難しいものです。走り方を極めていくことも、日本人が9秒台をコンスタントに出すことに関わってくるのかもしれません。

人間がより速く走るために、テクノロジーの力は欠かせないものですか?

テクノロジーのアプローチとして象徴的なのが、ナイキの『フリー』と『ショックス』という靴です。フリーの考え方は、裸足に近い感覚で走ることで、足そのものを鍛えるというもの。一方、ショックスは反発性に優れた機能をもち、パフォーマンスを高めるというもの。日常的に自分を鍛えるためのテクノロジーと、本番でパフォーマンスを上げるためのテクノロジー、この両面から人間の能力は広がりを見せるのではないかと考えます。人間の能力×テクノロジーで、10秒の壁を超える人が、今後続いていくと思います。

−為末さんが100m10秒の壁に挑む、その真意とは?

ちょっと話は逸れるかもしれませんが、人間の能力というものは単体では成立しないと、古くから言われています。視覚の補強でメガネはかけますし、時間感覚を知るために時計を身につけます。人間は外部のものがあるからゆえに、パフォーマンスできている部分があるのです。そういったなかで、僕の興味あることは「自分の範囲は、一体どこまでなのか」ということ。義足は自分の範囲内か、自分の本当の能力はどこまでか、公平・不公平とは何か。10秒切ることにたいした意味はないけれど、われわれの社会に大きな問いが投げかけられると思っています。

テクノロジーの進化とスポーツの未来。

−IoT、人工知能、遺伝子医療など、最先端のテクノロジーにより、スポーツの未来はどう変わってきますか?

いちばん大きいのは、データの取得・解析が容易になり、ビックデータが集まる環境が整うことです。例えば、すべての選手の靴の中にセンサーを付ければ、足の動きや圧力などさまざまな情報を得ることができ、成功の法則を見出すことができます。個人だけでなく、試合中のデータも取得できるようになり、選手がどう動いて、それにより何が起きたか、観客の感動までもがデータとして集まります。それらのデータをどう切り取り、扱うかが今後は重要なスキルになってくると思います。

−人工知能はどうですか? 

僕は素人なので、人工知能と呼べるものなのかわかりませんが、人工知能によるデータ解析から、傾向を生み出すことはできるようになると思います。例えば、すべてのピッチャーの投球、対戦相手との成績を記憶させて、キャッチャーが出す指示を人工知能が代わりにするとか。さらに、データ解析のうえにDNA検査が加わることで、このタイプにはこれが効くといった、薬のパーソナライズができるようになります。スポーツの世界では、これのサプリメント版と食事版が起きると思います。

−スポーツを観る側も、テクノロジーの恩恵を受けられますか?

チームとファンを繋げる「FanForward」という取り組みに参画していますが、そのなかで僕がずっと思っていたのは、選手の心拍とリンクするTシャツをファンが着たらおもしろいのではないかということ。スポーツにはいろいろな場面がありますが、ある瞬間の大興奮のためにすべてがあるように思います。わざわざスタジアムに足を運び観戦するのは、その大興奮を空間で共有するためです。その興奮を増幅したり、選手と同期したりするようなものは、今後出てくるのではないかと思います。

−テクノロジーの進化により、スポーツの世界でこんなことができたらおもしろいと思うことはありますか?

勝負強さの正体がわかるとおもしろいですよね。それはまばたきの回数なのか、食べているものなのか、勝負強さを表すものは何か、わかれば体得が可能です。自分の競技人生を振り返ってみると、あと一歩というところで焦って、勝利を逃したこともあるし、もう無理だと思ったときに、なぜか優勝できたこともあります。僕は「人間を理解する」ことをライフワークにしていますが、もっと人間の心を理解したいのです。

−人間の心ですか?

人間の幸せや満足は、心が決めています。スポーツが強いコンテンツなのは、人間の心をゆさぶるから。スポーツの語源は、ラテン語のデポルターレで、「気晴らし」とか「非日常にふれる」という意味です。歌を歌うとか詩を書くといった行為もデポルターレと言われています。なぜ、人間は自分を表現するのかといったら、自分の心の満足のためです。最終的に人間は心の奴隷で、テクノロジーが進化するほど、心が際立ち、われわれは心の赴くままに生きて行くのだなと思います。その心にアプローチできるようになったら、それはもうマトリックスの世界ですけれど(笑)。


もうちょっとだけ自由な社会のために。

−自分の能力の範囲というお話もありましたが、垣根のない社会のために、未来にどんなプロダクトがあったらいいと思いますか?

パラリンピアン選手にコーチングするなかで、どうすればうまく伝わるのだろうと思うことがあります。今は言語と録画した動画を見せて指導することが基本ですが、自分の感触を相手に伝えられるような、触覚を使った指導ができたらいいなと感じます。肌の感触は強いものですし、触覚がないという障害は比較的めずらしいと思うので。スポーツのコーチングだけでなく、ジャマイカの砂浜の感触とか、世界中に伝わったらおもしろいですよね。

−今、為末さんが注目している企業や人を教えてください。

僕も運営アドバイザーとして参画しているのですが、メタップス社の「タイムバンク」。時間を売買するサービスなのですが、それだけではなく、インフルエンサーやフリーランスなど個人を支援する企業への出資も行っています。僕は選手時代、いろいろな強化をしたくても、結果が出ないとお金が入ってこなかったので、借金をするしかありませんでした。借金をするにも信用してもらえず、このジレンマが常にありました。将来得られる収益を今にもってくるというような、時間をずらすものに興味があります。若い時にこそお金は必要で、そういうシステムが浸透したら、もっと多くの若者がチャレンジできる社会になるのではないかと思います。

(text: 高橋亜矢子-TPDL)

(photo: 長尾真志 | Masashi Nagao)

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世界王者復活なるか!57歳で挑む パラ陸上伊藤智也が起こす旋風

宮本さおり

「最高のマシンが仕上がった。マシンに負けない走りを見せたい」まもなく開幕を迎える東京2020パラリンピック大会。車いす陸上T52に出場する伊藤智也選手(バイエル薬品)は新しいマシンを横にそう意気込む。ロンドンパラを最後に引退宣言をしていた伊藤選手が再びパラの舞台へ。目指すのはもちろん金メダルを首にかけることだ。すでに57歳を迎えた伊藤選手だが、メダル争いをするのは年齢もはるかに下の選手たちだ。「1年延びたおかげでベストな状況が作れた」“おっちゃん”の勝負が始まろうとしている。

誰なんだこの人は?からはじまった復帰への道

これまで、パラリンピックに3回の出場経験のある伊藤選手は、2008年の北京パラではT52クラス400mと800mで世界記録を樹立して金メダルを獲得。その後のロンドンパラでは惜しくも銀となり、このレースを最後に現役を引退した。眠っていた闘志を奮い起こさせたのが今回のパラリンピックで競技用車いすの開発を手掛けることになった株式会社RDS代表・杉原行里との出会いだった。

「伊藤選手ですよね。僕が最高のマシンを作るので、もう一度パラリンピックで走りませんか?」

海外で行われたロボット技術を競う大会に操縦士として出場していた伊藤選手に杉原が突然声をかけてきたという。全く知らない若者のこの言葉が現実のものとなるとは、この時の伊藤選手は考えてもいなかった。

「誰なんだこの人は? というのが第一印象でしたね(笑)」(伊藤選手)

しかし、話を聞くうちに、“これは面白い”と思い始めた。

「僕も工業系のエンジニア出身なので、杉原さんの考えるマシンの理論はだいたいわかりました。テストドライバーにということで、再び挑戦することを決めました」

引退から5年、伊藤選手は再びパラを目指すことを決めた。

計測がもたらした走りの進化

人間の体とレーサー(競技用車いす)が一体となってレースを走る車いす陸上は、どことなく、車のレースとも似ている。人間の体を作りこむだけでなく、マシンの性能もレースを左右するからだ。BMWやHONDAが陸上競技用車いすの開発を手掛けているのはそういう繋がりもあるのだろう。これまで、既製品のレーサーを使って競技に参加してきた伊藤選手だが、今回のパラに向けてRDSが提案したのは最先端の計測技術を用いて作るオーダーメイドの車いすだった。

計測のため、RDSのファクトリーを訪れた伊藤選手。鋭いまなざしでスタッフ陣と話し合いを進めていた。

モーションキャプチャなどを使い、徹底的に計測すると、これまでの伊藤選手のレーサーでは、彼の持ち味をすべて出し切れていないことが分かってきた。東京パラの選考まで残り2年でどこまで高性能なマシンが作れるか、はじき出されたデータを元に、車輪の角度や座面など、伊藤選手の体にピタリとフィットし、出した力を十分にスピードに結びつけることができるレーサーの開発がはじまった。

開発の中でも要となるのがシートポジションの設定だ。車いす陸上は腕を使って車いすの車輪を回して走るレース。座面と車輪の位置次第で漕ぎやすさが変わる。しかし、車いす製造の現場には、最適なシートポジションを導き出すための計測機はない。エンジニアや現場の医療従事者の経験がものをいう世界だが、それを可視化することは難しく、トライ&エラーがしにくい環境で、制作されている。
レーサーだけでなく、普通の車いすについても同じだ。レンタル品を使う場合は既製品ありきで考えられるし、購入する場合も車いすは高額のため、多少フィット感が薄くても、何度も買い替えることができないため、ある程度の我慢が必要という状況だった。

しかし、伊藤選手の最適なポジションを探るには、何度も試す必要がある。そこで考案されたのがシーティングデータを計測するシミュレーター『RDS SS01』だ。このシミュレーターの完成は伊藤選手のマシン開発に役立てられただけに終わらず、リハビリ界にも大きな影響を与えはじめている。

例えば、頸髄損傷のユーザーにマッチした車いすを調整する場合、本人と技術者の感覚を頼りに何度も微調整を繰り返し、理想的な状態に近づけていた。だが、それは時間も手間もかかる。また、人の感覚に頼るところが大きいため、本当にそれがユーザーにとっての最適なシートポジションなのかはわかりにくい部分もあった。だが、『RDS SS01』を使えば、最適なポジショニングかの判断を数値という形で可視化し、客観的に見ることができる。

実際、『RDS SS01』で計測してみると、伊藤選手の場合、最適なポジショニングで走行すれば、かなりのタイムが出ることが見えてきた。「これなら勝てる!」チーム伊藤の結成から1年以上が経ち、ようやく金メダルへの道が見えはじめた。車体はRDSが得意とするカーボン加工技術で仕上げることで、軽さと剛性の両立を果たした。実はこの技術、F1の「スクーデリア・アルファタウリ」のオフィシャルパートナーであり、モータースポーツを支えてきた同社が長年培ってきた技術を転用、今回のレーサー開発に生かしたのだ。また、今回の伊藤モデルでは「スクーデリア・アルファタウリ」とのコラボレーションも実現、カラーリングもF1チームのカラーと合わせることになった。

「速そうでしょ!」と話しレーサーに乗る伊藤選手。「スクーデリア・アルファタウリ」とのコラボカラーのレーサーが人目を惹く。

「ちょっと止めておくと“これ誰のだ?”と、人だかりができるんです。見るからに速そうでカッコいいですからね。こないだなんて、人だかりが消えるまで1時間くらい待ちました。こんな最高のマシンを作ってもらったので、マシンに負けない走りにしますよ」(伊藤選手)

だが、世界のトップを決めるのがパラリンピックの舞台だ。伊藤選手の最大のライバルは同じ日本から出場する佐藤友祈選手(モリサワ)だろう。佐藤選手は伊藤選手も出場していたロンドン2012パラリンピックを見て車いす陸上をはじめた選手。伊藤選手が引退後のリオ2016パラリンピックのT52クラス400mと1500mで銀メダルを獲得、2018年の国内大会ではこの二種目で世界新記録を達成し、2019年の国際大会でも800mと5000mで世界記録を更新した実力の持ち主だ。

今回のパラリンピックで金が期待される佐藤選手は31歳、金奪還を狙う伊藤選手は57歳。50代後半と言えば、一般の社会でも、退職を意識し始める年齢だが、伊藤選手にその意識はない。57歳の“おっちゃん”が30代とどう戦うのか。おっちゃんの身体をマシンの力でどこまで拡張できるのか、もちろん、日本勢のワンツーフィニッシュにも期待がかかる。

最終調整に入った伊藤選手はここへきて好タイムを出している。先日のテスト走行でも好調をアピール。大会直前のこの時期において、マシンと身体が十分に仕上がってきたと実感する。

テスト走行で好タイムをはじき出す伊藤選手。

ここへきて体の使い方と漕ぎ方の抜本的な見直しも行った。友人である武道家から体の使い方についてレクチャーを受け、すぐさま自身の体で試してみた。この友人が伝えたのは健常者に話す内容だったが、伊藤選手はこれを独自に解釈、自身の走りに取り入れると、1500mを漕いでも以前ほど息が上がらなくなったと話す。体の調整と共にレーサー本体の調整も完了、車輪の角度を少し変えると、風が強い日のテスト走行にも関わらず、好タイムが出たのだ。「この1年で最高の状態に仕上げることができました。もしかすると、1500mもいけるかもしれません」伊藤選手の目は勢いづく。

最高のゴールを見せる準備はできた

伊藤選手のレースが見られるのは車いす陸上T52クラス100mと400m、1500mの三種目。競技場の外を走る車いすマラソンに比べ、彼が出場するトラック競技は競技場の地面の質によってもタイムが変わると言われるが、伊藤選手はトラックの質によらずにタイムが出るように体を仕上げてきたと言う。

決まったレーンを走り続けることがルールの400mと違い、1500mでは選手間の心理戦も繰り広げられる。序盤から先行すると、一身に空気抵抗をうけて他選手の風よけに利用されてしまう。あえて中間グループあたりを陣取り、他選手を先行させ、どのタイミングで勝負に出るかを見計らう。選手同士の駆け引きも見所だ。生身の体で走るのとは異なり、レーサーを操るレースのため、一歩間違えば大事故につながる。実際、伊藤選手も初出場のアテネ2004パラリンピックでは、スタートダッシュで力みすぎ、コーナーで遠心力に負けて転倒、2か所の骨折を負ったことがある。各選手がどのようなレース展開を見せてくれるか、ここも車いす陸上の見どころだ。

「あとは自分がどれだけいいエンジンになれるかですわ。今回仕上がった新しいレーサーで走ったら、トップスピードが時速で1㎞上がった。最高の形で最後のバトンを受け取り、最高のゴールを見せる準備はできました。“伊藤のおっちゃんを走らせてよかった”と思ってもらえる走りを見せますよ」チームと中年の夢を乗せ、ゴールに向けての戦いが始まろうとしている。

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(text: 宮本さおり)

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