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日本と世界でこれだけ違う!フォーミュラEで見るモータースポーツの捉え方

高橋二朗

2014年からスタートした最も新しい世界選手権シリーズのフォーミュラEはシーズン7 に突入している。カーボンニュートラル、脱炭素社会を目指すために世界各国が電気自動車(EV)の普及に躍起になっている。EVの普及が本当にカーボンニュートラルのベストソリューションかどうかは別として、EVの存在は、モータースポーツに新風を吹き込んだことは確かである。

スペインの実業家、アレハンドロ・アガグ氏が中心となり、国際自動車連盟とともにスタートさせたのがフォーミュラEである。既存のモータースポーツのイメージを一新させるアイデアを盛り込んで、世界中を転戦、開催地は首都や世界的に有名な観光地とした。2020年からはグローバルに広がったコロナ禍によって、そのコンセプトが必ずしも踏襲されてはいないが、それはモータースポーツに限らず、あらゆるイベントが規制されるという如何ともし難い状況なのである。モータースポーツ、特にサーキットモータースポーツは、専用のパーマネントサーキットで競技が行われる。広大な敷地に造られたサーキットは、人里離れていることが多い。しかし、フォーミュラEは、街中の公道を一時的に閉鎖、または、公園内の道路を使用した特設サーキットを利用する。観光地では海岸やハーバー近くの幹線道路を閉鎖することはあるけれど、各国の首都開催の場合は、ど真ん中で行うことは叶わず、ロンドンで開催された時には、テムズ川の河畔公園を利用した。ローマ開催もやや郊外だが、イタリアの古都ローマの雰囲気を感じられるサーキットを設定した。

市街地、それも首都で開催できるのはなぜか? その最大の理由は、排気音がしないからである。以前にも記したことがあるがEVはとてもシンプルなコンポーネンツで構成されている。モータースポーツの魅力でもある排気音(エキゾウストノート)がEVのフォーミュラEにはない。フォーミュラEは内燃機関のエンジンを持っていない。エンジンは、化石燃料を主体とした燃料をエンジンシリンダー内で燃焼させて動力を発生させる。しかし、フォーミュラEは、電気でモーターを回してそれを動力としているので、エンジンの燃焼時に発生する爆裂音が無いのである。“音”という魅力を削がれているが、市街地や観光地の目抜き通りでモータースポーツという非日常的なイベントが行われるという新たな魅力を生み出したのがフォーミュラEなのである。

フォーミュラEのマシンは、最高速度こそ280km/hに達するが、最大出力は270馬力(レース中)であり、レースの形態はタイムレースで45分+1周である。F1のように1,000馬力以上の怪物マシンが走り回るわけではないのだ。フォーミュラEはマシンのシャシーはワンメイク、統一されており、他のコンポーネンツがシンプルであるが故にハードウェアの差は少なく、車両にいたっては差がほとんどないと言って良い。またコースの幅員はモータースポーツ専用のパーマネントサーキットに比べて狭く、1周の距離も最大で3.5キロ程度なので接戦が演じられるという面白さがある。フォーミュラEのマシンパフォーマンスの現状とオーガニゼーションの思惑がマッチしているから特設サーキットで十分楽しめるイベントとして成立しているのだろう。

レーシングカーが公道に出たら即逮捕!?
日本と海外とのギャップ

市街地特設のサーキットをどう設営するかは、当然ながら国レベル、開催地の自治体レベルの理解と協力がなければ実現はできない。世界的な観光地における開催は、アトラクティブなイベントが加わるというメリットがあることは容易に理解できる。首都のような大都市での開催はどうだろう。一般社会へのEV促進のキャンペーンの思惑を持って参加している自動車メーカーの場合、系列のチームや中国系の新興EVメーカーの宣伝としては格好のイベントである。

さて、ここからはモータースポーツの文化と伝統には国によって格差があるという話になってしまう。動力は別として自動車が発明されたのはヨーロッパで、その自動車を使って競走したのは都市間レースが初めだった。サーキットが存在しなかったので当然公道でレースが開催されたのである。このような素養がヨーロッパにはあるから、公道レースに対するアレルギーみたいな拒否感は無いのであろう。ところが、日本は極端に異なる。

筆者は、都内、お台場で何年にもわたってモータースポーツイベントを開催したNPO法人の理事を務めている。そして、できることなら周辺の公道でレーシングカーを走らせたいと考えて、関係各所に折衝した。最後には、公道を使用する許可と、安全性を確保するために公安、警察とのやりとりが大変であることが身に染みた。所轄の警察署の担当者が了解してくれても本庁が許可してくれなくては走行が実現できない。われわれのNPOのイベントではなかったけれど、F1の日本グランプリの事前プロモーションとして、あるチームのスポンサーが東京浅草の目貫通りを走行するイベントを企画したが、警察からの許可が出なかった。スポンサーと企画会社は、山車にF1車両を乗せて仲店をお練りし、浅草寺の境内で走行することとした。その際に警察から通達されたことは、「一瞬でもF1車両が公道に下ろされたら、責任者を逮捕する」だったのである。

日本の公安関係は、前例が無いことに対する拒否反応が強い。モータースポーツに対する理解と歴史、伝統が理解してもらえていないのは残念である。日本のモータースポーツを統轄する省庁は、4輪レースが警察庁と国土交通省、2輪レースは文部科学省である。何故官庁が異なるのかは筆者も知らない。そして、両官庁共にモータースポーツは、“スポーツではなく、興行である”と認識していると知った。現在スポーツ庁が縦の組織に横串を入れ、そのスポーツ性を伝えてくれそうなので少しは安心し始めたところである。

物理的に開催できるかどうかではなく、精神的に、公道でレースを行うというコンセプトに対し賛成か反対かという点では欧米では賛成に挙手してくれる数は多いだろう。あとは、物理的にどうかである。

まず、コースの設定とともに付帯する施設を設けるだけの敷地の広さがあるかどうかだ。そして、国際自動車連盟の自動車レースの安全規則に則ったコース設定が必要である。公道の両脇、内周と外周にコンクリートバリアを設置。3キロのコースを作るのであれば、それだけのコンクリートブロックを用意しなければならないということが分かるだろう。さらにバリアの上には金網のキャッチフェンスが設備される。万が一マシン同士が接触して跳ね上がった場合にも、コース外に飛び出さないようにするためだ。主催者は少なくともこのような仮設施設を造ることができるだけの資力がなければ、開催へ漕ぎ着けることはできない。そして開催地の政府、自治体との連携は不可欠である。公道を閉鎖するわけであるから、交通規制を敷くために公安、警察の協力はどうしても仰がなければならない。また、フォーミュラEのイベントは短期間である。予選と決勝は、ワンデー。よって、設営と撤収も短期間に終えなければならない。それが実施できる機動力、大規模なイベントをコントロールできるだけのオーガニゼーションがベースになければ開催は不可能なのである。しかし、だからこそ、開催できる都市においてはメリットもある。開催できる都市が少ないということは、世界からの注目を集めるチャンスにもなる。果たして日本の都市はこれをどう捉えるか。モータースポーツを愛する者としては開催できる都市の出現に期待したい。

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(text: 高橋二朗)

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F1スポンサーの変遷にみる世の中の潮流

高橋二朗

「F1マシンは走る広告塔」だ。
数百億円の年間予算で運営されているF1参加チームは、スポンサー無しにはどうにもならないのである。しかしF1がスタートした1950年にはチームとスポンサーという関係はなかった。当時は、自動車メーカーの参戦が主で、繰り出すマシンには、社名かエンブレムが描かれていたのである。そして、マシンのカラーリングは、イタリアメーカーのマシンは赤、イギリスは濃い緑、フランスは青、ドイツは銀、というようにナショナルカラーで彩られていた。日本からF1の黎明期に参戦していたホンダは、白地に日の丸をデザインしたカラーリングだったのである。

やがて、自動車メーカーに代わってレースを専門とするチームが参入するとF1の世界にチームとスポンサーという関係が生まれ、マシンのカラーリングはナショナルカラーからスポンサーのカラーリングを纏うようになる。

タバコメーカーがこぞってスポンサーに

初めての例が1968年のこと。イギリスのチーム・ロータスがインペリアル・ブランズ社(イギリスのタバコ会社)のいちブランド「GOLD LEAF(ゴールドリーフ)」のパッケージと同じカラーリングを施したのである。ロータスは、それまでブリティッシュグリーンを基調にイエローラインがマシンにカラーリングされていた。それが一新されて赤・白・金のカラーリングにブランド名がボディにデザインされた。これは大きな出来事であり、以降、せきを切ったように多くのタバコメーカーがF1チームのスポンサーとして、ボディカラーリングとブランドロゴを露出し始めたのである。
スポンサー企業の目的は、自社と自社ブランドの広告宣伝である。喫煙とF1のイメージが融合してグローバルにPRできるというメリットと、巨額のF1チームの運営予算が捻出できるという互いの思惑が合致したのだ。タバコの市場は世界中にあり、F1チームをスポンサーすることによって、各国で開催されるF1グランプリで多くのモータースポーツファンがサーキットの現場で、さらに、テレビ放映によって約1億人の視聴者がそのロゴを目にすることになるのである。

フィリップ・モリス社のブランド「Marlboro(マルボロ)」は、フェラーリとマクラーレンの2チームのスポンサーをしていた。マクラーレンは、マルボロのパッケージデザインをそのまま踏襲し、色は赤と白。デザインは赤の矢羽とロゴを配していた。一方のフェラーリは、伝統のイタリアンレッドを頑なに守り、スポンサー名が分かるのはロゴだけ。また、禁煙の機運が高まり出して、開催国によってタバコの広告宣伝が規制されていた場合は、サブリミナル効果を狙ってロゴを連想させるデザインを施したのである。しかし、タバコの広告宣伝は、2006年をもって一切禁止されてしまい、ロゴは見ることができなくなった。だが、現在もフェラーリには、赤いボディに『MISSION WINNOW』というロゴデザインがされている。これはフィリップ・モリス社のプロジェクト名なのである。何を目指すプロジェクトかは定かではないが、依然として同社はフェラーリを支援している。他のタバコメーカーも同じようなプロジェクト名を掲げている例がある。

タバコの広告宣伝が禁止されるまでにどれだけ多くのタバコメーカーがF1のスポンサーになっただろうか。John Player Special(ジョン・プレイヤー・スペシャル)、GITANES(ジタン)、CAMEL(キャメル)、LUCKY STRIKE(ラッキー・ストライク)、WEST(ウエスト)、Rothmans(ロスマンズ)、GAULOISES(ゴロワーズ)などなど挙げればキリがない。日本からもCABIN(キャビン)、MILD SEVEN(マイルドセブン)がスポンサー参入していたこともある。これだけ多くのタバコメーカーがF1にスポンサードしていたのは、タバコのイメージ戦略とF1の存在がとてもマッチしていたからだ。

(画像元:https://www.facebook.com/CamelF1/posts/1577500425651457
黄色のボディーで人目を惹いたCAMELのマシン。このときのドライバーはアイルトン・セナ。

変わるスポンサー企業

依然として自動車メーカーがスポンサーであり、レーシングチームオーナーである形態も残っているのがフェラーリとルノー、そしてメルセデスである。
実は、ホンダもチームを有していたことがある。既存のメルセデスチームの前身として3年間ではあったが、「ホンダ」というチームが存在していた。これは、直前のオーナー、ブリティッシュ・アメリカン・タバコ社がエンジンを供給していたホンダにチームの株式を売却したことでそうなったのだ。そして、そのチームがやがてメルセデスとなった。現在ホンダは、メルセデスと覇権を争うレッドブルにエンジン供給をしている。かつては、BMWとジャガーもチームを抱えていた。自動車メーカーがチームを有するということは、強さと速さをアピールするイメージ戦略と技術開発の両面のメリットを考えてのことだ。しかし、勝てないことで逆の結果を生むこともある。

タバコ、自動車メーカーの他にF1のスポンサーに名乗りを上げたのがファッション、飲料、エンジンオイル、ホイール、銀行、IT、コンサルティング、電気機器メーカー。ちょっと変わったところでは浄水器メーカーもある。タイトルスポンサー、サブスポンサー以外の、小口のスポンサーや技術供与のテクニカルスポンサーに至っては、相当数の企業が参入している。蛇足だが、アメリカのモータースポーツには飲食店チェーン、洗濯洗剤、清涼飲料水、スーパーマーケット、家庭建材など生活に密接な企業のスポンサーが目立つ。そして、海外の場合、時折軍隊がスポンサーに付くことさえあるのである。これらはより多くの一般層への露出を考えてスポンサーしていることがうかがえる。

スポンサーはF1チームの株式を買い取って、F1チームのオーナーになることが多いが、その代表的なものがレッドブル社だ。1990年代の終盤に参入したスチュワートがジャガーへ、そして2005年にレッドブルへとオーナーが変わった。近年のF1ではメルセデスとレッドブル、自動車メーカーとエナジードリンクのチームが覇権を争っている。同じ場で戦っているのだが、チームオーナーでありスポンサーでもある企業の思惑が全く異なるという面白い現象がF1には存在しているのである。
レッドブルは、久々の日本人F1ドライバー・角田裕毅選手が所属するアルファタウリを傘下に収めているチームである。アルファタウリは2019年までチーム名がトロロッソ(イタリア語で赤い雄牛)、英語で表記したらRedBull だ。メインスポンサーがレッドブルかつ、アルファタウリはレッドブルのファッションブランドである。レッドブルは、モータースポーツの他のカテゴリーにも積極的にスポンサー活動を展開している。若い有望ドライバーの育成をも行なっており、角田選手もその一人だ。モータースポーツ以外にもあらゆるスポーツのアスリートをサポートしている。

筆者は、1980年代のトールマンチームが日本の電子機器メーカーのスポンサードを受けるために来日し、プレゼンテーションを行った際に通訳として同席した経験がある。トールマンは、未だに日本のレースファンのみならず世界中のファンから慕われ、人気がある故アイルトン・セナがF1デビューを果たしたチームだ。トールマンはその後、ベネトン、ルノー、ロータス、そして現在は再びルノーとして参戦している。当時のプレゼンテーションのポイントは、グローバルに企業展開を目指すためのコラボレーション、F1のハイエンドステイタスが企業イメージアップに貢献すること、企業のロゴが世界中に露出することだった。現在もチームがスポンサーに対してプレゼンテーションをする際の内容は大きく変化していないだろう。そしてプレゼンテーションやオファーを受けた企業は、メリットがあると判断すれば、巨額のスポンサーフィーを支払うわけである。

唐突ではあるが、相撲とF1はとても似ている。
相撲部屋とF1チーム、相撲巡業とグランプリ転戦。各巡業には勧進元がいてその巡業を司り、F1のグランプリは主催者が仕切る。相撲部屋とF1チームをそれぞれ束ねる相撲協会とF1グループ。各相撲部屋には後援会があり、F1チームにはスポンサーが存在している。力士個人にも贔屓の谷町さんが居て、F1ドライバーにも個人スポンサーが居る。相撲の後援会とF1のスポンサーの大きな違いは、F1のスポンサーはスポンサーをすることによって企業の存在を強くアピールしようとすることであり、その先の利益に繋げようとすることにある点だ。F1のスポンサーたちは、F1GPを通じてマネーゲーム、マネーレースに参戦していると言っても良いのである。

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(text: 高橋二朗)

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