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“日本の車いすを変えた男” 株式会社オーエックスエンジニアリング創業者・石井重行【the innovator】前編

長谷川茂雄

バイクを愛し、エンジンやパーツの開発者としてだけでなく、モーターサイクルレースのライダー、ジャーナリストとしても活躍した故石井重行氏。株式会社オーエックスエンジニアリングを創業した同氏は、1984年にバイク試乗中の事故で脊髄を損傷した。そこから「既存の車いすは自分が乗りたいと思えるものがない」という理由で、車いす作りを開始する。その後、石井氏が手掛けたプロダクトは、いつしか世界中のパラアスリートが注目する唯一無二の“名機”として認められるまで進化を遂げる。と同時に、それまで日本で定着していた車いすのデザインや機能はもちろん、ユーザーやメーカーの価値観も一変させた。車いすの歴史を変えた男、石井氏の軌跡を追った。

乗りたいものがないなら、自分で作る

有能なエンジニアだった石井重行氏は、自分でチューンナップしたバイクで数々のレースに出場していた。

若かりし頃からモータースポーツの魅力に取り憑かれ、ヤマハ発動機に入社してからはエンジニアとして活躍していた石井氏。独立し、1976年には「スポーツショップ イシイ」を設立する。当時からバイク業界では腕の立つエンジニアとして有名だったが、それだけではなく、バイク雑誌で記事も書き、ジャーナリストとしても活動。多くのレースにも積極的に出場した。  

東京・箱崎にオープンした「スポーツショップ イシイ」。こちらは、1980年代初頭のお店外観。

そんな自分の好きなバイクの世界で、自由に飛び回っていた最中に事故は起きた。テストライディング中にハンドル操作を誤って転倒したのだ。脊髄を損傷した石井氏は、歩くことができなくなった。

現場に復帰した石井氏が、もっとも失望したことは、自分が乗って外に出たいと思える車いすがなかったことだった。ずっとオートバイの世界で、デザインも機能も最高のものを追い求めてきたが、自分が毎日乗らなくてはならない車いすは、画一的なデザインしかなく、乗り心地も満足がいかなかった。

「乗りたいものがないなら、自分で作る」。そう決意し、それまでバイク業界で培った技術を生かし、車いす作りを始めた。

1990年、ドイツで開催された自動二輪車・自転車展「IFMAショー」の視察に訪れた石井氏。このとき、現地の記者に自作の車いすを絶賛され、それがきっかけで事業化を決意したという。

1992年、日常用車いす“01−M”の生産開始

障がいを負って車いすを購入する場合、国が定めた基準額内の価格のものであれば、ユーザーの負担額は基本的に1割(所得等に準ずる)で済む。そのため、日常用車いすに対してハイスペックのものを求める者は少ない。ましてや石井氏が事故を起こした1980年代に、カッコ良い車いすを本気で欲しがるユーザーもそれを作ろうとするメーカーも皆無だった。

会社はスポーツショップ イシイから、1988年に株式会社オーエックスエンジニアリング(以下OXとなり、「未来を開発する」を合言葉に、エンジン開発などにも着手。それと並行して、1989年には正式に車いす事業部を発足させた。そして1992年に、OEMというかたちで石井氏の理想が詰まった日常用車いす“01−M”の生産を開始する。

ほぼ、すべてのパーツを内製するしかなかった

“01−M”は、当時オートバイによく使われていたアルミの削り出しパーツを多用しているのが特徴だった。本来であればパーツ専門の業者から買い付けて組み上げるのが一般的なメーカーだが、当時はまだOXの認知度は低かったため、取引きしてもらえる業者はほとんどいなかったという。そのため、ほぼすべてのパーツを内製した。だから初代の車いす“01−M”は、当時の価格で21万円ほどになった。これは、一般的な車いすの倍の価格設定。ブランド力もない状態で、それだけの価格のものを売るのは難しかった。

赤字が続く中でも、石井氏は、車いす作りを止めなかった。そんななか1995年、OXの自社生産モデルとして発売した日常用モデル“MX-01”が、「中小企業優秀賞(工業デザイン部門)」や「福祉機器コンテスト優秀賞」、「グッド・デザイン(医療・健康・福祉部門)中小企業庁長官特別賞」といった数々の賞を受賞する。それらをきっかけに、専門家のみならず一般ユーザーにも、OXの車いすはデザイン性も機能性も高いという認識が浸透していった。

1995年に発売した“MX-01”。OX製車いすが、社会的にも認められる大きなきっかけの一つとなった日常用モデル。

パラアスリートたちからも絶大な信頼がある

石井氏は、“MX-01”を作った時点で、「やれるだけのことはやって、できるだけのものはできた」と語ったそうだが、“MX-01”発売以後、ようやくOXは、ビジネス的にもブランドとしても独自の地位を築き始めた。

OXの車いすは、日常用モデルがメインだが、自社生産を開始してすぐに、テニス用やバスケットボール用などの競技用モデルも手がけてきた。パラリンピックに関していえば、1996年のアトランタ(4個カッコ内は獲得メダル数)大会以後、シドニー(17個)、アテネ(19個)、北京(18個)、ロンドン(14個)、リオ(16個)とOX製の車いすを使用したパラアスリートたちが、コンスタントに数多くのメダルを獲得している。冬季大会も合わせると、これまでの獲得メダル数は優に100を超える。国内シェアでいえば、陸上競技が約7割、テニスにいたってはほぼ10割に近い。かのプロ車いすテニスプレーヤー、国枝慎吾氏もOX製モデルを愛用している。

そもそもは、石井氏本人が「外に出かけたくなる車いす」を作るために始動したモノづくりは、今や世界のトップパラアスリートたちから信頼され、最高のパフォーマンスを生んでいる。石井氏のスピリッツは受け継がれ、東京2020へ向けて、その進化スピードはさらに加速している。

こちらはテニス用モデルとして1993年に発売した“TR-01”。

陸上競技で圧倒的な国内シェアを誇るOXの車いす。社内にはオリンピックで使用された歴代モデルのフレームの断面なども展示してある。

中編につづく

石井重行(いしい・しげゆき)
1948年、千葉生まれ。1971年にヤマハ発動機に入社し、エンジニアとしてのキャリアをスタートさせる。5年後、28歳のときに独立し、東京・北篠崎でオートバイ販売会社「スポーツショップ イシイ」を設立。1984年にテストライディングの際に転倒事故を起こし、下半身不随となる。1988年に株式会社オーエックスエンジニアリングを設立すると車いす事業部を発足させ、本格的に車いすの開発を始動。1992OEMで手掛けた初めての日常用車いす“01-M”を発売。翌年には4輪型テニス車“TR-01”、4輪型バスケットボール車“BW-01”を発売した。以後、パラスポーツ用車いすとしては、陸上競技、テニスともに国内トップシェアになるまでに成長させる。2012123164歳没。

(text: 長谷川茂雄)

(photo: 長谷川茂雄)

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ボーダレスな音楽体験を牽引するアート集団、英国ドレイク・ミュージックが初来日! 前編

朝倉奈緒

東京2020に向けて、地方自治体も様々な取り組みを行っている。今回ご紹介をする川崎市では、誰もが暮らしやすいまちづくりに向けて『かわさきパラムーブメント』と題し、様々な取り組みを行っている。本記事では「障がいのある人の音楽表現を支えるテクノロジーの可能性」についてトークセッションが開催された様子をレポート。 25年にわたり音楽家、デザイナー、プログラマー、テクノロジストなど多数の人をつなぎ、音楽×障がい×テクノロジーの分野を牽引してきた英国のアート集団『ドレイク・ミュージック』から、代表のケレン・メイア氏、アソシエイト・ナショナル・マネージャー(アーティスティック・デベロップメント)のダレル・ビートン氏が来日、アソシエイト・ナショナル・マネージャー(リサーチ&デベロップメント)のガウェン・ヒュイット氏がスカイプ参加し、「障がいのある人の音楽表現を支えるテクノロジーの可能性」について熱くディスカッションを交わした。

音楽を奏でることで、
誰もがパーソナリティの発展が可能になる

© British Council

『ドレイク・ミュージック(以下DM)』とは、障がいのあるプロの音楽家の演奏活動を可能にするウェアラブルデバイスや、障がいのある子供たちも簡単に音楽を奏でられるようなタブレットなど、障がいのあるなしにかかわらず、あらゆる人が音楽に親しむことができるアクセシブルな楽器の開発を手掛ける英国のアート集団。 今回、障がいのある人が生き生きと暮らす上での障壁となっている、人の意識や社会環境のバリアを取り除くこと、新しい技術でこれからの課題に立ち向かう「かわさきパラムーブメント」を展開する神奈川県川崎市が、東京2020で英オリンピック代表チームによる事前キャンプ地として決定したこともあり、英国の公的な国際文化交流機関ブリティッシュ・カウンシルと連携して英国で先進的に活動を続けているDMを招聘。デザインを障がいのある人たちとのパートナーシップをもとに作っていくという彼らの活動に、どのようなパワーがあるか、アクセシブルな音楽作りとはどういったものか、それらをどう再定義し、再考しているのか。来日した2名によって、存分に語られることになった。

ケレン:みなさんこんにちは。本日はみなさんとご一緒することができて、大変うれしく思っております。今回、みなさまにお迎えいただいたことに感謝申し上げます。DMは設立が1993年、今年で25年目となりますが、来日するのは初めてです。

DMは音楽とテクノロジー、また、障がいのリーダーです。私たちはイノベーターであり、キュレーターであり、教育者でもあり、そして提唱者として活動しています。あらゆる世代の障がいのある方たちと音楽を奏でるために、新しい、そして優れたテクノロジーを使っています。

私たちは、誰もが音楽を奏でることができ、未知なるクリエイティビティ──つまり創造的な心があると、情熱をもって信じています。そしてこの信念こそが、私たちDMが行う活動全ての中核となり、障がいのある方たちが音楽を奏でることができるよう環境を提供し、ツールやテクノロジー、楽器を作ってサポートしています。

私たちの活動で一番重要だと思っていること、それは障がいのある方が5歳の幼児、25歳の成人、はたまた60歳を超えるシニアでも、音楽を奏でる中で、ご自身でコントロールし、創造的な選択、決断、判断ができるようにするということ、そして音楽を奏でることにより、ますますパーソナリティの発展を可能にするということです。

私たちは新しいテクノロジーやアイデアを活用しながら、あらゆる人が音楽を奏でることができるように門戸を開いています。そしてハードウェア、ソフトウェア、既存のものを作り変えたりあるいは新しいものを作ることで、楽器やツール、テクノロジーをみなさんに提供しています。これは様々な人とコラボレーションすることで実現しています。

DMでは障がいのある人も、ない人もチームのメンバーとなっており、共に障壁をなくしていくために努力をしあい、過去25年の活動の中で1万回もの機会を多くの人たちに提供している実績がある。

では具体的な活動に、どんなものがあるのだろうか?

ジョン・ケリー自身が生み出した
アクセシブルな楽器「ケリー・キャスター」
 

ケレン:DMの活動は主に「ラーニングとパティシペーション」、「トレーニングとコンサルティング」、「研究開発」、「アートとコラボレーション」の4つの領域から形成されており、それら全ての領域が相互に関わりあった形で活動をしています。「ラーニングとパティシペーション」は学校であったり、そのほかの教育の中でプログラムを提供し、あらゆる世代の方たちへ機会を提供しています。また、障がい者の方たちが住む住居型施設やデイケアセンターへもプログラムを提供しています。「トレーニングとコンサルティング」は、DMが行っている活動について様々な個人の方たち、あるいは団体のみなさんに共有しております。いかに音楽作りをインクルーシブにしていくかということ、そしてその中でどうテクノロジーを使うかについて、より多くの方たちが、こういった活動に従事することができるようにしています。

ダレル:私が担当している「アートとコラボレーション」の中では障がいのあるミュージシャンの方たちが芸術的な才能をより発揮することができるようにする活動を行っております。また、そういった音楽家の方たちに新しい作品を作ってもらう委託の事業や、彼らが生演奏できるような枠組も提供しています。本日のトピックはテクノロジーと、我々の研究開発の領域だと思いますので、ここからはガウェンに引き継ぎます。

ガウェン:例えばギターのような従来からの楽器がありますが、技術を使うことであらゆる楽器をよりアクセシブルにして多くの人が使うことができるようにする、という活動をしています。5~6年前になりますが、楽器メーカーやテクノロジストの方たちと、どうすればよりよいアクセシブルな楽器を作ることができるか方法を模索し、たくさんの課題を検討して、多くの声をそこに取り込んでいきました。このような活動はイギリスでは非常に大きな成功を納めており、活動をすることで新しい楽器のデザインを作り出すことにもつながりましたし、アクセシブルな音楽作りとは何か、ということを考え直すきっかけにもなりました。そして、活動の中で最も大きな成功が、『ケリー・キャスター」という楽器です。

開発段階のケリー・キャスター © Emile Holba

ケリー・キャスターは仲間のジョン・ケリー氏が、当初から一緒に取り組んでくれたものです。このプログラムを行う前、ケリー氏はあるツールを使って自分でもアクセシブルな形でギターが弾けるように工夫をされていましたが、このプログラムに参加されてから、色々なテクノロジーに触れる機会がありまして、楽器をデザインする様々な新しい方法があることにも気づきました。そこでiPadだけでなく、物理的な楽器の要素も兼ね備えた、自分が使える楽器を作れないかと考えるようになりました。例えば物理的なギターという楽器と、ソフトウェアの組み合わせを実現するために、私たちはハッカソンを行いました。実験的な取り組みとしてだったわけですが、そこで様々なコンセプトをテストしていた結果、私自身も、仲間も、ケリー氏自身の期待をも上回るものになりました。

テスト段階では、電気線とテープがペタペタと貼り付けられたような、手作り感溢れるプロトタイプでしたが、プロの楽器メーカーの方、チームのメンバー、テクノロジストが取り組んだことで、今では素晴らしい楽器が完成したのです。この楽器はケリー氏ご自身がデザインし、そして自らがアクセシブルな楽器を制作することを実現するために、コミュニティにいたあらゆる人が協力した結果となります。

このようにジョン・ケリー氏のビジョンを支え、それを実現するためにDMは活動をしてきたわけだが、そのプロセスを通じて彼らは「アクセシブルな楽器とは何か?」という考え方が大きく変わった。障がいのある音楽家たちとテクノロジストが一緒に協業して活動することで、こういった優れた創造的なソリューションを生み出し、いかに「社会モデル」が実現されているか。障がいとなるような障壁を外せば、あらゆる人が自分たちの潜在能力を引き出すことができる、という好例である。

アクセシブルな伝統的楽器
「サウンドビーム」をアップデートしていく

ガウェン:私たちがこの活動をする中で使っている、「サウンドビーム」という楽器があります。これは超音波をビームで送り出すことで音を出しますが、古くから存在する、使いやすくて楽しめるアクセシブルな楽器のひとつです。完璧とはほど遠いのですが、非常に便利で汎用的です。問題のひとつは、ものすごく高価だということ。音楽家の方たちが個人的に購入するのに現実的な金額ではなく、多くの人に、また、学校や自宅でも気軽に使えるよう、同じような楽器をより安価でオープンソースのテクノロジーを使った形で実現できないか考えてきました。

そんな時、10ポンドで買える楽器を作るために1000ポンド出すと申し出てくれたサポーターの協力で作られた最新バージョンがこちらです。チップの中に当初プロトタイプで使っていたコーディングが埋め込まれています。そしてそれがダレルの持っているバージョンに繋がっていきました。

これで問題は解決したように見えるかもしれませんが、まだまだ課題は残っています。例えば、製造コスト。私たちは製造業者ではなく、このテクノロジーがオープンソースではないということもあり、10個ほどプロトタイプを重ねてこの形までは繋がってきましたが、DMは本当に小さな団体でして、これ以上進められていないのが現状です。

これから外に出していくということになれば、デザイン面で基本的な問題が残っていますが、オープンソースデザインのメリットは、一度作ったパネルやスクリーンを取り外してバラバラにして、ボタンやスクリーンなどをさらにアクセシブルな形に組み替えていくことができるので、この最新バージョンを作るときにはユーザーインターフェースも、より使いやすいようにするためにスイッチをプラグインしていくというような工夫も重ねています。

後編へつづく

ドレイク・ミュージック
すべての人に開かれ、誰もが参加できる音楽文化を理念に、障がいのある人に障がいのない人と同しじだけ、音楽活動に参加する機会、障がいの有無に関わらず音楽家として対等な関係で活躍することができる社会の実現に向け活動する英国のアート集団。音楽×障害×テクノロジーの分野の前衛として 20 年以上にわたり、多様な人が音楽に親しみ、音楽活動に関わる機会を生み出す補助テクノロジーを創出してきた。あらゆる人々に向けたアクセシブルな音楽サービスを提供するほか、音楽アクセスを向上するために音楽家や文化機関に向けたトレーニングプログラムなども実施。さらには、障がいのある音楽家のためにテクノロジーを駆使し、先進的でアクセシブルな新しい楽器の開発など、その活動は多岐に及ぶ。
http://www.drakemusic.org/

(text: 朝倉奈緒)

(photo: 増元幸司)

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