対談 CONVERSATION

画家・山下良平によるHERO Xのキービジュアルが遂にヴェールを脱ぐ!

川瀬拓郎

スポーツ、メディカル、テクノロジーを主軸に、さまざまな情報をボーダーレスに取り扱ってきたHERO X。こうした多岐に渡る分野を横断しつつ、来るべき未来を予感させるキーヴィジュアルの必要性を感じていた杉原編集長が白羽の矢を立てたのは、画家・山下良平氏である。躍動感ある画風で知られ、2020を目前に今や引っ張りだこの人気作家に登場していただき、今回のヴィジュアル作成の経緯を対談形式にて紹介する。

音楽とツイッターがつないだ二人の出会い

山下「僕たちを引き合わせるそもそもの接点は、HONEY L DAYS(ハニー・エル・デイズという男性デュオのアーティスト、以後ハニエルと略)でしたね。今から10年ほど前、ハニエルのKYOHEIさんが、街角のギャラリーに展示されていた僕の作品を見つけて、ツイッター経由でダイレクトメッセージを送ってくれたんです。そこには、『山下さんの絵に曲を付けたい』という熱いメッセージが書かれていました。その後、KYOHEIさんと実際にお会いすることになり、ハニエルのCD用アートワークを描くことになったのです」

杉原「それって、SNSを使ったナンパですよね(笑)。僕は、昔からKYOHEIとは仲の良い友達で、新曲が入ったCDを頂いたんです。そのCDは、横浜ベイスターズの桑原選手の応援歌でもある『その先へ』という曲が収録されているのですが、そのアートワークが良平さんの作品との初めての出会いでした。それまでのハニエル作品にはない雰囲気で、ものすごくカッコよかったので、KYOHEIからCDを頂いたときのことを今でも鮮明に覚えています」

山下「実際に行里さんと会ったのは、1年前ほど前ですね。村岡桃佳選手をモチーフにした作品をツイッターにアップしたら、ダイレクトメッセージをもらい、それから直接やり取りするようになりましたね」

杉原「良平さんの絵を見て本当にびっくりしたし、大興奮しました。だって、我々がサポートしている桃佳がモチーフになっていて、しかも絵の中に描かれているチェアスキーはRDSも携わっているプロダクト。これって、もうコラボしてるじゃん!って(笑)。HERO Xの公式ヴィジュアルを依頼するなら、この人しかないと確信しました。そうして、KYOHEIにお願いして、お会いする機会を設けたことが最初の出会いでしたね」

カルチャースクールに通いながら独学で習得

杉原「さて、良平さんの画風を表現する言葉として広く知られているのが、躍動感ですよね。2020に向けて多忙な日々を送っているのは存じておりますが、アスリートを題材にするようになったのはなぜでしょう?」

山下「自分ではあまり意識していなかったのですが、動くものすべてが僕のモチーフになります。だから、題材にするのは特定のスポーツやアスリートには限りません。実は僕、映画も好きで大学で専攻していたのは動画制作でした。絵画に対する専門的な勉強はしていないんです」

杉原「えっ! 大学で絵画の勉強をしていたわけではなく、独学なんですか?」

山下「そうなんです。当時、横浜に引っ越して、カルチャースクールに通って、独学で絵を学んだのです」

杉原「カルチャースクールなのですか! 言い方が悪いかも知れませんが、美大に通うことがメジャーリーグへの近道だとすると、素人相手のカルチャースクールは草野球レベルですよね?」

山下「実際、そうなんです(笑)。自分が行きたい時間を自由に選ぶことができて、受講料も安いから本当に助かりました。一緒に受講するのは年配の女性が多いのですが、彼女たちから女性らしい曲線美というものを学んだような気がします」

杉原「今や横浜マラソンや福岡トライアスロンなど、錚々たる有名大会でヴィジュアル制作を手がけている良平さんが、カルチャースクールで絵画を学んだのは驚きです。このストーリーは、本当に夢のある話ですね」

慌ただしく時間だけが過ぎていった20代

山下「横浜に引っ越してから20代の頃は、単価の低いイラストやイメージ画像の仕事などをひっきりなしにやっていました。今改めて考えれば、発注する側からすれば使いやすかっただけなのでしょうね。僕より安く早く描ける人がいれば、その人に仕事が行くでしょうし…。商品化されたものに、自分の名前が掲載されるわけでもないですから」

杉原「泳ぐのを止めたら死んでしまうマグロのように、ただひたすら仕事をこなす日々だったのですね。立ち止まることの恐怖の方が強いという…」

山下「無名で忙しいというのは、本当に辛いんです。そうして、30歳を過ぎた頃に仕事量がピークを迎えて、それ以降パッタリ仕事が来なくなった時期が2ヶ月くらいありました。でも、この体験が転機になって、ようやく自分を見つめ直すことができたんです。受けた仕事をこなすための絵ではなく、本当に描きたい絵を描こうと思い立ち、描き殴るように没頭しました。その体験が今の自分の作風につながっています」

杉原「確かに、自分もそういう体験があります。忙しい日々で、ふと自分を見つめ直した時、一体自分は何をやって、どこにいるんだろうと。忙しさを言い訳にして、本当にやりたかったことを忘れてしまうことが…。講演などで、時間は有限だ!とか偉そうに語っている自分ですら、意識できていない(笑)。ふと立ち止まって自分を見つめ直したとき、どう行動に移すのかが、人生の大きな分岐点になるのですね」

立ち止まって振り返ったとき、どう行動するのか?

山下「その時テーマとしたのが、中学・高校時代に打ち込んだ短距離走でした。地平線を見ながら風を切って走る、あの気持ち良さを表現したいと思ったからです。失敗を繰り返しながら、少しずつタイムを上げていく陸上競技のように、ひたすら描き続けて、片っ端から自分のホームページにアップするようになったのです。それから、少しずつ反響があり、他人から評価されることがこんなに嬉しいものなのかと実感しました」

杉原「それから、知名度が一気に広がるようになったのが、ラジオ番組のオーディションだったんですよね?」

山下「はい、当時僕が34歳のとき(2008年)、大阪802ラジオが主催するアートオーディションに応募して受賞したことです。無名のアーティストを発掘するdig me outという番組でした。この受賞後は、一気に仕事の幅が広がり、大きなクライアントに出会うこともできました。自分の作風が確立したこともあって、“躍動感”、“イラストレーター”と検索すると、トップに自分の名前が挙がるようになったのです」

杉原「僕にとって山下さんは画家だと思っているのですが、イラストレーターと呼ばれることに違和感がありますか?」

山下「僕自身も画家って呼ばれたいです。でも、出会った時期が違う人からすればイラストレーターでしょうし、そこは仕方がないです」

言葉ではなく、感情に訴えかけるアートの力

杉原「それにしても、良平さんに描いてもらえる選手は本当に羨ましい限りです。情報過多なデジタル時代にこそ、アナログな絵画に触れるというのは、本当に価値があることだと考えています。今回HERO Xのキーヴィジュアルをお願いしたのも、デジタルにはない良平さんの筆のタッチや色使いが斬新で、心を動かされたから。HERO Xが目指す未来像を、言葉ではなく、感情に訴えるヴィジュアルとして表現することができたと思います」

山下「行里さんに依頼を受けてから、二人であれこれイメージの擦り合わせをしましたね。“トロンが好き”、“赤を入れて欲しい”といったリクエストを反映させながら、今回のヴィジュアルを作り上げていきました。画中の3人が、まるでアヴェンジャーズのように見えるのも、二人が好きな共通の映画の影響がありますね」

杉原「水平線の向こうに向かっていくような奥行き感も、すごく気に入っています。絵を描くにあたって、山下さんが影響を受けた映画とは?」

山下「小学4年生の頃に、両親と観たスター・ウォーズからは特に影響を受けましたね。マニアックに聞こえると思いますが、劇中でデス・スターが爆発するシーンが本当に大好きなんです(笑)。それから、007シリーズとかバック・トゥー・ザ・フューチャーとかも好きですね。今回のHERO Xで描いた人物たちの身体に、ギアが直接くっついていないのがポイントです。この中に浮いた、ホバリングしているようなイメージは、SF映画から来たアイデアですね」

杉原「これから額装するのが本当に楽しみです。RDSがF1チームにスポンサーとして参入していることもあり、次はぜひモータースポーツをテーマにお願いしたいと思っています。速いモノは無条件で美しいというのが僕の信条で、スピードに魅せられるから。山下さんの作風にも合うと思うのです」

山下「あまりに荷が重いというか、恐れ多いですね…。モータースポーツは全般的にそうなんですが、F1は特に生と死が隣り合わせになった極限のイメージがありますからね。でも、挑戦してみたかった分野ではあるので、来年まで埋まっているスケジュールをクリアできたらトライしてみたいですね」

山下良平
1973年生まれ、福岡県出身。1994年からストリート絵師として活動を開始。02年、アトリエを横浜へ移し、イラストレーターとしてデビュー。NIKEなどスポーツブランドのヴィジュアル作成、SUMMER SONICでのライブ・ペインティング、自身のアートブランドの運営など、その活動は多岐に渡る。現在は湘南にアトリエを移し、精力的に活動中。

(text: 川瀬拓郎)

(photo: 増元幸司)

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対談 CONVERSATION

1億円プレイヤーの誕生も夢ではない!テクノスポーツ「HADO」開発者インタビュー 後編

宇都宮弘子

AR(拡張現実)技術とウエラブル端末を使い、新たなスポーツ「HADO」を誕生させ、新ジャンルの“テクノスポーツ”という市場を生み出した株式会社meleap CEO福田浩士氏。「テクノスポーツで1億円プレイヤーを誕生させたい」と意気込む同氏。対談後編は、スポーツとテクノロジーの融合によって広がるテクノスポーツの未来とHADOから展開される観戦ビジネスについて、HERO X 編集長・杉原行里がお話を伺った。

杉原:福田さんはテクノスポーツをこれからどのように拡大していこうとお考えですか?

福田:スポーツはもともと市場としても大きいですよね。サッカー、野球、テニスという昔からの伝統的なスポーツもありますが、その後、F1やバイクレースなどもスポーツの仲間入りを果たしています。F1などを“モータースポーツ”、サッカーやテニスなど伝統的なスポーツを“アナログスポーツ”としたとき、次世代の新ジャンルスポーツ市場が生まれてくると考えて、そこを「テクノスポーツ」と位置付けたいと。「HADO」は、“アナログスポーツ” “モータースポーツ”に次ぐ大きい枠組みの“テクノスポーツ”という市場の中で、代表競技となるスポーツとして、自分たちが創っていくんだという思いでやっています。スポーツって投資すればするほど伸びるものですよね。10億円投資すれば10億円分の伸びをするし、1兆円投資すれば1兆円分の伸びをする。それならば、大きく資金調達をして事業に投資するしかないなと。

杉原:なるほど。今から市場を創り上げていくということですから、かなりのブルーオーシャンですよね。僕がいいなと思ったのは、5試合勝てば1000万円という「HADO BEAST COLOSSEUM」なんです。投資すればするほど成長曲線を示してくれるっていうのを地でいっているなと。やっぱり1000万円って大きいですよね。そうなると、プレイヤーのクオリティーも上がって担保されるし、そこに辿りつくまでのストーリーもおもしろくなる。1000万円がもしかしたら、来年には1億円になっているかもしれないですよね。

福田:そうですね。やっぱりプレイヤーが年収1億円稼げるスポーツに育てていかなければいけないと思っていて、2021年からはテクノスポーツの競技でプロリーグを展開したいと考えているんです。テクノスポーツでもプロになれば1億円稼げるんだっていう夢をみてもらいたい。人生をかけたピリピリ感とか、スポーツでしか味わえないような勝負の瞬間を感じて欲しいんですよね。

杉原:素晴らしい考えだと思います。マイナースポーツって、結局どれだけ極めても生きていけないから、いつまでもマイナースポーツという枠から抜け出せない。パラリンピックにもそういう一面があるなと思っていて、やっぱり1億、2億稼げるプレイヤーが出てこないと、そこに夢が生まれない。サッカーとかF1みたいな大きな枠組みにはなりにくいような気がしているんです。だから、福田さんが考えられているような、テクノスポーツ「HADO」から1000万とか1億とか、それを踏まえた上でのロードマップが出来ているというのは本当におもしろいなと思います。僕も出たいです(笑)。

「HADO」が目指す5年後の未来

杉原:「HADO」が目指している5年後の未来について聞かせてください。

福田:直近の5年間で「HADO」を観戦ビジネスとして広めていきたいと思っています。スポーツを日常的に観戦している人ってまだまだ少ないと思っていて、もっと熱狂できる応援の対象があれば、日々の生活がおもしろくなるんじゃないかなって。ネットが普及し、居住場所にしばられないコミュニティ、コミュニケーションが生まれている一方で、地域性というものがどんどん薄れてきているように感じています。そうなると、スポーツマーケティングを考える上で、なるベく接点を増やしたきっかけづくりをしていくことが大切なのかなと思っています。ワールドカップやオリンピックって4年に1度ですけど、間違いないく日本全体が盛り上がりますよね。全くルールを知らないような競技ですらハラハラドキドキしながら観るし、それがもっと日常になれば人生楽しいだろうな、知らないなんてもったいないなって。今、僕がスポーツで創っていこうと思っている価値はそこにあります。

杉原:福田さんが考えている新しい観戦の仕方というのは、スポーツを日常の中にどのように溶け込ませていくかに集約されるのでしょうか?

福田:そうですね。シンプルに自分事になるかどうかということなんですよね。例えばオリンピックで考えたら、日本人として日本が負けることはプライドが許さないとか、自分のアイデンティティがそもそも日本人だからどうしても日本を応援したくなるとかっていうように、自分事にしていかないといけないんじゃないかと。それを仕組みとしてもっともっと盛り上げていけたらなと思います。

杉原:先日、我々も記者発表をしたのですが、その時のテーマが「自分事」だったんですよね。例えばF1で世界最速を目指しながら最高峰の舞台で培ってきた技術が、実は知らない間に日常に溶け込んでいる。例えばパドルシフトができたことで、脚の悪い人が手で運転できるようになったり。パラリンピックも少し見方を変えるだけでおもしろくて、ここで僕らRDSのセンシング技術が自分の周りにいる人たちの生活を少しでも変える可能性があるんだという見方をすると、自分事になるし、より強いアイデンティティになる。

スポーツを自分事として観戦するという新しい仕組み


福田:新しい観戦ビジネスを目指して僕たちが創っているのは、観客がプレイヤーの一員としてゲームに参加するという仕組みです。あくまでフィールド上にいるのは代表のプレイヤーなんですけど、それを観ている観客もプレイヤーにして、1000人対1000人の闘いにしてしまう。そうなれば、2000人の観客のすべてが自分事として観戦できるようになるんじゃないかなと。

杉原:おもしろい! それって観戦しながら参加できるということですよね。僕もサッカーを観に行ったりするんですけど、あれって観戦しに行っているというよりは、熱い声援を届けに行っているんだと思うんです。観戦だけしたいならテレビの方が断然観やすいですもんね(笑)。結局、その空間にいるからこそ感じられる臨場感を味わうための権利を手に入れたいのだと思います。近い将来「HADO」も現場で観戦した方がより自分事として体感できるようになるということですよね。この仕組みはどのあたりまで出来てきているのでしょうか?

福田:今年の年末にリリースする予定です。

杉原:もうすぐですね。楽しみにしています!

前編はこちら

福田浩士(ふくだ・ひろし)
1986年新潟県生まれ。明治大学工学部卒業後、東京大学大学院を修了。2012年に株式会社リクルートに就職。退職後、2014年1月に株式会社meleapを設立。CCOの本木卓磨らと共にAR(拡張現実)技術とウエラブル端末を用いたテクノスポーツ「HADO」を開発、レジャー施設やイベントなどでサービスを展開している。

(text: 宇都宮弘子)

(photo: 増元幸司)

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