福祉 WELFARE

今、必要なのは勇気とスピード感。元F1ドライバー山本左近の視点 後編

宮本さおり

F1ドライバーとして活躍、現在は社会福祉法人の理事や政治家としても活躍する山本左近氏。前編では、F1で生み出された車の技術がどのように社会へと落とし込まれていくか、また、福祉の世界に身を置くことで見えてきた「食」という課題についてHERO X編集長の杉原行里が話を聞いた。後編ではどんな話が飛び出すのだろうか。

世界と戦うためにはスピード感と判断力がカギ

杉原: 前半ではF1から社会に落とし込まれる技術や山本さんが作られた新しいスタイルの介護食の話を伺ってきましたが、世界中をめぐってきた山本さんから見て、昔と今で、変わってきたなと思われるのはどのようなことでしょうか。

山本:50年前と今で、最も変化したのはスピード感だと思います。例えばイギリスから見た世界と日本から見た世界って見てる視点が違うじゃないですか。視点が違うのは当然なんですけど、それぞれの国の歴史や発展の状況により、世の中が動いていくスピード感が違うんですよね。残念ながら過去10年ほどで世界における日本のプレゼンスは下がっていっているという印象を受けていますが…。日本が下がっているのか、諸外国が上がっているのかバランスはあるとは思うのですが、日本はやはりスピード感が失われているんじゃないかと。例えば白物家電の分野など日本が得意としていた領域においても負けてしまっている状況があり、あまりにも完璧なものを作ろうとしすぎてしまっているがゆえに、スピード感が犠牲にされている気がします。スピード感というのは、これからグローバルな社会になっていく中ではとても大事なキーワードだと思っていて、いかに応用するのかと同時に、いかにスピード感を持った判断ができるかだと思います。

杉原F1なんて判断力がなければもう終わりですよね。

山本:そうですね。1000分の1秒ごとに判断を求められるスポーツですし、300キロで走ってたら1秒間で約80メートル進むわけですよ。1秒迷った瞬間に壁にぶつかってしまいますよね。そういう世界で常に判断を続けてきましたから、もしかすると、判断スピードの大切さについては他の方よりも敏感なのかもしれませんね。

新しい方法も恐れずに取り入れる勇気

杉原:僕が今年初めに当媒体でコラムを書いたテーマが、「自分ごと化」なんですよ。山本さんも「自分ごと化」というのをキーワード的に書かれているのを見て、おっ!と感じました。自分がそれに関係しているかということがその人にとって、自分を突き動かすうえではすごく大事なことだと思っていて、僕達の年代でいうと、親がどんどん高齢になってきていますよね。そうすると、車いすって結構自分ごと化になってくるんです。今、山本さんが掲げられているキービジョンのように、一般の人たちが少しでも自分ごと化していくには、僕らにどういうマインドがあると良いと思いますか?

山本:怖がらないことですね。人間は本質的に、自分の知らないことや、今まで無かったものに対しては恐怖心を感じると思うんですよね。構えちゃったり、関係ないと閉ざしてしまったり。でも、次なる未来を見たときにいろんな課題があるなかで、その課題解決をしていくためには、新しい方法も取り入れなきゃいけないし、今あることだけを継続していては破綻してしまう未来が見えているじゃないですか。もちろん今まで培ってきた技術や制度は素晴らしいもので、今すぐ変えなきゃいけないとは思っていないですが、未来に目を向けたときに、人口構造が変わったその時に社会システムが変わらなくていいのかなと考えると、どこかで変換していかなくてはいけないと思います。みんなが幸せになるためにイノベーションが必要なんですが、ここにつまずきがあって、イノベーションが起きるときというのは、今までの自分の生活が脅かされるんじゃないかとか、大変な生活になるんじゃないかと思いがちなんです。ですが、12、3年前に iPhone は世の中に存在してなかったじゃないですか。でも iPhone が出てきたことによってコミュニケーションの手段が変わり、コミュニティーのあり方が少し変わった。でも、人が人として生きていくうえで大切なものは昔から変化していないんですよ。なので、あんまり構えず、受け入れる幅を持つことが大切だと思いますね。

杉原:今まで様々な方々に取材をしたなかで、医療や福祉の分野で何か新しいものを導入しようと思うと、日本の場合は段階を踏まないと導入できず、時間がかかってしまう。そうすると、今、世の中に出していきたいと思った時に、スピード的に世界に負けてしまうということをよく聞きました。なかには、先に別の国で発表しておいて、日本に逆輸入のような形にしようと考える会社もでてきている。そのあたりの日本のスピード感についてはどのように考えていますか。

山本:日本で導入するのに時間がかかるのはなぜかというと、人の命に関わるものなので、100%完成されているものでなければ認められないんですよね。そこは僕も納得できます。でも、例えば画像診断ソフトの補助的運用、最終的に医師が判断するための補助的ツールという使い方であれば、それは80%の完成度でもいいと思うんです。トライ&エラーが繰り返されて100%になるので、80%の技術を100%にするという最終的な部分は、実は一番大変で時間がかかる部分なんです。そこが100%になってはじめて世の中に出るというのが今の日本の基準。しかし、直接的に人への影響が少ないであろうモノに関していえば、僕は80%でもある程度のゴーサインが出るような仕組みの方がスピード感は上がると思いますし、そうすることによって進化が加速していくと思います。

前編はこちら

山本左近
愛知県豊橋市出身。1982年7月9日生まれ。36歳。豊橋南高校卒業、南山大学入学。1994年、レーシングキャリアスタート。2002年、単身渡欧しF3参戦。2006年、当時日本人最年少F1ドライバーとしてデビュー。以降2011年まで欧州を拠点に世界中を転戦。2012年、帰国後ホームヘルパー2級を取得。医療介護福祉の世界に。医療法人・社会福祉法人 さわらびグループの統括本部長就任。 現CEO/DEO。全国老人保健施設連盟政策委員長。自由民主党愛知県参議院議員比例区第六十三支部長。

(text: 宮本さおり)

(photo: 増元幸司)

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ポジティブなマインドは、ネガティブから始まる。TEAM POSITIVE代表・鈴木隆太

中村竜也 -R.G.C

健常者、障がい者を問わず、スポーツを通して新たなことにチャレンジする人をサポートする団体がある。彼らは、身体的な不利を一切障がいとは考えず、とにかく楽しむことに全力を注ぎ、人生を生き抜くことを笑顔で広めていくという、夢物語のようなことを実践しているチームなのだ。その名も「TEAM POSITIVE」。

TEAM POSITIVE 代表を務める鈴木隆太さん(以下、鈴木さん)自身も、バイクでの通勤途中に車と正面衝突し、左下腿を失った。その時若干17歳。しかし、転んでもただでは起きないのが鈴木さん。そこでの経験や気持ちが、後の TEAM POSITIVE の発足に繋がったという。

「正直その時は、人生が完全に終わったと感じ、3日間泣き続けました。そして3日目に、当時勤めていた鳶の親方がお見舞いに来てくれたんです。普通なら掛ける言葉も見つからず、ただ傍観するしかないような状況ですよね。でも親方は、『馬鹿野郎、いつまで泣いてんだ! 早く戻って来い!』と喝を入れてきたんです。その言葉で正気に戻りました。

その時に決意したのが、鳶に戻る、そして大好きなバイクにもう一度乗るということ。この2つの決意が僕を突き動かし、半年の入院予定のところを、3ヶ月での退院にこぎつけました。しかもその時には、担当だった看護師さんと付き合っていました()。実はこれも密かな目標だったんです()

笑いながらそう話す鈴木さん。しかしその裏には、大好きなバイク、しかもハーレーという大型バイクを乗るために、自ら義足でも運転できる教習車を作り、それを教習所に持ち込んで免許を取ったという、並大抵ではない努力もあったのだ。ひとつの目標を達成するためには迷いのない行動力を発揮する。真似したくてもできない精神力の強さがそこにはあるのだ。

不便を感じたことが、
TEAM POSITIVE結成への第一歩

鈴木さんが義足になった当時は、まだインターネットが普及していない時代であったため、何か新しいことを始めようと思った時には全てが手探りの状態。足を失った者が再びバイクに乗るための情報にしても、パラリンピックを目指したスノーボードにしても然り。

「何か新しいことを始めようとした時、多くの方はできない理由を考えたり、周りからの声で、前進することを止めてしまうと思うんです。でも僕は、障がいがあろうが無かろうが、まず自分で答えを出し、解決しないと気が済まない性格でして。何かトラブルが起きてからようやく誰かに相談するんです()。そういうことを繰り返していくうちに、情報のポータルを作れたら面白いなと思い始めました」

「時代は、インターネットの普及とともに情報社会へと移行していく中、ある時テレビ取材のお話をいただいたんです。その時のディレクターの方がすごく面白い方で、『今までに取材させてもらった障がいをもつ方の中でも、鈴木さんはぶっ飛んでる』って言われたんです()。普通は一生懸命さを売りにするのに、バイクやジェットスキーに乗っているところなど、楽しむ姿ばかり撮らせますよねって。

そんな姿を見てか、その方に『何か団体を作ろう』と声をかけられました。以前から、サーファーやBMX、スノーボード、バイカー、陸上競技者など、とにかく多方面で活躍する人を集め、チームに対してスポンサーを付けていく動きをしたら面白いと考えていたので、よし、形にしよう!って思いました。これがTEAM POSITIVEの発足です」

surfing“kneeboard”の小林征郁選手(左)と伊藤健史郎選手(右)。ともにTEAM POSITIVE所属

スノーボードクロスでのピョンチャンパラリンピックの出場を目指し、ナショナルチームに所属していた頃、アメリカチームとの出会いが大きな転機だったという。鈴木さんがTEAM POSITIVEを通じて実現したかった、教育や選手育成、雇用サポートなどを、すでに彼らは実践していたからだ。

「スポーツ選手として日本国内でやっていくうえで何に苦労するかというと、絶対的に金銭面のウェイトが大きいんです。厳しい言い方をすると、スポーツで夢を与えることはできても、現実成り立たないのが日本の現状。

オリンピックの金メダリストで考えても、賞味期限は正直3年くらいだと思っていて、その後は忘れられていく。パラリンピックの選手となったら、簡単に名前が出てこないことも、悲しいですが頷けることが現状です。加えて金銭面もキツい。それではスポーツから離れる人は多くなります。

そんな状況を打破すべく、企業と選手の橋渡しをできるような活動を行なっていきたいと思い、アメリカのナショナルチームのやり方を学びに渡米しました。正直、スポーツに対する向き合い方が日本とは大きく違い衝撃でしたね。そのような現状を伝えるためにも、草の根活動的な講演会などは、僕がやっていくべきだと。スター選手は他にいるので()

チームの中に、左手一本しかない子がいるんですが、その子にやってもらっているのは、僕らのボイスチェンジ。たとえば、僕が今喋っていることは、興味を持ってくれた方には刺さるんですが、同じ境遇の方には刺さらないんですね。そこを同じ思いを持っている子が同じ思いを伝えることで意味が生まれてくる。左手一本しかない人が、どれだけ前向きに生きているかが伝わるじゃないですか。そういった意味で講演活動では、伝えるということに重きを置き活動しています」

講演中の山田千紘さん

TEAM POSITIVEの存在意義

「まず自分の置かれた状況を一生懸命楽しんでいるのかが、僕の価値観ではすごく重要なんです。たとえば、危険が伴うことは、すぐ周囲の人が危ないからという理由で止めてしまったりすることが多いですよね。そんな状況を回避し打破するために、TEAM POSITIVEは存在すべき。新たな挑戦をしようと思った時の光になれれば、みんなの可能性が広がるわけで。ひとりの力だと、たかが知れているかも知れないけど、様々な方面で活躍している人の生きた情報を与えることができたら、輪が広がっていくじゃないですか。そして、とにかく楽しむことを目的とした集団を作り上げたかったんです」

スノーボードのトレーニングをする鈴木さん。

自分たちにしかできないことを明確にし、それに向かって前進する。大袈裟かも知れないが今の日本人が忘れかけた精神を思い出せたような気がする。では、鈴木さん自身は、チャレンジすること、ポジティブでいることの意味をどのように考えているのだろうか。

「それは楽しむということに尽きますね。楽しくないと嫌なんです()。でも『楽しむために嫌なことは全部やらないんでしょ』ってよく勘違いされるんですけど、そうではない。やりたいことを実現するために、ただ貪欲に突き進むということなんです。そこにはもちろん、嫌なことも沢山ありますし、やりたくないことにも向き合わなくてはいけない現実もあります。そして何より、人としてかっこいいか、かっこ悪いかが、僕のチャレンジ精神の大きな判断基準なんです」

足を失ったことで、さらに世界を広げてきた鈴木さんが、最後にこう語ってくれた。

「困っている人がいたら手を差し伸べる。そんな当たり前のことが様々な壁を取り払い、誰もが住みやすい世の中へとつながる、真のバリアフリーだと思っています」
この言葉を聞き、自分の気持ちに正直に生きているのが、鈴木さんであり、所属するメンバーも含めたTEAM POSITIVEの姿なんだと感じた。そして、シンプルな生き方こそが、究極のポジティブなのかもと。


オフィシャルサイトhttps://www.teampositive.biz/

(text: 中村竜也 -R.G.C)

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