テクノロジー TECHNOLOGY

“脳卒中が治る”未来を描く、リハビリテーション神経科学の可能性【the innovator】後編

長谷川茂雄

慶應義塾大学理工学部でのBMI(ブレイン・マシン・インターフェース)研究を経て、“リハビリテーション神経科学”という新たなサイエンスを打ち出した牛場潤一氏。「脳の機能は、一度でも深刻なダメージを受けると回復できない」という医学界では当たり前の概念を、自ら覆そうとしている同氏は、“医”と“工”の壁を取り払い、そこを行き来することで、「脳卒中による身体の麻痺が治る未来が見えてきた」と語る。それは異端が思い描いた幻想などではない。純粋な探究心と行動力、ユニークな発想が実を結び不可能を可能にしつつあるのだ。その現状を知るべく、まるでバーが併設したアート展示空間のような牛場氏の研究室を訪ねた。

こんなに重い麻痺を治すなんてことは
“無理だよ”と笑われた

BMIの研究を始めた当初は、「そんなの無理」と周りから言われるほど闘志が湧いたという。自分は「負けず嫌いで、天邪鬼な性格」だと笑いながら分析する。

牛場氏が、“リハビリテーション神経科学”としてBMI研究を始めたのは2008年。“医”と“工”両者の視点から、脳卒中によって失われた脳機能を治療するという画期的な研究ではあったものの、当初は異質とみなされ、周囲に理解を得るのは難しかったという。

「まだ自分が若い頃に成果発表をしたときは、医学部の先生に“君の研究は、どのドクターと一緒にやっているの? そのドクターはなんて言っている?”と聞かれたり、“それは無理だよ”と笑われたりしたことも多々あります。自分の存在をなかなか見てもらえなかったんですね。そういうときに感じたのは、医学の世界で生きてこられた方々に、接してきた患者さんの数や治療実績で勝負しても勝ち目はないし、そもそも僕には医師免許すらないわけですから、同じ土俵に上がろうとしても意味がないということでした」

とはいえ、「無理」と言われるたびに、牛場氏は「やる気が出た」という。なかなか認めてはくれないものの、出入りしていた医局の方々は、“同じ釜のメシを食う仲間”という意識もあったためか、協力してくれることも多かった。それゆえ、気持ちが折れることはなかったという。

「環境には恵まれていたと思います。“牛場がそんなに言うなら”と、助け舟を出してくれた先生も大勢いらっしゃいましたので、本当に感謝しています。でもそういうことに甘えているだけではだめで、自分ならではの立ち位置で成果を出さなければ存在価値はないと認識していました。結局、テクノロジーの仕組みをどれだけロジカルに説明しても(医学界に)理解してもらえませんし、いい物、面白い物を作っても、今までよりもどれだけ優越性があるかを医学グレードでしっかり立証、実証できないと、振り向いてさえもらえませんでした」

牛場氏の考案したBMIで脳機能が回復するなどとは、当初、医者は誰一人として考えていなかったという。それでも地道に研究を続けることで、明らかな成果が出始める。それは、医学の教科書に載っている常識や正解だけを追っているだけでは、得られないものだった。

慢性期の脳卒中患者でも
10日ほどの訓練で指が動く

「僕たちが作っているBMIは、ヘッドホン型の電極を脳卒中患者さんの頭に取り付けるシンプルなものです。例えば右の脳に損傷があって左手が麻痺している患者さんの場合、右の脳の運動野と呼ばれる部位が活性化したときにだけロボットのスイッチが入って、手の動きをサポートします。本人が手を動かそうと思っても、運動野の興奮性が上がらなければロボットは動きません。ですので、BMIを操作しようと試行錯誤を繰り返すことで、患者さんは、どういうやりかたがもっとも上手な脳の使い方なのかを学習していくのです」

そんなウェアラブルで取り付けも簡単なBMIで、なんと脳卒中を発症して1年以上経過した慢性期の患者であっても、10日ほど訓練すれば、指を開いたり閉じたり、物をつかんだりできるようになるケースがあるという。

筋肉に全く反応のなかった患者でも、BMIでの訓練を経れば明らかな反応が現れる。

そして筋肉が自分の意思で反応するようになったら、今度は頭の電極を外して、筋肉の反応を読み取るグローブ型のデバイスに移行する。それを装着して日常生活を送れば、3週間もすればデバイスを完全に外しても指が動かせるようになるのだ。

グローブ型の運動補助デバイスは、日常生活で使うこと自体が脳のトレーニングになる。

「脳卒中で脳が損傷した生身の状態でやみくもに訓練をしても、脳にとっては手がかりがなさすぎて機能を回復することはできません。でも、我々のBMIは、治療対象となる脳領域が活性化したときだけ運動をアシストして、脳に“いまのはよかったよ”と成功報酬を与えるので、脳内に新しい神経回路を獲得していけるのです。これは生物学的な治癒能力を引き出してあげるデバイスですから、実際に頭部に電極を埋め込んで、サイボーグ的に動かすことを目的としたBMIとは、似て非なるものだといえます」

脳の適応機能やキャパシティは
生物学的にまだまだ引き出せる

牛場氏が監修したパナソニック製のBMI。実にシンプルで見た目もスタイリッシュだ。

研究、開発を初めてから今年で10年。現在、牛場研究室で生まれた技術は、大手メーカーであるパナソニック社の全面協力のもと、製品版プロトタイプの完成段階まで進んでいる。同時に関東の4つの病院では、40症例規模の治験も進めていて、承認審査機関へ提出するための正式なデータを収集中だ。

これらの成果と実績から考えれば、牛場流BMIの実用は、そう遠くない未来に多方面で実現するに違いない。さらに、こういった実用的な研究と平行して進めている基礎研究の結果から、牛場氏は脳にはまだまだ無限の可能性があると日々感じているという。それを引き出すことにも大いなるロマンがある。

「研究室では、複数の方に参加していただき、ある脳波が出たら、コンピューター画面のなかの猿の尻尾を模したCGが動くという、ユニークなBMIの実験もしています。そうすると、各々が最初はお尻を振るイメージだとか、バットを振るイメージだとか、思い思いのイメージをすることで、四苦八苦しながら尻尾を動かそうとするのですが、そのうち上手に操れるようになります。3日もするとまるで手足のように自由に、しかも言葉にできない直感的な感覚で尻尾を動かせるようになる人もいます。人間に尻尾はありませんから、こうした適応過程は脳というものの柔軟性を如実に表していると言えます。普段、脳のパフォーマンスは体の構造や周囲の環境に制限されているのですが、BMIを使ってそれらを取り払えば、脳はもっと自由に機能を生み出せるのだと思います。脳には、まだまだ多くの生物学的な能力が秘められていると思います」

研究室ではこちらの大きなモニターに映る尻尾を、BMIで動かすという実験も行っている。それにより脳のまた違った能力が確認できるという。

神経機能を治すためのデバイスを
処方する時代へと突入した

研究室では、授業やゼミのほか、夏休みには高校生向けのワークショップなども開催している。遠方からの参加者も多いという。

体という入れ物の制限を取り払えば、脳のパフォーマンスレベルが広がる。同様に医療もまた、牛場氏のようにという区別や制限を取り払うことで、可能性はもっと広げられるのかもしれない。

「これまでは、神経系の病気は、診断することはできても治すことはできませんでした。でも、もはや脳の情報を分析する情報技術(インフォマティクス)や、ロボティクス、そして我々のBMIのようなテクノロジーは、十分脳神経への治療性が認められていますし、どこに効くかもわかってきています。神経の活動を整えるために化学物質(薬)を飲む、脳の傷を治すためにウィルスや細胞を注射するといった方法論に次いで、外的、物理的な技術の処方が神経治療の第三のウェーブになりつつあるのです」

患者の状態に合わせて適切なデバイスを段階的に処方していくことで、治療の効果はもっと上げられる。複数のデバイスをどう組み合わせて活用するのか? 研究や開発はもちろん、テクノロジーの用法、用量を適切に処方するためのしくみを考えることがリハビリテーション神経科学の役目になってくるのだ。

「いろいろな治療をベストミックスさせることで、今まで治せないとされてきた脳神経系の疾患に対してアプローチして、患者さんが豊かに生活できるようにする。そういう医療を理工学部から作りたいんです。“神経の病気は診断ができるけど治らないなんて、だいぶ昔の話だよね”。そんなふうに言われる未来の当たり前を作りたいと思っています」

前編はこちら

牛場潤一(うしば・じゅんいち)
1978年、東京生まれ。慶應義塾大学理工学部生命情報学科准教授。2004年に博士(工学)を取得し、同年から慶應義塾大学理工学部生命情報学科に助手としてキャリアをスタートさせる。専門は、リハビリテーション神経科学。2008年よりBMI研究を開始し、理工学部からの新たな神経医療の創造を目指している。芸術や音楽への造詣も深く、学生時代はファンクバンドやジャズバンドでトランペットを担当していた。祖父は、慶應義塾大学医学部第8代医学部長の牛場大蔵氏、父は、應義塾大学名誉教授でフランス文学者の牛場暁夫氏。
http://www.brain.bio.keio.ac.jp/

(text: 長谷川茂雄)

(photo: 河村香奈子)

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未来のものづくりはコラボレーションから生まれる!「ダッソー・システムズ」のプラットフォーム 前編

富山英三郎

全世界で25万社以上の法人顧客を抱え、世界1万7000人の社員数を誇る、フランス最大のソフトウェア会社『ダッソー・システムズ』。技術革新のみならず、積極的な M&A で成長してきたビジネス界では名の知れたビッグカンパニーだ。しかし、製造業をはじめとした B to B (企業間取引)、B to B to C(企業が個人消費者向けに商売するのを手伝うビジネス)向けのサービスが中心で、しかもソフトウェアという目に見えないものを提供しているために、一般にはあまり馴染みがない。 そこで、まずは同社の歴史やサービスの歴史を踏まえながら、これからのものづくりが進んでいく未来について、アカデミアプログラムディレクターのフィリップ・コカトリックスさんに話を訊いた。

地球上の9割の航空機は
同社のソフトで設計されている!?

ダッソー・システムズの設立は1981年。もともとは、フランスの戦闘機『ミラージュ』や、ビジネスジェット機の『ダッソー・ファルコン』の製造で知られる、ダッソー・アビアシオン社の開発部門であった。

1960年代、設計といえば製図道具を使い手で線を引いていたが、メインフレーム(汎用大型コンピューター)の登場により、コンピューターで設計をおこなう動きが加速。ダッソー・アビアシオン社も1970年代後半より、設計や風洞実験ができる独自のソフトウェアを開発することとなる。その後、自社ソフトを一般販売することになり、分社化して誕生したのが『ダッソー・システムズ』というわけだ。

そんな経緯もあり、ダッソー・システムズ = CADソフトの会社として認知している人は多い。もちろん、現在も3D CAD設計ソフト『CATIA(キャティア)』は主力製品であり、特に航空産業では広く使用されている。地球上で飛んでいる9割の航空機はこのソフトを使って設計されていると言われるほどだ。

1989年、設計されたパーツを
パソコン上で組み立てることに成功

「当初は、CADソフトを使って各種パーツを設計すること自体が革新的でした。その後、それらのパーツをデジタル空間の中で組み立ててモックアップ(試作品)まで制作できる、“3D DMU“という手法を1989年に打ち出します。ボーイング777は、ダッソー・システムズのDMUを全面的に使用して設計された最初の商用航空機でした。」

一般的に、製品を販売するまでには各種の検証が必要である。そのためには、フィジカル(物理的)な試作品を作るのがセオリー。しかし商用航空機のような試作品を制作するには、膨大なお金と時間を要する。しかも、仕様変更があれば、新たに試作品を作りなおさなければならない。しかし、デジタルモックアップであれば、設計変更や検証をデジタル上のデータモデルを使って行えるため、お金も時間も大幅に削減可能だ。

CATIA Version 4では、製品の完全なデジタルモックアップ(DMU)を実現し、仮想空間での製品の検証や確認が可能に。

他部署との連携を可能にした3D PLM

「10年後の1999年には、3D PLM(プロダクト・ライフサイクル・マネジメント)を打ち出しました。これは、設計から所有まで、製品のライフサイクル全体を管理できるシステムです。各種実験やシミュレーションをデジタル上でおこなうのみならず、製造から販売後のメンテナンス、廃棄処理の方法までもデジタルデータを連携させながら管理できるようになりました。それまで、企業の各部門(設計、解析、製造など)は、それぞれ専門性が高いゆえにサイロ化(他部署と連携できずに孤立化)してしまう問題がありましたが、PLM によって各工程をシームレスにつなげて連携することができるようになりました」

従来、各部署の設計や解析といったデータはそれぞれのソフトでおこない、仕様書のようなファイルの受け渡しと変換が必須だった。しかし、お互いの分野が専門的すぎるがゆえに、各部署の連携がうまく行かず、ファイルの散逸やファイル変換に伴うミスがおこるという欠点も。PLM はこうしたサイロ化を回避しミスを削減できるという画期的なものであった。

現在はVR でクルマのドアの開閉音も確認可能

「2012年にはさらに進んだ、3DEXPERIENCE プラットフォームを発表しました。こちらも主な目的は、連携時のサイロをなくすというものです。さらに、製造部門のみならず、マーケティングやセールス、パートナー会社、さらにはユーザーまでもが同時にコラボレーションできるようになりました」


ダッソー・システムズが提唱する産業の未来、インダストリー・ルネサンス。「映像内の富士山とチューリップ以外は、ほぼダッソー・システムズのソフトウェアで作られたもの」とは広報担当者の弁。

EXPERIENCE(エクスペリエンス)とは経験や体験という意味。クラウド化されたプラットフォームの中心には、プロジェクトが目指すべき「エクスペリエンス」があり、それは3Dのデジタルツインで表現される。

「VR を使えば、クルマの運転席からの視界や、ドアの開閉音までも確認できます。また、高速道路を走っているときのエアコンの音と、田舎道でのエアコンの音の違いも確認できます。これまで、音に関しては何デシベルといった数値で表現されていましたが、マーケティングやセールスの人間は数値を見てもよくわかりません。逆に、ユーザーが納得する音のレベルがどの程度なのかは、技術の人間だけでは判断に迷うこともある。誰もが参加できるプラットフォームを設け、極めてリアルに近い3Dデジタル・モックアップを使いながら、音や質感などの細部も含めて経験する。そうすることで、部署を超えて問題点を議論することができます。ユーザーの体験は、音や質感、機能など、すべてを含む総合的なものですから」

プラットフォーム化およびデジタルツインの革新性は、部署を超えて対等&スピーディに話し合える点にある。しかも、物理的な試作品を作る前にあらゆる問題点を確認できるので、お金もかからない。もちろん、仕様変更もパソコン上でできるので簡単だ。製品の発売後も、ユーザーがネットに書き込んだ問題点などを即座に検討して対応することもできるなど、これからの製造業に必要な機能が詰まっているのだ。

後編へつづく

(text: 富山英三郎)

(photo: 増元幸司)

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