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日本初の義足プロアスリート鈴木徹は、2020をどう迎えるのか【HEROS】後編

岸 由利子 | Yuriko Kishi

2017年7月にロンドンで開催された世界パラ陸上競技選手権の男子走り高跳び(切断などT44)決勝で、同クラスのアジア記録、日本記録を更新する2m01の跳躍を遂げ、銅メダルを獲得した“日本初の義足ジャンパー”、鈴木徹選手。2016年リオパラリンピックのプレ大会「IPCグランプリ・リオデジャネイロ大会」では、それを超える自己新記録の2m02を樹立するも、同年に行われた本大会では4位入賞に留まり、メダル獲得を逃したが、その雪辱をみごとに果たす結果となった。しかし、ここからが本番。5大会連続出場のパラリンピックでは、6位、5位、4位と順位を上げてきたが、悲願のメダルはまだ手にしていない。活躍が期待される東京2020に向けて、どんな日々を過ごしているのか。“義足アスリートのパイオニア”が自身に掲げる使命とは――。競技用義足やトレーニングのこだわりに至るまで、鈴木選手に話を伺った。

僕は、1cmでも高く跳びたい

前編では、競技用義足やトレーニングについて、独自のこだわりを語ってくれた鈴木選手。刻一刻と迫る東京2020に向けた目標について聞くと、こんな答えが返ってきた。

「淡々と、その時が来るのを待つのみですね。選手としてはもう若くはないですし、大会に向けて、1年ずつ合わせていくというよりは、2年、3年という長めのスパンを見据えて、自分に合ったトレーニングを地道に積んでいる感じです」

日本初の義足プロアスリート、日本パラ走り高跳びのパイオニアとして、18年間、ひたすら第一線を走り続けてきた。2006年のジャパンパラリンピックでは、初の2m00を跳び、「世界で2人目の義足の2mジャンパー」となり、2016年リオパラリンピックのプレ大会では、自己新記録の2m02を打ち立て、自身のアジア記録と日本記録を更新した。今後、それを超えることはできるのか。

「超えたいとは思っています。僕の上にいるのは、両足のある選手たちがほとんどなので、2m02を超えていくことでしか、高みには上れないし、その記録をどうすれば作り出せるかということを常に考えています。できれば、2m05、あるいはそれ以上の記録を更新したいとは思っています。1cmのチャレンジャーとして、頑張っていきたいです」

課題解決のヒントは、遊びの中に

さらなる記録を更新するためには、何が必要なのか。近年、海外でのトレーニング経験で得た新たな気づきを従来のトレーニングに取り入れたように、「新しいことをするのは、すごく大事」だと言う。

「環境を変えることも一案ですが、僕の場合は、道具を使っているので、自分の機能性や、道具を使う能力を上げたらいいのかなと思って、スキーやバスケットボール、キックボードなど、陸上以外のクロストレーニングを大事にするようになりましたね。小学6年と3年の息子たちと一緒にやることが多いのですが、遊びの中からも、競技に活かせる多くのことを学びます。バスケを例に挙げると、ダンクシュートやレイアップシュートは、走り高跳びの動きとまったく同じだったりして、リンクすることもけっこう多いんです」

走り高跳びの助走で、最後のコーナーを走る時、義足の右足では、スムーズに走ることが難しかった。いくらやっても、納得のいく走りが出来ずにいたが、子どもたちと出掛けたスキー場で、その解決策を見出した。

「義足に意識を向けて、振り出そうとしたりせず、“スキーのコーナーを曲がる体”にした瞬間、義足が結果として、体についてきたんですよ。言い換えれば、

道具のポールに意識がいくので、義足を気にせず、滑ることに集中できたから、コーナーをキレイに曲がることができたという。リレーバトンを使うトラック競技や縄跳びなども同じで、バトンなり、縄跳びなり、道具そのものに意識がいくので、フォームが自然と美しくなることがあります」

動物園は、トップジャンパーにとって
絶好の学びの場!?

「ベテランになるほど、クロストレーニングは大事です。同じ動きばかりしていると、前編でもお伝えしたように、消耗品なので、壊れてくるんですよね、体が。

例えば、週に3回、走り高跳びをみっちりやれば、確実に壊れていくけれど、そのうち2回をバスケに変えたら、壊れません。体への負荷のかかり方が全然違うので。スパイクを履いて、トラックで練習することは、それぐらい負荷が大きいんです」

走り高跳び以外のスポーツをするほかにも、You Tubeの動画を観て、フォームの研究に時間を充てることもあるそうだ。楽しみながらクロストレーニングに励んでいるようだが、「遊びも、本気です」と鈴木選手。2人のお子さんは、動物園が大好き。連れ立って行くことも多いそうだが、動物観賞に嬉々とする子どもたちのそばで、鈴木選手は、まったく違うことを考えている。

「ひたすらカンガルーを観察したりします。僕の知るかぎり、彼らは、肉離れやケガをしません。人間のように頭で考えると、そうなってしまうので、おそらく本能的なものだと思いますが、凄いですよね。あと、お腹の袋に子どもを抱えながら、ピョンピョン跳ね回っていますけど、ノーアップであれですからね。感心しつつも、自分のアップについて考えるわけです。果たして、1時間かけてやることは、本当に正しいのかと。ウサギ跳びをする、しないとか、昔から正しいとされてきた準備運動の類いを疑うなど、挙げればキリがないのですが、動物たちから得た知見を自分の体で実験することを含めて、これもまた楽しみでもあるんですよね」

粛々と、自分の信じる道を邁進するトップアスリート、鈴木徹。インタビューは、その研ぎ澄まされていくパフォーマンス力とスピリットをひしと感じる時間だった。パラリンピックに初出場してから、ちょうど20年目で迎える東京2020での活躍に期待が募る。

前編はこちら

鈴木徹(Toru Suzuki)
1980年5月4日、山梨県生まれ。駿台甲府高校時代、ハンドボールで国体3位の成績を残したが、卒業前の交通事故により右下腿を切断。リハビリをきっかけに、走り高跳びを始める。その後、順調に記録を伸ばし、初めての公式大会で当時の障がい者日本記録を超える1m74を記録。日本初の義足の走り高跳び代表選手として、2000年シドニーパラリンピックに出場して以来、5大会連続入賞。2016年リオパラリンピックのプレ大会で、自己新記録の2m02を樹立し、自身のアジア記録と日本記録を更新。2017年、世界パラ陸上競技選手権大会で銅メダルを獲得。2m01の跳躍でクラスT44のアジア記録、日本記録を樹立した。自身の経験を活かし、全国各地の小中学校や大学などで講演活動も行う。SMBC日興証券株式会社所属。

(TOP画像:©SMBC日興証券株式会社

(text: 岸 由利子 | Yuriko Kishi)

(photo: 増元幸司)

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次は、あの国を倒して金を獲る!ウィルチェアーラグビー日本代表最強エース、池崎大輔 後編

岸 由利子 | Yuriko Kishi

車いす同士がぶつかり合う猛烈なコンタクトプレーで知られるウィルチェアーラグビー。選手たちがタックルを繰り返す度、コートには無骨な衝突音が鳴り響き、車いすごと吹っ飛び、転倒するとさらに激しい重低音がとどろき渡る。「マーダーボール(殺人球技)」や「車いすの格闘技」とも呼ばれるこの凄まじい競技において、日本代表チームは、2016年リオパラリンピックで強豪カナダを倒し、銅メダルを獲得した。我が国史上最強と評されるチームの主幹をなすのが、「世界の猛者6人」の1人と国際パラリンピック委員会が発表し、今や、世界の強豪国がマークする天下無双のポイントゲッター・池崎大輔選手。チーム一丸となって、東京2020で金メダル獲得を狙う池崎選手に話を伺った。

今以上に強くなれたら、
結果は必ずついてくる

4大会連続でパラリンピックに出場したウィルチェアーラグビー日本代表は、アテネ8位、北京7位、ロンドン4位、2016年リオ大会では銅メダルを獲得した。着々と成果を伸ばしてきた今、目指す先はただ一つ、東京2020での金メダル獲得。開幕まで903を切った中、池崎選手は、一番の課題についてこう話す。

「アスリートとして、当然、継続してやるべきことは、パフォーマンスアップ。それ以外でいうと、フィジカルとメンタルの強化です。今以上に強くなれば、もっと良いプレーができるだろうし、自分たちの思い描くプレーが可能になる。そうすれば、結果は必ずついてくると僕は信じています。2012年以来、アメリカでプレーしているのも、ラグビースキルとメンタルを鍛えるために、自ら選んだ手段の一つです」

米国では、個人選手として、現地のチームに参加してプレーしており、他にも、日本史上最強と言われる代表チームの中核である島川慎一選手や官野一彦選手らが、池崎選手と同様に米国で研鑚を積んでいるという。

この1月17日から、いよいよ2016年日本代表の強化合宿が始まる。猛者たちを率いるのは、リオ大会で強豪カナダ代表監督を務めたのち、昨年12月12日に新監督に就任したケビン・オアー氏だ。

「素晴らしいコーチです。選手とコミュニケーションを取るのが、極めて上手な方。豊富な知識や経験をお持ちの中で、僕たちが知らなかったこと、足りなかったことなどを分かりやすく教えてくださいます」

「チームメイトには期待しかない」と絶大な信頼を寄せる同志たちとも、池崎選手は、密接なコミュニケーションを取り合っている。

「選手間でも、さらなる高みを目指す話は常にしています。コーチ陣、スタッフ陣と色んなポジションがあって、僕が知らないところで誰かが大きく支えてくれているのかもしれない。でも、いち選手として確かに言えるのは、チームの皆が、金メダル獲得という同じ目標に向かって、チーム力、組織力を作るための努力をしているということです」

世界一のオーストラリアを倒して、
世界一になりたい

東京2020における目標と、そこに至るまでに自分たちが達成すべきこと。それらは、透き通るほど真っ直ぐに、明確に、池崎選手の中に強く刻まれている。

「オーストラリアには、やっぱり勝ちたいですね。なぜかと言うと、今、世界で1位だから。2位を倒しても2位にしかなれないけど、1位を倒せば1位になれる。東京2020で金を獲るためには、これから3年間で開催される国際大会で常に上位に入らなければならないし、2020年までには1度でも、1位か2位を獲らないと金メダルは獲得できない。僕はそう思っています」

ここで言う大会とは、今年6月に開催されるカナダカップ(2018 Canada Cup)、続く8月の世界選手権(GIO 2018 IWRF Wheelchair Rugby World Championship)、そして、2019年10月に東京体育館で世界のトップ8カ国が競い合う「2019 ワールド ウィルチェアーラグビー チャレンジ」などを指している。

「1位になったことのない人に、“1位ってどんな感じ?”と聞いても、想像だけでは分からないですよね。だからこそ、1位になった時の状況や環境など、自分の感覚でもって確かにイメージできるものを東京2020までに実現しておきたい。その責任とプレッシャーを味わっておきたい。自信もつけたいし、やる気も上げたい。金メダルを夢ではなく、実現するためにも、結果が欲しいです」

追う立場、追われる立場、
守る立場を作っておきたい

池崎選手が“厳重警戒”している選手は、強豪国のあちこちにいる。最強軍団オーストリアのライリー・バットクリストファー・ボンド。アメリカのチャールズ・アオキチャド・コーンカナダのトレヴォア・ハーシュフィールド。他にもザック・マデルがいるが、彼は今、競技から離れている。池崎選手いわく、「いつ戻って来て、次に何を仕掛けてくるか分からないアグレッシブな選手」だ。

「アメリカの選手は、現地のチームで一緒にプレーしているので分かりますが、オーストリアやカナダ、イギリスの選手については、国際大会で戦った時に、例えば、以前に比べて、スピードが速くなった、パスが正確になった、パスが飛ぶようになったと感じたなら、その変化に対して、自分はどうすればいいのか?何ができるのか?と考えます。すると、ここを伸ばそう、鍛えようという課題がおのずと見えてきます。海外の大会のライブ配信なども、細かくチェックしています。だって、こっちがやられてしまうので。自分が持っている情報と照らし合わせて、常に更新していかないと」

「各国の選手たちもまた、池崎選手を厳重警戒しているのでは?」と尋ねると、さらりと答えが返ってきた。「多分そうでしょうね。日本代表も追う立場であり、追われる立場、また守る立場を作っておきたいですね」

インタビューの前編でも話に上がったラグ車の開発を含む今後の動きについては、こう語る。

「乗ってみて、走ってみて、試合をしてみて。自分に(ラグ車が)合っているかどうかを本当に見極めるには、やっぱり時間がかかるんですよね。とはいえ、時間をかけすぎてしまうと、あっという間に2020年が来てしまう。今年1年は、自分が納得のいく“新しいスタイルの池崎”を作るために色々試しながら、体のことをケアして、トレーニングを積んでいきたい。2019年は、そろってきた身体と車いすを一つにするために、(ラグ車に)乗る時間を増やして、がっちり固めておかないと。そこから先は、さらに体を作っていく段階に入るので」

筋力がついてパワーが上がったとしても、それを車いすに上手く伝えることができなければ失敗。体が硬くなりすぎても、柔らかすぎても、自分の故障の原因になる。相棒・ラグ車とのバランスの取り方が、一番難しいそうだ。

「それらを一つずつ、丁寧に繋げていくことが不可欠であり、その小さな積み重ねこそが、自分を作ってくれています」

燃えたぎる闘志と揺るがない平常心を併せ持つ池崎大輔選手。東京2020では、ウィルチェアラグビーの歴史を塗り替える快進撃を、必ずや見せてくれるだろう。名実ともに、日本を代表する最強エースに心からエールを送りたい。

前編はこちら

池崎大輔(Daisuke Ikezaki)
1978年1月23日生まれ。北海道函館市出身。6歳の時、末梢神経が侵されて筋力が低下する進行性の神経難病、シャルコー・マリー・トゥース病と診断される。17歳の時、車いすバスケットボールを始める。2008年ウィルチェアラグビーに転向し、2009年北海道Big Dippersに入団。2010年4月、日本代表に選出され、8月の世界選手権(カナダ)では3.0クラスのベストプレイヤー賞を受賞し、代表チームは銅メダルを獲得。2012年ロンドンパラリンピックで4位入賞、2014年8月の世界選手権(デンマーク)で4位入賞したのち、2015年10月の三菱商事2015 IWRFアジアオセアニアチャンピオンシップで優勝を果たし、リオパラリンピック出場権を獲得。3.0クラスベストプレーヤー賞及びMVPを受賞した。2016年リオパラリンピックでは3位決定戦でカナダを破り、銅メダルを獲得。2016年より三菱商事株式会社に所属。

(text: 岸 由利子 | Yuriko Kishi)

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