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一体、どこまで強くなる?車いすテニスの絶対王者、国枝慎吾の“大改革と野望”【HEROS】

岸 由利子 | Yuriko Kishi

2018年1月27日にメルボルンで行われた全豪オープンで、2年4ヶ月ぶりとなる男子シングルス優勝を果たし、グランドスラム車いす部門男子歴代最多の47勝(シングルス25勝、ダブルス22勝)の記録を更新した車いすテニスプレイヤー、国枝慎吾選手。ここ数年、右肘の怪我により、戦線離脱を余儀なくされていたが、不屈の精神で苦境をみごとに乗り越え、新たな歴史を刻み始めている。5度の年間グランドスラムを達成してきた絶対王者は、今、何を思うのか。これまでとこれからを探るべく、国枝選手に話を伺った。

自分が変わる過程を楽しみながら、フォーム改造

今年1月に行われた全豪オープン男子シングルス決勝戦で、国枝選手は、フランスの宿敵、ステファン・ウデ選手とフルセットに及ぶ激闘を繰り広げた。両者一歩も譲らず迎えた第3セットは、ウデ選手が5-2でリード。窮地に追い込まれるも、国枝選手は、驚異の粘りで追い上げていった。3本のマッチポイントをしのぎ、タイブレークに持ち込んだ最終セットは、最も得意とするフォアハンドでチャンピオンシップポイントを勝ち取り、2時間41分に及ぶ戦いの末、逆転勝利を収めた。

「四大大会を20回以上勝っていますが、今回が一番嬉しかった。それだけ辛い時期が長かった」――。試合後の会見で国枝選手はこう語った。2016年4月、右肘の手術を受けたのち、ツアーに復帰したが、6月に痛みが再発。金メダル獲得を期待されていたリオパラリンピックの直前まで実戦からは遠ざかり、調整の日々が続いた。痛み止めを打って臨んだ同大会のダブルスで銅メダルを獲得した後も、11月に再び痛みがぶり返したため、やむを得ず、半年以上もの間、ツアーを離れることになった。そんな紆余曲折を経て、再び勝利を手にするまでには、人知れず地道な努力があった。

「右肘の怪我は大変でしたが、同じことを繰り返さないために、2017年の1年間をかけて、フォームの改造に取り組んできました。例えば、バックハンドを打つ時に手首を曲げると痛みが出るので、曲げずに打てるよう、ラケットのグリップ(握り方)も変えましたし、自分自身が変わっていく過程を楽しみながら、フォームについてはすべてを変えていった感じです。それが全豪オープンで実を結んだかなと思います。まだすべてが完成したわけではないので、これからさらに磨きをかけていきたいです」

道具を使うスポーツだからこそ、
今度は道具を掘り起こしていく

フォームの改造に加えて、2017年11月には、競技用車いすとラケットも変えた。従来のものより約3cm高くした車いすの座面は、必要に応じてその場で調整できる仕様になっている。

「各国の選手が車いすにこだわりを持ち始めて、“自分もこのままではいけない”という危機感もあって、昨年くらいから、さまざまなポジションを試すようになりました。車いすの座面をほんの5ミリ、10ミリずらすだけで、体の動きは大きく変わってきます。どの角度で乗るのがいいのか、車いすのフレームに対してどのポジションに座ればいいのか、試行錯誤を重ねた末、今のセッティングにたどり着きましたが、果たしてこれがベストかといえば、それは分かりません。例えば、フレームの素材が変わったり、軽量化されることで、重心もまた変わってくることが考えられますし、“車いすは、何がベストなのか分からない”というのが、正直なところです。これは、僕だけでなく、他の選手も同じように感じていることだと思います。ただひとつ言えるのは、車いすテニスはタイムを競う競技ではなく、いかに自分の力を効率良くボールに伝え、運んでいくかということが肝なので、思い通りに体を動かすことのできるものであることは、極めて重要だと思います」

この2月に34歳の誕生日を迎えた国枝選手。「以前は、どちらかと言うと、自分の体を鍛え上げることにこだわっていた」と話す。

「体をさらに改造していくことは、年齢的に考えても、そこまで現実的ではないところがあります。車いすテニスは、道具を使うスポーツであるがゆえに、これからは、道具の方を掘り起こしていこうという意識です。今の車いすに変えてから、2ヶ月後くらいに全豪オープンに出場しましたが、結果も出せましたし、道具を見直すことは、より良いプレーをするために無関係ではなく、むしろ重要だということを改めて実感しました」

なお、ラケットについては、2017年7月から試していたYONEX(ヨネックス)とのテニス用具使用契約を正式に締結。2017年11月にイギリスで開催された車いすテニスマスターズ大会より、そのラケットで戦っている。

「より強い選手になりたい」が僕の原動力

2004年アテネ大会より4大会連続でパラリンピックに出場し、通算3個の金メダルを獲得した国枝選手は、東京2020での金メダル獲得を公言すると共に、「自身の競技人生の集大成としてだけでなく、障がい者スポーツの転換点にしたいと考えている」と語る。その転換点とは、一体、何を意味するのだろうか。

「一番大事なことは、パラリンピックが、本当の意味でスポーツとして発展していくことだと思います。スポーツとしてエキサイティングなものであれば、おのずと盛り上がるでしょうし、そうでなければ、その逆になると。これは極めて自然なことだと思います。僕は、数あるパラリンピックのスポーツの中でも、車いすテニスが、最もエキサイティングなスポーツだと自負しています。それをお客さんに観ていただきたいですし、プレーを通して、このスポーツの興奮や迫力や熱を伝えたい。ただ伝えるだけでなく、それらが観る人にきちんと伝わるということを実現したいなと思っています」

フォームを変え、車いすやラケットのギアを変え、自分をさらに研ぎ澄ますべく“大改革”を行い、新たなスタートを切った今、国枝選手が見つめる先とは――。

「東京パラリンピックで金メダルを獲得することは、言うまでもなく光栄なことですが、やはりテニス選手としては、グランドスラムを目標に、日々、鋭意努力しているので、“今の目標は、何ですか?”と聞かれたら、それは、全仏オープンであり、その次の全米オープンで、最高のパフォーマンス力を発揮することです。もちろん勝つことはすごく嬉しいことですけれど、勝っても、それほど満足しません。より強い選手になりたいと思いながら取り組んでいますし、それが僕の原動力にもなっています」

「自分自身のパフォーマンスをアップデートしていくことが、すごく楽しい」と自らが話すように、“新生・国枝慎吾”がどんな記録を更新していくのか、今から待ち遠しくてならない。

国枝慎吾(Shingo Kunieda)
1984年2月21日生まれ。9歳の時、脊椎損傷のため車いすの生活となる。11歳から車いすテニスを始める。2004年アテネパラリンピックのダブルスで金メダルを獲得。2006年10月、USオープンで2つ目のグランドスラムタイトルを獲得し、アジア人初のシングルス世界ランキング1位の座に輝く。2007年、アジア人初の世界チャンピオン、車いすテニス史上初となる年間グランドスラムを達成。2008年北京パラリンピックのシングルスで金メダル、ダブルスで銅メダルを獲得。2009年4月には、車いすテニス選手として日本初のプロ転向を宣言。2010年11月マスターズ戦での敗北まで、車いす男子シングルス連勝記録は107勝。男子車いすテニス初の4年連続世界チャンピオン達成。USオープン時に痛めた右肘の影響で、その後、戦線離脱を余儀なくされるが、2012年5月のジャパンオープンで復帰し、9月に行われたロンドンパラリンピックでは前人未到の2大会連続金メダルを獲得。2015年、5回目の年間グランドスラムを達成。右肘手術からの復活を遂げた2018年全豪オープンでは、2年4ヶ月ぶり9度目の優勝を果たし、グランドスラム車いす部門男子歴代最多の47勝(シングルス25勝、ダブルス22勝)を更新。2020年東京招致のアンバサダーを務め、障がい者スポーツの普及活動のキーパーソンとしても期待されている。ユニクロ所属。

国枝慎吾公式サイト
http://shingokunieda.com/

[TOP画像:©IMG

(text: 岸 由利子 | Yuriko Kishi)

(photo: 壬生マリコ)

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パラ車いす陸上伊藤選手クラス変更 メダル厳しく “ハイレベルなショック”

HERO X 編集部

東京2020パラリンピック車いす陸上で、メダルが有望視されていた伊藤智也選手(バイエル薬品)が、大会直前のクラス分け審査で今までよりも障がいの軽いT53クラスに振り分けられることが分かった。これにより、最もメダルに近いとされていたT52男子400メートルへの出場が絶望的となった。25日に開かれた記者会見に登壇した伊藤選手は「ハイレベルなショック」と話し「(車いすレーサーを)共同開発してきたRDSチームに対して、最高の場所で(レーサーを)デビューさせることができなかったことを申し訳なく思っている」と、悔しさをにじませた。

パラリンピックは障がいの度合いに応じてクラス分けがされる。伊藤選手が出場を予定していたT52は、指の曲げ伸ばしに制限があり、自力で座位を保つことができないというのが一つの基準だ。IPCからの審査スコアの公表がまだされていないため、どの部分で今までよりも軽い障がいクラスに認定されたのか正式な発表はこれからだが、伊藤選手は、自力で座位を保つことに必要とされる「体幹機能が残っていると判断されたのではないか」と話す。伊藤選手は多発性硬化症という進行性の病気を抱えており、昨年11月には大きな再発もあった。本人は身体機能の回復は全く感じていないという。

「競技クラスだけが軽くなって、体(の状態)は重いまま」(伊藤選手)

会見に同席した日本パラ陸上競技連盟強化委員長の指宿立監督は、これまでの審査(2019年ドバイ世界パラ陸上など)や、エビデンスの結果を見ても「体幹機能が残っているという結果はない」と話し、今回のクラス分け審査について「日本チームとしては納得していることではない」と、記者団に対し強く伝えた。

パラ競技のクラス分けの
「公平性」はどこにあるのか

T52は肩関節、肘関節、手関節の機能は、正常もしくはほぼ正常である。指の曲げ伸ばしに制限がある。 自力で座位バランスを保つことが出来ない。(C7/8 頚髄損傷レベル)。
T53は両上肢の機能は、正常もしくはほぼ正常である。 腹筋と下部背筋の機能がなく、自力で座位を保つことが出来ない(T1~T7 脊髄損傷レベル)。(一般社団法人 日本パラ陸上競技連盟 「分かりやすいクラス分け」より)

パラ陸上競技のクラス分けは、①身体機能評価、②技術評価、③競技観察という三つから確定する。今回の伊藤選手のクラス変更の結果は、このうちの①と②の結果として通知されたもの。現在は③の競技観察という項目がまだ残っている状態だ。競技観察については、当初申請していたクラスで様子を見るという認定方法もあるのだが、認定を行う審査員にあたる「国際クラシファイヤー」は今回、変更後のT53男子400メートルでの観察を指定してきた。伊藤選手によれば、車いす陸上にとって、障がいの度合いクラスが一つ下がることは、高校生と小学生が戦うほどの違いがあるという。伊藤選手は手を動かすことが難しいという障害も残っているが、T53となれば、腕や手の機能は正常という選手たちと同じ土俵で戦わなくてはならなくなる。

これまでの実績考慮されず

伊藤選手はこれまで、2008年の北京パラリンピックでT52クラス男子400メートルと、800メートルで金メダルを獲得、引退を表明したロンドンパラリンピックでは銀に終わったものの、2016年にパラリンピック再挑戦を宣言、トレーニングに励んできた。東京2020パラリンピックに先駆けて行われた2019年のドバイ世界パラ陸上ではT52クラスで400メートル銀メダルを獲得していたが、この大会を含め、過去の大会でクラス変更の判定をされたことは一度もなかった。
指宿監督は「(これまでの)データやエビデンスを見ても、T53に変更になるようなデータは見られない」と話す。

選手ファーストの審査を考えるならば、競技観察はこれまで実績のあるT52クラス400メートルで行うことが妥当と思われるが、今回、「国際クラシファイヤー」は、初挑戦となるT53クラスでの競技観察を指定、変更となったT53の最初の種目となる男子400メートルで、クラス分けの最終決定が行われることになった。

しかし、金メダルに期待のかかるT52クラス400メートルの予選は、競技観察レースとなるT53クラス400メートルよりも前に試合が終わる。競技観察でクラス判定が覆り、再びT52と認められても、すでにレースは終わっているため、現段階で“400メートル金メダル”の夢は失われたことになる。

「(T52クラス)400メートルを目標にトレーニングをしてきたので、非常に無念です」(伊藤選手)

50代で現役復帰を宣言し、このパラリンピックを目指してトレーニングを積み重ねてきた伊藤選手。会見では、長年、伊藤選手の取材を続けてきた記者が、涙混じりに質問する姿も見られた。

「まだ、パラリンピックも終わっていない」

持ち前の前向きな姿を見せようとする伊藤選手は「これまで、沢山の方々に支えられてきた。(その人たちと)一冊の本をつくってきたのだとすれば、たかだか1ページ、イレギュラーがあったということだけ。まだパラリンピックも終わっていません。ならば、勇気を持って、つぎのページをめくりにゆく姿勢が自分には必要なのかと」と、出場が決まったクラスについて、とにかく全力で挑む姿勢を見せた。

「結果また、自分にとって嬉しくないページがくるのかもわかりませんが、その時に、自分一人で背負いきることができなければ、チームのみんなに一緒に背負ってもらって、一緒に泣こうかなと思っています」(伊藤選手)

伊藤選手が登場するのは29日(日)11時25分~行われる車いす陸上T53男子400メートル予選だ。競技観察で審査が覆り、元のT52となれば、その後に開かれるT52男子1500メートルと、100メートルに出場することもできる。まずは、29日の行方を見守りたい。

(text: HERO X 編集部)

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