スポーツ SPORTS

走る哲学者・為末大さんが語る『これからのスポーツと日本社会』

岸 由利子 | Yuriko Kishi

トップアスリート向け競技用義足「Xiborg Genesis(サイボーグ ジェネシス)」の開発を行う会社を設立したり、未活用の不動産を活用したスポーツ合宿中心の宿泊事業を展開するなど、スポーツを広い目で捉え、教育やビジネスの分野で活躍中の元トップアスリート・陸上メダリストの為末大さんは、とりわけ「五輪については、パラリンピックに注力することを決めている」と言います。なぜ、義足を開発したのか?なぜ、パラリンピックなのか?まもなく開幕するリオデジャネイロ・パラリンピックの話題も交えながら、この国のスポーツの未来についてお話を伺いました。

スポーツを社会問題の解決にどう使うか。僕の興味はそこにある

―トップアスリート向け競技用義足「Xiborg Genesis(サイボーグ ジェネシス)」、リオのパラリンピックにも早速、登場するそうですね。

はい、100m、4×100mリレー日本代表の佐藤圭太選手に提供することが決まっています。Xiborg(サイボーグ)はチームになっていまして、主にテクノロジーサイドは、代表取締役の遠藤謙が、走りから考えてどんな義足であるべきか、その義足でどう走るかという指導現場サイドが、僕の担当です。

―なぜ、競技用義足の開発に関わろうと思ったのですか?

まずテクノロジーに興味があったのがひとつ。あと「カーボンの板バネで走るのって、アキレス腱を使って走るのとあまり変わらないよね」という感覚が僕自身の中にあったこと、それが結果として、開発に携わるひとつのきっかけになりました。

「ショートストレッチングサイクル」といって、人間はトランポリンのような力の使い方をして走っています。地面にトンと足をついて、よいしょと筋肉を動かしているのではなく、筋肉を固めて地面にトンとつくと、上からの体重の重みでグーッと曲がって、それがポーンと跳ね返ってくる。これが基本的な走りの原理原則なので、長年トレーニングをしてきた人間からすると、極論、カーボンをつぶそうが、アキレス腱をつぶそうが、感覚としてはあまり変わらないんですね。

この考えがあったので、「競技用義足を作りたい」という遠藤に出会った時、「コレは面白い!」と思って。興味を持ったアスリートは、僕くらいだったようですけど(笑)。

―「Xiborg Genesis(サイボーグ ジェネシス)」の出来栄えについてはいかがですか?

「すごくいいものが出来ている」という感じがしています。制作期間は1年半~2年と比較的短いのですが、色んな方たちの協力を得ながら、作っては壊して…を10回ほど繰り返してきたので、随分と時間がかかったように思います。

リオのパラリンピックに向けて、もう少し修正をかけていく必要がありますし、事前合宿などを通して出来るかぎりのことを行っていきますが、その一方で、この先とてつもない義足が出てくるかというと、中々大変そうだなという印象もあります。例えるなら健常者のスパイクに近くて、軽量化とか、少し形状を変えるとか、微妙な違いによってパフォーマンスに影響を与えるという段階に来ている気がしますね。

―今回のパラリンピックで、注目している選手はいますか?

国外でしたら、障がい者陸上男子 走り幅跳びの世界記録保持者・マルクス・レーム選手(ドイツ)ですね。オリンピックの記録を上回るかどうかが面白い点だと思います。我々の領域でいくと、山本篤選手が世界一になれる可能性が出てきているので、そこですね。もうひとつは、車椅子同士を激突させるウィルチェアーラグビー。個人的には楽しみにしています。

―観戦に行かれますか?

これだけ言っておいて何なのですが、現役を引退して以来、試合会場に足を運ぶということは一回もなくて。先日、パラの選手が出場したので初めて観に行きましたが、スポーツが発展するかどうか、スポーツが世の中からなくなるかどうかの問題よりも、「スポーツを社会問題の解決にどう使うか」ということに僕は常に興味があります。

もちろん次世代のスターを育てたり、スポーツ文化を根付かせることはすごく重要だと思います。でも僕にとっては、例えば、高齢化社会の方がずっと大きな問題だったりします。それを解決するためにスポーツがどのように携われるか、どうすればスポーツが国際平和の方面において貢献できるか…といったことに取り組んでいきたいと思っています。

感覚としては、2017年、2021年を見ている感じです。今年のリオデジャネイロにしろ、2020年の東京五輪・パラリンピックにしろ、開催中は観る人たちにいかに夢と元気を与えることができるかーそれが一番大事だと思いますが、我に返った時に、現実的にシステムとしてどう機能しているかということも同様に重要なことではないかと。

障がい者、高齢者、子ども…みんなが一緒に走れる空間を作りたい

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―今年12月にオープンする「新豊洲Brilliaランニングスタジオ」の館長に就任されたそうですね。

お話してきたように、僕はパラ選手への支援に力を注いでいますが、ずっと疑問に思っていたことがあります。例えば、「トレーニング場所がないので、作りましょう」となった時、パラ選手専用の練習場を作っちゃうんですね。そうなると、手のない人や足のない人、あるいは目の見えない人ばかりが走っている競技場がおのずと出来上がります。

パラ選手の強化を頑張れば頑張るほど、パラ選手とそうじゃない人たちの間に溝が出来てしまうし、現に今、「こっちはこっち、あっちはあっち」という区分けが起きていると感じています。財源の関係などもあるので、そう成らざるを得ない状況であることも確かにあるのですが、僕はそこにすごく違和感があって。

障がいがあろうとなかろうと、走ることが好きなのは同じだし、一緒に練習していないことの方がおかしいと思うんです。要は、障がいを持つ人に対して力みすぎてるんですね、社会が。「応援しなきゃ」「足がない人が頑張っているんだから」という風に。

現在、着工中の「新豊洲Brilliaランニングスタジオ」は、「テクノロジーとコミュニティの力で、誰もが分け隔てなく自分を表現することを楽しんでいる風景を作る」ことがコンセプト。パラ選手や障がいを持つ人に対して世の中が力むところをリラックスさせていく。ひいては高齢者も子供も、みんなが一緒に走れる空間を作りたいーこれが大きな目的です。

―具体的には、どのような施設なのですか?

60m走路から成るドーム型トラックで、柱は主に3つあります。ひとつはランニングのコミュニティを作ること。かけっこスクールやランニングのクラス、パラ選手の練習もここで行います。高度な解析は難しいのですが、トラックの全方向に走った映像を記録し、解析できるカメラを設置するので、うまく活かしていければいいなと思います。

ふたつめは、テクノロジーと人体のラボみたいなものを作ること。お話してきたXiborg(サイボーグ)が競技用義足の開発を行うほかにも、このスタジオを現場にして共同開発できるパートナーをあたっているところです。あとは、障がい者と健常者が共同でアートパフォーマンスを作り上げる「SLOW MOVEMENT」(特定非営利活動法人スローレーベル)の活動拠点になる予定です。

―今後、取り組もうとしていることがあれば教えてください。

「アスリートブレ―ンズ」といって、電通さんと僕が代表を務める株式会社侍の協業事業が、今年3月16日にスタートしました。病気になる前の領域において、いかに健康な状態を

保っていくか、健康寿命を実際の寿命に近づけられるかということを目標に、体の専門家であるアスリートたちの知見を活かして、システムに取り組んでいくというものです。

最初のステージは、飲み物や食べ物などの商品開発をアスリートと共に行っていくこと。その次に、「公園や建物を健康な状態で維持するためにはどうすればいいか?」ということを彼らと一緒に考え、具体策を形にしていく構想です。まだまだこれからですが、そう遠くない将来、処方箋のひとつにスポーツが加われば理想的ですね。


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為末大(ためすえ・だい)
1978 年広島県生まれ。
2001 年エドモントン世界選手権および 2005 年ヘルシンキ世界選手権において、 男子 400 メートルハードルで銅メダル。 陸上短距離種目の世界大会で日本人として初のメダル獲得者。シドニー、アテネ、北京と 3 度のオリンピックに出場。男子 400 メートルハードルの日本記録保持者(2016年8月現在)。2012 年、25 年間の現役から引退。現在は、自身が経営する株式会社侍、代表理事を務める一般社団法人アスリートソサエティ、株式会社Xiborgなどを通じ、スポーツと社会、教育に関する活動を幅広く行っている。

株式会社侍
http://tamesue.jp/

Xiborg Genesis
http://xiborg.jp/genesis/

新豊洲Brillia ランニングスタジオ[リリース]
http://xiborg.jp/2016/06/07/shin-toyosu-release/

(text: 岸 由利子 | Yuriko Kishi)

(photo: Masashi Nagao)

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BMX界を牽引するカリスマ田中光太郎が語るキメラゲームス

川瀬拓郎|Takuro Kawase

国内外の大会で優勝をかっさらい、日本のBMXシーンを牽引し続けてきた田中光太郎。2020でBMX競技がエントリーされ、かつてない注目が集まる今、自身のキャリアを含めたBMXの今までとこれからを語っていただいた。

見よう見まねで始めたアマチュア時代

小学生時代にぽっちゃりしていた田中少年が打ち込んでいたのは柔道だった。区大会に出場するまでの腕前になっていたが、高校一年生の頃、たまたま買いに行った自転車店で出会ったBMXが、この道に進むきっかけとなった。

「BMX競技のことも知らず、単純にかっこいい自転車だなぁと思って買っただけなんです。僕のホームタウンが板橋なんですが、池袋にBMXを乗りこなす人がいると聞きつけて、その人に会いに行きました。それから、ビデオを借りたりして、次第にハマって行きました。ある日『駒沢公園にBMXをやっているやつらがいっぱいいるよ』と言われて、行ってみたんです。BMXをやっている先輩たちを、少し離れた木の陰から見ていたら、『大会があるから見においでよ』とフライヤーを手渡されたんです。その半年後の大会に出場して、アマチュア部門で優勝することができました。頭の中でいろんな技を空想しながら、独学でBMXをやっていたことが、結果的にオリジナリティの高い技を生み出すことができたのかなと」

BMXのプロとして生計を立てるために

気がついたら池袋で1番のBMX乗りになっていたという田中氏。次第に後輩が増え、地元のコミュニティもできあがっていったそうだ。

「高校を卒業して、他の人と同じように自分も一度就職しました。社員として仕事をしながらBMXを続けていましたが、BMXを職業にできないかなと考え始めました。その時点で既に物品スポンサーがいたのですが、やっぱりお金をもらえなきゃ生活できないので、まずは実績を作らなきゃと。東京で1番、日本で1番、世界で1番になれることを目指しました。会社を辞めた後は、日本国内のほとんどの大会で優勝を獲りました。それから、フロリダとロサンゼルスの世界大会に出場して、アマチュアクラスで優勝することができました」

国内外での実績を確固たるものにすると、海外遠征の渡航費を出資してくれるスポンサーも獲得。同時に、雑誌などのメディアに出る機会を増やしながら、BMXの大会を運営することへ踏み出す。

「ライダーやファンを広げるためには、やっぱり国内に目標となる大会が存在することが大事なんです。今から20年前にKING OF GROUNDという大会を同じ気持ちの仲間たちと作りました。自分たちで大会を運営して、自分たちで優勝するっていう自作自演なんですが…(笑)。大会を続けることで、ライダーが増え、スポンサーが増え、取材メディアも増えて行ったんですね」

プロとしての厳しさと欧米との違い

プロライダーとしてはもちろん、大会の運営に携わり、自身のアパレルブランドも手がけながら、BMXの裾野を徐々に広げていった田中氏。とは言え、BMXのプロとして活動するのは一筋縄ではいかないのが現実だ。

「選手の強化を考え、KING OF GROUNDではランキングの上位20人だけしかプロとして認められないのです。毎年下から上がってきた選手が増えるので、20位以下は振り落とされてしまう。一度プロになったら、ずっとプロでいられる訳ではなく、プロに上がってからがスタートラインなんです。その成果あってか、日本のフラットランドシーンは急成長を遂げ、世界で戦えるプロライダーが数多く登場しました。しかしながら優勝することで得られる見返りは欧米とは大きく違います。アメリカのX-GAMEとフランスのFISEという二大大会があるのですが、そこで活躍する上位選手は相当な報酬を得ることができるのですが、日本ではまだまだですね」

BMX競技を大別すると、ストリート、バーチカル、ダート、フラットランドの4つがあり、田中氏が得意とするのはフラットランドだ。世界的には圧倒的にストリートが人気だが、数々の日本人が世界チャンピオンに輝いているのはフラットランドだという。

「欧米との環境の差と体格差があると思いますが、技のきれいさやていねいさが求められるという点で、フラットランドが1番日本人に合っている競技だと思っています。実際、世界ランキングの上位を日本人が占めています。この競技を広めるために、大会でも力を入れました。4メートル四方でできる技を考えて、クラブでパフォーマンスすることもありました」


裾野を広げるために続けてきたこと

こうした活動の積み重ねで、着実に選手としての知名度とBMXの認知を高めていくが、普段の練習場所を確保することが第一歩だったという。

「公園の管理人さんや周辺住民に理解してもらうこと。挨拶はもちろん、常にコミュニケーションを取り、帰るときには来たときよりもキレイに片付けることを徹底しました。見た目は不良っぽいんだけど、クリーンな競技であり、スポーツであることを相手に分からせるんです。そうして、彼らも暴走族がたむろするより、BMX乗りの方がずっといいと思ってくれるようになりました。やっぱり若い子は、トンがった部分に憧れてBMXに入ってくることが多いんです。ビール瓶を投げたり、公園を散らかしたり、警察に追い回されたり…。そんなことがかっこいいんじゃない。本当にかっこいいことは、どれだけBMXを愛しているのかだと思うから。外部の人から言われると反発するだろうけれど、僕だから言えることがあるし、僕なら聞いてくれるという自信もありました」

長年に渡ってチャンピオンとして君臨し、シーンを牽引してきた田中氏の言葉を理解して実践する後輩も増えていった。オリンピックの正式種目にもなり、ますます競技人口は増えるだろう。一方で、エクストリームスポーツ特有のアンダーグラウンド感やアウトサイダーであることにこだわるライダーも根強い。こうしたジレンマをどのように克服していったのだろう。

「もちろん説教臭くならないように話します。でも、僕と同じような立場にいる人でさえ、不良っぽいことをするのがカッコイイと思っている人がいるのは事実です。だから、“あいつは健全思考だから”とか、“あいつはイイ子ちゃん系だ”とか、“あいつは変わっちまった”とか、あれこれ言われることもあるんですよ(苦笑)。それに、オリンピック競技になったことで、BMXシーンがつまらなくなると言う人もいっぱいいる。でも僕に言わせれば、4つあるBMXの競技に新しいチャンネルがひとつ増えると考えればいい。だから、僕は歓迎しています。アンダーグラウンドなシーンも、今まで通り続いていけばいいと思う」

キメラゲームスがきっかけになれば

2020で正式種目にエントリーされたことをきっかけに、環境も次第に改善されつつあるが、メジャースポーツに比べれば競技人口や大会規模もまだ発展途上。BMXに興味を持ってもらうための第一歩についてこう語る。

「キメラゲームスというイベントの運営委員として参加しています。もともとプロのラガーマンだった文平代表が中心となって立ち上げたイベントです。海外でプロラガーマンとして戦っていたのですが、日本国内でのラグビーの認知は決して高くはなかった。その気持ちを現在のストリートカルチャーにも感じ、国内での認知や、その競技で食べていける環境を作るきっかけになればと言う気持ちからスタートしました」

エクストリームスポーツ、ストリートカルチャー、ミュージックの祭典である、キメラゲームス。入場者数を増やし続けるこのイベントの見所とは?

「まずいろんなジャンルのスポーツを一気に見ることができて、しかもその場で体験できることが最大の魅力ですね。音楽が目当てで来場したお客さんに、BMXを体験してもらって、楽しさに気付いてもらうこともできる。ただし、一発勝負なので、楽しさを伝える作業、教える人が大事になりますね。今のお父さんお母さん世代はBMXに対する認知と理解がある。だからこそ、子供たちにBMXに触れてもらう機会を広げて、底辺を広げる作業はずっと続けていくつもりです。興味を持ってもらった人を、がっちり取り込む作業は大事ですから。BMXスクールで子供たちに教える活動もそのひとつです。今後、キメラをきっかけに成長した選手が出てくれば最高ですね」

カリスマからBMX界の指導的立場へ

選手としてのピークは過ぎたと謙遜する田中氏。今や公式大会のジャッジとしても世界を飛び回り、後進を指導する重要な立場にある。

「プロスポーツの一線から退いた僕らの世代が、積み上げてきたカルチャーを下の世代に伝えること。シーンを長く見続けてきた人がやるべきことはまだまだある。2020は一つの大きな節目となることが間違いないですし、2020以降に成長するスポーツ、逆に衰退するスポーツが出てくるでしょう。でも、ブレずに今までやってきたことを続けていきたいです。内輪だけで盛り上がるのではなく、今後はBMX、スケートボード、インラインスケートなど、それぞれ違う競技や異なるシーンの人も巻き込んでいくことが重要になっていくはず。HERO Xとコラボして、車椅子でできるトリックを発明できたら面白いでしょうね」

プロBMXライダー
田中光太郎(Kotaro Tanaka)
1977年生まれ、東京都出身。国内外での大会で数々の優勝を獲得し、独自のスタイルで観客を魅了するBMXライダー。プロ選手として活動と並行しながら、アパレルブランド”fourthirty”、BMXブランド”MOTELWORKS”をプロデュース。BMXの魅力の広める伝道者であり、国内外を飛び回っている。
http://www.t430.com/

(text: 川瀬拓郎|Takuro Kawase)

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