コラボ COLLABORATION

HEROQUEST ワクワクする聴く冒険プログラム#56#57

HERO X 編集部

ワクワクする未来の社会を創造する聴く冒険プログラムをお届けする。ZIP FM オフィシャルPodcast番組「HEROQUEST」。この番組では、「社会の課題」を解決し、「未来の社会」のインフラを整える開発者やエンジニア、起業家たちを「HERO」として迎え、いま、起きている「進化」の最前線を紹介する。

今回のテーマは「ドラえもんと暮らす未来」。ゲストは、AI研究者の大澤正彦さん。物心がついた頃から「ドラえもんを創りたくてしょうがなかった」という大澤さん。そんな大澤さんは現在「リアルドラえもん」ロボットの実現を目指して開発を進めている。だがなぜそれほどドラえもんに魅かれたのか。

大澤さんは、困ったことがある時や、悩みがある時「助けて」と声を上げるのび太。それを解決してくれるドラえもんに惹かれたのだと話す。そんな大澤さんが創りたい「ドラえもん」とはどんなものなのか。2014年から30年計画で進めているリアルドラえもん開発プロジェクト、最新の開発状況についても解説してくれた。後半の放送ではロボット研究チームの組織形成、またChat GPTを筆頭に全世界が注目する生成型AIの可能性にも迫る。

<ゲストプロフィール>
大澤正彦
1993年生まれ。日本大学 文理学部情報科学科・准教授、AI研究者。2014年、慶應義塾大学在学中に、脳や人工知能,そしてそれらが与える影響について興味がある全ての人のためのコミュニティ「全脳アーキテクチャ若手の会」を設立。2017年5月まで代表を務め、現在も運営に関わる。次世代社会研究センター(RINGS) センター長。「Forbes JAPAN 30 UNDER 30」にも選出されたイノベーター。

「HEROQUEST」はポッドキャストで無料配信中
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PODCASTプログラム #HEROQUEST はニッポン放送PODCAST STATIONで無料配信中

未来の社会をデザインするHEROを迎える【聴く冒険プログラム】。
今回お迎えするHEROはAI研究者で
リアルな「ドラえもん」の開発を展開する
大澤正彦さん。
【大澤正彦さん】
・日本大学 文理学部 情報科学科 准教授
・次世代社会研究センター(RINGS) センター長
・「Forbes JAPAN 30 UNDER 30」にも選出されたイノベーター

そんな大澤さんが「ドラえもん」を創る!と志したのは、なぜなのか?!
【今回の冒険の目次】
●ドラえもんは、現代社会の鏡?!
のび太君のように「助け」を求められる友人はいますか?
●感情のあるロボットがいる暮らしの未来
●ドラえもんの頭は「かたい?」「やわらかい?」
正解は「アナタ」の中に?!
●100億人でつくるのが「ドラえもん」
夢ではなく「現実」の世界で
あのドラえもんと暮らす未来がやってくるのか?!
そのドラえもんの開発プロジェクトの
最前線を大澤さんに解説していただきます!

https://podcast.1242.com/show/zip-fm-original-podcast-%e3%80%8eheroquest%e3%80%8f/?fbclid=IwAR3OQc3Gpc-XhTLmiz3yk1ZZAOS41wFgXcCB45jDeMHfKsqkkp58TxP8pQ4

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次回のゲストは、年齢・性別・運動神経に関わらず誰もが楽しめるスポーツの開発・普及に取り組む、世界ゆるスポーツ協会代表理事の澤田智洋さん。順次放送を開始する。

(text: HERO X 編集部)

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コラボ COLLABORATION

独占取材!車いすレーサー伊藤智也 東京パラで生んだレガシー

宮本さおり

東京パラリンピックの本番直前に突然の階級替えを言い渡された車いす陸上レーサー伊藤智也選手。これまでに伊藤選手が出場してきたクラスより障がい度の軽いクラスへの変更を余儀なくされたことを伝える会見会場では、涙を浮かべる記者もいた。あの時、語ることのなかった心境を『HERO X』だけに語ってくれた。

涙の記者会見

出場不可でも心が折れなかったワケ

2022年秋、幕張の国際展示場で行なわれた国際福祉機器展H.C.Rの会場に現れた伊藤選手はいつも通りのくったくのない笑顔を見せてくれた。「久しぶり!あれ、アンリ痩せたんと違う?」と伊藤選手が話しかけたのはRDS代表の杉原行里だった。パラリンピックに向け、二人三脚でプロジェクトを作り上げてきた二人。H.C.Rへの出展は、伊藤選手のパフォーマンスを最大化するためにつくられた車いすレーサーの開発で培った技術を変換、一般車いすユーザーの車いすづくりを劇的に変える装置として生まれた「bespo」のお披露目という目的もあった。車いすのポジショニング計測からリハビリまでを可能にした世界初の装置「bespo」。


伊藤選手のレーサー開発にあたり生まれた「bespo」はパラに挑戦したからこそ生まれたレガシー。

「パラはこれを果たすための通過地点だったから、気持ちが折れなかったんだと思うわ」

展示ブースを訪れた伊藤選手の顔は晴れ晴れとしていた。

2021年8月のパラリンピック陸上競技レース直前、まさかのニュースが流れた。「メダル候補伊藤智也が階級変更で本命種目出られず」ニュースを見た関係者は起きた事態を理解するのにしばらく動きが止まっていた。その後、25日に開かれた会見で「相当ハイレベルなショック」と漏らした伊藤選手。伊藤選手の車いすを手がけてきた杉原に不穏な連絡が入ったのはそれよりも5日早い8月20日夜のことだった。

「あの時は僕も伊藤さんも23日にもう一度クラス分け審査をすると言われていたので、大丈夫だろうくらいに考えていた」(杉原)

だからこそ、他のチーム伊藤RDSメンバーにはこの連絡を伝えなかった。そしてはじまったクラス分け審査。普通はそれほど時間のかからない審査なのだが、伊藤選手の審査には5時間という時間が費やされた。

「今までの大会でそんなことありえんかったのやけど、2回の審査ともそれくらい時間がかかった」(伊藤選手)

その後に言い渡されたのがT52への出場を認めないというものだった。それに加えて、どいうわけかT53にも出場が認められないかもしれないという。とにかく、この事態を杉原に伝えなければと、意を決してスマホを操作した。

「アンリ、もしかしたらT53にも出られへんかも……」(伊藤選手)

「そうかぁ……」(杉原)

しばらく続いた沈黙。杉原のスマホ越しに聞こえてきた伊藤選手の声は、驚くほど冷静だった。だが、杉原の受けた印象とは裏腹に、電話をきった瞬間、抑えていた感情が伊藤選手にこみ上げる。

「なんでや!」

その足で監督室を訪れた。コロナ禍での開催のため、レースの終わった選手は48時間以内に選手村を出なくてはいけないというルールがあったからだ。退村はすなわち、チーム伊藤RDSメンバーにとってのパラリンピック終了を意味している。このまま終わりにしていいのか……。チームの夢の詰まった車いすレーサーを一度もコースを走らせることなく幕引きにいていいのか……。

「T53の400メートル1本でもいいからなんとか走らせてもらえんかな」

監督室を訪れた伊藤はこう監督たちに切り出した。IPCとの交渉は骨も折れる。日本代表選手は伊藤選手だけではない。ルールはルールやからと、扉を閉められることも覚悟していた。ところが、日本チームの監督メンバーからは交渉を快諾する答えが帰ってきたのだ。

「よし分かった!とにかく交渉してみるから」(監督)

翌朝7時過ぎ、杉原のもとにLINEが入る。

「T53で走れる」

ここで初めて、杉原はマシン制作に当たったチーム伊藤RDSメンバーに状況を報告した。

「なんでT52じゃないの?」

夜、連絡を受けたメンバーが続々と杉原のもとにやってくる。杉原はことの次第を一つずつ説明した。すると、メンバーは一斉に資料を探し始めた。クラス分け審査確定後に覆ったケースはないのか、1種目でもT52に出場する道はないのかと、パソコンのキーボードを叩く。このプロジェクトに関わるまで、車いす陸上を知らなかったというメンバーもいた。しかし、伊藤選手と共に歩んだ5年間は確実にメンバーの思いを熱くし、パラ種目である車いす陸上への関心を高め、今回の決定を自分事のように悔しがり、杉原のもとに駆けつけるほどの強い思いを抱かせるまでになっていた。

「クラス分けの決定が出た時に、もしおっちゃん(伊藤選手)と2人だけだったらあそこで二人とも気持ちが破綻していたかもしれない。踏ん張れたのは、とにかく、おっちゃんを走らせてやろうと、同じ方向を向いてくれる仲間がいたからだったと思います」(杉原)

葛藤の末に出した答えの先に見えたもの

IPCへの交渉の末、T53での出場が認められた伊藤選手。ところが、レースまでの間にはさらに、心を揺さぶられる連絡が入る。T53の400m走でもう一度、審査してあげましょうという話しが出たのだ。なぜ、元々のクラスであるT52での審査ではないのかという思いはあったものの、この審査(クラシフィケーション)次第では、元々出場を予定していたT52の1500m走に出られるかもしれないということだった。

一見すると、希望の持てる話しに見えるが、事はそう簡単な話しでもない。T52クラスに戻れれば、1500mでメダルは狙える。しかし、それを可能にするためには、その前に行なわれるT53 400m走を走らなければならない。健常者の競技同様に、いや、それ以上に選手はレースに向けてのウォーミングアップが必要で、T53の400mを走るのにも体の調整は不可欠だった。

「400mを全開でいけるだけのウォーミングアップをしてしまうと、もうその夜の1500mを走れるだけの体力は残らなくなる。しかし、ウォーミングアップをほどほどにして400mに出場すれば、間違いなく記録はぐだぐだになる。どちらかを選ばなければいけなかった」(伊藤選手)

そこまでしても、元のクラスであるT52で1500m走に出られるという保障はない。再審査をしてもらえるという報告は、一瞬の光と共に、葛藤の日々をつきつけた。

伊藤選手は数日間一人で考えた末に、食堂から帰る道すがら、杉原にどちらを選ぶかを相談するため電話をかけた。

「おっちゃん、もうええやん。いくだけいっとこうや」(杉原)

パラリンピックに出場する選手たちは全員が何かしらを背負ってきている。それはT53の人達も同じ事だ。必死でレースに挑む人達を横目に、失礼な走りをしてまでもT52のメダルを狙いたくはない。二人の意見は一致した。この会話で伊藤選手の気持ちは完全に吹っ切れた。元のクラスに戻れようが戻れまいが、与えられたレースに出場し、全力で走ると腹を決めた。

レース当日、普段のレースならば後半で力を振り絞るために序盤は周りの出方の様子見的な走りをするのだが、伊藤は序盤から驚くほどのスピードで走り出した。300メートルを超える辺りですでにタイムはT52の世界記録を上回っていた。これはさすがに、最後までこのスピードは保てないはず。杉原の予想は当たっていた。
伊藤選手の脳裏にはこの時、別の思いがあった。

NHKで放送されたT53 400m走 伊藤選手の走り

「いつもならば、出走から80mくらい、だいたい26漕ぎ目くらいで一度前を確認するんですよね。それからいろいろ計算しながら漕ぎ方を考える。でもあの時はぜんぜん前も見んと、全開でいった。一秒でも長くテレビに映って、チームメンバーに恩返しせなと思った」

これだけのスピードをもってしても障がい度の軽いT53クラスではトップ集団に食い込めず、伊藤選手は予選敗退となった。記録は57秒16。この年、練習では見たこともないほど悪い記録だった。

チーム伊藤RDSのパラリンピックはこうして幕を閉じた。だが、レガシーは残っている。伊藤選手が最大限の力を発揮できる車いすレーサーを開発するため、RDSが作り上げたシーティングシュミレーターロボ「SS01」、この技術がベースとなり、全ての車いすユーザーの車いす作りの利便性を上げ、リハビリテーションの役割もこなす「bespo」が生み出された。これらは伊藤選手がRDSと共にパラリンピックでメダルを目指したからこそ生まれたものだ。

「僕らのゴールはパラじゃない。」

伊藤選手をテストレーサーとして歩むRDSの開発は終わることなくこれからも続く。

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(text: 宮本さおり)

(photo: 増元幸司)

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