対談 CONVERSATION

モータースポーツの未来を駆けるMIE RACING

Yuka Shingai

新型コロナウイルスの影響か、他人との接触を抑えて移動ができるバイクの人気が上がっている。2021年上半期の二輪免許の新規取得数は約13万7000件と前年同期比36%増、それに伴いバイクの販売台数も飛躍的に伸びている。モータースポーツ人気も白熱しそうな今、1人の日本人女性がスーパーバイクの命運を賭けて世界中を奔走している。チェコ・プラハに本拠地を置くMIE RACING (エム・アイ・イー・レーシング)代表取締役・森脇緑氏だ。HERO X編集長・杉原がスーパーバイクの可能性や、モータースポーツの未来について、森脇氏と語った。

モータースポーツが好きな若者に
チャンスを与えることが活動の源泉

杉原:今日はよろしくお願いします。世界を駆け巡る緑さんですが、今日はどちらにいらっしゃるのでしょうか?

森脇:バルセロナ空港の駐車場です。今からイタリアに向かいます(笑)。

杉原:そんな中、ありがとうございます。まずは、緑さんが現在のビジネスを始められたきっかけを教えていただけますか?

森脇:生い立ちから話しますと、祖父は “ポップ吉村”の愛称で知られたオートバイチューニング技術者で、オートバイ部品・用品メーカー、ヨシムラジャパン創業者です。その昔は全日空や米軍基地で飛行機やマシンの整備士もしていました。父の森脇護は、元オートバイレーサー、元レーシングドライバーで現オートバイチューニング技術者。二輪・四輪車用品・部品メーカー、モリワキエンジニアリングの創業者で、発明家でもあります。

モータースポーツにゆかりのある家庭で育ったので、私は工業高校卒業後、オーストラリアで1年、アメリカで1年、SUZUKI系列のチームでアシスタントマネジャーを担当していました。と言っても、勝手に行ったので勘当同然だったのですがね。

杉原:まずそれが信じられないです。ある日突然子どもがオーストラリアに行っちゃったら、ご家族はどれだけびっくりするか。

森脇:親はカンカンでした。アメリカで仕事を始めて1年くらい、90年代後半に法規制が変わり、国内販売だけでは商売が立ち行かなくなりそうだからレースや輸出も含めて海外進出を手伝ってほしいと両親から連絡があり帰国しました。その後、2003年頃からMotoGPのレースに参加し始めました。ワールドスーパーバイク(スーパーバイク世界選手権)については今から4年ほど前に自ら計画して、2019年にホンダ・レーシングとともに参戦しました。2020年にモリワキエンジニアリングを離れて、自らのチーム「MIE RACING」として参戦しています。

杉原:ご自身のチームとしてワールドスーパーバイクに参戦されたのは何か理由があったんですか? MotoGPとスーパーバイクの違いも合わせて教えていただけますか。

森脇:F1とGTレースみたいなものですね。F1はレース専用に開発されたマシンであることが特徴で、GTレースはストリートで走れる市販の自動車をレース用に改造したマシンです。MotoGPはF1のようなプロトタイプですから公道では走れない、レースのために生まれたバイク。スーパーバイクは普通に買えるバイクをレギュレーションの中でチューニングしてパフォーマンスを行います。

私にとってレース参戦は、もちろん好きだからというのもあるけど、全て未来に繋がる活動なんですよね。モータースポーツが好きな、世界中の子どもたちにチャンスを与えたいんです。レースのために作られたマシンで走るMotoGPはハードルが高く狭き門なのでチャンスがなかなか得られません。それよりも、スーパーバイクのほうが若きライダーにとって可能性があります。

とはいっても自分のチームを回して、ライダーを送り出すだけでは意味がなくて。レースが盛んな欧州圏以外、東南アジアとか南米にも素晴らしいライダーはいるんだけど、自国で走れる環境も理解者もいないのでとにかくチャンスがないわけです。だからといって、他のチームに訴えかけても机上の空論に走ってしまうかもしれない。だったら信念を貫くためには自分でチームを持って自分でやろうみたいな感じです。私シンプルなんですよ。

Motogp(2003)と
ワールドスーパーバイク選手権の
チームを立ち上げた女性は世界初

杉原:今年加入したレアンドロ・メルカドはアルゼンチン出身のライダーですね。あえてこの聞き方をしますが、日本人女性がチーム運営するというのは相当レアではないですか?

森脇:レアというか、4輪2輪も合わせて、国籍に関わらず女性が1からチームを立ち上げることが世界初らしいです。大変ですよねって言われますけど、逆に大変じゃないことなんて世の中にないじゃないですか。もちろん誰かに頼まれているわけじゃなくて、自分の意志で挑戦しているんだけど、モータースポーツ独特の慣習を乗り切る上では、押すだけじゃなくスマートに立ち回らなくてはいけないシーンも数々ありました。常に未来を考えながら、一歩ずつ着実に結果を出していくことで20数年やってきた感じですね。

杉原:女性限定フォーミュラ選手権「Wシリーズ」が登場して、女性の参加も増えてきましたが、モータースポーツにおける男女比はやはり機械が関わってくる分、男性が多くなってしまいますよね。

森脇:欧州でもモータースポーツはなかなか女性が入っていけない、関心というか接点を持ちにくい世界ではありますね。レースの見た目はすごく派手だし華やかな世界だけど、それは最後の数パーセントの話であって、残りは日々のプランニングの積み重ねです。

杉原:それでも、緑さんは挑戦を続けてきた。

森脇:当然、レースの結果で嬉しいことも苦しいこともあるけれど、私はいつも数か月後、数年後という未来、自分の立ち位置はその時どうあるべきか、何を世の中に残せるのかを見ているんですよ。

今って、色んなことが規則で縛られて自分の意見が言えないとか、正しくあらねばならないとか生きづらい時代でもありますよね。だけど正しさなんて人によって解釈が違うし、正論もあるようでない。法律がジャッジしているにせよ、法律だって国によって違うものですし。だったら男女とか年齢は別にして、自分としての人生をどう生きるかの方が大事ですよね。周りに「間違ってる」って言われても、自分の人生を歩もう、自分もやってみようって勇気に1人でも繋がればと思っています。

モータースポーツによる技術革新を
伝えていくのもこれからの役目

杉原:“未来”が緑さんにとってはキーワードのようですが、モータースポーツで作っていきたい未来はありますか?

森脇:EV化により、いま世界が大きく変わろうとしています。実際は15年ほど前から議論されていますが、人々に直結するようになったのはほんのこの数年で、百数十年の自動車の歴史で、ここまで変化が起きようとしているのは初めてのことなんですよね。モータースポーツって環境に悪いというイメージを持たれていますが、この技術がどんなところに影響しているのかは伝えていきたいです。私たちがどう考えて活動するかで、未来がどうなるか結論が出る感覚はありますね。

杉原:モータースポーツが環境に悪いという指摘には僕も疑問を感じます。燃料をふんだんに使っていたらそもそも走れないし、勝てないですよ。少ないガソリン、電気でいかに高エネルギーを排出するか、僕たちは計算しています。F1全体で走行によるCO2排出は0.7%程度で残りは人や移動によるものなんですよね。

森脇:燃費をよくしないとレースも終えられないことを鑑みて発達してきた技術がたくさんあるのに、皆さんあまりそこを伝えてこなかったんですよ。ファンスポーツとしてだけの扱いになってしまうのはもったいない。環境問題に関すると、現時点では車が分かりやすい存在として議題に上っているけど、トライアル&エラーを繰り返して乗り越えていくと思います。簡単な話じゃないですけどね。

大きな変化に直面しても
世界は繋がっている。
日本の若者にも挑戦してほしい

杉原:MIE RACINGの拠点はチェコ・プラハですよね。日本と海外の違いを感じることはありますか?

森脇:技術というよりは感覚の違いが大きいかもしれないです。日本は島国だから、どうしても日本と海外って分けて考えがちですが、世界は繋がっています。グローバル化しているんだから、日本の若い人たちにももっと挑戦できるよ、近いよって伝えたいです。

杉原:そして、いつもわくわくする未来のことを考えている。

森脇:もちろん! 大事にしたいのは前を見ること。過去の自分の努力ではなくて、何が悔しかったか、そして痛みを忘れないことだと思っています。あとは、お世話になった人に感謝するのは当たり前だけど、受けた礼を次の世代にも受け継ぐこと、感謝のリレーを絶やさないようにしたいです。

杉原:コロナ禍を含めて、社会は大きな変化に直面していますが、モビリティの変化もものすごい勢いですよね。その中で、僕たちは楽しく課題解決できればと思います。

森脇:いろんなものが生まれては消えていくと思います。第二次世界大戦後に日本にはバイクメーカーが120以上あったのが、淘汰されて今は4メーカー。それくらいカオスな時代って新しいものが生まれるタイミングなんですよ。そこでどう志を持つかによって、その後の人生や時代を生き抜く道が見えるので、私にとっては挑戦し続けることが自分自身を保つ、唯一の手段だなと思っています。

杉原:夜明け前が一番暗いのと同じですよね。日本は空前のバイクブームが訪れそうなのでMIE RACINGが一石を投じてくれることに期待しています。単純に移動手段としてではなく、豊かさや楽しみとしてバイクやモータースポーツがあってほしいですね。

森脇緑(もりわき・みどり)
父は元レーサーでモリワキエンジニアリング創設者の森脇護氏、祖父は“ポップヨシムラ”こと吉村秀雄氏という環境に生を受ける。工業高校卒業後は世界のオートバイ事情の把握と語学を身に付けるためオーストラリア、そしてアメリカへ単身渡豪米。20歳で日本に戻り2003年から2005年にかけモリワキ自社製レースマシンMD211VFで2輪界最高峰クラスのMotoGPクラスにスポット参戦。2010年にはモリワキ製シャシーのレースマシンMD600起用のGresini Racingチームが、MotoGP直下のMoto2クラス初年度世界チャンピオンを獲得。
その一方で、2008年には欧州、アメリカ、アジア地域において、それら各国内のオートバイレース協会と協力し、モリワキ・ジュニアカップを設立。Moto3クラスへのステップとして、モリワキ製MD250H (Moriwaki Dream 250 Honda) を使用し、世界選手権を目指す若いライダーたちの準備の場所を提供する活動も展開。2018年3月に海外での産業展開も視野に入れ「株式会社MIDORI」を、また同年11月には「MIE Racing s.r.o」をチェコ・プラハに設立。 2019年ホンダレーシングを代表し、スーパーバイク世界選手権のプロジェクトをスタート。Moriwaki Althea Honda Teamのチーム監督としてプロジェクトを指揮し、スーパーバイク世界選手権の舞台に、HRCがサポートするチームを17年ぶりに復活させる。
2020年よりMIEレーシングとして新たなスタートを切り、2021年シリーズのポルトガルではチーム設立以来の最高位でフィニッシュ。パフォーマンスが良くなってきている中で今後更なる躍進が期待される。

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(text: Yuka Shingai)

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対談 CONVERSATION

「ワクワク」「ユカイ」を日本のリビングに 新しくて懐かしいユカイ工学のロボティクス

吉田直子

家族をつなぐコミュニケーションロボット『BOCCO(ボッコ)』や、センサー内蔵のしっぽのついたクッション型セラピーロボット『Qoobo(クーボ)』、小学生から作れるロボットキットなど、どこかほんわかしたプロダクトを世の中に送り出しているラボ、ユカイ工学。創設者は2001年にウルトラテクノロジスト集団・チームラボを設立した青木俊介氏だ。日常生活や家族の関係をほんの少し進化させてくれるユカイ工学の商品は、どんな発想から生まれるのだろうか。そして、今人々に求められるテクノロジーとは? 編集長・杉原行里が、青木氏の頭の中をのぞく!

チームラボを起業、
7年後に上海へ

杉原:ラジオのご出演に続き今日もありがとうございます。「HERO X」の読者はアンテナの高い人が多く、ロボットがどういうものかはわかっていると思います。場合によっては、すでに青木さんのことをご存じかもしれません。ただ、初めての方もいると思うので、まずはプロフィールからお聞きしたいと思います。学生時代に会社を立ち上げられたんですよね?

青木:はい。それがチームラボという会社で、2001年ですね。今、チームラボに社長として残っている猪子寿之くんと大学で同じクラスになって、会社をやろうということになり、東大や東工大のメンバー5人でチームラボを設立しました。

杉原:青木さんはCTO(最高技術責任者)でしたよね? クラスの仲間で会社をやろうという時に、CTOって結構いい立ち位置だと思うのですが。

青木:そうですね。僕はプログラミングのアルバイトなどをやっていたので技術系を担当して、猪子くんはネット広告の会社でバイトをしながらビジネス担当という感じになりました。

杉原:当時だと、大学時代の起業はかなり珍しいパターンですよね。

青木:めちゃくちゃ珍しかったと思いますね。

杉原:日本でも最近は少し緩和されてきましたが、それでも起業ってなかなか難しいじゃないですか。当時は大変だったのではないでしょうか。

青木:そうですね。親に「お前はソニーとか日立に就職しろ」とか言われて、勘当されかけたりしました。チームラボに7年いて、一度辞めて、そこから中国の大学院(東華大学信息科学技術学院)に2年ほどいてAIの勉強をしていました。

杉原:なぜ中国を選ばれたんですか?

青木:当時の中国は万博とかオリンピックの前だったので、めちゃくちゃカオスだったんですよね。

杉原:北京が2008年ですもんね。万博は上海でしたっけ?

青木:上海ですね。町中で10本同時に地下鉄を掘っているみたいな状態で、地面が穴だらけで面白かったです。

杉原:そのあと、もう1社、ピクシブでもCTOをやられていますよね。

青木:それで2011年から独立して、今までやっています。

杉原:今、改めて聞くと、厳しい方、楽しい方、ワクワクする方にと、かなり自分の気持ちに純粋に進んでいますね。

青木:そう言っていただけると、すごく嬉しいです。

杉原:それが社名になっているわけですもんね。

青木:そうですね。ワクワクとか愉快とか。

杉原:ユカイ工学の由来は愉快な気持ちになるというところからきているんですか? それとも、ほかに何か理由がありますか。

青木:一番は僕も含めて、自分たちエンジニアが愉快に自由な発想でモノづくりができるような場所を作りたいということです。エンジニアって、本来はものを作っているだけで幸せな人間じゃないですか? でも、世の中のエンジニアって、そういう機会に恵まれることが少ないんです。楽しくやっている人はごく一部だと思います。エンジニアが自分の仕事を楽しく愉快にできるようなチームを作りたいと思ったのがひとつですね。あともうひとつは、ソニーの設立趣意書にある「自由豁達ニシテ“愉快”ナル理想工場ノ建設」という井深大さんが書いた一説があって、そこから取っています。

杉原:ユカイ工学がもう10年目ですか? ちょうどクリスマスシーズンということで、いろいろなプロダクトが出てきていますが、今日は青木さんの頭の中を覗きに来たというニュアンスに近いので、まずは簡単に、今CAMPFIREでクラウドファンディングされている新しいロボット『BOCCO emo』についてお聞きしたいと思います。先代の『BOCCO』はいつ発売でしたか?

青木:2015年です。

杉原:今回、5年経ってアップデートされたと。

青木:はい。大幅にハードウェアがアップデートしました。

杉原:これは簡単に言うと、どういうロボットですか。

青木:最初にBOCCOを発売した2015年はまだスマートスピーカーがない時代だったのですが、ネットにつながってしゃべってくれるものが家にいたら面白いんじゃないかと思いました。家に置いておくと、例えば留守番中の子どもがお父さん・お母さんとやりとりができるとか、1人暮らしのお年寄りがスマホが使えなくてもやりとりができるとか。あとは子どもが帰ってきてドアを開けるとセンサーで検知して、お母さんの携帯に通知されピロンと鳴るとか。そんな風に考えて「家族をつなぐコミュニケーションロボット」ということで製品化したんですね。

『BOCCO emo』
『BOCCO』の機能(音声メッセージの送受信、センサー連携、天気通知やリマインド機能、IoT機器との連動など)に加え、ハンズフリー対話やLTE/Wi-Fiの通信方式に対応、さらにコミュニケーション機能もプラスされた新商品。

杉原:もう1つ、今年の年末に発売になる『Petit Qoobo(プチ・クーボ)』という商品、これができたきっかけが非常に社風を表していると思ったのですが、もともと社内コンペで生まれた商品だそうですね。

青木:はい、初代『Qoobo』が社内コンペで生まれました。この時は、会社のメンバーをシャッフルしてチームを作り、営業だろうがエンジニアだろうが経理だろうが全員参加で、均等にいろいろな職種の人がバラけるようにして、1チーム5人くらいで商品のアイデアをコンペ形式で出してもらったんです。

杉原:それで優勝したのが女性デザイナーのチームだったんですよね。

青木:そうですね。女性のデザイナーが発案したアイデアが『Qoobo』でした。

『Petit Qoobo』。撫でるとしっぽを振ってコミュニケーションしてくれるクッション型セラピーロボット『Qoobo』の機能に、マイク機能などを追加。物音に反応する、鼓動をトクトク感じられる、性格があるなど、よりペットに近いものに。

杉原:不思議なのはこれ、カテゴリーとしてクッションというのに重きを置いていますよね。本来だったらここに顔とかつけたくなりませんか? 普通はLEDをつけて、何かしらのセンサーをつけて、それに反応するように作りたくなると思うんです。ところが、これは加速度センサーだけでしたっけ?

青木:はい。加速度センサー1個だけ。めちゃくちゃシンプルです。

杉原:それで表現しているのがすごいですね。

青木:オリジナル『Qoobo』にはない機能なんですが、『Petit Qoobo』のほうは性格が一匹ずつ少し異なるようにプログラムされています。ですから触わった時の反応も、すぐ元気になるやつとか、鈍いやつとか、いろいろあります。あとは鼓動を打つという新しい機能がありますね。触ると犬や猫みたいに鼓動を感じることができるんです。なおかつ、マイクがあるので周囲の物音に反応します。

杉原:税抜9,000円という値段を聞いてびっくりしました。安くないですか?

青木:はい、手頃だと思います。1万円を切りたかったんですよね。

人間の本質を再構築する
余白を楽しむロボット

杉原:僕は余白を楽しむロボットを、青木さんをはじめとするユカイ工学チームは大事にされているのではないかと思います。何かを解決するというよりは、ロボティクスを通じてワクワクや愉快を提供していくコンセプトがある気がします。ここに行き着くまでには何かあったんでしょうか? というのは、ほかの商品にしても、すべてがやさしいじゃないですか。

青木:そうですね。「やさしい」は結構いわれますね。あんまりテクノロジーをむき出しで「ドヤ」と出すよりは、愛される存在、可愛がられる存在であってほしいなと考えています。やはり家の中に置くとなった時に、女性が主導権を握っていることが多いと思います。ガンダムみたいなものはお父さんのオモチャという位置づけになってしまいますよね。そうすると、「食事中は片付けなさい」という感じになる。僕たちが作りたいのは、食事中もリビングルームに置いておけるようなものですね。

杉原:しかも家族が共有して一緒に遊べるというか、使えるものですよね。新たなコミュニケーションの1つみたいな感じで提案しているんでしょうか。

青木:はい、そうですね。特にスマートデバイスといわれる、スマホやタブレットは、基本は1人で見るものですよね。ファミレスとかに行くと家族4人で来ているのに、みんなそれぞれ携帯をいじっているじゃないですか?

杉原:あれは結構キツい感じがしますよね。

青木:そうですよね。だから、家の中にいる時くらいは、スマホがなくてもいろいろなことがわかるようにしたい。例えばニュースが流れるとか、天気予報がわかるとかを家族で共有している。そういうほうが本来、あるべき姿だと思うんです。

杉原:いいですね。古き良きというか、人間が本質的に大事にしてきたものをテクノロジーで少しばかりアップデートしているという感じですね。しかも、やり過ぎずに。

青木:おっしゃる通りですね。テクノロジーが出てきて便利になった。ただ、便利さというのが必ずしも幸せにつながっていないことっていうのがあるのではないかと思っています。

ユカイ工学株式会社 代表 青木俊介 (あおき・しゅんすけ)
東京大学在学中にチームラボを設立、CTOに就任。その後、ピクシブのCTOを務めたのち、ロボティクスベンチャー「ユカイ工学」を設立。「ロボティクスで、世界をユカイに。」というビジョンのもと家庭向けロボット製品を数多く手がける。2014年、家族をつなぐコミュニケーションロボット「BOCCO」を発表。2017年、しっぽのついたクッション型セラピーロボット「Qoobo」を発表。2015年よりグッドデザイン賞審査委員。

(text: 吉田直子)

(photo: 増元幸司)

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