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東京2020 パラリンピック競技大会日本代表選手記事総ざらい①

まもなく迎える東京2020パラリンピック。HERO Xで過去に掲載したパラリンピック選手にまつわる人気記事を紹介する。

“マーダーボール(殺人球技)”のジャンヌ・ダルク。
日本代表、史上初の女性選手【倉橋香衣:HEROS】

選手同士がタックルを繰り返し、ぶつかり合う『車いすラグビー』は、あまりの激しさから「マーダーボール(殺人球技)」という異名を持つ、男女混合の団体球技である。この記事では、そんな猛々しい競技で、日本代表史上初となる女性選手に選ばれた倉橋香衣選手の魅力に迫る。「その激しさに惹かれた」と語る倉橋選手へのインタビューを、生き生きとした練習風景とともに伝えている。

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次は、あの国を倒して金を獲る!
ウィルチェアーラグビー日本代表最強エース、池崎大輔

車いす同士が衝突し合う凄まじい競技『車いすラグビー』。2016年リオパラリンピックで強豪カナダを倒し、銅メダルを獲得した日本は、世界の強豪国からも一目置かれる存在だ。東京2020では、日本史上最強と評されるチームで金メダルをめざす。記事では、そんな最強チームのポイントゲッターであり、「世界の猛者6人の1人」と国際パラリンピック委員会に讃えられる、池崎大輔選手に話を伺った。圧倒的な覚悟がにじみ出る彼の言葉に注目したい。

記事を読む▶次は、あの国を倒して金を獲る!ウィルチェアーラグビー日本代表最強エース、池崎大輔

一体、どこまで強くなる?
車いすテニスの絶対王者、
国枝慎吾の“大改革と野望”【HEROS】

2006年に初の世界ランキング1位を獲得し、五輪では2008年北京パラリンピック(シングルス)と2012年ロンドンパラリンピック(シングルス)で金メダル、そして前回の2016年リオパラリンピック(ダブルス)で銅メダルと実績を重ね、世界にその名を轟かせる車いすテニスプレーヤーの国枝慎吾選手。東京2020大会ではパラリンピック日本選手団の主将を務める。幾多の困難を不屈の精神で乗り越え、強くあり続けてきた原動力とは。地道な努力の日々、アスリートとしての心構え、競技への思いなどを語る。

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車いすの女王 土田和歌子。
驚きのトライアスロン
転向宣言までの舞台裏【HEROS】

アイススレッジスピードレースから車いす陸上競技で、パラリンピックには1998年の長野大会から2004年のアテネ大会まで、夏冬通算7大会に出場、計7個のメダルを獲得し、パラアスリートとして最前線を走り続ける十和田和歌子選手。2018年にマラソンからトライアスロンへの転向を宣言し、東京2020大会ではトライアスロン女子(車いす)・陸上女子マラソン車いす(T54)に出場する。トライアスロン転向宣言から間もないインタビューで、十和田選手は、パラアスリートとしてのこれまでの歩み、トライアスロンとの出会い、そして東京2020に掛ける強い意気込みを語ってくれた。

記事を読む▶車いすの女王 土田和歌子。驚きのトライアスロン転向宣言までの舞台裏【HEROS】

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安床ブラザーズの父が語る、世界的プレーヤーを育てるための2つの環境【エクストリームスポーツ文化の作り方】

朝倉 奈緒

東京2020で新たに正式種目となったスケートボード(フリースタイル パーク&ストリート)、BMX(フリースタイル パーク)。これにより、日本におけるエクストリームスポーツの社会的な認知度やプレイヤーの意識が大きく変わると関係者は期待を膨らませます。そこでインラインスケート種目において、「X GAMES」はじめ世界大会で輝かしい成績をあげる奇跡の兄弟“安床ブラザーズ”を育て、自身も日本のローラー/ インラインスケートの第一人者である安床由紀夫さんに、日本のエクストリームスポーツの未来についてお聞きしました。

由紀夫さんは現在、兵庫県神戸市所在の「“g“skates」 というスケートパークの運営をメインに行うグッドスケート株式会社の代表取締役社長であり、東京へは月に一度、ローラーディスコの練習会に来ています。大好きなローラースケートを仕事にし、息子さん二人を世界トップレベルのインラインスケーターとして育て上げ、ご自身もローラーディスコの活動を続けている….夢のような人生を歩まれている由紀夫さんですが、もちろんその功績は、今までの努力や行動力があってこそです。

由紀夫さんがローラースケートを選んだのは、「プロとしてやっていくのに、チーム制の競技では、いくら自分が頑張っても周りの意識が低ければレベルアップできない。ひとりでもプロとしてやっていけるものはないか」と模索した結果。

当時大阪府豊中市にオープンしたスケートリンク「アメリカンローラー81」で滑っていたところ、オーナーにスカウトされて契約し、プロのスケーターとして所属します。その後日本で公開されたローラースケート映画に影響を受け、アメリカ・ベニスビーチを目指して単身で渡米。現地で「一番スケートが上手い」と見定めたウィンフレッドという黒人男性のそばで、見様見真似でローラーディスコの練習をはじめます。

そこから約10年間、日本とアメリカを行き来しながら独学でローラーディスコを学び、日本で展開。由紀夫さんがまず、日本でローラーディスコを普及するために試みたのは、ミュージカルです。役者がローラースケートを履いて演じる「スターライトエクスプレス」からヒントを得てオリジナルのミュージカルを制作し、ローラーディスコを地元、大阪の舞台に登場させました。さらに、より立体的な演出にしたいと思い、手作りでハーフパイプを作成。そこを当時幼かった息子の栄人さんと武士さんにも練習で滑らせます。

その手製のハーフパイプを東京・表参道の路上に持ち込んでパフォーマンスを繰り広げる時期もありました。13時からの歩行者天国(1990年代当時)になるタイミングを狙い、月一で大阪から東京までローラースケートのショーをするために通っていたそうです。約1年半、活動を続けているうちに続々と日本に参入したインラインスケートメーカーが、彼らのショーに目をつけ、「うちのインラインスケートを履いてくれないか」とオファー。そうして由紀夫さんたちが日本にやってきたばかりのインラインスケートの広告塔となり、ブームの火付け役となったのです。

由紀夫さんはご存知の通り、アクションスポーツ最大の競技大会「X GAMES」インラインスケート種目にて、長男栄人さん・次男武士さんを通年優勝させるという、スケートの指導者としても輝かしい実績の持ち主。父親目線で「長男は努力型。次男は天才型」だと話す、今やアクションスポーツ界で圧倒的な存在となっている“安床ブラザーズ“を、一体どのように育てられたのでしょうか。由紀夫さんは、世界に通用するプレイヤーを育てるには、2つの“環境“が重要だといいます。ひとつは「練習する環境」もうひとつは、「発表する環境」です。「発表する場をどこに設定するか」それが、安床ファミリーは世界だったのです。

由紀夫さんは「ローラースポーツ」という括りでは同競技であるスケートボードや、BMXのフリースタイルが東京2020の追加種目として採用されたことについて、「BMXとスケートボードのパーク種目では、同じコースを使う。“ボウル“と呼ばれるセクションでは、3〜4mの深さのある“ヴァートランプ“(ハーフパイプ)が設けられますが、普段この高さで練習している選手はあまりいないでしょう。東京2020まであと3年ですから、今までこの規模のヴァートで練習してきた選手が力を発揮するはず」とプロの視点で推測します。

「何もないところから何かを作り出すのは大変」と笑う由紀夫さんの表情は、とてもお孫さんがいるとは思えない若々しさ。由紀夫さんの「これだ!」と決めたことに進み続ける姿勢は「指導」するまでもなく、自然と次世代に伝わっているのでしょう。エクストリームスポーツのようにエンターテイメント性の高い競技にとって、いかにオリジナルのスタイルを魅せるかがポイントになります。安床ブラザーズのパフォーマンス力は、由紀夫さんが用意した2つの“環境”がベースにあってこそ、引き出された彼らの最大の個性に他ならないのです。

エクストリームスポーツにとって、東京2020は大きな変革期となり、オフィシャルスポーツとして表舞台に立つという意味ではスタートラインなのかもしれません。由紀夫さんがローラースケートのプロ活動を始めたのは約40年前。そのとき由紀夫さんから広まった波がいま、こんなにも大きくなっています。新しい世代が新しい解釈で、ボーダレスなエクストリーム文化をアップデートする最高潮まで、あと少しです。

(text: 朝倉 奈緒)

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