対談 CONVERSATION

根性論も感情論もいらない。センシングがもたらす、ハラスメントなきスポーツの未来 前編

長谷川茂雄

近年、大きな社会問題になっている数々のハラスメント。とりわけスポーツ界では、監督やコーチと選手間の異常な主従関係や、暴力的な行為が問題視されることが多い。度々メディアでも報じられるこうした歪みの裏側には、記録やパフォーマンスの向上を目指す指導者側の感情的な空回りや、埃をかぶった根性論などが横たわっている。スポーツ科学とセンシングテクノロジーは、それをポジティブなコミュニケーションへと変える。第一人者である長谷川 裕氏をお招きし、編集長・杉原と最新のスポーツ指導の在り方、そして未来について語り尽くしていただいた。

スポーツに直接役立つ科学技術の追求

杉原「まず、スポーツ科学、そしてセンシングというものは、大きく言うとどういうものなのか、簡単にお聞きしたいのですが」

長谷川「スポーツ科学と一口に言っても、細かくはスポーツサイエンスとエクササイズサイエンスという2つがあります。例えば、マラソンランナーがランニングマシンの上で走っている時に呼気を計測しているとしたら、スポーツサイエンティストとエクササイズサイエンティストは、各々違うことをやっているんですよ」

杉原「なかなか違いが難しいですね(笑)」

長谷川「簡単にいうと、スポーツのためにトレーニング技術を開発したり、選手の問題点を発見したり、怪我しない方法を考えたり……、パフォーマンスを向上するための方法を見つけるために、科学的な手法や基礎科学を使っていくのがスポーツサイエンス。そのために筋力や心拍数のみならず、事細かなデータを計測するのがセンシングという技術です。逆にスポーツを使って、身体運動や健康に繋がるような人間のなんらかのしくみを発見するとか、メカニズムがどうなっているのかを調べるのが運動科学、すなわちエクササイズサイエンス。僕自身は、スポーツサイエンティストでありたいと思っています」

杉原「なるほど、長谷川さんは、スポーツに直接役立つ科学的な技術やしくみを研究されているということですね。世間一般が対象ではなく、スポーツに特化した世界がフィールドであると」

長谷川「そうです。でもスポーツに特化した研究というのは、ごく一部のエリート選手のためのものではないか? とよく言われるのですが、私がやっている研究は、一般の方の健康にも役立つんですよ」

杉原「世間一般にも役立つか否かで、正直、大学の研究費も変わってきそうですよね(笑)」

長谷川「確かにそれはあります。かつてアメリカでは、シューズでもギアでも、開発するとなれば、大きな企業から巨額の研究費が調達できたのですが、各々の企業は自分たちで研究所を持つようになりましたから、大学の研究所には、お金が回らなくなってしまいました。製薬会社や医療機関は、今でも肥満対策や高齢者の転倒防止、安全な子供の食事、そういうものに対しては研究費を出してくれますが、それではスポーツの研究はできませんよね」

杉原「そうなると厳しいですね」

日本にスポーツサイエンスは根付いていない?

長谷川「でもヨーロッパのスポーツ科学は、そうではありません。いかにこのチームを勝たせるか? 端的にそういう研究をしています。プロスポーツのチームには研究所があるのが普通です。サッカーでいえば、マンチェスター・ユナイテッドも、チェルシーも、バルサも、研究所では10人以上の専門職がスポーツサイエンスを研究しています。アメリカには、それがないんですよ」

杉原「それはイギリスが中心ですか? それともヨーロッパ全体?」

長谷川「ヨーロッパの国々は、どこもそういう環境が整っていますよ。あとはオセアニアですかね」

杉原「ちなみに日本はどうなんですか?」

長谷川「日本は、そういうことをしているプロスポーツのチームはありません。自分がアドバイザーとして携わったJリーグの(名古屋)グランパスは、2004〜2008年頃にスポーツサイエンスを選手育成に導入しようとしていました。でも残念ながらそのプランは、すぐに変更されましたね」

杉原「そうなんですね。確かにヨーロッパと日本では、スポーツ文化の根付き方も違いますし、スポーツ自体の熱狂度も違います。科学を積極的に使っていこうという動きは、まだ日本には根付きにくいのかもしれません」

長谷川「そうだと思います。これはヨーロッパだけに限らないのですが、スポーツサイエンスが進んでいる地域では、サッカーの試合全体を、スタジアムに設置した8台ぐらいのカメラでカバーして、どのプレーも必ず2台以上のカメラで記録するプロゾーンというシステムがあります。それで計測したデータは、俯瞰で見たアニメーションにして、選手の能力を約4000項目も分析できるんです。自分はそのシステムに魅せられて、イギリスのリーズまで行って交渉して、日本で会社を作って広めようとしました」

杉原「それは画期的なシステムですね」

長谷川「それでサッカーの日本代表にも提案をしました。でも、当時の監督には、“こんなものに頼っている指導者はダメだ”とはっきり言われましたよ。そこで自分も“では、なぜプレミアリーグの全チームがこれを導入しているのですか?” と応戦したのですが、“向こうの選手はこういうものがないと、いうことを聞かないからだろ”と、突き返されました(笑)」

杉原「もう、それは論点が違いますね」

長谷川「そうなんです。日本では、まだまだ監督の存在は絶対で、選手は監督にモノをいうのはおかしいという風潮が根深い。でも、ヨーロッパでもアメリカでも、選手は監督にいろいろと聞いてきます。そういうコミュニケーションを取るときに、感覚論で曖昧な答えをしても選手は納得しませんから、いろいろなセンシングのデータを見せる必要があるんです」

感覚を可視化すれば
すべてがわかりやすくなる

杉原「自分もレース用車いすの開発をしていますが、やはり感覚で話しをされると同じ土俵で話すのが大変。感覚とは、毎日違うものだから難しい。だから感覚を出来る限り可視化して開発していく必要があるといつも感じています」

長谷川「可視化したデータを重視するというのは、スポーツサイエンスと一緒ですね」

杉原「例えば、一緒に開発をしているアスリートが、座っている車いすの“ここが硬い”、“ここがやりにくい”と言ったら、まずスタッフはそれを反映させようとする。でも自分は止めるんです。なぜなら、それって感覚だから。感覚ほど曖昧なものはない。だから計測をして、硬いと感じる原因を探る必要があるんです」

長谷川「確かにそうですよね。本来、データで判断すべきものってことですね」

杉原「はい。そこで僕たちは、モーションキャプチャーや加速度センサー、触覚センサーなどいろいろ使って計測して、アスリートの違和感を可視化するんです。そうすると、“結局、あなたが言ってたのは、このことか!”と、初めてみんなで納得できるようになる」

車いすの開発も、センシングと同様に、計測と可視化がカギを握る。

長谷川「そうそう、そういうことです。それだと選手に問題点がちゃんと伝わりますよね。データを解析して、ノウハウにしていくことも大切ですし。トレーニングも感覚でやっていくと、わかったつもり、できたつもりになる。それが一番よくないです」

杉原「海外のサッカーだと、コーチやマネージャーが、サッカー経験者じゃないケースも多々ありますよね。日本ではまだ少ない気がします。経験の有無だけじゃなくて、指導者は解析がどれだけできるか、それを利用してどれだけいい戦略が練れるのか、そういうところも評価されるべきだと思うんです」

長谷川「ある競技のコーチやスタッフが、その競技の経験者ではない場合、その人が選手から信頼されたり慕われたりすると、その畑で育った指導者は、ものすごく毛嫌いしますよね」

杉原「そうですよね。あとセンシングで選手の状態を常にデータ化しておけば、怪我をしたときにも、壊した身体の状態を過去のデータと照らし合わせられますよね。カルテ共有ができれば、対処も早くなるはずです」

長谷川「確かにそうです。プレミアリーグでも、選手が移籍をしたら、それまでどんなトレーニングをしていたのか、怪我や筋力の状況、スプリントやパワーなどのデータを受け継ぐのが普通です。そうやって選手個々の健康を守って、リーグ全体のレベルを引き上げているわけですよ」

杉原「プレミア全体のレベルが上がったのは、センシングやデータ解析などの技術が反映しているからかもしれないですね。ただ、僕が好きなアーセナルは、いつも怪我人が多いですが、スポーツサイエンスのレベルが低いんですかね(笑)」

長谷川「いやいや、アーセナルの研究レベルは、かなり高いはずですよ(笑)」

後編へつづく

長谷川 裕(はせがわ・ひろし)
1956年京都府生まれ。龍谷大学経営学部教授(スポーツサイエンスコース担当)。日本トレーニング指導者協会(JATI)理事。スポーツパフォーマンス分析協会代表理事。エスアンドシー株式会社代表。筑波大学体育専門学群卒業、広島大学大学院教育学研究科博士課程前期終了。龍谷大学サッカー部部長・監督、ペンシルバニア州立大学客員研究員兼男子サッカーチームコンディションコーチ、名古屋グランパスエイトコンディショニングアドバイザー等を経て、スポーツセンシング技術等を利用した科学的トレーニング理論の実践的研究を続ける。著者は『アスリートとして知っておきたいスポーツ動作と体のしくみ』、『サッカー選手として知っておきたい身体の仕組み・動作・トレーニング』ほか多数。

(text: 長谷川茂雄)

(photo: 河村香奈子)

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大どんでん返しなるか!?“ゼロ100”に賭ける天性の勝負師、夏目堅司。いざ、ピョンチャンへ!【2018年冬季パラリンピック注目選手】前編

岸 由利子 | Yuriko Kishi

つい最近まで、スランプ状態が続いていたことを前回のインタビューで激白したチェアスキーヤーの夏目堅司選手に、朗報が舞い込んだ。ピョンチャンパラリンピックの日本代表選手として、日本障がい者スキー連盟から推薦を受け、2月14日、日本パラリンピック委員会(JPC)より、正式に夏目選手が選出されたことが発表された。同大会で夏目選手が使用するのは、「シリウス」を名に冠したオーダーメードマシン“夏目モデル”。その開発を手掛けたのは、彼が所属するRDS社の専務取締役兼クリエイティブ・ディレクターであり、HERO X 編集長の杉原行里(あんり)率いるエンジニアチームだ。波乱曲折の勝負世界で戦う夏目選手とは、アスリートと開発者の関係にあると共に、時に、夏目選手の奮起を促すカンフル剤的存在として寄り添ってきた杉原が、大会直前の心境に迫った。

とことん運の強い男、夏目堅司!?

杉原行里(以下、杉原):推薦、おめでとうございます。今の心境はどうですか?

夏目堅司選手(以下、夏目):ありがとうございます。ホッとした気持ちもありますが、正直言うと、それ以上に、ヤバいなという気持ちが今、強くあって。これからピョンチャン大会までに、どれだけ自分のレベルを上げられるかということが、すごく大事になってくると思います。大会前のワールドカップでも、成績は、当然求められるでしょうし、“気合いを入れて、やらなくちゃ”という感じです。

杉原:ポジティブな意味での、ヤバいということですよね。推薦の連絡を受けた時、堅司くんは、自分のマシンにカーボンを貼る作業に集中していました。そこに、僕が暗いトーンの声で「ねぇ、聞いた?」と切り出すと、「え?何のことですか?」と不安げな顔をしたから、「堅司くんって、とことん運が強いなぁ」って。あえて、ちょっと意地悪な演出をしてみました(笑)。推薦をいただけるかどうかは、本当にギリギリのところだったし、ついその2時間前までは、チェアスキーヤーとしてではなく、夏目堅司という一人の男の進路について話し合っていたのに、状況がガラッと一変して…。

夏目:「(推薦が)出たらしいよ」と聞いて、嬉しかったのと同時に、「ああ、僕は今回、引退させてもらえなかったんだ」と思いました。

杉原: 運が強いというのは、いつもギリギリで滑り込んでいくから。意図してそうしているわけではなくて、堅司くんが、元々、持っているものじゃないかと僕は思います。今回、ギリギリで手にしたその運を良い方に持っていくか、悪い方にもっていくかは、他でもない、堅司くん次第だよね。

覚醒。「ゼロか100か」の原点に立ち戻る

夏目:僕が悩みあぐねていた時に、杉原さんはこう言ってくれましたよね。「堅司くんは、ゼロか100でいいんだと思う。野球で言うところの三振かホームランでいいんだよ」って。それを言われた時にハッとしました。自分って、確かにそうだよなと。

杉原:チェアスキーの日本代表選手に、大輝くん森井大輝選手)、亮くん狩野亮選手)、猛史くん鈴木猛史選手)がいる中で、野球に例えると、4番打者は、亮くんだと思うんです。猛史くんは、特色を生かして1番打者、器用な大輝くんは、3番打者。それなのに、なぜか堅司くんは、3番打者を狙おうとしていた。だから、「三振かホームランのバッターなのに、どうしてシングルヒットを狙いに行こうとするの? なぜ、そんなつまらない滑りをしようとするの?」と尋ねたんです。

夏目:いつの間にか、そこを狙いに行く自分がいました。指摘されて初めて、気づかされました。

杉原:三振だとしても、責める人間はいないですよね。ただ、三振かホームランを期待して観客は観ているのに、シングルヒットばかり狙うバッターって、残念だなって僕は思います。その結果、2割1分くらいの成績だったりして。堅司くんは、ゼロか100かというやり方でずっとやってきて、ここまで来たわけだから、それを貫いた方が良いんじゃないのかなって思いました。

夏目:本当に、その通りだと思います。

杉原:今、ピョンチャン前のこの時期にこんなことを言って、「何を言ってるの?」と思われるかもしれないけど、堅司くんのマシンの開発に携わってきたひとりとして言わせてください。多分、ハマったら、速いんですよ。車のレースや自転車競技のように、チェアスキーも、マシンと自分の体が、本当の意味で一体化する瞬間があると思うんです。それをピョンチャン大会までに手に入れることができたら、すなわち、ハマれば、ホームランは期待できるし、メダルを獲得できると僕は思っています。それを探しにいく旅に、これから出るんですよね?

夏目:もちろんです。

杉原:その瞬間が、いつ、どこで訪れるかは分からないけど、例えば、昨日まですごく悩んでいて、でも、何かを劇的に変えたわけでもないのに、パーッと道が拓けることもあるじゃない? もし、ハマらなければ、メダルどころか、スタートの50m先くらいで転倒しているかもしれない。でもそれは、まぎれもなく自分らしく攻めた結果になると思います。勝負の世界だから、あって当然のことだと。

ピョンチャン大会、
チェアスキーヤー人生の締めくくりにしたい

杉原:パラリンピックにかける想いは、選手それぞれにあると思いますが、どうですか? ピョンチャン大会で、2022年の北京大会を目指せる成績が出たら、目指していくことになるかもしれないけど、年齢的に考えても、堅司くんは、他の選手とはまた臨み方が違うのかなと。

夏目:自分の中で、ひとつの締めくくりになるかなと思っています。

杉原:集大成的な感じでしょうか?

夏目:はい。だからこそ、ゼロか100かということに自分を賭けるべきだと思うし、そこには、迷いがない気持ちで挑みたいです。

杉原:もし今回、メダルを獲れたら、記者会見では、“奥さんより、まず杉原さんに感謝したいです”って、言ってくださいね(笑)。今から原稿用意しておかないと(笑)。冗談はさておき、今まで聞いたことがなかったけど、RDS社に入って、何か変わりましたか?

夏目:杉原さんが森井くんと出逢ってからの歴史の中に、僕が入り込むようなかたちで知り合って、RDSに入社させていただくに至りました。ご存知のように、僕は、マシンを自分で切り拓いてきた人間ではありません。当初は、森井くんのように、自分のシートをこうしたいという明確なイメージや強いこだわりというものは持っていませんでした。入社してからは、マシンのことも含めて、自発的に探求、追求していかないといけないということを日々、身に沁みて痛感しています。まだまだ足りていないとは思いますが、努めて、自ら探求、追求するようになったことは、僕にとっては、大きな変化と言えるかもしれません。

杉原:エンジニアでも、デザイナーでも、どんな職種であっても、おそらく入社当時の誰もが、最も苦しむところだと思いますが、当社では、与えられた業務だけをこなせば良いというスタイルとは違って、常に探究心を持ち、自分で切り拓いていかなければならない。モノを開発する過程においても、たくさん勉強しないとできないし、常にアンテナを張っていないといけないし、そこは、堅司くんも大変だったのではないかと思います。

後編につづく

夏目堅司(Kenji Natsume)
1974年、長野県生まれ。白馬八方尾根スキースクールでインストラクターとして活躍していたが、2004年にモーグルジャンプの着地時にバランスを崩して脊髄を損傷。車いす生活となるも、リハビリ中にチェアスキーと出会い、その年の冬にはゲレンデに復帰。翌年、レースを始め急成長を遂げ、わずか1年でナショナルチームに入り、2010年バンクーバー大会、2014年ソチ大会への出場を果たした。RDS社所属。

(text: 岸 由利子 | Yuriko Kishi)

(photo: 増元幸司)

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