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最前線へ再び。最強マシンと共に帰ってきた、陸上クイーン中尾有沙【HEROS】

朝倉奈緒

九州・熊本市から本州・渋谷区へ。都内の小学校で、競技用車いす(レーサー)の体験授業を行うため3輪の車体が特徴的なレーサーを飛行機で3台も運んで来たという中尾有沙さん。三段跳び日本女子トップの記録を持つ彼女がレーサーに乗り始めて1年と少し。既に昨年6月に開催された日本パラ陸上選手権女子100メートル種目で2位という好成績をあげた陸上競技のクィーンに、東京2020への意気込みを聞いた。

恩師、そしてレーサーとの幸運な出会い

中尾さんが三段跳びで日本一となったのは、2015年6月。そこから2年後には、車いす陸上の世界で活躍する彼女の姿が見られることになる。2016年1月、トレーニング中の怪我により脊髄損傷をきたし入院したが、退院後、翌月にはレーサーに乗るために体作りのトレーニングを開始したという中尾さん。約3ヶ月間、リハビリと共に上半身を重点的に鍛え、良きタイミングで自分専用のレーサーを提供されるという幸運に恵まれ、驚くべき早さで再びスポーツの舞台へと復帰を遂げた。中尾さんが本格的にレーサーに乗り始めたのは2016年11月と、わずか1年弱のことである。

「大変ありがたいことに、日本の車いすマラソン第一人者である山本行文さんが色々と呼びかけてくださり、本田技術研究所が八千代工業、ホンダR&D太陽と共同で開発したレーサーのスタンダードモデル『挑<IDOMI>』を提供してくださることになったんです。」

中尾さんが使用している「挑」は、怪我をして間もないということもあり、お尻の幅が広い中尾さんの身体にピッタリと合わせてある。中尾さんのレーサーは、「日本人が世界で戦うためには、基礎のフォームをしっかりと身につけなければいけない。そのためには、自分の体に合ったレーサーが最低限必要だ」という山本氏の考えのもと、お母様と山本氏の3人で埼玉県狭山市の八千代工業まで足を運び、中尾さんにフィットするよう一から作ってもらったものだ。

山本さんにも会えず、こんな素晴らしいレーサーをご提供いただく機会に恵まれなければ、私は今ごろまだスポーツの世界に復帰できていたかわかりません」

中尾さんと山本行文氏との出会いは、脊髄損傷受傷後の入院中。ある日突然、病室を訪ねてきてくれたという。山本氏は、同じ脊髄損傷を負ったという経験もあり、生活面で困ったことがあったらサポートする姿勢で接してくれていたのだが、「もしまたスポーツがしたくなったら、車いす陸上がありますよ」と、強いるのではなく、あくまでソフトにスポーツについても誘ってくれたのだそうだ。ちょうどまた競技に復帰したいと思っていたタイミングだった中尾さんはすぐに返事をし、退院後から山本氏の元で指導を受けている。

「やっぱり最前線の場所で戦いたい!」
変わらぬアスリートスピリット

今は週に2回、先生の自宅で20種目ほどのウエイトトレーニングを行い、週に6回は外でレーサーに乗り、走ったり、室内でルームランニングをしてフォームの確認をする。そして週に1日は休みをとるというペースだ。

もともと三段跳びの選手だったこともあり、スクワットなど下半身のトレーニングを集中的に行い、上半身を使うのは苦手だったという中尾さん。「腕立て伏せは慣れていないのもあって、顔とか心臓に近いからなのか、とてもきつく感じてしまうんですよね。上半身がだるい状態が続いて、『本当にやっていけるのかな』と心配になったこともありますが、この1年で試合に出て速く走ることができたり、勝ったり負けたりすると『もっと頑張らなきゃ』という気持ちが強くなって、この疲労感さえも心地よく感じられるようになりました」

以前はどちらかというと華奢な印象だった中尾さんだが、今は腕や胸にしっかりと筋肉がつき、がっしりともいえる体格で、この1年のトレーニング成果が目に見える。

「レーサーに乗るときは前にかがんだ状態で首を上げるという体勢なので、首・肩から背筋にかけてがきついのですが、このあたりも以前よりだいぶ強くなっていると思います。パラスポーツは残った筋肉をいかに最大限活かすかが何より大事なんですよね。私の障がいクラスは腹筋が使える人たちなのですが、私はまだ8割くらい腹筋が残っているし、そこを最大に使わないと不利になってしまう。使える上半身全てをフル活用する工夫をしています」

車いす陸上のランナーとしてたった1年でここまで自身を向上させた中尾さんだが、東京2020まで残りわずか2年半という短期間で、どこまで目標に追いつけるか。

「この競技については初心者、ゼロからのスタートです。オリンピックを目指すのと同じようにパラリンピックに出場するのはとても難しいことだと重々承知しているので、簡単には口にできず一年過ごしてきました。でも、何度か試合に出て、かっこいい選手も間近でたくさん見て、やはり私も日本を代表する選手になりたいと切実に思うようになりました。せっかく2020年、東京でパラリンピックが開催されるこのチャンスに、できる限りのことをして出場するなり、できなくて悔しい思いをするなり、最前線のところで戦いたいです」

レーサーを扱うことは初心者でも、陸上競技選手としてのキャリアは築かれている。今まで積み重ねてきたアスリート精神は、競技を一新し、さらに磨きがかかったようだ。

「怪我をしたときに、身近な人たちにすごく支えてもらったんです。三段跳びを一緒にやってきた選手や、これまでに出会ってきた沢山の人たちがこの期間、とても親身になって心配してくれて。その人たちに、私がまた車いす陸上という新しい競技で頑張る姿を見せたい。それでみんなも元気になってくれたらもっと嬉しいですね」

きっと、今後中尾さんの姿を見て元気づけられる人は彼女の周りだけでなく、不特定多数に増えていくことだろう。

個性豊かな選手あっての、
パラスポーツの面白さ

「パラスポーツって中に入ってみると、思っていたイメージと全然違っていて。みんなそれぞれがパラリンピックを目指すアスリートとして真剣で、強い選手でも全然怖くなくて(笑)、気さくに色々と教えてくれるし、でも走るときにはキリッとかっこよくなる。そういう選手の姿を見るだけでも勇気づけられると思うので、ぜひ色々な人たちに観に来てほしいです。あと競技だけでなく、普段の生活から選手に注目して見ていると、もっともっとパラスポーツが面白くなると思います。」

パラアスリートには、それぞれの個性に合わせて競技への工夫や、各々の取り組み方がある。千差万別で多種多様。他のスポーツにはない楽しみ方があるというのは、パラスポーツの醍醐味だ。

自宅でマルチーズとチワワのミックス犬、キジシロの猫を飼っており、二匹と共にいる時間が、最高の癒しだという中尾さん。犬や猫に匹敵する愛らしい笑顔で周囲を癒す元三段跳びクィーンは、立ち止まることなく、レーサーという新たな仲間を携えて、東京2020、またその先へと走り続ける。

「もともとまっすぐ飛んだり走ったりすることは得意なんですけど、何かを扱ったり、道具を使うことはあまり得意ではないんです。なので、とっても良いレーサーに乗っているのですが、自分が追いつかないとその力も発揮できない。それが今後の課題かな。」

彼女ならすぐにレーサーをも味方にして、先を走る選手との距離も縮めるはず。東京2020でのレースをより楽しむために、今後の彼女の活動を様々な角度から注目していきたい。

中尾有沙
熊本県南阿蘇村出身 1987年10月 13 日生まれ(30)
2014年~ 株式会社祐和會 入社
レイクサイドクラブインストラクター あそりく指導者 ゆ~かむインストラクター
2016年~ けがにより休職
2017年8月 職場復帰 勤務先「四季の里旭志」
<競技成績> 自己ベスト 走幅跳 6m04cm(熊本県記録) 三段跳 13m09cm(熊本県記録)
T54(切断・機能障害車いす)クラス、100m 19 秒 60
第 99 回日本陸上競技選手権大会三段跳優勝
熊本県陸上競技選手権大会 三段跳 10 連覇、走幅跳 9 連覇
第 28 回日本パラ陸上競技選手権大会 2 位
2017 ジャパンパラ陸上競技大会 3 位 第 17 回全国障害者スポーツ大会 優勝

(text: 朝倉奈緒)

(photo: 河村香奈子)

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00年生まれのBMXレーサー、中井飛馬に刮目せよ!

川瀬拓郎

BMXレース日本代表候補の強化選手として、国内外を転戦し続けている中井選手。知っているようで、実際はよく知られていないこの競技を中井選手自身にご説明いただいた。オリンピックでの活躍が期待される日本のエースを、今のうちからチェックすべし。

筆者を含めご存知の方は少ないと思うが、BMXレースは2008年の北京オリンピックから正式種目としてエントリーされ、来年で4回目の開催となる。この競技において、全日本ジュニアチャンピオン、アジアジュニア王者、ジュニア世界ランキング1位という、輝かしいキャリアを持つのが、中井飛馬(なかい・あすま)選手だ。

「父親の知人の勧めで、5歳の頃から BMX を始めました。出身が新潟県上越市なのですが、自宅から自転車で5分ほどの場所に、BMX のコースがあったのです。レース専用に整備されたコースは当時から珍しく、練習場が近所にあることは自分にとって大きなアドバンテージでした」

BMX と言えば、映画『E.T.』を思い浮かべる人も少なくないだろう。公開後、劇中で使用された日本製 BMX は世界的な大ヒットとなり、70年代のアメリカで生まれた BMX が、80年代の日本でも広く認知されるきっかけとなった。また、BMX には大ジャンプを繰り出したり、曲芸のようなパフォーマンスを披露したり……。世代やエクストリームスポーツへの関心度によって、BMX の姿は人それぞれに異なってくる。では、そもそも “BMXレース” とはどんな競技なのだろう?

「BMX は、まずレースとフリースタイルに大別できます。フリースタイルは、レースとともにもうひとつのオリンピック正式種目となった “パーク”、様々な技を競い合う “フラットランド”、障害物が設置されたパークで行われる “ストリート”、スノーボードのハーフパイプのようにジャンプ技を繰り出す “ヴァート”、起伏に富んだオフロードコースでジャンプ技を競う “トレイル” の5つに分けられます。そうした技を競い合う競技とレースは明確に違います。そして、あらゆる BMX の中で最も根本的な競技がレースでもあるのです。MTB(マウンテンバイク)のダウンヒル競技はタイムで競うのですが、BMX は最大8人が同時に出走し、あくまでゴールした順位で競うというのが大きな違いです」

それではBMXレースで用いられるあの小径自転車は、どのような特徴があるのだろうか?

「ハンドルの長さやペダルなど細かな規定がいくつもあるのですが、基本的には20インチのタイヤで、後輪のみブレーキを装備していることが条件です。現在主流になっているフレーム素材は、カーボンとアルミを組み合わせたもの。レースにおいてはフレームのしなりが大切な要素であり、今僕が乗っている BMX はしなり具合とジオメトリック(フレーム形状)がちょうどよく、本当に気に入っています」

BMX レーサーの師を仰ぎ、高校進学とともに上京し、本格的にプロ BMXレーサーとして歩み始めた中井選手。しかし、肘へ衝撃がかかる BMXレースを長年続けてきたことで、思わぬアクシデントに見舞われる。いわゆる野球肘と同様、蓄積したダメージが中井選手の肘を襲う。手術を経てしばらく競技を離れることになるが、彼は腐らずに体幹を鍛えるトレーニングを続け、見事復活を遂げた。

「18歳になった現在は、日体大に通学しながら、ヨーロッパやアメリカへ海外遠征を続けています。主に現在のコーチの住むカリフォルニアでトレーニングをしています。日本国内には、いまだにオリンピック規格のコースが存在していないからです。オリンピック出場のための選考大会は14回あるのですが、その指標とされるのが BMXレースのワールドカップです。世界中の都市で年間10回開催されています。今年の6月にフランスで、9月にはアメリカとアルゼンチンで大会があります。僕は今年もワールドカップに挑戦しているのですが、本当に連戦となります。Youtube でライブ配信もあるので是非チェックしてください」

動画を観たのですが、小径自転車とは思えない猛スピードで、凸凹道を素早く的確なジャンプで駆け抜けるのですね

「最高速度は時速60kmにも及びます。当然、ヘルメットやプロテクターを装着するのですが、レース中は衝突することもしょっちゅうあります。僕も今まで手首を2回、鎖骨を3回、骨折してしまいました(笑)。一度でもコースを走っていただければ、この楽しさが共有してもらえると思うのですが、まずは間近で実際のレースを観ていただきたいですね。その迫力はもちろんですが、レース中の(選手同士の)駆け引きが本当に面白い。今年10月に大阪大会があります。世界のトップライダーが集い、無料で観戦できますので、少しでも興味を持っていただいた方に来場していただければ嬉しいですね」

まさに百聞は一見にしかず。来年の東京2020はもちろんだが、ネット動画を何度見ても、生で観る経験には敵わない。2000年生まれの俊英の勇姿を、是非ともその眼に焼き付けようではないか。

中井飛馬(なかい・あすま)
2000年、新潟県生まれ。5歳のとき BMXレースと出会う。11歳の夏、世界選手権で初めて決勝進出を果たす。以降、海外大会に数多く出場しながら、トレーニングを重ねる。 JCF ユース強化育成選手へ選出された現在、カルフォルニアを拠点に活動を続けている。

(text: 川瀬拓郎)

(photo: 増元幸司)

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