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生き残る芸人は、ただひとり!?【車いすハーフマラソン 芸人白熱バトル】Vol.1 前編

岸 由利子 | Yuriko Kishi

『車いすハーフマラソン2018、芸人白熱バトル!』は、2018年10月に岐阜県海津市で開催予定の「第23回長良川ふれあいマラソン大会」の出場を目指して、チャレンジ精神に溢れる芸人たちが奮闘する姿をお届けする連載企画。パラリンピックの北京大会で金メダル2個、ロンドン大会で銀メダル3個を獲得した車いす陸上スプリンターの伊藤智也選手が、各自の素質を見極めつつ、直々、指導にあたっていくという贅沢極まりない内容だ。

今夏、HERO X上で現役復帰を発表し、「57歳を迎える東京2020」で金メダルを狙うトップアスリートの伊藤智也選手。

勝負の舞台は、
2018年秋、岐阜県のハーフマラソン

毎年秋に開催される長良川ふれあいマラソン大会は、ハンディのある人もない人も一緒に走れるマラソン大会で、ハーフ(約21km)、クォーター(約10km)、2kmの3種目がある。今回、芸人たちが挑むのは、出場者全員が競技用車いすで走るハーフコースへの出場。制限時間は2時間だ。

競技用車いすは、日常用の車いすとは違って、背もたれはなく、細長い車体に三輪が付いた構造になっている。プロの陸上競技アスリートのほとんどは、正座の姿勢でシートに乗り、後輪の内側にあるハンドリム(駆動輪)を樹脂製のグローブで蹴って、走行する。健常者も操作方法は同じだが、足を降ろした状態でシートに乗るタイプの車いすを使う。足を折りたたんだままでは、30分も経つと、しびれて感覚がなくなってしまうからだ。

「基本は、前かがみの姿勢を保つこと。肘を張り、両手の親指を進行方向に向けて、蒸気機関車になったイメージでこぐことが、上達のポイントです」と伊藤選手は話す。

大蜘蛛&みんなのたかみち。
仲良し芸人2人が、ライバルに!?

栄えある挑戦者は、お笑いコンビ「シンプル」のボケ担当の大蜘蛛(おおくも)さん(右)と、「プリンセス金魚」のツッコミ担当のみんなのたかみちさん(以下、たかみちさん)。丸顔と面長、168cmのぽっちゃり体型と、モデル顔負けの長身185cm。見た目のコントラストが鮮やかな二人だが、いずれも、京都出身の芸人で、現在は、ルームメイトとして都内で生活を共にする仲良しコンビだ。

HERO Xの連載企画・第2回『X-CHALLENGEで、車いす陸上の手ほどきを受けた際、「残念だけど、すごく上手い…。センスがありすぎて、面白くないですね」と、世界の頂点を極めたトップアスリートの伊藤選手に言わしめた大蜘蛛さんは、この日も余裕しゃくしゃくの様子。一方、たかみちさんは、競技用車いすを見るのも、乗るのも、全てが初めて。だが、意気込みは凄まじい。伊藤選手と挨拶を交わすなり、「一回、試していいですか?」。早速、初ライドに挑んだ。

長すぎる足がネックに。
「手元が見れへんから、めっちゃコワい」

初っぱなから、緊急事態が発生した。たかみちさんの足が長すぎて、マシンのシートに収まりきらないのだ。ポロシャツの裾を引っ張るや、腰やお尻を力づくで押し込むや、スタッフの力技でなんとか収まったが、当の本人は、「両足が固定されてまったく動かへんのですけど…」と、半ば白目に。だが、たかみちさんの言う“足が固定されて動かない感覚”は、実に正しいもの。競技用車いすを操作する上で、エンジンとなるのは、他ならぬ彼の両腕。その馬力で、マシンとグローブを巧みに操り、加速していくのが本筋である。

伊藤選手の指導がはじまった。たかみちさんが乗っているのは、普段、伊藤選手が使用している室内練習用のマシン。固定されているので走りはしないが、こぐ感覚はリアルと同じで、両手に装着した樹脂製のグローブをハンドリムに当てて加速させていく。前傾姿勢を保たなくてはならないため、走行中に自分の手元を見ることは一切できない。「めっちゃ怖いんですけど!」。グローブで、ハンドリムを上手くキャッチできずに、早速、ホイールを激しく打ってしまった。

「ハンドリムをグローブで押すと、腕が下に来て、また押す時に上に上がる。これが正しい動かし方なんだけど、たかみち君は、そのタイミングが逆になっているので、今と逆のリズムで腕を動かすことを意識してみてください。あと、車体のフレームに鼻が当たるくらい前かがみになることも忘れずに!」と伊藤選手。

“腕の長さ”と“勘の良さ”で、
トップスピード15kmを達成

初回の走行スピードは、6 km前後。フォームは、中々上手く決まらない。こぎ続けても、ホイールが一向に回らない。遅い、下手くそ…。周囲のスタッフから浴びせられる辛辣なコメントに火が点いたのか、たかみちさんは、メガネが吹っ飛ぶ勢いでこぎ出した。

「そうそう、いい感じ。腕が下に行く時は、胸をドーンとフレームにぶつけていくイメージでこいで。フォームもいいよ、きれい。8km、10km、11km、13km…」と走行スピードの計測メーターをチェックしながら、細かなアドバイスを続ける伊藤選手。フォームは少しずつそれらしくなり、スピードも、突如上がり始め、ついに15kmを超えた。

たった1度のアドバイスで、腕のリズムを習得したが、たかみちさんの顔は赤らみ、すでに息は上がっている。初体験に、少しお疲れのようだ。「こいでいる時、腕を外したら切れるから、外さないように」と注意を受けた矢先のことだった。

「痛~っ!!ホイールで、思いっきり、肌、擦ってしもたんですけど。めちゃめちゃ痛いです…」。一旦練習を中断し、痛みが鎮まるのを待っていると、伊藤選手が涼しい顔でこう言った。「15~16kmなら、まだ切れないから大丈夫。25km出たら切れるけどね。その程度の痛みは、勲章。さあ、もう一回走ってみよう!」。


今度は、走行スピードが15kmに達した時点から1分間、同じ速度を保って走り切ることが目標だ。たかみちさんがこぎ出すと、伊藤選手は、再び走行スピードの計測メーターに目をやった。

「同じテンポで、リズム良くこぐことを意識して。まだ10kmしか出てないよ。そうそう、その感じをキープ、キープ。ラスト30秒。15、13、12、11…はい、終了!」。無事、ノルマ達成だ。

伊藤選手が伝授する“肉体改造計画”とは?

「たかみち君は、腕が長いのが得ですよね。ただ、筋はいいけど、基本的に体を変えていく必要があると思います。ストロークが長い人は、より大きなフォームを作っていかないとダメなので。胸筋、二頭筋、三頭筋など、競技用車いすを乗りこなすために必要な筋肉を鍛えるためには、腕立て伏せが、一番。1日30回くらいやれば、自然と30km近いスピードまで上がると思います」

「僕、体力は全然あるんですよ。さっき、15kmで1分間こいだ時も、体力的には、楽勝やったんですけど、ただ腕が全然上がってきぃへんのですね。今もまだ手が震えてます。普段使わへん筋肉を使ったからか、体のあちこちが痛いです」

次は、いよいよ期待の星、大蜘蛛さんの出番だ。

後編へつづく

伊藤智也(Tomoya ITO)
1963年、三重県鈴鹿市生まれ。若干19歳で、人材派遣会社を設立。従業員200名を抱える経営者として活躍していたが、1998年に多発性硬化症を発症。翌年より、車いす陸上競技をはじめ、2005年プロの車いすランナーに転向。北京パラリンピックで金メダル、ロンドンパラリンピックで銀メダルを獲得し、車いす陸上選手として、不動の地位を確立。ロンドンパラリンピックで引退を表明するも、2017年8月、スポーツメディア「HERO X」上で、東京2020で復帰することを初めて発表した。

シンプル 大蜘蛛英紀
サンミュージックプロダクション所属。キングオブコント2012 / 2016にて準決勝進出の実力 を持つお笑いコンビ「シンプル」のボケ担当。
http://www.sunmusic.org/profile/simple.html

みんなのたかみち
ワタナベエンターテインメント所属のお笑いコンビ「プリンセス金魚」のツッコミ担当。2016年10月より、相方の大前亮将が拠点を名古屋に移したため、『遠距離コンビ』となる。以来、単独でライブなどに出演し、ピンネタを披露する機会も増えている。
http://www.watanabepro.co.jp/mypage/4000019/

(text: 岸 由利子 | Yuriko Kishi)

(photo: 増元幸司)

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シルク・ドゥ・ソレイユが認めた松葉杖ダンサー。ダージン・トクマック、来日インタビュー

岸 由利子| Yuriko Kishi

ずば抜けた身体能力・技術と芸術的センスを兼ね備えた一流のパフォーマーだけが入団を許される世界的エンターテイメント集団、シルク・ドゥ・ソレイユ。その一員として大抜擢された松葉杖ダンサーのダージン・トクマック氏(Dergin Tokmak)は、圧倒的なパフォーマンスで世界中の人々を魅了し続けている。2016年にスイスで開催されたサイバスロン大会での出会いを機に、ダージン氏と親交を深めてきたHERO X編集長・杉原行里のラブコールによって、今回、2日限りのエクストリームスポーツの祭典「CHIMERA GAMES」への出演が実現した。下半身麻痺というハンディキャップを強みに変えた唯一無二のダンススタイルはいかにして築かれたのか。来日中のダージン氏に話を伺った。

「松葉杖は、僕の体の一部。
より自由に踊るための腕の延長みたいなもの」

ダージン氏がステージに現れると、その場の空気が一瞬にして熱を帯びてくる。異彩を放つ存在感、全身から放たれる力強いエネルギー、繊細な技術によって紡がれる美しい体の動き。それらがみごとに融合したパフォーマンスは、ダイナミックで幻想的。「松葉杖は、僕の体の一部。腕の延長みたいなもの」と言うように、彼の両手に握られた松葉杖は、歩行を補助するための機器というよりは、その卓越した身体能力を拡張させるためのギアといったほうが正しいかもしれない。それら2本のギアを巧みに操りながら、羽根が生えたように軽やかに舞う様は、まさに神技だ。今や『Stix Step』として世界的に知られるダージン氏のユニークなダンススタイルのルーツ、それは彼が12歳の時に出会ったブレイクダンスにあった。

「1980年代、ドイツにもブレイクダンスの波がやって来たんだ。僕もまちのみんなと一緒に踊りたかったけど、恥ずかしくて行動を起こせずにいた。そんなある日、僕のいとこがアメリカ映画『Breakin’(邦題:ブレイクダンス)』のビデオを持って家に来たんだ。その映画を見て、僕は衝撃を受けた。だって、ダンサーのひとりが、松葉杖を使ってパフォーマンスを披露していたから。見終えたあと、いとこは僕に向かってこう言ったんだ。“ダージン、彼ができるなら君にもできる。やってみたら?”って」

「大切な友人であり、いつも僕を勇気づけてくれる兄のような存在」のいとこの言葉に背中を押されて以来、ブレイクダンスに没頭していったダージン氏。地元のダンス仲間と切磋琢磨しながら着実に技を磨き上げていきながら、数々のブレイクダンスのチャンピオンシップで1位に輝き、1992年にはヒップホップ界を席巻した Run- D.M.C のドイツ・ツアーにダンサーとして参加するなど、その才能を遺憾なく発揮していった。

「自分のスタイルを築くまでには、非常に多くの時間を要した。今は、ブレイクダンスだけでなく、マーシャルアーツやコンテンポラリー・ダンスなどさまざまな要素を独自にミックスしている。カンフーからもインスピレーションを得ているよ。松葉杖は、僕にとってヌンチャクみたいなもの。でも、戦うための武器としてではなく、より自由に踊るために欠かせない体の一部であり、遊び心を表現できる大切な道具でもあるんだ」

ブレイクダンスから、
『シルク・ドゥ・ソレイユ』という世界的な新天地へ

突出したパフォーマンスがシルク・ドゥ・ソレイユのディレクターの目に留まり、移動公演「ヴァレカイ(Varekai)」の堕天使・“limping Angel”役に大抜擢されたダージン氏。ヴァレカイは、ギリシャ神話に登場する「イカロスの翼」を基調にした演目で、アクロバット満載のスリリングなステージ。日本人として初めてグラミー賞を受賞したコスチュームデザイナーの故・石岡瑛子氏が衣装デザインを手がけたことでも知られるシルク・ドゥ・ソレイユの名作のひとつだ。

「これまでの僕のキャリア史上、一番の大仕事だった」とダージン氏が話すように、この移動公演は、2004年から2011年までの7年間に渡って、アメリカ、ヨーロッパ、アジア、オーストラリアの4大陸で行われた壮大なプロジェクト。入団するきっかけになったのは、友人からの1本の電話だった。

「正直、その電話がかかってくるまで、シルク・ドゥ・ソレイユのことは知らなかった。“君のパフォーマンスの噂を聞いたサーカス団の人が連絡を取りたがっている。アーティストとしての人間を強調する新しいサーカスで、動物は登場しない。君の連絡先を教えてもいいか?”と。動物のいないサーカス? 少し不思議な感じがしたけれど、逆に興味をかき立てられたんだ」

「その後、すぐに担当者の人から連絡があって、“あなたのプロモーションビデオと履歴書を送って欲しい”と言われた。実はどちらも持っていなかったんだけど、“分かりました。1週間以内に送ります”と答えてから、急いで用意したんだ(笑)。いとこにビデオを撮ってもらって、履歴書を書いてね。どんな答えが返ってくるのか、毎日ワクワクしながら待っていた」

それから時を置かずに、嬉しい知らせが届いた。ダージン氏のプロモーションビデオは高く評価され、シルク・ドゥ・ソレイユが本拠地を置くカナダ・モントリオールで開かれる5日間のワークショップに招待されたのだ。ダージン氏は迷うことなく現地へ飛んだ。ワークショップでは、ブレイクダンスを得意とする彼が、果たしてクラシックな演目を踊ることができるのか、なおかつ5分間のソロ・ショーを演じきることができる資質があるかどうかをディレクターたちは見極めようとしていたという。

「ヒップホップのブームが去ったあと、歌って踊れる5人組のボーイズバンドで活動していたことがあるんだ。その頃は20~30秒の持ち時間で、各自のスタイルを披露することはあったけど、5分間のソロ・ショーは初めてのビッグ・チャレンジだった。シルク・ドゥ・ソレイユはそれをやってみせるチャンスを僕に与えてくれたんだ」

ワークショップでは、“アクセシビリティ”についても話し合われた。数年をかけて世界をまわるロングツアーでは、各地でパフォーマンスを披露すると同時に、その土地に暮らすことになる。シルク・ドゥ・ソレイユにとって、普段、車いすで生活しているアーティストを起用するのは史上初めてのことだったが、どこにいてもダージン氏が快適に過ごせるように、通路の段差をなくし、エレベーターを設置するなど最大限の計らいを実現した。

「彼らは、すべてのアーティストに対して寛容で、絶大なリスペクトを持って接してくれる。就労ビザの取得や英語を修得するためのレッスンなど、演じるために必要なものは何だって寛容に提供してくれた。シルク・ドゥ・ソレイユは、僕にとって、プロのダンサー、アーティストとして大きく成長できた新天地であり、そこで過ごした7年間は今もかけがえのない宝物なんだ」

「50歳になるその日まで、
僕は踊り続ける」

シルク・ドゥ・ソレイユに所属することで得られたメリットは計り知れないが、さらなる高みを目指すためには、その他の世界も知る必要がある。そう考えたダージン氏は、2011年にシルク・ドゥ・ソレイユを退団したのち、あえてどこにも所属しないフリーランスとして活動を続けてきた。次々とやってくるオファーの中から、近年、ドイツでも増えているコンテンポラリーサーカスの特別公演など、自分が情熱を持って関わりたいと思うプロジェクトに参加するスタイルを通してきた。

ここ5年ほどは、松葉杖だけでなく、車いすを使ったパフォーマンスを披露する機会も増えている。といっても、主体的に車いすで踊り始めたのではなく、「車いすを使ったパフォーマンスをお願いしたい」というオファーが年々増えていく中、その期待に応えるべく独自に技を磨いてきたのだという。

「今回の CHIMERA GAMES への出演も、アンリ(HERO X編集長 杉原行里 すぎはらあんり)から、“ダージン、松葉杖ダンスとそのほかに、車いすを使って何かできないか?”という相談を受けた時、“車いすで踊れるよ。問題ないよ”と答えたのが始まりだったんだ。松葉杖にずっと誇りを持ってやってきたし、以前の車いすはクールとはほど遠いイメージだった。でも、テクノロジーの進化とともにどんどん洗練されていき、美しいモビリティのひとつになった。環境の一部として認知されるようになり、人々が車いすに対して持つイメージも大きく変わったと思う」

サーカスを通じて共生社会の発展を目指す
イギリスの『Extraordinary Bodies』

最近では、イギリスに拠点を置くサーカスカンパニー「Extraordinary Bodies」の活動に参画している。障がいの有無にかかわらず、第一線で活躍するパフォーマーやアーティスト、ミュージシャンなど、多様性に富む人たちが革新的なステージを一緒になって創り出すことによって、新しいインクルージョンの普及を目指すプロジェクトだ。Cirque Bijou と Diverse City の連携によって生まれた Extraordinary Bodies のメンバーたちは現在、2020年に開催予定のファースト・ショーに向けて準備を進めているという。

「イギリスでは、障がい者と健常者を分け隔てることなく、多様な人々が対等に関わり合いながら共生するインクルージョンへの取り組みがとりわけ進んでいる。ここを起点に、今後はヨーロッパ・ツアーを行い、そう遠くない将来には世界に広げていきたいと考えている」

今年12月に46歳の誕生日を迎えるダージン氏。40歳前後になると、大半のダンサーは引退し、ダンスインストラクターなどへのキャリアチェンジを図るケースが多いが、「僕は自分のことを先生としては想像できないかも。50歳まで踊り続けたい」とダージン氏は話す。

「50歳になったら、1年間はキャンピングカーでヨーロッパ中を旅しながら、ドキュメンタリー映画をつくりたいと思っているんだ。先のことはあまり計画しすぎず、自由にヒッピーみたいにね。ずっとハードに働いてきたし、1年くらいはフリースタイルでもいいかなって(笑)。未来のことばかりを考えるのではなく、たまには、今現在をもっと楽しまなくちゃね。生活のために一生懸命働くことも大切だけど、ただそこに存在して、まわりにあるものを享受するのも、ひとつの生き方。純粋に生きることを楽しんでみたいんだ」

「Everything is Possible」を
体現するアーティストとして生きていく

「ダンスとの出会いによって、まったく違う世界が拓けた。ありのままの自分を受け入れることができた。踊ることが楽しくて仕方がない。もし僕にミッションがあるとしたら、“すべては可能だということを証明してみせる”こと。僕にとって、体の奥底から湧いてくるエネルギーを見てくれる人たちと共有することは非常に重要。エネルギーをダンスに昇華させることで、自分の体と心が解き放たれると同時に、その空間には一体感が生まれるから」

2010年にスイスのドキュメンタリー映画「The Rising Sun」に出演し、2012年には初の自伝「Stix:My Way to a Dancer on Crutches」を出版するなど、ダンス以外の文化的フィールドでも才能を発揮しているダージン氏だが、「これからも芸術のために生きていきたい。未来の夢は、役者になること。また自分の半生をミュージカルか映画のかたちにして、多くの人に紹介できたらいいなと思っている」と次なる野望を熱く語ってくれた。それが実現する日はそう遠くはないはず。今後もダージン氏の活躍から目が離せない。

webside : www.stixsteps.de
Facebook : https://www.facebook.com/DerginTokmak.stix/
Instagram : Stixsteps
Youtube channel : Stixsteps

[TOP動画引用元:https://youtu.be/OkwCLc85HVY

(text: 岸 由利子| Yuriko Kishi)

(photo: 増元幸司)

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