対談 CONVERSATION

メダリスト達も信頼するシューズ職人、三村仁司。「現代の名工」が語る、日本の医療の問題とは? 後編

吉田直人

1974年以来、高橋尚子、野口みずきといったマラソンの五輪金メダリストを始めとし、多くのトップアスリートのシューズを作り続けてきた、三村仁司氏。2004年には『現代の名工』にも選ばれ、2009年には自身の工房『M.Lab(ミムラボ)』を設立。2018年からはニューバランスとの専属アドバイザー契約を締結。現在に至るまで、シューズ作り一筋だ。身体において“第2の心臓”とも言われる足を見続けて44年。磨き続けた感性は確信へと変わり、トップアスリートのみならず、足に悩みを抱える人々を文字通り足元から支えてきた。そんな三村氏に、パラリンピックアスリートのギア開発にも関わるHERO X編集長の杉原行里(あんり)が、話を伺った。前編では、整形靴の現状、ITでは代用できない感性や “三村イズム” についてお話しいただいたが、後編ではさらに、身体や未来を拡張させる「靴」の存在について、語っていただいた。

を変える前に意識を変える

杉原:僕は、日本は色々な意味で後進的な部分も少なくないと思っています。それは、テクノロジーというよりも、人々の考え方による面も大きいと思う。それが少しでも変われば良いかなと思っているんです。また、僕自身もプロダクトデザインを出発点として、医療に興味を持ち始めた。それこそ今日、三村さんにお会いして、靴や歩き方の重要性を知りました。それも予測医療の一端だなと思っています。これをどのように伝えていくかというのはなかなか難しいんですけど。

三村:昔から言われている通り、『足は第2の心臓』と言われていますからね。その足を支えるのは靴です。その人の足に合うアライメント、固さ、柔らかさというのは、骨格や足の角度の違いに応じて無数のパターンがあるんですよ。本当に自分に合った靴か、それに近いものが見つかれば良いとは思います。実際には、全員がオーダーメイドで作って貰うのは難しいと思いますから。

杉原合っているというのは自分には分かるんですか?

三村:そこまでは分からないですよ。だから、靴を履いていて凄く疲れたとか、痛くなる箇所があったとか、それがなければ、それは自分にとっての良い靴ということになります。それが見つかるまでは、履き比べながら、徐々に自分に合った靴を求めていく。それしかないんじゃないでしょうか。疲れとか、痛みは足から来てますからね。足から膝、腰、背中、肩に来て。そんな風に身体の下から疲れが溜まってくるということは、下を大事にしないといけない、ということですよ。

杉原:じゃあ健康な生活を送るには、まずは靴から変えろと。

三村:靴からというより、足のケアですよね、例えば、アーチの部分は、足では一番疲れが溜まる所なんですよ。疲れが溜まってきたら痛みが出る。それで、病院に行けば「足底筋膜炎だから安静にするように」と言われる。それじゃ今の医学はアカンでしょ。

杉原:医学と三村さんの見解や技術が上手く融合すれば、医療の新たな道が開ける可能性はありますよね。身体の測定とか解析についても、病院同士で連携はあまりできていませんよね?

三村:現時点ではそうですね。

杉原:『医師界』と『リハビリ界』もややこしくて、結局、誰の為の話なのかがよく分からない。個々人では色々頑張っている方もいらっしゃるのかもしれないですけど。例えば、ビッグデータに基づいて薬の処方におけるマッチングを迅速に行うという取り組みもあります。受診に関しても、痛めたり、病気に罹った時に行っても遅いという場合もありますよね。だからこそ自分の身体を知るという考えが一般的になることで、次世代に何か残せるんじゃないかと思うんですね。

三村:そうですね。各自がそういった願望の強い人だったら話も早いわけですが、あなたみたいな人は少ないですよ(笑)。

杉原:それぞれが自分の為だと思ったらやりますよね。例えば、健康体でいるという意識が靴から生まれたら面白いなと思います。

三村:それは靴というより、各自の意識を変えないといかんのではないですか?

杉原:靴はあくまでもツールだと。

三村:そう。手助けをしてくれる、補助するものですよね。

杉原:でも、三村さんの話しを聞いていると、補助というより拡張に聞こえます。

三村は、ある程度、確信を持ったものづくりをしたいから。その為には、自信がなかったらできませんよ。

普通のことを普通にやっているだけ

杉原:東京2020にも、三村さんは関わっていかれるんですか?

三村:そうなると思いますけどね。パラスポーツでも、自分が足を見ている谷口真大というブラインドのランナーもフルマラソンを2時間39分位で走りますから。視覚障がい者のランナーではメダル候補じゃないでしょうか?

杉原:それは三村さんのフィッティングした靴を履いていると。

三村:そうですね。1年に1回位しか計測はしませんが。それでも足の状態は都度変わっているのが分かります。足を見れば良い選手かはすぐに分かりますよ。分からない限りはエエもん作れないじゃないですか。選手にも何も言えませんし。「あなたはここが弱いぞ、ここが悪いぞ」と。だから、靴を作る人は選手の足が分かって当然だと思います。普通のことを普通にやっているだけ。皆さんは凄いと思っているかもしれませんが、選手から見たら、のことは普通だと思っているはずですよ。

杉原:僕らにも三村さんが仰ったことと似た思いがあります。3月のピョンチャンパラリンピックでは、日本が取った10個のメダルの内6個に僕らが関わっています。スタートラインに立つのは僕らではありませんが、選手の力を最大限に引き出すのは、こちら側の責任だと思っています。身体を計測してベストな方法を模索する。僕はまだ何十年も経験があるわけではないので、今はまだ手探りです。でも、少しでも人間の感性というものをデータ化できたら、次の世代に渡せるものになるんじゃないか、とも思っています。

三村:「後世に渡す」。それはアホなにはできないからね(笑)

杉原:何言ってるんですか(笑)。シューフィッティングの技術で、三村さんの思い描く測定とか、解析ができる仕組みが生まれると良いですよね。僕もレース用車いすで世界最速を目指しています。1人の選手は54歳なんですが、人は歳をとれば衰えていくと思われているところを、ちょっと変えてみたいなと思っているんです。

三村:そうですね。それは私も思っていますし、できる限り後世の役に立ったら嬉しいですよ。やる気の問題ですから、そういう気持ちをずっと持っていない限り変わらないと思いますし、夢はいつも持っておかないとね。

杉原:是非いつか僕の靴を作ってください!

三村:お待ちしています。

前編はこちら

三村仁司(Hitoshi Mimura
1948年兵庫県生まれ。学生時代に陸上選手として活躍後、1966年国内スポーツブランドに入社。シューズ製造に携わり、1974年からはアスリート向けの別注シューズ製造をスタートする。2009年より自身の工房「M.Lab(ミムラボ)」を立ち上げ、これまでに様々な分野のトップアスリートたちのシューズ・インソール開発に携わり彼らの大舞台でのチャレンジをサポートし続けてきた。2004年厚生労働省「現代の名工」表彰、2006年黄綬褒章を受章。201811日よりニューバランスと「M.Lab」がグローバル・パートナーシップを締結。専属アドバイザーに就任。

(text: 吉田直人)

(photo: 増元幸司)

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対談 CONVERSATION

「OTOTAKEプロジェクト」鼎談前編 乙武氏が“悔しい”と語った理由とは?

宮本さおり

あの乙武氏が二足歩行に挑戦している。その名も「OTOTAKEプロジェクト」。すでに、電動義足を使っての歩行訓練がはじまっているが、今回は同プロジェクトで挑戦中の乙武洋匡氏と、技術面でそれを支える遠藤謙の両氏の元を編集長・杉原行里が訪ねた。

二足歩行の難しさを実感

杉原:今日、ようやくこの鼎談が実現しました。実は僕は遠藤さんが電動義足の開発をはじめた頃から乙武さんのお名前を聞いていたので、この日を心待ちにしていたんです。実際に「OTOTAKEプロジェクト」がスタートして、両脚で10キロほどある電動義足で練習をされていますが、順調に進んでいますか?

乙武:決して順調とはいえない状況です。実際にやってみて初めて私の体の特殊な部分が分かってきたということもあります。実はこんな壁があって、じゃあこの壁はどうやって超える?というような課題がゴロゴロと転がってくるんです。

遠藤:このプロジェクトで乙武さんが生まれて初めて二足歩行することになって、我々はようやく二足歩行がどれだけ難しいものなのかということに気付かされました。まだ最初の段階ですが、いかに難易度の高いことに挑戦しようとしているのかということを認識したところです。

杉原:確かに二足歩行の難しさというのは、ロボット業界では誰もが口にすることですよね。

乙武:3月まではモーターが搭載された義足を使用していたものの、そのモーター機能を全く活かせていませんでした。更に、膝をロックした状態でしたので、いわゆる棒状の義足での歩行練習でした。そしてこの4月から膝のロックを解除して、膝が曲がる状態での歩行練習を始めたばかりで、これである程度のレベルまで歩けるようになったら、ようやく本来のプログラムの肝であるモーターを作動させての歩行練習ができるようになる。まだそこまでたどり着けていないというのが正直なところです。分かりやすく言うと、スマホにたくさんの便利な機能が備わっているのに、“ごく一部しか使い熟せていない”、といったような感覚です。

遠藤:乙武さん本人はまだまだ難しいと仰っていますが、今年の3月から比べると、かなり変わってきているんですよ。将来は街中で歩けるようになるっていうところまでは見えてきています。

杉原:では今は、スマホを手に入れて、ひとつひとつアプリの使い方を覚えているという段階ですね。これからの進化が益々楽しみです。

乙武:そうですね。最近は義手や義足に対する私自身のイメージも変わってきました。

私は四肢欠損という障がいで生まれてきて、これまでは“欠損”=マイナスポイントだと思っていたのが、いまは“欠損”ではなくて“余白”という考え方ができるようになった。“余白”だからこそ何かに置き換えられる。健常者は、四肢を何かに置き換えるということはできないけれど、四肢欠損の障がいを持つ人は、四肢の全てを何かに置き換えることができるんだと思えるようになってきたんですよ。これからは社会的なイメージも変わってくれたらいいなと思っています。

杉原:僕も全く同じ思いです。まさに“選択の余白”ですよね。乙武さんには将来、部屋にズラッと義手・義足を並べて、TPOに合わせて今日はどれにしようか、という“選択”ができる日が来るかもしれないということですね。

乙武:このプロジェクトに途中から加わってくださった理学療法士の方は、このプロジェクトがきっかけで、更に向上したい、研究に力を入れていきたいという気持ちが強くなって、大学院に行くことにしたと聞きました。それを聞いて、私はすごくうれしかったんです。人を蹴落として自分がのし上がっていくというような、私たちがイメージしがちないわゆる“野心”ではなくて、遠藤さんがよくおっしゃっているんですが、“適切な野心”を持っている人が、このプロジェクトには必要なんですよね。自分が持ちうるものを全て注ぎ込むことで、結果的にそれを自分のステップアップに繋げてチャレンジしたいと思ってくれた彼のような人が現れてくれたことは、本当に嬉しいですよね。

杉原:このプロジェクトを契機に自分なりのゴールを見つけてほしいということですよね。

乙武:今回のプロジェクトでは、遠藤さんはエンジニアというスペシャリストであり、プロデューサーという立場でもあるので、みんながそれぞれ遠藤さんの描いた地図の上で動いている。私はもちろんですけど、チームのみんなが遠藤さんを信頼してやっています。

遠藤:ありがとうございます。嬉しい言葉ですね。私は今とにかく楽しい!本当に楽しんでやっています。最近やっと自分の居場所を見つけられたような気がしているんです。

乙武:「OTOTAKEプロジェクト」に対する遠藤さんのひと言が“楽しい”だとするならば、私は“悔しい”ですね。メカニカルな部分は整えていただいているので、あとは私の歩行待ちというところまできていますからね。今は私のところでストップしてしまっている。だから私のひと言はやっぱり、“悔しい”なんですよね。

後編へつづく

乙武洋匡
1976年4月6日生まれ。大学在学中に出版した『五体不満足』がベストセラーに。卒業後はスポーツライターとして活躍。その後、教育に強い関心を抱き、新宿区教育委員会非常勤職員「子どもの生き方パートナー」、杉並区立杉並第四小学校教諭を経て、2013年2月には東京都教育委員に就任。教員時代の経験をもとに書いた初の小説『だいじょうぶ3組』は映画化され、自身も出演。続編小説『ありがとう3組』も刊行された。おもな著書に『だから、僕は学校へ行く!』、『オトことば。』、『オトタケ先生の3つの授業』など。2014年4月には、地域密着を目指すゴミ拾いNPO「グリーンバード新宿」を立ち上げ、代表に就任する。2015年4月より政策研究大学院大学の修士課程にて公共政策を学ぶ。

遠藤謙
慶應義塾大学修士課程修了後、渡米。マサチューセッツ工科大学メディアラボバイオメカニクスグループにて、人間の身体能力の解析や下腿義足の開発に従事。2012年博士取得。一方、マサチューセッツ工科大学D-labにて講師を勤め、途上国向けの義肢装具に関する講義を担当。現在、ソニーコンピュータサイエンス研究所アソシエイトリサーチャー。ロボット技術を用いた身体能力の拡張に関する研究に携わる。2012年、MITが出版する科学雑誌Technology Reviewが選ぶ35才以下のイノベータ35人(TR35)に選出された。2014年ダボス会議ヤンググローバルリーダー。

(text: 宮本さおり)

(photo: 増元幸司)

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