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元F1ドライバー、アレッサンドロ・ザナルディ 世界的ヒーローが歩んだ七転八起の半生【Alessandro Leone Zanardi】

岸 由利子 | Yuriko Kishi

モータースポーツが好きな人なら、彼の名を知らない人はいないだろう。元F1ドライバーで、米国のCARTシリーズ(現・インディカ―)では、イタリア人初の快挙となる2大会連続王者を獲得するなど、輝かしい功績を持つアレッサンドロ・ザナルディ。両足切断から16年、パラ自転車競技“ハンドサイクル”の選手に転向して以来、飛ぶ鳥を落とす勢いで世界の頂点に上り詰めたザナルディ。今回はその軌跡を辿ります。

原点はF1。CARTで無敵の連勝、アメリカで愛される陽気なイタリアン

ロンドン・パラリンピックのH4ハンドサイクル・タイムトライアル、ハンドサイクル・ロードレースの2種目で金メダル、ハンドサイクル・チームリレーで銀メダルを獲得。続く2016年リオパラリンピックでは、H5タイムトライアルとハンドサイクル・チームリレーの2種目で金メダル、ハンドサイクル・ロードレースで銀メダルを獲得。通算4つの「金」と、2つの「銀」を手にしたアレッサンドロ・ザナルディは、今や、誰もが認めるパラ競技界のヒーロー。しかし元を辿れば、1991年スペインGPで新興チーム「ジョーダン」から参戦を果たした「F1」こそが、彼の原点でした。

ロータス、ミナルディなどいくつかのチームへの移籍を繰り返し、F1には1994年まで参戦。1996年より、活躍の場をアメリカのCARTシリーズに移し、強豪チーム「チップ・ガナシ」のドライバーとして新たなスタートを切ったザナルディ。初年度よりランキング3位を獲得し、1997年には5勝、1998年には7勝と、まさに怖いもの知らずの強さで2年連続チャンピオンに輝き、サービス精神旺盛で陽気なキャラクターと、それとはうらはらな脅威の速さで、アメリカ人ドライバーを凌ぐスターダムにのし上がります。

何らかのアクシデントにより、スタートで大きく出遅れたにも関わらず、コース上でさらりと抜き返し、優勝してしまうザナルディ。「もはや意味不明」と専門誌の記者を唸らせるほど、CARTシリーズで圧倒的な強さを保持していました。その活躍が高い評価を受け、1999年に「ウィリアムズ」からF1に復帰するも、入賞のチャンスには恵まれず、1年の休暇を経たのち、再び2001年よりCARTシリーズに参戦します。

大事故で両足切断から2年、燃えたぎる情熱でレースに本格復帰

しかし、ここでもまた思うような結果が出せず、苦戦していたところ、同年の9月15日、ドイツのラウジッツで開催された第16戦では、序盤からトップを順調に走行し、優勝が目前に迫っていました。そして、残りわずか16周となった時、その事故は起きたのです。依然として、トップ走行中のザナルディのマシンが左を向き、バランスを崩した瞬間、後続車がモノコック側面に時速320kmで追突し、2台は大破。

ザナルディは、出血多量で生命の危険にさらされましたが、一命を取りとめるも、激しい損傷を受けた両足は、膝上で切断せざるを得ませんでした。
しかし、その後も、レースにかける情熱は留まることを知らず、事故から2年と絶たない2003年に、ハンドドライブ仕様のツーリングカー選手権でレースに本格復帰を果たします。

2005年より「WTCC(世界ツーリングカー選手権)」にBMWから参戦し、8月にはかつての事故が起きた国、ドイツで開催されたレースでみごと初優勝を成し遂げます。その後、5年間参戦したレースでは、毎年優勝を飾った大戦士・ザナルディ。その名は世界に広く知れ渡り、モータースポーツファンの心を鷲づかみにしました。

「自分の人生は果てしなく恵まれていると感じる」

しかし、長くは一所に立ち止まらないのが、彼の性。レースの頂点を極めた後、次なる頂点をすでに目指していたのです。

2009年、レーシングドライバーを引退したザナルディは、息つく暇もなく、ロンドン・パラリンピック出場とメダル獲得をめざして、自転車競技のハンドサイクリング選手に本格的に転向します。引退する数年前から、WTCCと並行して、密かにハンドサイクルにも取り組んでいたという努力の人は、2010年3月21日にローママラソンのハンドサイクリング部門で優勝を飾るなど、めきめきと頭角を現していきました。

ロンドンに続き、昨年のリオの2大会を合わせると、4つの金メダルと、2つの銀メダルを獲得するという偉業を成し遂げたザナルディ。リオパラリンピックのH5ハンドサイクル・タイムトライアル競技で優勝した後、英国BBCに次のように語っています。

「わたしの事故、わたしの身に起きたことさえ、人生における最大のチャンスとなった。今していることのすべては、わたしの新しい状況に関連している」

「助けが必要だった。だからそれが最優先事項だった。1日1日、コントロールと体力を取り戻し、自信を取り戻し、違うことに集中できるようになり、そして今のわたしがある」

F1ドライバーからスタートしたザナルディのキャリアは、CARTドライバーとの間を行き来し、七転八起を繰り返した末、ハンドサイクルという境地にたどり着きました。ここ30年近くの間、いくつもの奇跡を起こしてきた彼はこう言っています。

「とても幸運だと感じている。自分の人生は果てしなく恵まれていると感じる」

“一念岩をも通す”を地で行く自転車アスリートの強靭なスピリットと、そのダイナミックな生き様は、これからも世界中の人々に勇気と感動を与え続けることでしょう。昨年、東京2020の出場について聞かれた際、「その時は53歳。多分メカニックとして参加するんじゃないかな」と答えていますが、実際はどうなのか?今後の動向にも注目していきます。

アレッサンドロ・ザナルディ ウェブサイト
http://www.alex-zanardi.com/

アレッサンドロ・ザナルディ FACEBOOK
https://www.facebook.com/alexzanardiofficial/?fref=ts

[引用元]http://www.alex-zanardi.com/

(text: 岸 由利子 | Yuriko Kishi)

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渋谷のど真ん中に陸上トラックが出現!60m世界最速は誰だ!?

中村竜也 -R.G.C

11月5日の日曜日、渋谷駅へと向かうファイヤー通りに、突如60mの陸上トラックが現れ、行き交う人々を驚かせた。渋谷芸術祭2017「渋谷シティゲーム〜世界最速への挑戦〜」と題し、8年間破られていない世界記録の6.39秒にトップ義足ランナーがチャレンジすることを目的に、渋谷区とSONYの協力のもと開催されたこのイベント。

休日の昼間の開催ということもあり、多くの通行人がこの非日常の光景に驚きながらも、好奇心にあふれた顔で、これから始まる歴史的な瞬間の目撃者となるべく足を止め楽しむ姿がとても印象的であった。

オープニングセレモニーでは、発起人のソニーコンピュータサイエンス研究所 リサーチャーで、Xiborg代表・遠藤謙さんをはじめ、HERO Xでの編集長対談(http://hero-x.jp/article/2122/)にもご登場いただいた、渋谷区の長谷部健区長やタレントの武井壮さん、為末大さん等のトークで会場を温めながら、オープニングランがスタート。

普段からこの界隈をランニングしている、スターターを務めた武井壮さんは「なぜ僕が走らせてもらえないのか!」と冗談交じりに話し会場を盛り上げた。

為末大さん、義足ランナーの山下知恵さん、長谷部区長でのオープンニングラン

この日のメインレースは、100m(10秒61)、200m(21秒27)、そして60m(6秒99)の世界記録保持者、リチャード・ブラウン選手(アメリカ)、今夏の世界パラ陸上選手権大会200m金メダルのジャリッド・ウォレス選手(アメリカ)、リオパラリンピック100m銅メダルのフェリックス・シュトレング選手(ドイツ)の3人による「世界最速60m義足レース」。

レース前からすでに、3選手が出すオーラが会場を飲み込み、張り詰めた雰囲気に。そのせいからか、フェリックス・シュトレング選手がウォームアップ中に大きく転倒し怪我が心配されたが、無事にレースに参加でき、肩をなでおろした。そしていよいよ緊張のスタート。

左からジャリッド・ウォレス選手、リチャード・ブラウン選手、フェリックス・シュトレング選手

レースは終始、60m(6秒99)の世界記録保持者、リチャード・ブラウン選手が先行しながらも接戦の中ゴール。記録は7秒14と、残念ながら世界記録には及ばなかったが、世界のトップアスリートが風を切りながら走るそのスピードと迫力に、会場は大きな歓声に包まれていた。

その他にも、日本が誇るパラアスリートの佐藤圭太選手、春田純選手、池田樹生選手の3名によるエキシビジョンランや、一般参加者の子供や学生のレースも行われ、盛り上がりの中イベントは幕を閉じた。

スポーツをエンターテイメントへと昇華させるべく、この歴史的なイベントを開催した、遠藤さんはこう話す。

「本当に選手が輝く瞬間というのは、実際に勝負が掛かったレースの時だと思うんです。その瞬間を渋谷のど真ん中で出来たというのは、本当に歴史的なことだと思います。勝ったリチャード・ブラウンの喜び方や、負けた選手の滲み出る悔しさ。あれこそがリアルでありスポーツの素晴らしさなんです。」と普段冷静な彼が興奮気味に語ってくれた。

健常者だから、障がい者だからとかではなく、そこにいた誰もが圧倒的なエンターテイメントを陸上というスポーツを通して体感できたこのイベント。開催までの道のりを考えると、容易でなかったことも想像できる。だからこそ世界の中心地である渋谷という街でやることに意味があったのだろう。これを機に、日本各地でこのようなイベントが派生的に開催され続けたら、東京2020の成功に繋がるかもしれないと感じた。


(text: 中村竜也 -R.G.C)

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