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将棋で鍛えた“深さ”と“速さ”のバランス──独立独歩で進むアスリート、成田緑夢の今

吉田直人

昨年3月、卓越した身体能力とチャレンジ精神を武器に、ピョンチャンパラリンピック・スノーボードで2つのメダル(バンクドスラローム:金/スノーボードクロス:銅)を獲得した姿は記憶に新しい。成田緑夢選手(以下:成田選手)にとって、昨シーズンは最高の形で幕を閉じた。次なる目標に舵を切った彼は、ピョンチャンの余韻冷めやらぬなか、冬季パラ競技からの引退を宣言。さまざまな競技体験を経て、2018年11月に東京2020をパラ陸上走り高跳びで目指すことを発表した。2020年まで1年半。夏冬のオリンピック・パラリンピック出場を目標とする成田選手の競技に取り組む姿勢に迫った。

方針決定。第一歩は“5千回”

ピョンチャンパラリンピック後の冬季パラ競技引退を機に、スポンサー契約を見直した成田選手は現在はフリーとなっており、コーチを付けず独立独歩でトレーニングを行っている。2018年にはカヌー、ボート、射撃、馬術、陸上などを経験しながら、東京2020に向けてフォーカスする種目を吟味した。

最終的に走り高跳びを選択したのは、自身の能力と経験を鑑みてのものだ。成田選手は、以前からスノーボードと平行して、東京2020を念頭におき、陸上にも取り組んでいた。その種目のひとつが走り高跳びだった。公式記録を有していることから、東京2020へ出場する最短距離と判断し、選択したというわけだ。

12月下旬の取材当日、都内某所のトレーニング場に姿を現した成田選手は、走り高跳び用のマットを引っ張り出し、バーを設置すると、おもむろに2回跳躍した。

「“5千回”の成果はこれですね。1回目の跳躍が以前の跳躍で、2回目が今の跳躍。後者の方が下半身がしっかり浮いているのがわかると思います」

成田選手は11月下旬、ひとつの目標を宣言していた。

「高跳びのバーを5千回乗り越える」

目標達成の期限は2018年12月16日。成田選手は以前から、自身の目標を期限付きで設定し、『誓約書』を書くという作業を繰り返してきた。達成した目標は、誓約書にして数百枚。その際、「達成できなければ、丸坊主になる」という条件を自らに課す。なぜ5千回なのか、という問いには、「なんとなくですね」と笑う。この日の成田選手は、無論、丸坊主ではなかった。

目標宣言から約20日間。毎日のように、体力の限界までバーを跳び続けていたという。とはいえ、闇雲に跳んでいるわけではない。

「僕は“無駄な一手”は打ちたくないんです。考えた時間に比例して、人は進歩する。だから、5千回意味のある跳躍をしなくてはいけません。今回に関して言えば、(跳躍して)空中にいる時のエネルギー研究がテーマでした。跳び続ける中で、目線、手や頭部の位置を変えてもなかなか納得のいく跳躍ができませんでしたが、最終的に腹部の重心移動に意識を向けるスタイルに落ち着きました」

幼い頃からスポーツにおいて父親の英才教育を受けてきた成田選手は、2013年、フリースタイルスキーのハーフパイプで世界ジュニア選手権の頂点に立ち、五輪出場をうかがっていた矢先、トランポリンのトレーニング中の事故で左足腓骨神経麻痺を負った。

左足膝下の感覚がない、いわゆる『機能障がい』という状態のため、パラリンピックを制したスノーボードでは、左足に硬い材質のブーツを履き、ターン時には左膝をウェアの上から握りながら、微妙な力の加減で身体のバランスをコントロールする工夫を施してきた。陸上では、左足首をテーピングで固定し競技に臨んでいる。ただ、走り高跳びにおいては、左足の状態を加味した跳躍の工夫は現段階では考えていないという。

「今までは助走や跳躍ではなく、空中姿勢を意識してきました。要するに“詰め”の部分ですね。僕はトランポリンなどの経験から、空中での身体感覚には自信があるんです」

将棋を通じて学んだもの

成田選手の強みは、“越境する力”とも言える。一見して関連性がなさそうに見えても、本質的に目標達成に必要な物事を見極め、積極的に取り入れるという姿勢だ。「無駄な一手」や「詰め」といった言葉にもあるように、成田選手はここ最近、「先読みの質」や「選択の質」の向上のために将棋をたしなむようになった。一時は東京・千駄ヶ谷にある将棋会館にも通っていたほどだ。「目の前の一歩に全力で」というのは、しばしば成田選手が口にする自身のポリシーだが、メディアの取材に対しても「“一歩”の選択肢が広がった」と将棋による影響を語っている。

将棋における終盤の力を磨くためのトレーニングとして始まり、今ではひとつのゲームとして確立している『詰将棋』というものがあるが、成田選手にいわせれば、走り高跳びで現在取り組んでいる領域が、まさに詰将棋にあたるという。

「将棋には序盤、中盤、寄せ(終盤)とあって、いずれも大事ですが、最終的には詰将棋ができなかったら勝てないわけです。だから今はガンガン詰将棋をやっているような感覚。5千回もやれば、詰め方のパターンも自ずと分かってくるんです。高跳びに置き換えると、次のステップとしては、助走(序盤)や跳躍(中盤)の動作をそれぞれ反復することを考えています」

他方で、最近では「読みすぎることのデメリットも感じるようになった」ともいう。

「将棋から一手の大切さを学びながらも、思考の深さと行動の速さのバランスをとる必要性に気づいたんです。今までは目の前の選択肢が生まれた瞬間に一手指していました。将棋を始めてから、他の選択肢を思考できるようにはなったのですが、考えすぎて逆にスピード感が落ちてしまったように感じていて。選択肢を複数浮かべて、最善の判断を素早くすることが大切だと感じています」

自発的挑戦が生み出す強さ

「一手を大切にする姿勢は、そのまま人生にもつながる」と成田選手は語る。

「課題を乗り越えるためには、目の前の一歩を無駄にはできないんですよ。自分の場合は、人生とリンクしているものとしてスポーツがありますが、スポーツの場合は自ら課題を設定してそれを乗り越えていくわけです。それに対して人生における壁は突発的に現れる。スポーツを通して普段から課題を乗り越えるトレーニングをしておけば、壁にぶつかっても怯むことはありません」

冬季パラリンピックを優勝という形で終えたものの、「夏冬オリンピック・パラリンピック出場」という規格外の目標を踏まえると、今はまだ道半ばだ。彼にとってのキーワードは「挑戦」。挑戦の中から工夫が生まれる。しかしそのマインドは、受傷する前はあまり持っていなかったという。

「怪我をしてスポーツを一度やめた後、自ら再開しました。以前は、父親というコーチの元で義務感を感じながら練習をしている感覚もありましたが、今では自分で考えて取り組むことができている。要は、プロセスを楽しむことが重要なんですよね。課題に挑戦している自分を見るとワクワクします」

現時点での走り高跳びの自己記録は1m80cm。パラリンピックで活躍するレベルまで到達するには約20cmの開きがあり、乗り越えるべき課題は多い。「高跳びは練習しても記録が伴わない場合もある」と競技特性上の難しさも心得ている。

とはいえ、成田選手にとっては、過程にハードルが多いほど楽しむことができるのかもしれない。誓約書にしたためた目標に向けて、境界を越えた試行錯誤を重ねた先に、軽々とバーを飛び越える姿を見ることができるはずだ。

一手一手を吟味し、迅速にアクションに転じる。2020年までの1年半を、成田緑夢は盤上の駒を動かすように過ごしていく。

成田緑夢 (なりたぐりむ)
大阪府大阪市出身、1994年2月1日生まれのプロアスリート。フリースタイルスキー、スノーボード、トランポリン、陸上選手。小学校時代からスノーボードの国際大会に出場。16歳で高難易度の技を決める技術を持ち、トランポリン競技でも功績を納める。18歳からフリースタイルスキー (ハーフパイプ) を始め、世界選手権の日本代表に選出される。19歳の時にトランポリンの練習中の事故により左足の腓骨神経麻痺の重傷を負うが、障がいを克服してハーフパイプ競技に復帰。2018年3月の平昌パラリンピックでは、スノーボードクロスで銅メダル、スノーボードバンクドスラロームにおいて金メダルを獲得した。その後、スノーボード競技からの引退を発表。東京2020大会では、陸上の走り高跳びでの出場を目指している。

(text: 吉田直人)

(photo: 増元幸司)

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東京2020で世界を変えろ!53人の高校生が挑む、価値観の変革

宮本さおり

2月、外の寒さとは裏腹に、教室の窓は彼らの熱気で曇っていた。東京都北区の私立女子聖学院と聖学院の学生有志53人が東京パラリンピックを盛り上げようと応援動画の制作をはじめている。「世界を変えるデザイン展」実行委員長も務める株式会社Granma代表の本村拓人氏に講師を依頼、「東京パラリンピックプロジェクト」として2つの学内で動き出した。

パラがオリンピックを凌駕する世界。
きっかけは女子聖学院教諭が作った一枚の募集チラシだった。

「なぜパラリンピックなのか。想像してみてください。もし、障がいを抱えた人が取り組むスポーツ大会パラリンピックが、オリンピックを凌駕するほどの迫力と盛り上がりを見せたとき、社会はどう変化しているでしょう?「みんな同じ」の窮屈でのっぺらぼうな社会ではなく、互いの「違い」を活かし合い、新たな価値を創造している社会、面白いと思えませんか?」この呼びかけに集まったのが女子27人、男子26人の高校生(男子は一部中学生含む)たち。自主的に集まってきた彼らの熱量は大人をまさに“凌駕”するものとなっている。

「今までにパラ競技を見たことがある人」との問いに手を挙げる生徒たち

本村氏も関わる東京都が実施する「TEAM BEYOND」の企画に参加していたこの教諭が生徒たちにも経験させてみたいと同プロジェクトを発案、上記のチラシを作成したのだ。昨年秋から準備会をスタート、各パラスポーツの協会にコンタクトを取ったり、両校の父母会の知人などツテを頼り取材先を掘り起こした。今年に入り水泳、アーチェリー、柔道、車いすバスケット、陸上といったパラアスリートにインタビューを実施、その時に受けた印象や撮影した写真を基に応援動画を制作するという。普段は女子校、男子校として学校生活を送る両校だが、同プロジェクトは男女合同で取り組んでいる。パラリンピック選手への取材は男女合わせて5、6人が1チームとなり行った。この日はインタビューで得た情報を基に、動画のプロトタイプ制作に取り組んだ。

時間を投資することからはじまるボランティア

「世界を変えるデザイン展」実行委員長の本村拓人氏

本村氏は冒頭で彼らにこんな言葉をなげかけた。

「ピョンチャンが開幕したけれど、現地ではボランティアが集まらないという話も聞いています。オリンピックでもそうですから、パラはもっとかもしれない。2020にはこのオリンピックが日本にやってきます。東京に住んでいる僕らには責任がある。ボランティアは思いがなければできない。大会を“すばらしい”と思った人しかできない。パラは特に人気がないので、そんな力を必要としている。みんなの熱気を大人たちに届けて、世間の目をオリンピックだけでなく、パラリンピックに向けさせて行こう!」。

授業後の時間を費やして頑張る姿に本村氏自身、動かされた大人のひとりだ。「彼らはパラのために時間を投資してくれている。事前準備もしっかりやってくるし、創造力も豊か。レベルがスゴイ」できあがった動画を「世界を変えるデザイン展」で発表する他、東京都にかけ合い、正式なPR動画として使えるように働きかけていくと言う。

インタビューで見聞きて気づいたこと、感じたことについて話し合いを持つ生徒ら

本村氏からの言葉をうけた生徒たちはさっそくグループに分かれて討議を重ねた。2時間にわたるディスカッション、だれも休憩をとるものはいない。インタビューで印象に残った言葉やはじめて知ったことなどノートびっしりと書きとめたものを次々とホワイトボードにまとめていく。

まさかのCMからアイディアは湧きおこる

「楽しそうだった」「勝つことにこだわっていない」「健常者も一緒にできる競技があることを知った」ホワイトボードにはさまざまな言葉が並んでいく。しかし、なかなか動画にするイメージが湧かない。するとすかさず本村氏からアドバイスが入る。まずは真似ることからはじめてみてはと言うのだ。「自分たちが印象に残るCMを思い出してみて、なぜそのCMが印象に残ったのか、要素を抜き出せ」と指示が飛ぶ。

「アップルだってはじめは真似からはじまった」とヒントを与える本村氏

「ヒノの二トン」「犬がライオンにされちゃうアマゾンのCM」「タラタタッタタのハセコーのCMが面白い」生徒たちのツボはそれぞれ違うようだが、頭に残るCMの要素は共通する部分もある。ギャップ、リズミカル、静と動の組み合わせ、繰り返し、似ているワードを上手く使う、意味深なオチ…

動画のイメージを膨らませる

抜き出した要素を基に自分たちのオリパラ応援動画のイメージを膨らませていくのだ。

「健常者と一緒にできるスポーツがあるなら、健常者がやっていると思ったらアレ、パラ選手なの!?みたいなのはどうだろう」「コミカルな要素もほしいよね」「ツイッターとかLINEとか、俺らには身近なものだから、そういうのの画面にまず“ナニこれ”みたいな文字が来て、動画が載ってて、見てる高校生が“スゲー”っていうのとかは?」などなど、アイディアは次々と湧き出ていた。

ボーダーレス社会のバトンを若者に

プロジェクトを発案した女子聖学院 加納由美子教諭(中央)と一緒にプロジェクトに参加することにした聖学院 児浦良裕教諭(左)

このプロジェクトを考案した女子聖学院の加納由美子教諭は「普通」を壊す経験から学ぶことは多くあると話す。「バリアを壊すとか、価値観を壊すことはどこにいっても役立つ力になると思います。いろんな角度から物事をみることができるようになる。生徒たちはこれから色々な道に進むわけですが、こうした視点のある人は社会に出た時により多くの人を幸せにできると思うし、そういう社会になるように働きかけていくと思います」。ボーダーレスな社会に向けての教育が叫ばれる昨今、ボーダーレスとはいったいなんなのか?同プロジェクトはそんな根本的な問いに向かい合う機会ともなっている。東京パラリンピックの成功は、誰もが暮らしやすい国になるための偉大な一歩、大人になる彼らにバリアフリー社会のバトンをわたす大きな役割を担っているとも言えるだろう。

(text: 宮本さおり)

(photo: 増元幸司)

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