対談 CONVERSATION

「HERO Xに、人を変える力はありますか?」 “ROCKET”の精鋭2人が編集長に逆取材!【異才発掘プロジェクトROCKET】Vol.4 後編

中村竜也 -R.G.C

日本財団と東京大学先端科学技術研究センターが共同で進めている異才発掘プロジェクト“ROCKET”。これまでも当媒体で何度か取り上げているこのプロジェクトは、現状の教育や環境に馴染めない、あるいは、物足りなさを感じている「ユニーク」な子たちを支援する取り組みだ。彼らの中には、何かしらの突出した能力を持つ子が少なくない。今回はプロジェクトの実施者から、そんなROCKETメンバーに「インタビューをしてみないか」と提案してみた。前半では、「なぜこの媒体を始めたのか」との質問に、全力で返答をした我らが編集長。後半も思いもよらない方向へと話は進んでいくことになる。

インタビューをしてくれたのはROCKETプロジェクトの一期生、大阪市在住・山下泰斗くん(以下、山下くん)と、ベトナム在住・野中宏太郎(以下、野中くん)の2人。前半では山下くんお手製のロボットが登場、塗装談義に花が咲いたが、そこから派生し、「持てる能力を他のことにどう活かそうかと試行錯誤していた」と話す編集長。その後に2人から最初に出された質問は「それはどういった職業ですか?」というもの。彼らの興味の矛先は縦横無尽に飛び出してくる。

杉原:まず考古学者。

一同:(笑)

杉原:考古学者って浪漫がある仕事だと思いません? それと弁護士、新聞記者、宇宙飛行士、デザイナー。

山下くん:弁護士、考古学者、新聞記者、デザイナーって(笑)。

杉原でも一番なりたかったのは、なんとF1ドライバー(笑)。ふざけているのか、と思われるかもしれないんだけど、実は小さい頃から憧れていた職業をまだすべて諦めていなくて。どういうことかというと、HERO Xが新聞記者。F1ドライバーは無理だけど、それに携わる会社としてRDS。宇宙飛行士は、HAKUTOという月面探査のプロジェクトに関わっているから実現しているかなと。考古学と弁護士はまだだけど、いずれはと、僕の夢はまだまだ続いているんだ。

山下くん:素晴らしいとしか言えません。

野中くん:僕は今、ホーチミンのインターナショナルスクールに通っているのですが、杉原さんも15歳の時にイギリスに渡って勉強をしたと聞いています。渡英が人生の転換期となったと伺いましたが、具体的なエピソードはありますか?

杉原僕は、英語が全く話すことの出来ない状況で全寮制の学校に留学しました。当たり前のことですが、英語が話せない時点で、みんなとコミュニケーションが取れない。プラス、山下くんのように模型作るのが得意とか、絵が上手いといった特技もなかった。だから友だちを作ることがすごく難しかったんです。決して人種差別ではないんだけど、難しい状況からどう這い上がれるのか、というのをその時に学びました。

野中くん:その状況を乗り越えようとした時に、キーマンはいましたか?

杉原キーマンはもうひとりの自分。例えば、何か物事を決めたり、何かをやらなくてはいけない時に、楽な方へと行こうとするダメな自分がみんなにもいますよね。アイツに勝つのって結構大変なことだと僕は思っていて。

野中くん、山下くん:すごく分かります!

杉原英語も下手で、プライドも傷つくし、本当は会話の意味なんか分かっていないのに嘘笑いしている自分がすごく嫌で。でもその時に僕は、まず逃げずに部屋から出て行く努力をしたんだ。もうひとりの自分は、部屋にこもって本でも読んでいれば、恥をかくことも、傷つくこともないぞって、自身に語りかけていたのをすごく覚えています。でも、僕はアイツと戦って、勝てた。

そういった体験から、家族でもある寮生の一員になれたのだと、今でも思っています。そして、その時の仲間とは今でも当時のような関係を築けている。だから今ベトナムで学生生活を送っている野中くんの苦労は、間違いなくこれからの人生においてもかけがえのない財産になるはずだと僕は思います。

これは、2人に伝えたい事なんだけど、まさに今の2人の世代である15、16、17歳の時にどれだけ勝負したかが今後の人生を大きく左右するので、いい意味で思いっきり暴れて欲しいと。20代はなんとかごまかせるんだけど、この年齢での経験が跳ね返り始めてくるのが30代からだから。

野中くん、山下くん:分かりました。ありがとうございます。

一端途切れたインタビューだが、続いて全く違う角度の質問が繰り出された。そしてそれは、大人のわれわれが唸るようなものだった。

発想の転換が日本の未来を切り拓く

山下くん:では次は僕から質問させてください。東京2020年に向けて日本社会も革新がされようとしていますが、その後のビジョンがあまり語られていないような気がします。そこを含めた技術革新についてどのような考えをお持ちですか?

杉原:まず企業に関して言えば、2020年以降も間違いなく各々が持つ技術を革新していくはず。でも、ワールドカップもそうだしオリンピックもそうですが、あんなにあったはずの熱が一瞬で冷める、そんな国民性が日本にはあるように思うので、まさに山下くんが言っているように、ちょっと不安だなとは感じています。1964年の東京オリンピック時は、新幹線が開通し首都高速が完成したりと、高度成長期に合わせ色々なモノやコトが刷新された時代だったけど、今回の東京2020では、何かがそこまで大きく変わる予感はあまりしない。

山下くん:確かに杉原さんの言うとおり、目に見えて何かが変わる気があまりしないかもです。

杉原:そうなると、我々日本国民が目を向けなくてはいけないのは、東京2020を通じて何を感じるかということが、重要になってくるのではないかと個人的に考えています。一過性の盛り上がりではなく、日本の人口の30.3%が65歳以上になる2025年に向けての通過点としてみていかないと、何も変わらないまま、未曾有の超高齢化社会に突入することになってしまう。

パラリンピックは特にそうなんですけど、技術的な革新が行われるものに対してどれだけ自分が身近に感じられるかが鍵だと思っています。一人ひとりが現状を打破していく気持ちを持つことが出来れば、今後の日本も安心じゃないですかね。

山下くん:バリアフリーや多様性なども社会でよく言われていますが、その反面、全体主義的な面もあると思います。そこにはもちろんメディアの影響というのが大きいかと思うのですが、HERO Xの立ち位置はどのようにお考えですか?

杉原:例えば100人いる車いすユーザーの1.2%の人がネガティブな発言をしたとします。そのネガティブな発言やイメージにフォーカスするのが、悲しいかな今のメディアの現状。そういう議論のすり替えのような出来事って、メディアだけでなく、学校など含め世の中にあふれていませんか?

山下くん:話の筋道が決まっていることは多いかもしれません。

杉原:だからこそHERO Xの役割は、伝えたいことをブレさせずに多くの方に伝えていくことだと。

野中くん: 僕は中学を卒業して、ホーチミンで暮らし勉強をするということを自ら選んだつもりでいたのですが、よくよく考えると、実は父の転勤が決まってからあらかじめ用意された2つの選択肢のうちの1つを受け入れたまでにすぎませんでした。HERO Xでクローズアップされるような方々も、基本的には障がい者スポーツや、技術開発に携わるチャンスにめぐり合うことが出来る、選択できる側の人間だと感じています。

もちろん様々な問題はありますが、僕にとっての“ボーダー”とは「選択できるかできないか」だと考えています。その選択をする際に何が重要な要素だと、杉原さんは思いますか?

杉原:まずは、選択をする上でそれを助長してくれる仲間、そして資本というのはすごく大事。その上で絶対に間違えてはいけないのは、すべての選択の責任は必ず自分にあるということ。

野中くん:でもアジアの一部の地域で身体に障がいを持って生まれてきた人たちは、いまだに何の根拠もなく、前世で罪を犯したからだと言われてしまう風潮があるんですね。そういうなかで暮らしている人たちには、選択する権利というのが少なからずないのかなと思ってしまうのですが。

杉原:確かにそう言った風潮は現実的に辛いと思います。でも厳しい言い方を敢えてすれば、何かを必要としているのならば、誰かから与えられる何かを待つのではなく、自らそれを手に入れる努力をするということは、人間誰しも同じだと思う。今後は、国レベルではなく、地球単位でその選択を出来る人が増える世の中に、みんなの意識で変えていかなくてはいけないのかな。

山下くん:生活面や精神面も含めた、バリアフリーの定義とはどのようにお考えですか?

杉原:バリアフリーって、段差がないことをバリアフリーだと思っている人もいれば、人間的な多様性をバリアフリーと解釈する人がいたりと、言葉だけが先行している部分が大きいですよね。でも、僕の考えるバリアフリーはパーソナルエリアを拡大すること。すなわち、経験・知識・技術を武器に、自分の持つ半径を2mから3m、3mから4mって広げていくことだと思う。みんなはこれからの人だから、ぜひともその半径を広げていって欲しいです。

野中くん:それでは最後の質問をさせてください。ずばりHERO Xには人を変える力はあると思いますか?

杉原:すごいこと聞くね(笑)。正直ないよ(笑)。人の考えや行動を変えるということも然り、全ての人の理解を得て受け入れてもらう、ということは非常に難しいことです。

では、HERO Xが無駄なのかといったら、決してそうではないと思います。カッコいい、面白いという、ひとつの潮流をつくり、世の中のアイデアのひとつとしてHERO Xが存在できればそれでいいと、僕は思っています。HERO Xの存在意義は、同じような考え方、同じように何かを変えたいと思い“選択”をしようとしている人たちと出会うことができること。ひとりでこじ開けようとしていた大きな門を、同じ志を持つ人たちと、違うアプローチで開いていくことなんだと。

最後に僕が強く思うのは、2人とも学生のうちに会社立ち上げた方がいいよ。失敗なんか恐れる必要ないから!2人にインタビューを受けていて本当にそう思いました。なぜ自分が僕にこの質問をしようとしたかを、自ら掘り下げてみたらやるべきことが見えてくるはず。会社を持つというのは、大人と対等に勝負できる土俵に上がるということでもあるからね。早くそこに立ってほしいと強く願います。

前編はこちら

ROCKETオフィシャルサイト
https://rocket.tokyo/

(text: 中村竜也 -R.G.C)

(photo: 河村香奈子)

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月齢が早いほど効果が出やすい!頭のフォルムを美しく再成形する、赤ちゃんのヘルメット 後編

富山英三郎

1990年代にアメリカで生まれたリモルディング・ヘルメット。その主な理由は、歯科矯正と同じく美しい見た目の獲得にあった。近年は日本でも口コミ的に広がっており、治療を希望する親御さんは年々増えている。後編では、具体的な仕組みについて解説していただくとともに、三宅先生が院長を務めるリハビリテーション病院から考える、最新テクノロジーへの眼差しを伺った。

効果が期待できるのは月齢18ヶ月まで

杉原:先生の病院では、AHS Japanさんが取り扱っている「スターバンド」という米国Orthomerica社の製品を使われています。その他のメーカーもアメリカ製が多いですが、それはなぜでしょう?

三宅:1990年頃からとはいえ、アメリカは歴史も実績もあるからです。患者さんの頭に合わせたオーダーメイドのヘルメットを作るわけですが、「スターバンド」は「スタースキャナー」という無害のレーザーを使って細部まで正確に計測することができる。その機械が優秀なだけでなく、発育に合わせて微調整する加工などの技術やデータの蓄積があり、結果が出やすいというのが大きいです。

杉原:スキャンや素材成形はRDSの得意分野なので、甥っ子のヘルメットをついじっくり観察してみたんです。リモルディング・ヘルメットでは、3Dプリンターは使われていないのですか?

三宅:「スターバンド」に関しては使っていません。矯正方法を簡単に説明しますと、まず歪んだ頭部があるとします。そのなかで、でっぱっている部分は「先に発育したところ」と考えます。そこに合わせてまずは理想的な頭の形を作ります。そのフォルムをもとにヘルメットを作っていくわけなんです。つまり、未発育な箇所にはヘルメットとの間に隙間ができるわけですが、赤ちゃんの頭が大きくなる際に、その隙間へと誘導していくという考え方です。

杉原:着用から、どれくらいの期間で効果が出てくるのでしょうか?

三宅:開始する月齢にもよります。首が座ってすぐ(約3~4ヶ月)から始めれば、2週間で5mmくらいのペースで頭が大きくなるので効率がいい。その場合、早い赤ちゃんなら2~2.5ヶ月で終わります。一方、遅くから始めると6ヶ月程度かかる場合もあります。

杉原:何歳までに始めないといけないのでしょうか?

三宅:メーカーによって違うようですが、当院が使っている「スターバンド」は月齢18ヶ月までです。装着期間は約6ヶ月間となりますが、低月齢で開始した場合はそれ以前に改善することが多く、高月齢ではそれ以上装着しても効果が薄いのと、記憶に残ってしまう可能性があるとも言われています。

レーザースキャナーを使い、
定期的に緻密に調整する

杉原:今後、ヘルメット及びその診断方法も少しずつ技術革新されていくのでしょうか?

三宅:していくでしょうね。現時点で、ここまで精密にやっているのは当院だけです。施設によってはもっとアナログな調整方法がなされていますから。ヘルメットの外側は樹脂ですが内側はフォーム材でできていて、発育に合わせてそこを削りながら調整していくんです。当院では、レーザースキャナーで定期的に測定して緻密に調整することができます。

杉原:「もっとこうなればいいのに」といった要望はないですか?

三宅:ちょっと重いかなとは思いますね。結果に関しては、親御さんも十分満足されていますし、僕らが見ても矯正力は高いと思います。

杉原:RDSは「パーソナライズの量産化」を目指した取り組みをしています。そのなかでは、矯正ヘルメットのようなオーダーメイドの製品、さらには身体の拡張・補完のみならず、もっと幅広いものに応用できると思っています。釈迦に説法になりますが、脳梗塞などには歩き方に特徴がでますよね。

三宅:そうですよね。

杉原:RDSではセンシング技術を駆使して、「歩き方」を様々な予測医療に活用とできないかと、いま研究機関と一緒に研究しているところなんです。

三宅:そういうこともやられているんですね。リハビリ病院なので最新技術にはとても興味があります。

リハビリ病院として、
新しいことにもチャレンジしていきたい


杉原:ぜひ、何かご一緒できればと思っています。そこでお聞きしたいのですが、超高齢化社会になるなかで、足腰に不安を抱える方が増えていく。そんな時代に先生はどういう領域の発展を期待されていますか?

三宅:個人的な見解ですが、頭に髄液が溜まってしまう「水頭症」という病気があります。子どもの病気だと思われていますが、大人にも「正常圧水頭症」という病気があるんです。その病気にかかると、歩行障害、認知障害(とくに意欲低下)、失禁という3つの症状が出てくる。歩行障害に関しては、体重移動がうまくできずに、前かがみですり足の静歩行になるんです。古いロボットみたいな動きになってしまいます。

杉原:はい。

三宅:病気の主な部分は、溜まった水を腹部に流すシャント手術で治りますが、それで治り切らない部分をリハビリでどうにかできないかと考えています。真っ先に取り組みたいのは、バランス感覚の回復。

杉原:自動歩行器みたいに、少し力を加えれば歩けそうな気もしますが…。

三宅:そういうアシスト的なものかもしれないし、何かバランス感覚がよくなるリハビリがないかなと考えたりしています。現在注目しているのは、VRを使ったリハビリ。ゲーム感覚でできるのが魅力です。

杉原:確かにVRリハビリは、今後注目されそうですね。僕らもVRを使ったサイバースポーツCyber Wheel Xを作っていますが、仮想空間内にジャンプ台を作って、ジャンプするタイミングで漕いでいる車輪に負荷をかけると、お腹がキュンとなるほどリアルに感じるんです。それくらい脳のリンクはたやすく外れてしまう。

三宅:歩けない人でも、VRによってイメージを作り出せたらと思っています。その過程で、よい変化が生まれるかもしれないですよね。

杉原:すごく面白いですね。僕らに限らず、リハビリの世界で技術革新をしたい人は多いと思います。今後、この分野でテクノロジーの活用は盛んになると思われますか?

三宅:間違いなく盛んになっていくでしょう。私たちも常に新しいことに挑戦していきたいと思っているので、いろいろと教えてください。

杉原:こちらこそ。今後ともよろしくお願いします。

前編はこちら

三宅裕治(Hiroji Miyake)
1954年生まれ。西宮協立リハビリテーション病院院長/脳神経外科専門医、脳卒中専門医。1979年、大阪医科大学卒業。1989年、大阪医科大学講師(脳神経外科学教室)。1989~1990年、米国バロー神経研究所留学。1997年、大阪府三島救命救急センター部長。2002年、医療法人社団甲友会 西宮協立脳神経外科病院・院長。2019年、社会医療法人甲友会 西宮協立リハビリテーション病院・院長。著書として、『脳神経外科手術アトラス』(医学書院)、『最新小児脳神経外科学』(三輪書店)、『特発性正常圧水頭症診療ガイドライン』(メディカルレビュー社)など多数。

(text: 富山英三郎)

(photo: 衣笠名津美)

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