プロダクト PRODUCT

大正8年創業。義肢装具の老舗が見つめる未来とは?【田沢製作所:未来創造メーカー】

中村竜也 -R.G.C

国内きっての義肢装具の老舗「株式会社 田沢製作所」。大正8年の創業以来、義肢装具を必要とする方たちの社会復帰を手助けすべく、豊富な経験と裏付けある技術をもとに、一切の妥協を許さない製品とサービスを提供し続けている。そして、この会社を支えるのは、兄・田澤泰弘氏と弟・田澤英二氏のお二人。兄弟である利点を活かし、それぞれが異なる役回りを担当することで、義肢装具業界や会社の繁栄に注力してきた。

兄弟だからできる、それぞれが持つ役割

左:田澤泰弘氏(兄) 右:田澤英二氏(弟)

田澤英二氏(以下、英二氏):私はアメリカに10年いて、向こうの大学を卒業してアメリカの資格を取りました。それから帰国し、厚生労働省から日本で義肢・装具の教育をしてほしいという依頼を受け、国立障害者リハビリテーションセンターを開設をしたりと、主に教育の仕事を社外で行い、社内では臨床を担当しています。

田澤泰弘氏(以下、泰弘氏):私は義肢業界に関するいくつかの団体の理事などをやってきたので、会社全体の流れや、対外的なこと、厚生労働省の情報などを担当しています。そういう意味では、前に出て動いてくれる弟を、責任という意味で後ろから支える役目でもあります。


義足の製作現場の様子。


気心知れた身内だからこそ成立する分業というスタイル。それぞれがひとつの目的に向かい強みを見出すことで、長きにわたり田沢製作所を牽引してきた。そんなお二人は、日本の義肢装具、義肢装具士について、海外との違いをどのように感じているのだろうか。

英二氏:まず、欧米諸国と日本の大きな違いは支給体制だと思います。日本は昭和33年に健康保険ができ、身体障害者福祉法も昭和24年に成立したので、ようやくそれに該当する方たちが医療・福祉サービスが受けられるようになりました。そうすると国がお金を出してくれるようになるのです。それにより国は、国民の安全を守るために必要最小限となる線を引くんですね。それが資格です。

分かりやすく言うと、運転免許証って車に乗ってもいいという最低資格で、そこに上手い下手は関係ないですよね。いま言っている資格というのもそれと同じで、この人は必要最低限の国が定めた知識なり経験を持っている人だなということで義肢装具士の資格を与えるわけです。

そして、アメリカやイギリスなどの欧米は、いわゆる大学教育がベースにあります。ドイツの教育は、養成校の延長になっていまして、片方は理論と臨床を教える教育、もうひとつは製作から企業経営までといった実践的なことを教える教育内容になっています。

教育方針や支給体制の違いは、
義肢装具士の対応に差を生む?

英二氏:差はないですけど、違いはあるかと思います。もっと根本的なことを言うと、医者が患者さんに接する態度を見ても、海外と日本では全く違いますしね。そこで日本の医療全体を見たときに感じるのは、必要最小限を守るやり方ということ。その考えがある以上、義肢装具士業界に枠の中からはみ出したスーパースターが出るかというと、それは難しい環境なのは間違いありません。

もうひとつは、日本で作った“A”という義足をアメリカで作ろうとしても、価格が3~5倍に跳ね上がってしまうんです。さらに最先端部品を国が許可する事などが必要で、最高で5年ほどの時差が生じてしまうこともあります。そういったサービス面にも大きな違いがありますね。アメリカは、国民全員が公費支給を受けられないという国なので、ポケットマネーからでも高い費用を負担するので、切断者の要求がすごく高いんです。逆に日本は公費支給が受けられるので、公費の範囲内で済まそうとする傾向が強いと言えます。

今までの話を伺っていて感じたのは、義肢装具を必要としている方には、まだまだ日本は住みづらいのかなという印象を受ける。それは国民性の問題なのか、それとも国の姿勢の問題なのか。国民に対する保健・医療・福祉の基礎は作られているが、ベストの物が一般的には支給されていない。

手作業だからこそ真価が問われる、
義肢装具の未来


すべてハンドメイドで丁寧に製作されている。

 

田沢製作所では、大部分の工程を手作業で行っている。ユーザーが求めるニーズに応えるために、義肢装具士たちの思いと熱意が惜しみなく注がれるのだ。そこで、義肢装具の今後の進化の過程は、一般の方に向けて発展していくのか、それともアスリートの方たちに向けて開発が進められていくのかが気になるところ。

英二氏:車に例えて話すと、ホンダが世界を獲ったのは、F1やオートバイで勝ち続けたことで、日本人を含めたみんながいいイメージを持ち、結果購買につながったわけですよね。義足の場合は必要最小限の中にいたのですが、アスリートの存在が出てきたことで、彼らが使っているプロダクトが持つテクノロジーが、一般人にも還元されるようになったんです。そこから普及につながっていくことを期待しています。

ここは言い方が大変難しいのですが、企業としては、先進国での医学の進歩により義肢装具の利用者人口が減ってきています。逆に増えているのは、発展途上国や、戦争をしている国。そこで日本の企業はどう生き残るのか、という壁にぶち当たりますよね。やはり商売をしている以上売り上げを伸ばしながら、技術の開発も同時にやらなければならないので、これからは難しい時代になっていくと感じています。



これから訪れる東京2020に向け
住みやすい日本を築くには、
どのような改善が国として必要なのか

英二氏:国の方から引っ張って行ってくれるという姿勢は正直感じられません。もちろん文句も言いたいですけど、それを変える力がないことには、現場ベースではどうしようもないですよね。向こうの国はこうですよってだけで終わってしまっては意味がないので。

泰弘氏:障害者総合支援法という法律と、仕事中に手足を無くした人は労災となりますが、それ以外は前記の対象です。考え方として、日常生活に必要なものは国が支給。ですから車いすマラソンで使用する特殊な車いすは一切認められないですし、義肢装具の部品に関しても「そんな物が必要なの?」といったように感じることがあり、障害者のニーズをもう少し開いていただけたらと思うことがあります。

義足の外装などでも、元の足の色に近い色を普通に求めますよね。ですが、各都道府県にある決定権を持つセンターが、ファッションモデルのように魅せることが仕事なら認めてくれますが、他は難しいと言った感じで対応されてしまいます。

日常生活に必要な物は税金を使って支給していくので、制限がどうしても出てくるわけです。ここ15年くらいで変わってきたのが、どうしてもそういった物をとの希望があれば、国としては最低限の部分は認めてくれるようになりました。例えば、50万円のマラソン用車いすが欲しいのであれば、10万円までは認めますといった具合に、少しずつ変わってきているという良い部分も確かにあります。

会社設立から約100年。その長い歴史を守るために日々重ねてきた努力がある。だからこそ、現状の体制にも不満が生まれるし、変えようという意志のもと仕事を積み重ねてきたのだろう。最後に義肢装具士として絶対に譲れない仕事の信念を伺った。

英二氏:一番は専門職として生きることです。裏付けのある知識を蓄えつつ、ユーザーとコミュニケーションをしっかり取るということを大切にしています。世界のどんな高いレベルの医療を持ってしてでも、足や手を残すことができなかったから障がい者になってしまうわけですよね。でも、彼らにとってはそこからが始まりなんです。だからこそ彼らの声をちゃんと「聞く」という作業をしっかりやっていきたいですね。

泰弘氏:私の方は、各種団体の責任がある立場に就かせていただいていたので、クオリティーの高い義肢装具を作ることはもちろんなのですが、さらに、義肢装具士の生活を保障できるだけの価格を、プロダクトに反映させるということにも目を向けていくことです。

20年かけて一足しか出来ていないという方もいるほど、妥協を許さない真剣勝負で義肢装具の開発を行っているおふたり。そして、そこには間違いなく、彼らの背中を見てきた有望な若手職人が育っているのも揺るがない事実。TEAM T・田沢製作所の未来には、進化の二文字がはっきりと見えている。

(text: 中村竜也 -R.G.C)

(photo: 増元幸司)

  • Facebookでシェアする
  • LINEで送る

RECOMMEND あなたへのおすすめ

プロダクト PRODUCT

モンスターをスーパーモンスターに。世界中のトップアスリートが慕う、大阪のアニキ技師【川村義肢株式会社:未来創造メーカー】

岸 由利子 | Yuriko Kishi

身体の極限と技術の融合を競うパラアスリートにとって、身体のパフォーマンス能力や強靭なメンタル力の鍛錬と同等に、義手、義足やマシンなどの技術面に磨きをかけることは不可欠だ。車いすテニスの国枝慎吾選手、チェアスキーの森井大輝選手や狩野亮選手、ウィルチェアラグビーの池崎大輔選手など、名だたる国内のトップアスリートをはじめ、新進気鋭の若手アスリートや海外のアスリートたちが厚く慕う一人の技術者が大阪府大東市にいる。義肢装具業界のリーディングカンパニーとして知られる川村義肢株式会社(以下、川村義肢)で技師を務める中島博光さんだ。今回は、アスリートの活躍を支える技術開発の裏側を探るべく、大阪本社の中島さんを訪ねた。

戦争で手足を失った人たちのために
原点は、オーダーメードの義肢づくり

第二次世界大戦の終戦直後の1946年、義肢を手掛ける「川村義肢製作所」として創業した川村義肢。手足を失った人々のために数多くの義肢をオーダーメードで製作・提供してきた。現在は、義肢装具の他にも、乳房や手足などの人工ボディ、車いす、医療器具や福祉用具の開発から住宅改修に至るまで、人々の暮らしを幅広くサポートするサービスを提供している。

中島博光さんは、18歳で同社に入社して以来30年、技師として研鑽を積んできた。2000年にチェアスキー選手のシート製作を手掛けたことをきっかけに、車いすマラソンや車いすバスケットボールなど、さまざまなパラスポーツのシート関連製作に携わってきた。現在は、国内外のトップアスリートから依頼を受け、数多くのシートや関連部品の製作にあたっている。

ここは、本気のアスリートが集うミラクルな秘密基地

中島さんは、徹底した現場主義の人。名刺も配らず、営業の電話も一切かけない、出張にも行かない。それらに充てる時間があれば、作業部屋で知恵を絞り、手を動かすことを選ぶ。そんな中島さんに製作依頼したければ、大阪本社まで行くしか術はない。言い換えれば、中島さんの居場所を探すだけのモチベーションやエネルギーを持つ本気の人だけが足を踏み入れることのできる聖地なのだ。

「車いすテニスの国枝慎吾選手とチェアスキーの狩野亮選手が一緒になったり、チェアスキーの森井大輝選手、村岡桃佳選手、夏目堅司選手が、偶然居合わせたり。中々、ミラクルな空間やと思ってるんです」


この日は、ウィルチェアラグビーの永易雄(ながやす・ゆう)選手が訪問中だった。同競技で活躍する池崎大輔選手と連れ立って来社したことを機に、マシンのことなどで相談事があるたびに、中島さんに会いに来るのだそうだ。

「今日は、競技用車いすのセッティングを見てもらいに来ました。背もたれにこれを取り付けたいんです」。永易選手が見せてくれたのは、手のひらに収まるくらいの小さな黒いパーツ。より快適な乗り心地になるらしい。驚くことに、中島さんからアドバイスを受けると、自らハサミを握ってパーツに向かい始めた。

「彼は元から器用だし、右手の握力も20くらいあるし、やろうと思えばできるんですよ。やっぱり本人じゃないと分からんことが9割9分やし、あんまり口出しするのもどうかと。自分ではやりたくないっていう選手もいますけど、本人たちのためにも、教育していかんとあかんのですよ。常々、言うんです。“海外の試合や遠征の時に、何かあったらどうするの?自分で対処できなくて、パフォーマンス力が落ちたら、本末転倒やで!”と」

ちょっと目を離すと、すぐに姿が見えなくなる中島さん。一所に長くいるのが苦手だそうで、常に忙しく動き回っているが、背もたれにいざパーツを接着する段階になると、いつの間にか戻っていて、永易選手の車いすにさっと手を携えた。

「現役選手兼メカニックになっても、いいと思うんですよね。他の選手の気持ちも分かってあげられるじゃないですか。彼がメカニックの役割を果たしてくれる日が来たらいいなと本気で思っています」

物づくりにかけるエネルギーは、いつだって同じ

こちらは、中島さんと共に、チェアスキーのシートや関連部品の製作の中心を担っている技師の宮本雄二さん。北海道在住の一般の方から注文を受けたレジャー用のチェアスキーシートの製作中だという。アスリートの場合と同様に、一般の方が発注する時も、サイズ計測のために来社してもらい、すべて手作業で作り上げていく。

「サイズ計測から完成まで、僕らが実質手を動かしているのは、15時間くらい。発注から納品までは約1ヶ月ですね。レジャー用でも、レース用でも、かけるエネルギーは一緒です」と手を動かしながら、宮本さんが教えてくれた。

「二人三脚を三人四脚にして、もっとチームを広げたいですけど、その途中ですね。本来は、三世代先くらいまで引き継いでないといけないんですけど。注文がたくさん入った時は、ひぃひぃ言いながら僕らがやってます(笑)」

これまで中島さんたちが手を携えてきたマシンの総数は98台。(2017年8月時点)001がチェアスキーの狩野亮選手、002が森井大輝選手というように、一台ずつシリアルナンバーが振られている。上記は、チェアスキーの鈴木猛史選手のために製作中のシートだ。

「防弾チョッキの素材を使っています。これを4枚重ねたら、ピストルの弾は貫通しません。もし、レース中に転んでも、粉々に砕け散ってホース状になることもない。ものすごく頑丈です」

オーダーメードで手に入れた体の自由

この日、もう一人の来客があった。チェアスキーの選手を目指しながら、千葉県船橋市で歯科医を務める奥山楽良(おくやま・らら)さんだ。7年ほど前にチェアスキーを通して中島さんと出会い、仕事で使う診療用の椅子を作ってもらったという。

「私は左足がないので、既存の椅子だと、下半身のどこか一部に圧力が集中してしまい、痛みを感じることもありました。中島さんにオーダーメードで作っていただいた椅子は、まんべんなくフィットして、圧力を逃してくれるので、がっちりした安定感があります。スポーツと同じで、上半身にも自由度が出るので、十分なパフォーマンス力が発揮できます。チェアスキーのシートと義足も、作っていただいています」

僕は、モンスターをスーパーモンスターにするお手伝いがしたい

数多くのトップアスリートの活躍を裏側で支えてきた中島さん。最近一番ハマっているのは、ウィルチェアーラグビーだという。

「リオパラリンピックの前に、池崎大輔選手から電話がかかってきたのが、始まりでした。彼をはじめ、ウィルチェアーラグビーの選手たちと知り合ってまだ1年ほどしか経っていません。言うたら、今、チェアスキーをスタートした頃と一緒の状態です。これまでの僕らの実績は関係ないんです。むしろ、それを捨てなあかんのですね。極論を言うと、作ることより、捨てる方が面白いですね。だって、勇気要りますやん」

「強い選手って、案外悩んでるんですよ。比べる対象がない反面、他から追いかけられるし、危機感も人一倍強い。願わくは、僕は、モンスターをスーパーモンスターにするお手伝いがしたいです。振り返ってみると、弱い人を強くするための一番の近道は、強い人をさらに強くするために築き上げたノウハウが役立っている気がするので。もし、世界最強と言われているウィルチェアーラグビーのライリー・バット選手と会う機会があれば、言いますよ。“俺に任してみてみ。もっとモンスターになれるで”って(笑)」

右側に立てかけてあるのが、製作中のスロープだ。

廃校を利用した新たな取り組みとは

パラスポーツのシート関連製作など、技師としての仕事とは別に、中島さんが今、熱心に取り組んでいることがある。

「ここから10分くらいのところに廃校になった小学校があるんですよ。ウィルチェアーラグビーの選手たちの練習場として使えるように交渉したんです。明後日が第1回目の練習なんですが、住宅改修のノウハウを活かして、傾斜のゆるいスロープなどを取り入れました。今、作っている最中なんですけどね。ウィルチェアーラグビーの車いすは他の競技と比べてかなり重たいですし、握力のない選手も多くいます。彼らにとって、より便利な空間として使ってもらえたらいいなと思います」

長年培ってきた技師としての確かな技術力と審美眼。聞いていて爽快な気持ちになるほど、歯に衣着せぬ物言い。そして、物づくりに対するアスリート顔負けの一本気な姿勢。「続けることより強いものはないと信じてやっています」―どれほど心で思っていても、さらりと言葉にできる人がどれほどいるだろうか。透徹した人間的魅力を放つ技術界の異端児、中島博光。彼の人柄と情熱に引き寄せられるように、今日もアスリートたちは川村義肢の扉を叩く。

川村義肢
http://www.kawamura-gishi.co.jp/

(text: 岸 由利子 | Yuriko Kishi)

  • Facebookでシェアする
  • LINEで送る

PICK UP 注目記事

CATEGORY カテゴリー