対談 CONVERSATION

「ちがいを ちからに 変える街」とは?渋谷区長に突撃取材! 後編

岸 由利子 | Yuriko Kishi

ありとあらゆる世代や人種が集まる街、渋谷。そこは、多彩なコミュニティが生まれ、新たな文化が沸き起こる一大メトロポリス。障がいのある方をはじめとするマイノリティや福祉そのものに対する“意識のバリア”を解き放つべく、従来の枠に収まらないアイデアから生まれた「カッコイイ」、「カワイイ」プロダクトや「ヤバイ」テクノロジーを数多く紹介する『超福祉展』をはじめ、街がまるごとキャンパスとなり、教えると教わるを自由に行き来できる新しい“共育”システム『NPO法人シブヤ大学』や『渋谷民100人未来共創プロジェクト』など、多様性社会の実現に向けて、多彩な取り組みが次々と行われている。本当のダイバーシティ(多様性)とは?渋谷の未来はどうなる?渋谷区長を務める長谷部健氏にHERO X編集長・杉原行里(あんり)が話を伺った。

「超福祉」を街の景色にしていきたい

杉原:超福祉展では、「2020年、超福祉が実現した渋谷の街の日常」をテーマに、最先端テクノロジーを駆使して開発された超クールな車いすやパーソナル・モビリティ、芸術的な美しさを持つ義足など、多彩なプロダクトが紹介されています。今後、これらの「超福祉」をどのように実装していく予定ですか?

長谷部:街の景色にしていきたいです。今、少しずつ取り組み始めているのですが、街を使ってできることに対して、大きな可能性を感じています。例えば、今回の超福祉展の開催期間中、SHIPS渋谷店をはじめとするショーウィンドウには、車いすなどの斬新なプロダクトが展示されているんです。これって、街の景色のひとつですよね。

また、同展を渋谷区と共催する特定非営利活動法人ピープルデザイン研究所の代表理事・須藤シンジさんが、アシックスとコラボしたスニーカー「プロコート・ネクスタイド・AR」の打ち出し方が、個人的にはすごく気に入っています。四肢にまひがある人や、片手が欠損していたり動かせない人でも、ラクに脱ぎ履きできるという、ハンディキャップを補う機能がさりげなく盛り込まれているハイカットの“バッシュ”(バスケットボールシューズ)なのですが、第一作目から福祉的なアピールは一切せず、ファッション感度の高い人たちが集まる渋谷やニューヨークのセレクトショップで販売されているんです。純粋に“ヤバくてカッコいい”スニーカーとして人気を博し、即日完売が続出した日もあったそうです。このように、健常者向け、障がい者向けといった括りを超えて、誰が見てもカッコイイと思えるプロダクトやアイデアが集まる場所が渋谷であり、ここを拠点に発信されていけば、人々の心のバリアもおのずと溶けていくのではないかと。そんな未来を実現するために、できるかぎりの力を注いでいきたいと思っています。

杉原:須藤さんがアシックスと生み出したスニーカーは、本当の意味でのユニバーサル・デザインといえますよね。

長谷部:また、福祉の要請から生まれた最新テクノロジーや身体の機能を拡張できるプロダクトは、補助器具としての域をはるかに超えて、装着することをクールと感じられるものです。現状、それらを先立って体験できるのが、障がい者の人たちというだけで、今後の課題は、いかにマジョリティに普及させていくかということになるでしょう。多様性を持つ人々が混じり合い、溌剌と生きていく社会を実現するための鍵だと思います。

パワードスーツなどについては、腰を傷めて介助が必要な人だけでなく、いずれ運送業など腰を酷使する仕事の人も使うようになってくるのではないかと想定します。きっと今が、その分岐点。パーソナル・モビリティについても、渋谷区内の街中で走れる場所を作りたいとも思っています。

杉原:それはぜひ実現していただきたいです。

目指すは、「ロンドン、パリ、ニューヨーク、渋谷区」

杉原:モノづくりに携わるデザイナーのひとりとして、茨城県つくば市のつくばモビリティロボット実験特区などは、僕にとって夢のような場所です。渋谷区にもそういった特別区域ができる予定はありますか?

長谷部:具体的にどのような形になるかは未定ですが、クリエイティブやエンターテイメントを渋谷周辺に集める特区については思案中です。数あるアジア都市の中でも、文化的、エンタメ的にも渋谷という街は、ひと際秀でていると思うんです。そこを伸ばしていけば、“東京”に貢献することにもつながるのではないかと。

杉原:足りない部分を満たしてゼロに近づけるのではなく、特性や長所を伸ばしていくということですね。

長谷部:ゼロに引き上げるための取り組みも当然必要になってくると思いますが、現時点ではおっしゃる通りです。世界を見渡し、歴史を振り返ると、クリエイティブな人々が集まり、新たなイノベーションが生まれた都市といえば、やはり、「ロンドン、パリ、ニューヨーク」でしょう。ロンドンならロンドンっ子、パリはパリジェンヌ、ニューヨークはニューヨーカーというように、シティプライドを象徴するそれらの言葉は、各都市の文化やエンターテイメントの発展と共に、自然発生的に生まれてきました。渋谷区もそこを強化して、「ロンドン、パリ、ニューヨーク、渋谷区」となれたら理想的。これについては、実現したいと本気で思っています。あと、日本各地に点在する「○○銀座」のように、「◎◎渋谷」が世界中にできたらいいなと。リトル東京ではなく、リトル渋谷とかですね。

2020オリパラは、
マジョリティの意識が変わるビッグ・チャンス

杉原ところで、内閣府の高齢社会白書(平成28年版)によると、2025年には、国民の約3.4人に1人が65歳以上、約5.8人に1人が75歳以上になると推測されていますが、超高齢化社会に突入することについては、どう捉えていらっしゃいますか?

長谷部:個人的な予想ですが、平均寿命が100歳を超えるのがこの国のスタンダードになっていくのではないでしょうか。日本は、世界で初めて超高齢化社会を迎える先進国ですから、さまざまな不安があることも否めません。でもその一方で、これをうまく乗り越えられたら、世界に対して、また新たな価値を提案・発信できる大きなチャンスの到来ではないかとも思います。

現時点では、やはりテクノロジーの分野にチャンスが見える気がしています。AIなどの先端技術をどのように使えば、豊かな老後が過ごせるか。そう考えると、また新たなイノベーションが起きてくるのではないでしょうか。

杉原:そういったことも踏まえて、これからの渋谷の街はどのように変わっていくのでしょうか?

長谷部:未来の渋谷でどんな変化が起きているか、漠然としたイメージはあるけれど、正確には私にも分かりません。「YOU MAKE SHIBUYA」で、皆で作っていく街ですから。今言えることは、ダイバーシティも、福祉も、バリアフリーも、「頭ではなんとなく分かっているけれど、腑に落ちていないことをハートで感じた時、人は一番変われる」ということでしょうか。その意味で2020年のオリパラは、マジョリティの意識が変わるひとつの大きなチャンスになるはずです。

幸い、東京2020パラリンピックにおいて、渋谷区では、ウィルチェアーラグビーやパラ卓球、パラバドミントンが行われます。今年の夏から秋にかけて、区民をはじめとして、一般の方々がそれらの競技種目を区内のスポーツセンターで観戦できる「渋谷区リアル観戦事業」を開催しています。やはり、実際に会場に足を運んで、試合や選手を身近に見て感じることほど、強いものはないと思います。競技や選手への理解が深まることで、きっと応援したくなったり、2020年の大会本番のときには会場で観戦したくなるはず。

特に、ウィルチェアーラグビーの選手たちは、車いすを使って練習できる施設がなかなかなく、練習場所の確保に苦労していました。そこで、昨年のリオパラ日本代表選手の合宿に、渋谷区内の体育館を提供したんです。練習風景なども含めて、彼らの活動を見てきた区民の方たちは、同大会で銅メダルを獲得した時、我が事のように喜んでいました。「手を差し伸べる対象」ではなく「混じり合う対象」―そう感じている証拠だと思いましたし、「地元にいるときより、渋谷に来た方が、スター感がありました!(笑)」と選手側からも喜びの声をいただきました。

少し突飛な発想ではありますが、例えば渋谷のスクランブル交差点でウィルチェアーラグビーの試合を開催できたなら?日本全国だけでなく、おそらく世界中にその魅力を届けることができるでしょう。そんな想像を色々と巡らせていると、まだまだやれること、やらなければならないことがたくさんあるぞと、エネルギーが果てしなく湧いてきます。

前編はこちら

長谷部 健(KEN HASEBE)
渋谷区長。1972年渋谷区生まれ。株式会社博報堂に入社後、さまざまな企業広告を担当する。2003年に同社を退職後、NPO法人green bird(グリーンバード)を設立。原宿・表参道を皮切りに、清掃活動やゴミのポイ捨てに関する対策プロモーションを展開。活動は全国60ヶ所以上に拡がり、注目を集める。同年、渋谷区議に初当選。以降、3期連続でトップ当選を果たす(在任期間:2003~2015年)。2015年、渋谷区長選挙に無所属で立候補し当選。2015年4月より現職を務める。

超福祉展
http://www.peopledesign.or.jp/fukushi/

(text: 岸 由利子 | Yuriko Kishi)

(photo: 河村香奈子)

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大どんでん返しなるか!?“ゼロ100”に賭ける天性の勝負師、夏目堅司。いざ、ピョンチャンへ!【2018年冬季パラリンピック注目選手】後編

岸 由利子 | Yuriko Kishi

つい最近まで、スランプ状態が続いていたことを前回のインタビューで激白したチェアスキーヤーの夏目堅司選手に、朗報が舞い込んだ。ピョンチャンパラリンピックの日本代表選手として、日本障がい者スキー連盟から推薦を受け、2月14日、日本パラリンピック委員会(JPC)より、正式に夏目選手が選出されたことが発表された。同大会で夏目選手が使用するのは、「シリウス」を名に冠したオーダーメードマシン“夏目モデル”。その開発を手掛けたのは、彼が所属するRDS社の専務取締役兼クリエイティブ・ディレクターであり、HERO X 編集長の杉原行里(あんり)率いるエンジニアチームだ。波乱曲折の勝負世界で戦う夏目選手とは、アスリートと開発者の関係にあると共に、時に、夏目選手の奮起を促すカンフル剤的存在として寄り添ってきた杉原が、大会直前の心境に迫った。

試行錯誤の日々。
もがいてたどり着いた今、思うこと

杉原行里(以下、杉原):用具登録については、最後の最後まで、どちらのフレームにするか、すごく悩んでいたよね。従来のものか、それとも、素材をハイブリッド化して新たに開発したものか。そこは、フレキシブルに対応していきましょうということで、一旦話は落ち着きました。僕が思うに、ローワーフレームに関しては問題ないけれど、もしかしたらアッパーフレームは、従来のものに戻した方が滑りやすいのかもしれない。重心移動、ダンパーの使い具合、フレキシビリティという点で、今までずっと使ってきたものでの滑りに慣れているだろうし、戻すべきだと僕は思っています。堅司くんは、こういうところの判断が遅いんですよね(笑)。

夏目堅司選手(以下、夏目):僕、鈍感なんですよ(笑)。

杉原:社内では、“ミスター・鈍感”って、呼んでいますから(笑)。もし、これで技術力があれば、今頃、スーパー選手になっていたと思いますよ。繊細だったら、崩れ落ちちゃうから。その鈍感力、森井くん(森井大輝選手)に分けてあげて欲しいです。彼は、“ミスター・センシティブ”ですから。

菅平パインビークスキー場にて、森井大輝選手、杉原行里、夏目堅司選手

夏目:森井くんは、本当にプレゼン能力が高いというか、まっすぐに自分の想いを伝えて、周りを引き込んでいく能力が凄くて、心底尊敬しています。その熱い想いでもって、自ら努力を重ねて確立してきたシートに乗らせてもらった時、とたんに、“すげぇいい!これに乗りたい!”と思って、それ以来、ソチ大会の時も含めて、彼のシートのお下がりを使わせてもらうようになりました。RDSのエンジニアの方たちに作っていただいた今のシートも、ご存知の通り、森井くんの座シートに、自分の背シートを組み合わせた仕様になっています。

入社してから今日に至って、試行錯誤しながら、自分の形を追い求めていくなか、シートやカウルなど、チェアスキーのどのパーツにも、ちゃんとした理論があって、然るべき形状になっているということは、理解できるようになりましたが、ほぼ失敗の連続でした。会社としてサポートしていただいているのに、申し訳ないかぎりです。

杉原:試行錯誤することは、まったくもって悪いことではないと僕は思います。もちろん、ロジカルに考えることができて、それを全て、パーフェクトに実現できるに越したことはないけど、ああでもない、こうでもないと考えることも、頭のトレーニングのひとつじゃない? モーションキャプチャやフォースプレートを使って、体や滑りのデータを可視化していくと、“え!実は、そんなことになっていたの!?”という、感覚とは想定外の結果が出てきて、軌道修正することもあるよね? それと同じで、やってみて、“これは違うな”、“あれはないな”と分かるだけでも、大きな収穫だと思う。

だからこそ、堅司くんが海外遠征に行く時はいつも、各部品を何パターンも用意するんですよ。セッティングが自分の納得のいく完璧じゃない状態で、1パターンで行くより、何パターンも試して、その中から最適なものを選んだ方が、パフォーマンス力も上がるだろうし、より良い結果に結びつくよね、きっと。

吹っ切れた今、
僕らしい滑りで勝負を賭けたい

夏目:最近、海外の遠征先などで、森井くんと2人で、チェアスキーに乗っていると、“それは、何!?”、“カッコいい!”って、周りの人がワーッと集まってくるんですよ。特に、新しく作っていただいたチェアスキーのローワーフレームは、めちゃめちゃ光っているせいか、注目度が高くて。今回のワールドカップでは、アメリカのある選手が僕のところに寄ってきて、開口一番、“それ、いくらだ?”と。“軽いのか?”と聞くので、“軽いよ。これは、ハイブリッドだよ。でも、フルカーボンのやつは、もっと軽いよ”と答えました。

杉原:他国の選手たちは、驚くだろうね。だって、日本代表選手のマシンが、毎年、少しずつバージョンアップして、進化しているから。“これ、一体、いくらかかっているの?”と聞きたくなる気持ちは分かるなぁ。自分のためのマシンを開発してもらえる環境があることが、彼らにとっては、きっと羨ましく感じるんだろうな。

杉原:応援してくれているサプライヤーの皆さん、地元・長野の方々、そして家族に対して、今一度ここで、新たに決意表明をお願いします。

夏目:やっぱり、ゼロか100の滑りをしっかり見せたいです。繰り返しますが、今回の大会は、チェアスキーヤーとして、ひとつの締めくくりだと思っているので。

杉原:でも、メダルを獲ったあかつきには、“北京大会も目指します!”とか、涼しい顔で言うんでしょ?(笑)

夏目:それは、その時になってみないと分からないですけど(笑)。

杉原:今、“ワクワク”が来てることは確かでしょ?

夏目:はい。吹っ切れさせてくれた杉原さんのおかげです。

杉原:僕はアスリートじゃないから、本当の気持ちは分からないけど、多分、怖かったよね。ピョンチャン大会に出場できなかったとしたら、と考えると。第一線から退くということは、アスリートとして、キレイに終わったと言われていることと同じでしょう? 引退後にセカンドキャリアとかよく言いますけど、僕の知るかぎり、堅司くんは、それができるほど器用な人間じゃない。

さっき、堅司くんの滑りを久々に生で見て、改めて、速ぇな!と思いました。以前とは、滑り方がすごく変わったし、なんか楽しそうに見えました。今、間違いなく、人生で最も濃厚な時間を過ごしている最中ですよね。ゼロか100か。チェアスキーヤー夏目堅司が、どんな滑りを見せてくれるのか、エンジニアたちと共に、心から楽しみにしています。頑張ってきてください!

夏目:ありがとうございます。

ここ1年近く、チェアスキーヤー夏目堅司を追いかけてきたが、彼ほど、心の状態が、如実に顔に現れる人はいない。かつて、壁にぶち当たっていると話してくれた時、こちらの胸が苦しくなるほど苦悩に満ちていたことが嘘のように、この日は、晴れ晴れとした笑顔を見せてくれた。それを越す夏目選手のピカイチの笑顔が、ピョンチャンの表彰台の上で拝見できることを心から願う。

前編はこちら

夏目堅司(Kenji Natsume)
1974年、長野県生まれ。白馬八方尾根スキースクールでインストラクターとして活躍していたが、2004年にモーグルジャンプの着地時にバランスを崩して脊髄を損傷。車いす生活となるも、リハビリ中にチェアスキーと出会い、その年の冬にはゲレンデに復帰。翌年、レースを始め急成長を遂げ、わずか1年でナショナルチームに入り、2010年バンクーバー大会、2014年ソチ大会への出場を果たした。RDS社所属。

(text: 岸 由利子 | Yuriko Kishi)

(photo: 増元幸司)

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