対談 CONVERSATION

「ちがいを ちからに 変える街」とは?渋谷区長に突撃取材! 前編

岸 由利子 | Yuriko Kishi

ありとあらゆる世代や人種が集まる街、渋谷。そこは、多彩なコミュニティが生まれ、新たな文化が沸き起こる一大メトロポリス。障がいのある方をはじめとするマイノリティや福祉そのものに対する“意識のバリア”を解き放つべく、従来の枠に収まらないアイデアから生まれた「カッコイイ」、「カワイイ」プロダクトや「ヤバイ」テクノロジーを数多く紹介する『超福祉展』をはじめ、街がまるごとキャンパスとなり、教えると教わるを自由に行き来できる新しい“共育”システム『NPO法人シブヤ大学』や『渋谷民100人未来共創プロジェクト』など、多様性社会の実現に向けて、多彩な取り組みが次々と行われている。本当のダイバーシティ(多様性)とは?渋谷の未来はどうなる?渋谷区長を務める長谷部健氏にHERO X編集長・杉原行里(あんり)が話を伺った。

「YOU MAKE SHIBUYA」で作る、
未来の街『渋谷』

杉原行里(以下、杉原):早速ですが、お聞かせください。ダイバーシティの定義は、企業や行政によってもさまざまにあると思いますが、長谷部区長はどのようにお考えですか?

長谷部健氏(以下、長谷部):人種や性別、国籍、出身地、あるいは趣味や嗜好も含めて、互いの違いを認め合い、尊重し合うことが、ダイバーシティと言われていますが、そこで終わりではなく、その先でしっかりと調和していくことが大切だと思います。色んな音色が混じり合って、ひとつの作品になっていくという、音楽でいうところの“ハーモニー”ですね。違う音色を奏でる人もいれば、音色が上手く出せない人もいるでしょう。ハーモニーが乱れることがあるかもしれないけれど、それを寛容に受け止めていくのが、社会のあるべきダイバーシティの姿だと思うんです。

杉原:なるほど、多様性調和ということですね。オーケストラに例えるなら、やはり区長は指揮者になるでしょうか?

長谷部:いえいえ、私も演奏しているひとりです。もしくは、指揮者はいなくて、皆で演奏しているのかもしれません。

杉原:音楽の話でいうと、20年ぶりに策定した渋谷区の基本構想のキャンペーンソング「夢みる渋谷 YOU MAKE SHIBUYA」が配信されています。

長谷部:区長に就任した時(2015年)、最初に取り掛かった仕事が、基本構想の改定でした。基本構想は、地方自治体にとって政策の最上位概念にくるものなんですね。全ての計画がそこに紐づき、その傘の基に運営する重要な核となるものです。改定する前の「創意あふれる生活文化都市 渋谷―自然と文化とやすらぎのまち」という基本構想も非常に良かったのですが、20年前に比べると、やはり時代背景は大きく変わっています。

これからの鍵は、先に述べたダイバーシティと、それをエネルギーに変えていくインクルージョンであると考えています。これらを強く意識して打ち立てた将来のビジョンが、「ちがいを ちからに 変える街。渋谷区」です。このスローガンに基づく新しい基本構想は、審議会答申を経て、2016年10月に議決いただきました。そして、“ちがいを ちからに 変える街”を実現するために必要なのは、「YOU MAKE SHIBUYA」だということを訴求しています。「YOU MAKE SHIBUYA」と繰り返し言うと、「ユメイクシブヤ(夢行く渋谷)」と聞こえてきませんか?

杉原:本当だ!聞こえますね。

長谷部:夢をもっていこう、自分たちで渋谷の街を作っていこう。「YOU MAKE SHIBUYA」には、この二つの意味を込めました。渋谷には、区民の方をはじめ、働いている人や遊びに来る人、学生時代を過ごした“第二の故郷”として慕う人など、想いを寄せてくださる方がたくさんいます。そうした方たちも含めて、渋谷区の基本構想をもっと多くの人に広く知っていただきたいと思い、その価値観や未来像を、ポップなキャンペーンソングやアニメのPV、絵本テイストのハンドブックなどに反映しました。

杉原:誰にとっても分かりやすい共通言語のようなものを作りたかったのでしょうか?

長谷部:言語というよりは、共通のビジョンであり、共通のステートメントと言えるかもしれません。とりわけ基本構想を「歌」の形にした背景には、そう遠くない未来に、この街の主役になる子どもたちにこそ、ぜひ知っておいて欲しいという想いがありました。今年の夏、SHIBUYA109周辺エリアで初開催した「渋谷盆踊り大会」では、「夢みる渋谷 YOU MAKE SHIBUYA」のボーカルを担当された野宮真貴さんが“盆踊りバージョン”にアレンジしてくださり、大盛況のうちに幕を閉じました。来年は、あるアーティストの方にダンスバージョンを作っていただく予定です。渋谷区内にある学校の運動会で、催し物のひとつとして、子どもたちに踊ってもらえば、楽しみながら覚えてもらうことができるかなと。

杉原:楽しそう!これは名案ですね。

http://www.peopledesign.or.jp/fukushi/

「超福祉」は、心のバリアを溶かす
“意識のイノベーション”

杉原:今年で4回目の開催となる「超福祉展」。今回は、渋谷ヒカリエ「8/(ハチ)」を中心に、渋谷キャストやハチ公前広場、代官山T-SITEなどにサテライト会場が設けられ、街そのものが大きな舞台になっています。そもそも、この展覧会は、どういった意図で始められたのですか?

長谷部:障がい者をはじめとするマイノリティや福祉に対して存在する負い目にも似た“心のバリア”。平たく言うと、その人たちは、「手を差し伸べる対象」であると、これまで多くの人が感じていたのではないかと思います。渋谷区では、2015年4月1日より、「同性パートナーシップ条例」(正式名称「渋谷区男女平等及び多様性を尊重する社会を推進する条例」)を施行していますが、この課題に取り組んだ時に痛感したことがあります。それは、マイノリティの抱える問題を解決するためには、マジョリティの意識の変化こそが求められていること。LGBTがマイノリティだとしたら、それ以外のマジョリティの人たちが意識を変えていくことで、世界は少しずつ変わっていくと思うんです。

障がい者に対しても、同じことが言えると思います。既存の福祉の概念を超えていくことで、心のバリアが溶けて、人々の意識が変わっていけば、「一緒に混ざり合う対象」であることに気づいていけるはず。超福祉展は、そんな意識のイノベーションを目指して、開催を続けています。

後編へつづく

長谷部 健(KEN HASEBE)
渋谷区長。1972年渋谷区生まれ。株式会社博報堂に入社後、さまざまな企業広告を担当する。2003年に同社を退職後、NPO法人green bird(グリーンバード)を設立。原宿・表参道を皮切りに、清掃活動やゴミのポイ捨てに関する対策プロモーションを展開。活動は全国60ヶ所以上に拡がり、注目を集める。同年、渋谷区議に初当選。以降、3期連続でトップ当選を果たす(在任期間:2003~2015年)。2015年、渋谷区長選挙に無所属で立候補し当選。2015年4月より現職を務める。

超福祉展
http://www.peopledesign.or.jp/fukushi/

(text: 岸 由利子 | Yuriko Kishi)

(photo: 河村香奈子)

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対談 CONVERSATION

すべては、たった一通のメールから始まった。世界最軽量の松葉杖ができるまで 前編

中村竜也 -R.G.C

HERO X編集長・杉原行里(あんり)がデザイナーとして製作に携わり、2013年にGOOD DESIGNベスト100の中から、特に優れた20作品に贈られる最高位の賞 “GOOD DESIGN AWARD金賞”に輝いた、重さ約310gという世界最軽量の“ドライカーボン松葉杖”。レンタルベースの松葉杖がほとんどの市場に一石を投じた、この革新的な松葉杖が開発されるまでにはある物語があった。今回は、その物語のきっかけとなる一通のメールを送った、日本身体障がい者水泳選手権大会金メダリストでもある寺崎晃人氏と杉原の対談が実現。二人しか知らない製作秘話を存分に語っていただいた。

杉原行里(以下、杉原):寺崎さんとの出会いはいつ頃だったでしょうか?

寺崎晃人(以下、寺崎):初めてRDS(http://www.rds-design.jp/)にメールを送ったのが35歳の時、6年ほど前ですね。

杉原:そのメールの内容ってまだ覚えていますか?

寺崎:完璧に覚えてはいないですが、まず「カーボンで松葉杖って作れますか?」という点と、さらに「僕が払える金額くらいで作ってもらえますか?」とメールしたことは記憶にあります(笑)。それで直接、RDSの社長から「作りますよ」と電話をいただいたのがすべての始まりですね。

杉原:そこから電話でのやり取りをし、図面を送ったりしたんですよね。

寺崎:そうそう、それから1年後くらいに完成したのかな。改めて思い返すと懐かしいですね。

出会った当時の写真を見つめる二人。

人生に光を与えてくれた
“ドライカーボン松葉杖”との出会い

杉原:寺崎さん、出会った頃はこんなに明るくなかったですよね(笑)。

寺崎:そういうこと言いますか!(笑)。でも確かにそうだったかもしれないですね、その頃は。離婚した直後というのもあり、気持ちがすごく沈んでいる時期でした。それで、いつまでもこのままではいかんと勇気を振り絞り、行動に出たんです。

そもそも足を切断して義足にしてくれと言うほど、子供の頃から松葉杖が嫌だったんですね。けれどもその手術は、命に関わるほど危険ということで、はっきりと先生から無理だと伝えられたんです。それからしょうがなく松葉杖を受け入れて生活をしてきました。

そして18歳の頃からデザインの専門学校で学んでいるうちに、松葉杖をデザインしてみたいなという気持ちが生まれてきました。その頃から自分でも、素材や形を探り始めていましたね。


杉原:でも就職は眼鏡会社でしたよね。そこでは、松葉杖の会社に入社して、松葉杖のデザインを変えてやろうとは思わなかったんですか?

寺崎:思わなかったことはないです。自分でも国際福祉機器展などに足を運び、調べたりしていました。ですが当時は、現状でもシェアの大半を占めている、アルミ製や木製の松葉杖しかなくて。はじめは、他にどんな素材が使えるか思いつかなかったので、形状を変えてみたり色々と試行錯誤を繰り返していました。そんなことをしているうちに、普通の形でもいいから“軽い”ものがいいという結論に達したんです。

そこから月日が流れ、35歳くらいになった時に、ふと思ったんです。もう一度チャレンジしてみようと。それが、メールを送ったタイミングです。



杉原:今だから聞きますけど、その時に何社くらいへメールを送ったんですか?

寺崎:送ったのはRDSだけですよ。

杉原:えっ!?100%でRDSに当たったってこと?

寺崎:そうですよ(笑)。

杉原:すごいな!10社くらいあってくれた方が、物語としては面白いのに(笑)。

寺崎:いいじゃないですか!まさに運命ですよ(笑)。その時のRDSのホームページに「あなたもデザイナーになりませんか?」って書いてあったんです。それを見て、この会社ならゼロから物作りをしてくれそうだなと感じ、ダメ元で送ってみたのです。

杉原:あのメールが届いた時のことをはっきりと覚えています。僕も大学の時から、医療機器やユニバーサルデザインにずっと取り組んでいたのですが、リーマンショックで会社の経営危機があり、それをきっかけに、いつの間にやらデザインから離れてしまっていたんです。もちろん気持ちの中では、いつかまたやりたいと常に思っていたので、自分の中できっかけ待ちの時期でした。そのタイミングでいただいた、寺崎さんのメール。胸が熱くなりました。

でもその時にメールを読んで「この人何か勘違いしていないだろうか」と心配になりました(笑)。なぜなら、とんでもない費用がかかることを自分ひとりでやろうとしていたのですから。そこで社長に掛け合い、モニターなら制作可能かどうか、確認を取るところからスタートしました。

そんな経緯があって、僕が福祉関係の仕事に携わるようになったのは、決して大げさではなく寺崎さんがきっかけなんですよ。もちろん今のRDSやHERO Xがあるのもね。

後編へつづく

(text: 中村竜也 -R.G.C)

(photo: 壬生マリコ)

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